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10話 日常と訓練

 あの一悶着あった夜から一月が経った。つまり、リオンの奴隷になってから二月が経過したことになる。


 奴隷の朝は早い。この家には食べ盛りの娘が一人と、食いしん坊の甘党吸血鬼が一人。そして働き盛りの奴隷が一人。飯はバリエーションに富んでたくさん作らねばならないのだ。


 今日の朝食はかぼちゃのキッシュと季節の野菜で彩ったサラダ。そして甘いコーンから作ったスープだ。何かしら甘いものを作らないと、あの吸血鬼はしゅんとした顔になってしまう。主人をしゅんとさせるのは、奴隷のプロとしては失格だ。いかに健康的に、甘いものを食べさせるか。毎日その課題との戦いだ。


「おはようラーズぅ。いい匂いね」


「おはようリオン」


 毎朝見られるしどけない姿の主人にも慣れてきた。特別措置の経過観察期間でなければ即不合格の烙印を押しそうなほどに品のない寝起き姿だが、いまは彼女に付き従うしかない。


 こんなことを独白するが、その実俺は彼女に期待している面もある。こんなにも長い期間仕えた主人は、最初の主人くらいだ。もしかしたら本当に俺の生涯を捧げたくなるかもしれないと、一縷の希望を持っているのだ。


「あー! 今日はパンケーキじゃないの!?」


「そんな約束していないだろ」


「やだやだやだ! 私はパンケーキがいいの!」


 ……前言撤回か? 一縷の希望を持っても仕方ないのか、これ。


 肩を落としている間に、アイリスが寝ぼけた目をこすりながらリビングへ降りてきた。相変わらず扇情的なまでの恵体で、朝から悶々とした気持ちを湧き上がらせてくる同僚だ。


「ラーズさん、私も運ぶの手伝います」


「ありがとうアイリス。スープを運んできてくれるか? 熱いから気をつけてな」


「はい。頑張ります」


 そう言うと、アイリスは怪しい足取りでスープを運んできてくれた。


 この一ヶ月でアイリスともずいぶん打ち解けた。彼女は普段はぼーっと過ごしているようで、とても奴隷とは思えないような生活を送っている。


 正直、なぜ彼女がここにいるのかさっぱり理解できない。リオンが女の性奴隷を欲したとしても、別の人間だっていくらでもいただろうに。恵体に惹かれて……というのも理由にはなるのだが、吸血鬼であるリオンがそれだけの理由でアイリスを飼うのだろうか。


「ラーズさん、顔つきが険しいですよ?」


「あ、あぁすまん。なんでもないよ」


 考えても仕方のないことだ。ともかく同僚という事実に変わりはないのだから、仲良くするに越したことはない。


 朝食を終えたら今度は洗濯の時間だ。おしゃれ着から寝巻きまで、様々な衣服を手洗いする。


 リオン邸の庭は、まるで広大な草原をそのまま切り取って持ってきたかのように緑鮮やかな場所だ。とはいえ管理が行き届いていない雑草群だったのは二ヶ月前までの話。俺が管理を始めてからは、しっかりと刈りそろえられた草が柔らかに育っている。


 何もないのは味気ないと思い、手造りではあるがベンチも建てた。大工奴隷もしていたから、これくらいならお手のものである。


 庭にもしっかりと水道が通っており、蛇口を撚れば清潔な真水が出てくる。ここで手洗いで洗濯をするのだ。


 リオンのベッドシーツと俺のベッドシーツ。それからリオンの青黒ドレスに、アイリスのガーリーなお洋服。


 ここでの洗濯は扱いが難しいものばかりだ。だからアイリスの手伝いも断って、プロである俺一人で作業をしている。


「いい天気だ。これなら十五時前には乾くかな」


「あら、精が出るわね」


「リオン!」


 リオンがこの時間に庭に来るなんて初めてだ。普段はこの時間お昼寝でもしているか、アイリスと簡易的な遊戯で遊んでいる。


 青と黒の階調ドレスと蒼銀の髪を風に靡かせるリオンは、洗濯桶を覗き込んでニヤッと口角を上げた。


「……なんだよ」


「女の子の下着を合法的に触れるなんて、良いご身分だと思っただけよ」


「仕事だ、仕事」


 確かにいま俺は、リオンの下着を手に持って水洗いしている。黒いレースの下着だ。日常的に勝負下着にも見えるこれを着用しているらしい。


「そんなこと言って、本当は役得とか思っているんじゃないの?」


「思っていたとしても、それは俺が掴んだ得だな。プロフェッショナルさあってこそ、この仕事を任されたんだろ?」


「確かにそうね。いじりがいがなくてつまらないわ」


「悪かったな」


 冗談よ、なんて言ってリオンは庭のベンチに腰掛けた。


 暖かな陽気に、肌を撫でる薫風。リオンの瞼を下げさせるには十分な要素が集まっていた。


 やっと静かになる。そう思った俺は作業を進めた。


 ……が、さすがに洗濯が終わっても寝られると奴隷としては心配になる。風邪でも引いたら大変だ。吸血鬼にその心配は杞憂であろうが、奴隷のプロとして主人の体調管理に努めないわけにはいかない。


 俺は人形のように目を瞑るリオンの肩を揺らした。


「おいリオン起きろ。俺もそろそろ屋敷に戻るぞ」


「ん……寝ちゃってた?」


 リオンは半目で瞬きをし、紅蓮の瞳を明滅させた。せっかくの美少女もこれでは形無しである。


「ずいぶんぐっすりとな」


「嘘、恥ずかしい。ラーズに寝起きの顔を見られてしまったわ」


「毎朝見ているんだけど。今更ではないか?」


「いじわる」


 リオンは頬を膨らませた。


 やがて、よっと声に出してベンチから起き上がり、徐に草むらの方へと歩き出した。


「まだ寝ぼけているのか?」


「ううん。今日から日課を追加しましょう」


「日課?」


 俺が聞き返すや否や、リオンは自らの左腕を鋭利な爪で切り裂いた。そして溢れ出る血を輝かせ、意のままに操る。欲しいものに、形を変える。


「〈血操大帝:血剣〉」


「何をっ!」


 刹那、俺の右腕が吹き飛んだ。


「ぎっっっ!」


 悲鳴にならない叫び。人生最大の痛み。それらが唐突に襲いかかってくる。先ほどまで右腕が生えていたはずの虚無に、今は赤い血が噴き出ていた。


 その苦痛に悶えたのも数秒のこと。やがて飛び散った血や肉片が俺の虚無に集結して、新たな右腕を形成した。もう痛みはない。あるのは主人への疑念のみ。


「何するんだ!」


「これから毎日訓練を日課にしましょう。この先何があるかわからないから、ラーズを鍛えて損はないと思うわ」


「だからってこんな不意打ちがあるかよ」


「ごめんね。でもこの訓練に甘さは持ち込まないわ。だって」


 今度は左腕。リオンが言葉の途中で振り上げた血の剣に、切断された。


「吸血鬼たちは甘くないんだから」


 紅蓮の瞳が、いまは暗面を押し出す血色にしか映らなかった。

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