19話 正義の大鷲
「ら、ラーズさん。お手伝いできることありますか?」
「ありがとうアイリス。でも夕食はもうできるから、リオンの様子を見てきてくれ」
「は、はい!」
慕う主人の顔を拝む許可が出たアイリスは、ぱあっと明るくした表情のまま階段へと駆け出した。
リオンが眠りについてから二時間が経過した。その間、俺はアイリスから引き継いだ家事を済ませ、いまは夕食を作っているところだ。今日のメニューは鉄分が豊富に取れて、尚且つ消化にもいいアサリのクラムチャウダーだ。アサリから香り立つ海と出汁の匂いが食欲をそそり、腹の虫を鳴かせた。
不意に、ゴンゴンゴンという音が玄関から鳴り響いた。聞き間違いかと思って無視したが、再び鳴ったその音に首を傾げながら火を止め、玄関へと向かう。
「はーい、どちら様?」
「こんばんは」
「ん?」
ドアを叩く主はベージュ色の髪をオールバックにした小太りな壮年の男だった。どこかで見た顔だったが、どこだろうと逡巡して、なるほどアイリスへのお土産を買った店のマスターかと記憶の糸を掴み取った。
あのシャツワンピースはラングレットとの戦闘でズタズタになってしまい、アイリスへプレゼントされることはなかった。
……しかしなんで服屋の店主がここにと疑問に思った、その時だった。
「死に去れ吸血鬼が」
「へっ?」
柔和な印象から一変。豹変した壮年の男が、目にも止まらぬ速さで黒い短筒を俺の頭に押し付けていた。そして。
パァン!
その引き金に指をかけ、俺の頭蓋と脳みそを砕いたのである。
倒れた俺に見向きもせず、壮年の男はリオン邸の敷居をまたいだ。そして仕事人のように呟く。
「あとはあの少女か」
瞬間、俺の再生が始まった。砕け散った脳と頭蓋骨が結合し、あるべき場所へ回帰する。噴き出た体液ももれなく頭部へ流れ込んだ。そして倒れたまま、男の足を掴む。
「ちょっと待てよ。他人の家に土足で入ろうっていうのか?」
男は瞠目した。そして尻尾を触られた猫のように叫ぶ。
「……何だと!?」
「何者だよあんた。ただの服屋じゃねぇな」
起き上がる俺に、壮年の男は再び銃口を向けた。
「動くな。お前の生死は俺次第だということを忘れるなよ」
「拳銃ってことは、あんた公安か?」
「ふん」
鼻を鳴らした男の行動を肯定と受け取った俺は、目線を辺りへと泳がせた。どうやら単独行動のようだ。黒いコートを着用していないことからも、独断専行したのだと推測できる。
……この男はさっき俺のことを吸血鬼と呼んだ。どうやら何か勘違いしているな。とはいえ銃口を向けられた俺が不利なのは事実。
局面打破のため、俺から先に口を開いた。
「俺はラーズ・クラーセン。見ての通り吸血鬼だ」
「……ジェームズ・リットン。公安だ」
名乗り返す礼儀作法を知っている辺り、本当に公安なのだろう。公安を謳う半端者や詐欺師はこういった細かいところまで注意が行き届かない。この男は本物だ。俺が恐れていた、本物の公安だ。
「何の用事で俺の屋敷へと訪れた」
「ドゥーロン繁華街での大規模倒壊・死亡事件。心当たりがあるな?」
「ない」
刹那、ジェームズは再び発砲した。
ジェームズは一歩たりとも動かぬまま、俺の再生を待っていた。やがて再生が終わると、彼ははっきりと舌打ちをする。
「ふざけたことを言うなよ吸血鬼が」
「というか、なぜ一般客である俺を吸血鬼だと思った?」
「俺は長年の勘で鼻が効くんだ。お前から立ち込めていたんだよ。血泥のように鉄臭い、積み重なった死体の匂いがな」
……にわかには信じ難いが、こいつがここにいる時点で真実なのだろう。
俺から匂った死体の匂いは、間違いなくこれまでに殺してきた百人以上の元主人たちのものだ。その事実を隠し、理想の主人を探す俺にとって、こいつは天敵といえる。
ただ唯一助かっているのは、ラングレットとの大騒動で俺を吸血鬼だと勘違いしていることだ。リオンへ敵意が向かなければ、なんとかなるかもしれない。現に、俺の質問へは素直に答えてくれている。俺を吸血鬼だと勘違いしているからこそ生まれたパワーバランスだ。この機を逃す手はない。
「なぜ服屋と身分を偽っているんだ」
「繁華街に店を開けば、この街にいる犯罪者を嗅ぎ取りやすい。それだけだ」
「ずいぶん仕事熱心なんだな」
「このバッチに誇りを乗せているからな。俺も部下も、公安はみんなそうだ」
そう言って、ジェームズは本来なら黒いコートに付けられたはずの大鷲のバッチを見せつけてきた。彼が何者かを示す、正義のバッチ。今となっては恐怖の対象になってしまった。
「それから……」
「調子に乗るなよ吸血鬼。今度はこちらから質問だ」
……どうやら俺のターンは終了したらしい。
ジェームズは真水のように澄んだ瞳を俺の視線とぶつけ、問うた。
「ドゥーロン繁華街での大規模倒壊・死亡事件の首謀者と見られる男からは、裂傷や内臓破裂など致命傷となる要因がいくつも見つかった。被害と殺傷能力を鑑みて、公安は死体の男を吸血鬼と断定した。……でだ。そんな化け物を殺したやつがいるってのが問題だ」
「怖い世界だな」
ジェームズは業腹だと言わんばかりに、俺の首根っこを掴んだ。
「お前が殺した。違うかっ!」
「……答える義務はないね」
「…………」
黙ったジェームズは俺を解放し、タバコに火をつけた。
「禁煙なんだが」
「知るか」
野放図でも公安になれるらしい。
ジェームズはタバコをふかしたまま、吐き捨てるような舌打ちをかまして踵を返した。
「帰るのか?」
「殺しようのない吸血鬼に、策なしにいつまでも相手するほど暇じゃない」
ジェームズの背中が遠のいていく。しかし途中で一瞬立ち止まり、一言。
「俺の部下は理知的ではないからな」
「……なんの忠告だよ」
立て続けに起こる事件に、俺は膝を折った。