3話 奴隷の朝は早い
ついさっきまで血にまみれていた老獪が、乾いた笑いをこぼす。
「お前に殺されるまでもなく儂はもうじき死ぬ。不敬にも噛みついた犬には呪いを与えよう」
◆
「はっ!」
ろくでもない夢と、燦々な日差しのせいで目を覚ました。厚いカーテンがこの部屋にもあれば、俺は寝坊していたかもしれない。
この部屋には時計もないが、奴隷のプロである俺にはわかる。時刻は六時半だ。
「よしやるか。家事奴隷の仕事だ」
自分がいま何者であるのか、それを示すようにわざとらしく言葉を紡いだ。
「なんだこれ……」
洋館一階のエントランス&リビングからドア一枚を隔てたキッチンを、ひと言で表すのなら荒廃だろうか。
棚には規則性のないバラバラの食器が杜撰に重ねられており、手に取ってみると汚れがこびりついていた。
シンクには水垢や黒ずみなら可愛いもので、玉ねぎの皮すらも張り付いており、流石の俺でも顔が引き攣ったのが自分でもわかる。ただしそれは仕事への億劫さから来るものではない。人間という生き物はステレオタイプなイメージから脱却するのは難しいものだ。俺もそうで、リオンのような身なりのいい貴婦人がこの惨状を生み出したのだと思うと、得も言われぬ感情を抱いたのだ。
ふと、天井に近い壁に時計があるのを確認した。時刻はほぼ予想通りの六時四〇分。
「時間はある。掃除から始めるか」
自分が何者であるか。そう、俺は奴隷のプロだ。
ならば主人の生み出した惨状を救うのも俺の仕事である。
俺は仕事道具を手に取った。
「おはようラーズ……あっいい匂いがするわ!」
朝食を作り終えたところで、リオンが眠たそうな目をこすりながら降りてきた。彼女がパチパチと瞬きをするたびに、紅蓮の瞳が高潔に明滅する。
リオンの寝巻きは蒼色のナイトウェアで、かなりゆったりとしたシルエットだった。その緩さが紅蓮の瞳と緩急を生み出していた。
「おはようリオン。手を洗ってからだぞ」
「はーい。お母さん」
「誰がお母さんだ」
ツッコミから、数瞬後。
「ちょっとキッチンが綺麗になっているんだけど!」
「あぁうるさいな! 俺が掃除したんだよ」
「ひぃっ!」
「ん?」
なんだ、いまの金切り声は。
声の出所へ目線をやると、そこには桃色の球体が置かれていた。
「なんだこれ」
「ひぃん!」
「うおっ、喋った!?」
というかよく見るとこれは球体ではなく、人間が丸まった姿か。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いや平謝りされても……」
なんだこいつは。
体を丸めているせいで顔も見えやしない。わかるのは声から若い女である点と、恵体であるという点のみだ。
「アイリス、その人は強盗じゃないわよ」
「ふぇ、へ?」
アイリスと呼ばれた少女が顔を上げた。そしてリオンに手を取られ、ゆっくりと立ち上がる。
その姿を目に捉えた瞬間、ゾクっと血がざわついた気がした。この少女が持つ特性とでも言うべきか、男の本能をくすぐる要素を数多く持っているのだ。
まずは庇護欲をそそられる幼いかんばせ。丸々とした目に青い瞳。ぷっくら膨れた頬はまるで童女。しかしそれを否定するのが大きく膨らんだ胸と、何よりムチムチっとした太もも。後者は露出していなくても目につく太さで、挟まれたい、顔を埋めたいといった卑劣で醜悪な感情を本能から浮かび上がらせてきた。
少女は子供が着るようなモコモコのパジャマを身に纏っており、肌の露出は皆無なのだが、やけに扇情的に映る。彼女の持つフェロモンというものなのか。そこらの知識はないため曖昧ではあるが、とにかく魅力的な異性に見えてしまう。
通常目を引くのは肩に届かぬ長さの派手な桃色の癖っ毛であろうが、それすらどうでもよくなるほどに身体の方に目がいく。言い方は最悪であるが、天性のメスだ。
「コラっ。アイリスに色目を使わないの!」
リオンが俺の頭をはたく。
「痛っ。ごめんなさいアイリスさん」
「い、いえ。私が悪いんです。私が……」
「おーよしよし。アイリスは悪くないよ」
リオンがアイリスに頬ずりした。なんとも華やかな絵だ。
やがて満足した様子のリオンは息を吐いて、くるりと優雅に回転しながらアイリスの肩に手を置いた。
「紹介するわね。この子はアイリス。私の性奴隷よ」
「あぁ性奴隷か。なるほどなるほ……ど!?」
聞き間違いか? 俺の訝しむ顔を見てか、リオンは咳払いをしてもう一度淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「アイリスは私の、性奴隷よ」