5話 嫌
「きゃっー! かっこいいわよ、ラーズ!」
「そりゃどうも」
ここまでの黄色い歓声を浴びるのは生まれて初めてのことだった。
あらかた午前の家事を終えた俺はいま、真っ黒な執事服に身を包んでおり、少し窮屈な思いだ。しかし洗練された白いシャツと、その首元から伸びる青いネクタイを意識すると自然と気張るように胸を張り上げていた。なるほど襟を正すとは服そのものだけでなく、心の有り様にも作用する言葉だったのか。
リオンは鼻息荒く俺を観察し、ありとあらゆる賛辞を並び立てていた。ちなみにアイリスはまだ隣の部屋で着替え中で、この場にはいない。
まさかリオン邸二階がガーメントの披露会場になろうとは。寝室・自室だけではなく更衣室としてまで部屋を活用するこだわり様には舌を巻く。奴隷の寝室には不釣り合いな鏡の存在も、なるほどこのためだったのだと納得した。
「アイリスはまだか?」
「女の子の着替えには時間がかかるの。常識よ?」
「それは知っているさ。今まで仕えてきた女性主人もみな、着替えは長かったからな」
俺の言葉に、リオンは頬を軽く膨らませた。その顔は昨日見た、我儘な顔だ。
「むー、なんだか元主人の話は嫌ね」
「嫌か」
「そう、嫌」
自分の心のあるままに従う言葉。『嫌』。
子供の頃に多用し、いつの間にか人はそれを忘れてしまう。いや、忘れようとしてしまう。社会に自分を押し通さないように。出る杭にならないように。
それを大人になっても使い続けられるリオンは強い女なのだ。決してガキというわけではない。自分の属する社会に嫌と言える強者であるというだけだ。
「というかラーズ、あなたいったい何人の主人に仕えてきたの? なぜ主人がコロコロ変わる様な口ぶりなの?」
「俺が奴隷のプロだからだ」
俺の答えにリオンはすかさず『どういうこと?』と質問を重ねるが、俺はそれに応えることはなかった。
俺はただの奴隷ではない。奴隷のプロだ。
ならば主人に選ばれる立場ではなく、主人を選ぶ立場。そう思ってもいいほどに、俺は優秀なのだ。
「あ、あの……着替え終わりました」
「見せてアイリス。きゃっー!」
リオンは再び黄色い歓声を上げた。
「っ!」
扉の奥にいたアイリスが視界に入った瞬間、俺はまたしても息を飲んだ。
アイリスはフリルがついた純白のブラウスを中に仕込み、その上からチョコレート色のワンピースを身につけていた。首元にはベージュのリボンが優雅に絞められており、彼女の首元を瀟洒に飾っていた。
それはいわゆるガーリーな服装だった。童女のようなかんばせを持つアイリスは、まるで生誕した時から身につけていたのではないかと思うほど自然に着こなしていた。唯一のミスマッチはガーリーな雰囲気と合わない、膨れた胸と太ももだろうか。そこが目立つゆえに、犯罪的な香りも醸し出していた。
「ほらラーズ、女の子が着替えたら言うことあるでしょう?」
「そ、そうだな。すごく可愛いぞ」
「か、かわっ……あ、ありがとうございます」
なんだろう、こんな賛辞いくらでも伝えてきたのに特別恥ずかしい。一周回って、魅了の能力を持った吸血鬼だと言ってくれた方が気が楽だ。
「さぁ行きましょう。おめかしした二人と買い物なんて楽しみよ」
「リオンは着替えなくていいのか?」
俺が問うと、リオンはクスッと笑った。
「いいの。私はこのドレスがお気に入りなんだから」
「俺たちだけおめかしとは不公平だな」
彼女が身に纏う青と黒のフリルが織りなす階調のドレス。昨日着用していたものは洗濯カゴに入れられていた。いくつも持ち合わせがあるのだろう。
似合っているし、そもそもドレスもおめかしとして相応しい服装なのだからいいか。と半ば強引に自分を納得させた。