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18話 戦いの果てに

 西陽が差し込む古びた洋館。窓ガラスがそれを乱反射して目を焼き尽くすうざったさにも構わず、俺は必死にドアを叩いた。そして絞り出すように、叫ぶ。


「アイリス開けてくれ! アイリスっ!」


 叫び続けて何分経過しただろう。延々と続く焦りの螺旋から解放されたのは、ギィという音を立てて古びたドアが開いた時だった。


 急かす俺とは対照的に、アイリスはのほほんとした様子で俺たちを出迎えた。しかしリオンの姿を見て、絶句。


「リ、リオン様っ!?」


「寝室へ運ぶ。手伝ってくれ」


「は、はい!」


 アイリスは不器用ではあるが優しい子だ。ゆえに俺がリオンを寝室へと運ぶ際、綻んだスカートが引っかかることがないように努めてくれた。小さな事に見えるそれが、リオンの不快指数を上げない結果をもたらすと俺が認めよう。


 寝室の遮光カーテンは閉じられており、その暗さがカラス色の男をフラッシュバックさせる。歯を食いしばって入室し、ようやくリオンを安静なベッドへと運ぶことができた。


「アイリス、タオルを水で濡らして持ってきてくれ。あと医薬品が入った箱があればそれを」


「は、はいっ!」


 アイリスは神妙な面持ちで寝室から駆け出して行った。


 数年前にはなるが、俺は裕福な医者を主人にしたことがある。彼は手先が器用な俺をこき使い、さまざまな医療現場に付き合わせた。その経験を活かすときは間違いなく今だ。


「俺が奴隷のプロでよかったな」


「……そう、ね」


 リオンは憔悴した様子で肯定した。無理に喋らなくていいと伝えると、素直に従ってくれる。


「言っておくけど今から行うのは医療行為だ。後から恨みごとを言うなよ」


 手早くリオンの青黒ドレスを破り、怪我の深刻さを確認する。


 大腿部に裂傷が二つと、風穴が一つ空いている。左脇腹には闇色の剣が刺さっていた影響であまりに大きな穴がぽっかりと空いていた。流れ出る血はまるでリオンの命を吸い取っていくようだ。服を脱がして細部を観察すると、他にも大小の差はあれど裂傷、擦り傷、弾痕が複数確認できた。


 ……ダメだ、大きな傷をこんなにも多く受けたなら助かるはずがない。というか、いま生きているのが不思議なくらいだ。人間なら出血多量でとっくに死んでいる次元にいる。


 医者に頼ろうにもこのレベルの傷を見たら尋常でない事情を抱えていると察されるだろう。その上、先ほどの戦闘によりドゥーロンはいまパニックに陥っているはずだ。きっと公安も大量に動員され、ラングレットと戦闘を繰り広げた人物……つまりは俺たちを追っているはず。


 ならば、やるしかない。他でもないこの俺が、リオンを救うんだ。


「……えっち」


「お前、よくそんな傷で軽口を叩けるな」


「重症だけど、し、死にはしないわ。吸血鬼ならこのくらいの傷、数時間寝れば回復するから」


「そう、なのか?」


 俺に手を煩わせないための嘘、という感じはしない。そもそとリオンはそういう嘘をつく女ではない。


「でも血が足りないのは事実よ」


「あ、おい起き上がるなって」


 リオンは蒼銀の川を儚げに揺らした。また同じく儚げに、俺に笑顔を向けている。その軽く細い体は小刻みに震え、血の喪失と体温の低下をありありと伝えてきた。


 リオンが起き上がった拍子に、純白のベッドシーツに赤黒いシミが顔を覗かせた。彼女の体から命が抜き出ている様子が、リアルタイムで目に焼き付けられてしまう。その様に胃から内容物が込み上げそうになってくるがグッと堪える。根源的恐怖を目の前に、俺は必死に耐えた。


 それからしばらく、リオンは俺の顔を見つめていた。本来ならさっさと安静にするよう促すのが奴隷の仕事のはずだが、この時ばかりは彼女の好きにさせたいと思えた。


 そして唐突に、リオンは言った。


「ねぇラーズ、私の身体、綺麗?」


 大陸の東端に伝わる妖怪伝説のような問いかけを投げたリオンは、不思議と少し元気を取り戻したようだった。


「当たり前だろ。お前ほど綺麗な女を、俺は見たことがない」


「素直なのね」


「経過観察中の主人に嘘なんかつくか」


「そうかしら。ラーズはツンデレ……とも少し違うわよね」


「なぁ、なんの無駄口だ?」


「必要な確認事項よ。私のこと綺麗って思っているのよね」


「そ、それはまぁもちろん」


 二度目の肯定はなぜか少し小っ恥ずかしかった。


「じゃあ私に興奮している? 今の私はずいぶんとセクシーなはずだけど」


「……病人にそんな感情を抱くのは倫理に反しているだろ」


「ちゃんと答えて。私に興奮している?」


「そ、それは……」


 確かに今のリオンは、扇情的な姿であることを否定できなかった。


 青黒のドレスは俺によって脱がされ、傷だらけではあるが太ももからその付け根の黒い下着、さらには鼠蹊部まで、すべてが露出してしまっている。白いタキシードを押し付けて止血した腹部も素肌が見えており、痛々しさの中に艶かしさもあった。


 これらはすべて意識しないようにしてきたことだが、本人の口から確認されると意識するなと言われてもしてしまう。

 俺は迷いながら言葉を紡いだ。


「してるよ。しないようにしていたけど、本当はしてる」


 恥ずかしい。今なら顔から火を噴き出せそうだ。


 しかし顔を熱くしていたのは俺だけではないようだった。


「……やだ恥ずかしい」


「何がしたいんだ!」


「ごめんね、ちょっとからかいたかったの。ここからが本題よ」


「初めから本題でよかっただろう」


 俺の苦言を無視して、リオンは紅蓮の瞳をゆらり面妖に俺に向けた。


「私はいま血が足りないわ。外部からの補給が必要なの」


 火を見るよりも明らかなことを告げて、一拍。


「ラーズ、あなたの血を飲ませてくれる?」


「俺の血を飲む……だと?」


 いや、何も不自然なことではないのだ。なぜならリオンは吸血鬼なのだから。その名の通り、血を吸うのは当然だろう。


 ただ、俺の中でリオンが血を飲む生物だとどこか信じられない部分があった。そもそもこの数ヶ月間、彼女が血を口にする瞬間を見たことがない。甘味を口にする瞬間なら両手両足の指では数えられないほど見てきたが、血はさっぱりだ。


「血が足りれば、こんな傷すぐに治せるわよ」


「血を吸うのはわかった。合意しよう。たださっきの質問との関連性がわからないんだが」


「血の味や効果はね、飲まれる側の人間が飲む側の吸血鬼をどう思っているかによって大きく変わるの。よい感情が向けられていたら美味しく効果絶大に。負の感情が向けられていたら不味く効果が薄くなる。幸いラーズは男だし、私のことを性的対象として見てくれているのなら味も効果も期待できるわ」


「そういうことだったのか」


 少しズレている気もするが、納得はいった。


 俺はタキシードの下に着用していたシャツのボタンを外し、首元を露出させる。


「ほら、ここからでいいか?」


「ええ。ああ、ああ、もう我慢できないわ!」


「あ、ちょっ!」


 リオンは紅蓮の光芒を残し、俺の首筋へと飛びついてきた。

 瞬間、カプリという音が鼓膜を揺らす。


 首筋の肉が鋭い歯で貫かれる音。こんな音、人生で聴くことなどないと思っていた。


 次いで、リオンは俺の血を容赦なく吸い取っていく。自分が吸血鬼であることを示すように、強く激しく。


 血の流れを意識するのは生まれて初めてのことだ。不思議と痛みも不快さもなく、むしろ心地いいくらいだった。


 ぼーっとする意識の中、ふと〈血皇再生〉とやらで再生が行われないことに気がついた。いつもなら穴の空いた首筋は塞がり、血は俺の身体に回帰するはず。しかしそうならないのは、なるほど吸血鬼の真祖の能力だけあって吸血鬼本意にできているのだと感心した。


 主人に飛びつかれ三分は経っただろうか。吸血にも慣れ、むしろ密着したリオンとの接触に意識が向いた頃に、急にぷはっと息継ぎのような快音が響いた。恍惚とした表情のリオンは牙を抜き、ゆっくり俺から顔を離していく。そしていたずらっ子のように微笑んで、言った。


「美味しかったわラーズ。私のこと大好きなのね」


「命の恩人に対する言葉がそれかよ」


「私だってラーズを助けたじゃない。おあいこよ」


「そうだな。確かにそうだ」


 もしラングレットとの戦闘がなかったら。リオンは俺の血を美味いと感じていただろうか。……いや、そんな無駄やイフは考える意味がない。


「あ、あの……」


 不意にアイリスがドアをノックして寝室へと踏み入れてきた。その顔は真っ赤に染まっており、また邪魔して申し訳ないといった表情に見える。タオルと医療箱を持ってくるのに相当な時間をかけた彼女が何をしていたのか、容易に想像できた。


「ありがとうアイリス。リオン、身体を拭くぞ」


「えっち」


「アイリス、頼めるか?」


「もういじわる。奴隷のプロなら赤血球一つ残さず綺麗にすること! これは主命よ!」


「はいはい」


 残ったドレスの切れ端すらもゆっくり脱ぎ捨てたリオンは、紅蓮の瞳を艶かしく輝かせた。その瞳は潤んでおり、アイリスとは別種の蠱惑的な魅力があった。


 俺は首を振る。邪念を吹き飛ばし、主人の精緻な身体にこびりついた血を拭き取っていく。彼女の言った通り、血を飲んだことにより出血はもう止まっていた。改めて人間と吸血鬼の種族差というものをありありと示された気分だ。


「ふふっ、ラーズくすぐったいわ。んっ」


「あんまり色っぽい声を出さないでくれ」


「仕方ないじゃない。大切な奴隷に触られると、心も体もポカポカするのよ」


「やっぱりアイリス代わってくれないか」


「ラーズのいじわる!!」


「わ、私は下でお掃除してきますね」


「あ、ちょっとアイリス!?」


 桃色の髪を上下させながら、アイリスは寝室から足早に退散してしまった。気を使ったつもりなのだろうが、俺にとっては傷に塩を塗られた気分だ。


「可愛いでしょ、アイリス」


「突然どうした」


「言ってたじゃない。なぜあの子を奴隷にしたかって」


「ああ、言ったな。はぐらかされたけど、答えてくれるのか?」


「まだ内緒」


「じゃあ言うなよ」


「でも明かさなきゃいけないことは多いわよね。ラングレットの件で、私の野望や計画に綻びが出てしまったから」


「まぁそれは元気になってからでいいさ。いまは俺が生涯を捧げるに相応しい健康体に戻るよう努めてくれ」


「あら、それは一生仕えてくれる宣言かしら」


「経過観察だ」


「もう、本当にいじわるね、ラーズは」


 俺は濡れタオルをリオンの身体から離した。彼女の雪肌に、赤黒い血はもう染み付いていない。これぞ奴隷のプロがなせる技だ。


「ありがとう、ラーズ」


「新しいドレスだ、しっかり着て寝て、はやく元気になってくれ」


 日々の掃除でクローゼットの位置も把握している。そこから新しいドレスを取り出して、主人へと手渡した。


「うん、よくできた奴隷だわ」


「当然だ、俺を誰だと思っている?」


「ふふ、本当にありがとう、ラーズ。じゃあお言葉に甘えてちょっと寝るわね」


「あぁ。ゆっくり休んでくれ」


 俺は足音を立てぬよう、静かに寝室を後にした。


「うっ!?」


 瞬間。ドッとした疲れが肩にのしかかってきた。両膝を折ってしまい、這うように自室へ逃げ込んだ。


 幾度も死に、それだけ相応の苦痛を味わう。こんな経験、俺しか味わったことがないだろう。人間が背負えるストレスの限界を当に超えているのだ。


 ラングレットとリオンのやり取りから、リオンは複数の吸血鬼から狙われているのは間違いなさそうだ。つまり、あの戦闘をまた行うかもしれないということ。


 耐え難い苦痛。それでも俺は立ち上がった。俺が何者かを示すために、一階へと歩を進める。


 なぜなら俺は、奴隷のプロなのだから。

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