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落日の紅が映す心の意味は  作者: 月夜野桜
第一章 その瞳は情熱に染まり
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 天井板がミシミシと音を立てた。何人もの荒々しい足音が、上にある船尾楼甲板を行き来する。入り乱れた動きは、ただ人が歩いているだけではないことを示していた。


 部屋の中には小柄な少女が一人。両手首を縄で縛られ、足には枷と重しが付けられている。不安気に天井を見上げながら、壁際に身を寄せて座り込んでいた。


 細い肩が小刻みに震え、上から聞こえる足音を追って、明るい翠の瞳が左右に行き来する。突如として響いた砲声のような爆発音に竦みあがると、亜麻色の長い髪がはらりと前に流れた。


 海賊の襲撃。今起きていることを、少女はそう捉えている。数分前に衝撃と共に船が大きく揺れ、まもなくこの足音が聞こえてきた。恐らく部屋の上にある船尾楼甲板の上で、人が戦っている。時折聞こえる銃声が、それを証明していた。


 次第に天井を踏み荒らす足の本数が減り、いつの間にか静かになった。


 直後、轟音が響く。扉であったものの破片が少女の元に飛んできて、白い素足をスカートの中に引っ込めて避けた。


「なんだ、お前は……?」


 入り口の方から聞こえてきたのは、若い女性の声。海賊という言葉からイメージする、荒くれ男の野太い声ではなかった。


 少女の翠の瞳が、恐る恐ると言った感じでそちらに向く。あどけない顔立ちは恐怖に青ざめ、噛み締めた唇は紫色になっていた。


 生気のない少女に対し、声の主は活力の塊とでもいった風貌。その髪は燃え上がる炎のように紅く、青い瞳は強い好奇心を浮かべ、少女を値踏みするように眺めまわす。


 右手には、船乗りが好んで使う片刃の曲刀カットラス。短い刀身を肩に担ぐようにして持ち、そのまま無遠慮に少女の元へと歩み寄ってきた。


 身を震わせながら、慌てて壁沿いに後ずさりする少女。枷につけられた鎖が鳴り、重しが床板を擦って鈍い音を立てる。両手を縛られ、重しまで付けられた状態では素早い動きなど出来るわけもない。部屋の隅まで逃げる前に、少女は追い詰められた。


「お頭ー、抵抗する奴らは、殺すか捕らえ終わりましたぜ」


 入り口の方からしゃがれた声が響き、肌の黒い男の顔が覗いた。少女の視線がそちらに向く。白目の部分がやけに鮮やかに見える男の眼が瞬かれた。


「女……ですかい? 白人の?」


 お頭と呼ばれた紅毛の女海賊は、首だけ巡らすと、黒人の男に向かって口を開いた。


「ちょうどいい、お前そこで人払いしてろ」


「へ、へえ……」


 男は不思議そうな顔をしたまま曖昧に返事をすると、背を向けて番人のように部屋の前に立ちふさがった。それを確認すると、女海賊の視線が再び少女に落ちる。


「お前、アタシの言葉がわかるか? 喋れるか?」


 先程から女海賊が話しているのはポルトガル語。少女は小さく首を縦に振った。女海賊はその前に膝をつくと、視線の高さを合わせて優し気な微笑みを浮かべて問う。


「どういう理由で、こんな奴隷貿易船に乗っている? 奴隷商人の娘……というわけでもなさそうだが」


 女海賊の視線は、少女の両手を縛る縄と、足首に嵌められた枷や重しに向いていた。


 一方、少女の視線は、肩に担いだカットラスの刃に釘付けだった。震える瞳で見ているのに気付いたのか、女海賊はふと微笑むとそれを下ろし、腰の鞘へと納めた。


「危害を加えるつもりはない。今のところはな。まずは名前を教えてもらおうか」


 少女は一度下を見てしばらく考える素振りをした後、女海賊の青い瞳をまっすぐに見返しながら口を開いた。


「私、ステラ。ステラ・ファレイロ。お父さんは象牙商人なの」


「で、その象牙商人の娘が、どうしてこんな船に?」


「お父さんの仕事、手伝ってて。ベニンまで象牙の買い付けに来てたんだけど、数が集まらなくて。少し内陸の方の集落まで行ったら、そこで……」


 翠の瞳が大きく揺れ、瞬きと共に透明な雫が頬を伝った。小さな嗚咽と共に、下を向いて肩を震わせ続ける。女海賊は弱ったような表情でしばし眺めていた後、ステラと名乗った少女の頭を撫でながら、優しげな声を出した。


「泣いていてもわからない。辛いことがあったんだろうが、話してみろ」


 ステラは鼻をすすり、何度もしゃくり上げながら、なんとか言葉を紡ぐ。


「お父さんが……殺されて。たぶん、奴隷狩りだと思う。あんなとこでもやってるなんて……。ポルトガル語を話す人たちに引き渡されて、一緒に売られていく途中だったみたい」


「奴隷狩りに巻き込まれて……ね」


 女海賊は独り言のように零すと、ステラの頭からつま先まで、舐め回すように眺める。まだ幼さを残すものの、将来を期待する男は多いだろうと言える容姿。やや考える素振りを見せた後、再びステラの頭を撫でながら口を開いた。


「で、お前はこれからどうしたい?」


 縛られたままの両手で涙を拭ってから、ステラは上目遣いで女海賊の瞳を覗き込む。そして消え入りそうに小さな声で訊ねた。


「あなたは海賊……?」


 大げさに肩を竦めると、女海賊はさも可笑しげに笑いながら問う。


「海軍にでも見えるか?」


 ふるふると首を横に振って否定するステラ。帆布はんぷ製のズボンを穿き、カットラスを担いで扉を蹴破ってくる荒くれ女が、海軍のわけがない。お頭とも呼ばれていた。女海賊というのも聞かぬ話ではあるが、可能性としては一番高い。


「どう見ても海賊。――お願い、殺して。海賊の慰みものにされるくらいなら、死んだほうがマシ。このまま奴隷として売られた方が、どんなに幸せだったか……」


「あ、そう。なら遠慮なく……」


 すらりと音がして、女海賊がカットラスを抜く。ステラの顔から血の気が引き、鈍く光る刃に視線が吸い寄せられる。それが振り上げられると、ステラはきつく眼を瞑って、縛られた両手で頭を庇った。


 その両手が、左右に分かれていく。縛っていた縄がはらりと落ちると、ステラは眼を瞬きながら自分の手首を見つめた。縄の痕が赤くなっている。困惑した表情で、女海賊を見上げた。


「その歳で死にたくはないだろう?」


 ステラは何度も激しく首を縦に振る。その顔には僅かな希望が浮かんできていた。


「足のそれは、鍵がないと簡単には外れないな。さっき殺った船長が持ってるんだろう。後で外してやる」


「いいの? 助けてもらって?」


 小首を傾げながら、ステラは青い瞳を見上げる。女海賊はニヤリと笑って返すと、首を振りながら答えた。


「いいや、良くない。海賊の掟じゃ、船に女を乗せてはならないってのが相場だ」


 ステラの表情が再び沈んでいく。恐る恐るという感じで、小さな声で訊ねた。


「やっぱり、私……。あ、あなたは女じゃないの?」


 さも可笑し気に、女海賊は声に出して笑う。


「男に見えるか? これでも?」


 豊満な胸を両手で挟んで強調しながら笑い続ける。


「うちの船は自由なんだよ。前の船長の方針でな。大した掟はない。みんな家族みたいなもんだ。してはならないことは、仲間を裏切ること。それだけだ」


「じゃあ、やっぱり慰みものに……」


「お前みたいなガキに需要はない」


 きっぱりと言い切られ、ステラの表情が硬直する。不満気に頬を膨らませて、やや自暴自棄な感じで問い返す。


「じゃあ、奴隷としてお金に?」


「アフリカで白人を奴隷として売れるわけがないだろう。金に換えるならアルジェ辺りまで行かなきゃならない。こちとら商人じゃないんだ。そんな面倒くさいことはしない」


 再び、ステラは小首を傾げながら問う。


「じゃあ……?」


「ヴェルデ辺りの海岸で降ろしてやる。後は自分でどうにかしろ」


 女海賊はそう言い残すと、振り返って入り口へと歩き出した。


「待って!」


 両手を床について這うように後を追いながら、ステラが大きな声を出して呼び止める。


「お父さんはもういないの。子供一人で、アフリカの地で生きていけるわけない。せめてリスボンまで乗せていって」


 振り返った女海賊は、呆れた表情で返す。言い聞かせる様にゆっくりと。


「あのなあ、アタシらは海賊。商人でもないし、慈善事業をやっているわけでもない。お前を運ぶためだけに、わざわざ――」


 そこまで言うとふと思案顔になって、身をかがめてステラの顔を覗き込みながら問う。


「お前、料理は出来るか?」


 無言で首を縦に振って肯定するステラ。女海賊は満足気に微笑むと、右手を伸ばして亜麻色の頭をポンポンと叩いた。


「よし、それならしばらくは乗せてやる。野郎どもの作る料理は、不味くて食えたもんじゃない。リスボンまでは行かないが、そのうち地中海に戻る。セウタあたりで降ろしてやるよ」


 セウタまで行けば、ジブラルタル海峡を挟んでほんの二十キロほど北がもう隣国イスパニア。現状セウタはポルトガル王国領であり、首都リスボンまで行く船を捕まえるのも容易い。


 ステラは心の底から安堵の溜め息を吐いた。気が緩んだことで、再び涙が溢れてくる。泣き笑いのような顔になって、女海賊に訊ねた。


「名前、教えて?」


「ヴィトーリア。同じポルトガル人だよ、元はな。今は愛船シルヴェリオ号の住人」


 ステラは涙を拭いながら立ち上がる。紅毛の女海賊ヴィトーリアの手を握って、力強く言った。


「しばらく御厄介になります。――姐御」


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