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落日の紅が映す心の意味は  作者: 月夜野桜
第二章 その唇は愛を語る
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 インク壺の中にそっと羽ペンの先を浸す。余分なインクを縁で拭ってから、やや茶色味を帯びた紙の上にさらさらと走らせた。この場所の波はとても穏やかで、文字を書くのに苦労はしない。


 あの後、船はカナリア諸島南西端のエル・イエロ島へと移動した。火山の噴火によって出来たカナリアの島々は、どこも天然の洞窟が多い。この島も同様で、海に繋がる大きな洞窟の一つを、ヴィトーリアたちがアジトとして利用していた。


 武装しているシルヴェリオ号で、イスパニアやポルトガルの支配下にある街に入港するのは危険を伴う。自衛のために武装した商船というのもいなくはない。しかし、そういう言い訳が通用する水準の装備ではない。


 海軍というわけでもないのに、決して多くもない積載スペースを潰してまで重武装していたら、海賊だと自己紹介しているようなものである。外からはわからなくても、何かの理由で立ち入り検査でもされたら、とても誤魔化しきれない。


 そのため、街に行く必要があるときには、このようなアジトで別の船に乗り換えて行くようにしているとのこと。このカナリア諸島と、南のヴェルデ岬諸島のそれぞれに、同じように船と若干の資材を隠したアジトがあるという。


 ステラが今いるのは、その乗り換え用のカラベラ船の船長室。シルヴェリオ号と同じ三本マストだが、洞窟の中に入れておく必要がある以上、かなり小さな船で、全長で言えば半分もない。当然、皆を乗せることは出来ない。


 街へ行くときは、交代制で選ばれた者だけが出かける。乗り込んだばかりで、一度も選ばれたことのないステラは、自動的に候補とされた。


 船の修理に使う資材や食糧なども調達したいとのことで、商人の娘としての能力をあてにもされた。明日の早朝出航することになっていて、行く者は先にこちらに乗り込んでおき、夜を明かすという寸法である。


 船は大きな洞窟の中に続いた入江にしまい込まれており、余り大きな波は入ってこない。久々に穏やかな床の上での夜となる。


 コンコン、と扉が叩かれた。ステラは手紙を書くのに夢中で気付かない。何度か叩かれた後、突如バンバンと大きな音を立て始める。叩くというより殴るような形。


「てめー、返事くらいしろ! もう寝ちまったのかー?」


 声の主はオスバルド。流石に気付いて後ろを振り向くと、ステラは大きな声で答えた。


「うるさいなー! 今手紙書いてるんだから、静かにしてよ!」


「あん? 手紙ー? 飯の時間とっくに過ぎてんぞ?」


 言われてみれば、妙に腹が減っている。窓から外を見ると、もうかなり暗くなっていた。洞窟の中で元々薄暗く、明かりも点けていたため、陽が落ちているのに気付かなかったようだ。


「せっかく飯持ってきてやったっつーのに、なんて態度だよ」


 集中していたのを邪魔されて、つい邪険に扱ってしまったことをステラは恥じた。頬を染めながら慌てて立ち上がり、扉を開けた。


「ごめんごめん、すっかり忘れてたよ。ありがとう、オスバルドさん! 優しいね!」


 意図的に満面の笑みを浮かべつつ機嫌を取る。仏頂面だったオスバルドは、それだけでころりと落ちて、照れたように視線を逸らした。


「よせやい……」


「えへへへ」


 ちょろいと思いながら食事の載った盆を受け取る。オスバルドの視線は、奥のテーブルの上に向いていた。


「お前、字書けんのか?」


「失礼な。これでも商人の娘だよ? 文字くらい書けないと、お手伝い出来ないじゃん!」


 頬を膨らませて、ステラが答える。オスバルドは目をぱちくりとさせた後、得心したように頷いた。


「そういやそうだったな。お転婆すぎて忘れてたぜ」


 脛を蹴り飛ばしてやりたい気持ちを抑えながら、盆をテーブルの上へと持っていった。オスバルドがその後をついてきて、テーブルの上を覗き込む。


「誰に出すんだ? 男でもいるのか?」


「なんでそういう発想しか出来ないかな……って、見ないでよ!」


 ステラは慌ててテーブルの前に立って、オスバルドの視界を塞ぐ。


「何言ってやがる。俺っちに文字が読めると思ってんのか?」


 言われてみればそうだった。しかし口に出すと失礼なので、その思いは飲み込んだ。


 それに、本当は読める可能性もある。ステラは念のため、後ろ手に未使用の紙を取って重ね、手紙を隠した。


「嬢ちゃん、お前、家族は残ってんのか? 親父さんはその……」


 そこでオスバルドは言い淀む。誰もあまり訊いてはこなかったが、ヴィトーリアに話した内容は伝わっているようだった。他の家族の話は、まだ誰にもしていない。


「お母さんと、あと弟と妹がリスボンにいるんだ。一月二月帰らないのはいつものことだから、まだ心配はしてないと思うけど、お父さんのことは知らせないと」


「そう……だよな。嫌なこと思い出させちまって、悪かったな」


 いつもお気楽そうなオスバルドだが、珍しく悲痛な表情を浮かべて背を向けた。ステラは前に回り込んで、明るい笑顔を向ける。


「大丈夫だよ。思い出すも何も、今手紙書いてたんだし。……やっぱり、優しいんだね、オスバルドさんって」


 今度は本音だった。あくまでも元気な様子のステラを見て、オスバルドはふっと笑った。亜麻色の小さな頭をポンポンと叩きながら問う。


「リスボンに帰らなくていいのか? 明日ラス・パルマスに行ったら、乗せてくれる船、探してやろうか?」


「ううん、いい。まだ帰らない。当分はみんなと一緒にいるつもり。本気で帰りたかったら、リベイラ・グランデに連れてってもらえば良かったんだもん」


 リベイラ・グランデは、ヴェルデ岬諸島のサンティアゴ島にある、ポルトガルの植民地。ステラが助け出されたのは、そこからそう遠くない場所で、強く希望すれば行ってもらえただろう。


 インド方面からポルトガルに帰る際の補給地の一つでもあり、リスボン行きの船が捕まる可能性は高い。もしそうしていたら、今頃もうリスボンにいたかもしれない。


「残念だけど、お父さんはもういないの。これからは、私が稼がないと。……ほら、これ貰ったのも、手紙と一緒に送れるから」


 ステラはテーブルの上に置いてあった、小さなエメラルドを手に取ってオスバルドに示した。一番手柄の褒美として貰ったもの。


「軽くてちょうどいいってのは、そういう意味かよ」


「うんうん。これなら、ちょっと工夫すれば、入ってることわからないでしょ? ……あ、言わなきゃ良かった! オスバルドさん、盗まないでよ?」


 疑わし気に半眼で見上げるステラに対して、オスバルドは呆れたように溜め息を吐いた。


「俺っちより、届くまでの間になくならないか心配しろよ……」


「大丈夫大丈夫、ラス・パルマスなら、信頼出来る知り合いがいるから」


 お気楽そうに答えるステラに、今度はオスバルドの方が疑わし気な視線を向ける。


「そうかい。なら、そいつに渡すまでは気を付けるこった。船の中は安全だが、街に出りゃタチの悪いのがいるかもしれないからな。――それ、自分で片付けろよ」


 テーブルの上の食事を指してそう言ってから、オスバルドは部屋の外に向かって歩き出した。扉の前まで行って、ふと振り返る。


「なあ、手紙に入れても大丈夫な宝石って、どれくらいのまでだ?」


「は?」


 質問の趣旨がわからず、ステラは眼を瞬きながら見つめた。オスバルドはその視線を避けるようにして、外へと出ていく。


「いや、忘れてくれ。明日も朝は早えーぞ。今日は安心してゆっくり寝ろ」


 それだけ言って、扉が閉じられる。結局、どういう意味なのか、ステラにはわからなかった。


 宝石を送ってあげたいような恋人でも故郷にいるのか、それとも――


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