二
「洞窟なんてどこにあるの?」
船が停止したのは、断崖絶壁の前。しかし、近くにお宝の洞窟らしき入り口は見当たらない。
「この辺りだと思うんだが……」
頼りないことに、案内してきたヴィトーリア自身が、甲板から身を乗り出し、海岸を見回して探している。
やってきたのは、カンディアから北、エーゲ海に浮かぶ島々のうち最も南に位置する、サントリーニ諸島だった。ここもカナリア諸島と同じく火山島。海岸沿いの断崖に、洞窟の多い場所である。
「まさか……場所忘れちゃったの?」
呆れた顔で見上げるステラ。ヴィトーリアも上を見ている。その視線の先には、眩い輝きを放つ太陽があった。
「もう少ししたら見えるだろう。潮が引いている時じゃないと、中に入れないんだ。一応時間を合わせて来たつもりなんだが、早く着きすぎたようだ」
「へー。それなら、まず見つからないね!」
大切なお宝の隠し場所としては、申し分ない条件と思える。船が多く行き来するエーゲ海。下手な洞窟に隠したら、すぐに見つかってしまう。この分なら期待出来る。ステラは内心ほくそ笑んだ。
「暇ならその辺泳いでろ」
「やだよ! べたべたになるし、泳ぐにはちょっと寒いよ」
代わりに船尾楼甲板に上がると、ステラはそこで仰向けに寝転がった。秋の柔らかな陽射しが降り注ぎ、全身を温めてくれる。少々風は強いが、それがまた心地良かった。
「なあ、嬢ちゃん」
声を掛けてきたのはオスバルド。ステラは両腕を広げて寝転がり、瞼を閉じたまま返事だけした。
「んー?」
「その……お宝貰ったら、お前、リスボンに帰っちまうのか……?」
「ふふふふふ……どうしよっかなー?」
ここにいる理由が、今日で無くなる。自分にとっても、周りにとっても。この船は好きだ。気のいい仲間たちと、ずっと一緒にいたい。しかし、ステラにもやるべきことがある。そして本来この船は、自分のような小娘がいて良い場所ではない。
血と硝煙と、酒の匂いが漂う男の世界。暴力的で、残虐で、それでいて陽気な船であるべきなのだ。この船は、海賊船なのだから。
ステラは、人なんて殺したくはない。誰かが死ぬのも見たくない。心を通わせた仲間を失うのは怖い。
それでもステラにとってこの船は特別で、本物の我が家のように心安らぐ場所となっていた。沢山の兄たちと、怖い怖い姉。大家族のような不思議な居心地の良さを感じる。
そして、自分は愛されている。ステラはまたそう思った。何人もが自分を取り囲んで、返答を待っているのがわかる。どんな顔をしているのかは、瞼を上げずとも予想はつく。オスバルドなんて、泣きそうになっているのではないかと。
「ねえ、オスバルドさんはどうするの? イスパニアに帰るの?」
「俺っちは根無し草よ。本物の家族なんて、どんな顔してるのかも忘れちまった。俺っちの家は、この船だ。これまでも、これからもな」
即答。オスバルドは根っからの船乗りで、海賊なのだろう。当てもなく彷徨い歩き、一所に留まらない。それでいて、ずっと同じ場所にいる。不思議な習性だとステラは思う。意地悪そうに微笑みながら、感じたことを素直に口に出す。
「じゃあ、この船に根っこ生えてるんじゃん。海藻? それともフナクイムシ?」
「フナクイムシはねえやな……」
落胆の色の濃い声で、オスバルドが呟く。周りがどっと沸いて、ゲラゲラと笑い声が響いた。その中に混じっていた一人に、ステラは問う。
「カルロスさんはどうするの?」
「あっしですかい? そうでやすねえ……とりあえず、お頭の花嫁姿を見るまでは、船を降りるわけにはいきやせんねえ」
カルロスの根っこは、ヴィトーリアに生えているようだった。ラテン語圏で家を表すカーザという単語は、女性名詞である。船も同じ。家も船も、女性なのかもしれない。カルロスにとっての家は、きっとヴィトーリアなのだろう。
再び意地悪そうに微笑みながら、感じたことを素直に口に出した。どんな反応するのか、言う前にもうわかる。
「それ、一生見れないんじゃないかな? ……もしかして、カルロスさん自身が狙ってる?」
「よしてくだせえ。親子以上に歳が離れてまさあ」
先程以上の笑い声が響いた。誰の眼から見ても明らかなのだろう。カルロスがヴィトーリアにぞっこんなことは。ヴィトーリアがどう思っているのかはわからないが、案外ありえない未来でもないと思う。
「ドミンゴさんは? 私が一緒に行かないと、ホントに帰らないの?」
一番心配なのが彼だった。陸に上がったあとまで、ついてこられても困る。
「ステラ、アフリカに住む、無理。芋虫、食べない。ドミンゴ、悲しい。一人で帰る」
この答えには、ステラの方が笑ってしまった。腹を抱えて身を捩る。
「あはははは、それ、芋虫食べるなら連れて帰るって言ってるみたいー」
「おい、誰か芋虫捕まえてこいよ! ステラに食わせようぜ!」
「小舟下ろせ、小舟!」
聞き捨てならない声が聞こえた。最後の発言はヴィトーリアのもの。本当に芋虫を取りにいかせるつもりだと思い、ステラは瞼を上げて跳ね起きた。
「ちょ、ちょっと、余計なことしないでよー!」
実際に小舟を下ろし始めているのを見て、慌てて主甲板まで走る。笑い声が後ろから追いかけてきた。
「お前、泳いでいく気か?」
意外そうに眼を瞬きながら、ヴィトーリアがステラに問う。何を言っているのかわからず、ステラの首が右に傾いでいく。
「え、えっと……芋虫、自分で捕りにいくの……?」
「芋虫? 何の話か知らんが、そろそろ洞窟に入れそうだぞ。それがそうだ。一度に乗せていける人数は限られているから、泳いでいってくれるならちょうどいい」
ヴィトーリアが指差す先では、海面近くに洞窟の入り口が顔を現していた。半円形に凹んだ穴が見える。
盛大な勘違いをしたのを知って、ステラは頬染めて俯いた。
「いえ、乗ります……」
小舟が下ろされると、ヴィトーリアが皆を見回して口を開いた。
「さあ、誰からだ? 言っとくが、アタシは除外しろよ?」
集まった船員たちの視線がステラに集中する。皆が指差して言った。
「一番手柄はステラだろ。シャルークを討ち取れたのは、お前のお陰だってお頭言ってたしな」
「そうだそうだ、今度こそ一番高いの貰っとけ!」
「わ、私?」
恒例のご褒美分配会議のようだった。今回は貰っておいていい。それに、これならば、穏便に済む可能性があるかもしれない。どちらにしろ、最初の便に乗るのが一番だとステラは思った。
「えへへへへ、それじゃあ、遠慮なく! いっぱいあるらしいから、あんまり関係ないしね!」
ステラは照れ笑いをして頭を掻きながら、縄梯子を下りていく。上では二番手柄を決める協議が始まった。
「次は誰だ?」
「ドミンゴじゃないか?」
「いや、オスバルドだろう」
「わかってないなあ、カルロスに決まってる」
いろいろな名前が挙がって、議論は紛糾している。あの激しい戦いでは、誰がどれだけ手柄を上げたのかなんてわからない。もしかしたら、この場にいない者が一番手柄だったのかもしれない。直接倒した人数で決まるわけでもない。
ステラはわかりやすい行動をしたから選ばれただけ。本当に一番の手柄を立てたのが確実なのは、ヴィトーリアだけだろう。
大分待っても決まらないようで、結局早い者勝ちということになった。
「ちょ、ちょっと待ってー! 舟、沈んじゃうー!」
我先にと大挙して男たちが押し寄せる。一つしかない縄梯子を続々と下りてきて、小舟は大揺れ。何人かは直接海に飛び込んでいた。
「はい、そこまでー。残った奴らは、次の舟でこい。全員来るまではお預けにしとく。――オスバルド、お前が舟を漕げ。あと誰か一人、アタシの乗る場所開けてくれないか?」
「ドミンゴ、次でいい!」
どぼんと海に飛び込みながらドミンゴが言う。そんなことをせずとも、縄梯子を使って戻ればいいのに、とステラは思った。だが、ヴィトーリアが下りてくる邪魔にならないよう配慮したのは、いかにもドミンゴらしいとも言える。
「一人くらいは船に残って欲しいな……出てきたら流されていても困る」
「あっしが残りやすよ、お頭」
当たり前のようにカルロスが申し出る。ヴィトーリアがこの船での母親なら、カルロスは父親だとステラは思った。
「いつも済まないな。――泳いでいきたい奴はそのまま行ってもいいが、波に気を付けろよ。頭ぶつけて溺れても、アタシは助けないぞ?」
ヴィトーリアが下りてくる間に、船に乗り切れず浮いている船員たちが、その言葉に反応してじゃれ合い始める。
「つまり、沈めちまえば分け前が増えるってことか?」
「この野郎、溺れちまいやがれ!」
そう言って頭を押し付けたり、海中に引きずりこもうとしたり。盛大に水飛沫を飛ばしながら、陽気に暴れまくる。
まるで子供みたいだと思った。とはいえ、大きなことをやり遂げ、お宝の洞窟が目の前とあっては、はしゃぐのもわかる。
それから小舟は、天井の低い洞窟の入り口をくぐっていった。伏せるようにして頭を下げないと通れないくらいで、オスバルドもなかなか苦戦しながら漕いでいる。それなりに波もあって、泳いでついてくる者たちは、実際大変そうに見えた。
「うわあ……綺麗……」
洞窟の中は、目の覚めるような蒼だった。傾いてきた陽の光が海中を通って差し込み、洞窟全体が神秘的な色を帯びている。持ってきたランタンなどは必要ないくらいの明るさがあり、奥には海面より大分高くなった陸地が続いているのが見えた。
小舟がその場所に漕ぎ寄せると、ヴィトーリアが器用に急角度の岩場を上っていった。しばらくすると、持ってきた縄梯子を下ろしてくれる。
「一人ずつ上がって来い。縄を切らないように気を付けてくれよ」
元が溶岩だからだろうか。確かに表面は粗く、こすりつけると切れてしまいそうだった。皆が先に行けと促すので、ステラが最初に上がらせてもらう。
上についてみると、奥は薄暗く、曲がりくねってもいて、先の様子はわからない。次に上がってきた船員がランタンを持ってきてくれて、それを手にヴィトーリアが先導していく。
大きく曲がった先で目にしたのは、まるでおとぎ話のような光景だった。
金の杯に銀の燭台。金貨や銀貨があちらこちら山になって積まれ、古い木のテーブルの上には、光り輝く宝石がいくつも並んでいた。ダイヤにサファイア、ルビーにエメラルド。それから、どこかの王の物だろうか。宝石の散りばめられた宝冠まであった。一体どれだけの価値があるのか計り知れない。
余りの光景に、声も出なかった。幻でも見せられているのではないかと、つい頬をつねってしまう。
「これ……すごい! こんなに貯め込んでたの? 何に使うつもりだったの?」
やっとのことで声を出すと、ステラは問う。ヴィトーリアは至極真面目な顔をしたまま、逆に質問で返した。
「お前は何だと思う?」
「え……そ、そんなこと聞かれても、わかんないよ。海賊って貯め込むものだから?」
「半分は正解だ。シルヴェリオよりも前の代から、ここには色々とあったらしい」
「へー」
確かにこの辺りは、古代からの海の交易路。太古の昔にも多数の船が行き交い、商売をしていただろう。ギリシアとトルコを繋ぐ海であるだけでなく、北の黒海と地中海を繋ぐ海でもある。島々が多く、立ち寄る場所も多い。
東地中海周辺では数多くの文明が興り、互いに争ったり、交易したりして発展していった。
当然、その富を狙って、海賊たちも大昔から活動していただろう。代々受け継がれてきた財宝が、ここに集まっているのかもしれない。
「……ね、近くに行って見てもいい?」
「好きにしろ。触ってもいいが、まだ取るなよ? 全員がこれを確認してから、全部船に運び出そう。きちんとした分配は、船に戻ってから」
「うん!」
許可が出ると、ステラは翠の瞳を好奇心に輝かせて、財宝の元へと駆け寄った。一緒にやってきた他の船員たちも、それぞれ間近で美しい輝きを鑑賞して、感嘆の声を上げている。
思った通り、金貨は現行のものではなく、かなり古い様式のものに見えた。鋳造の精度が低く、大分歪んだ形をしている。古代ローマか古代ギリシアか。きっと大昔からここにあるものなのだろう。
「うひょひょい! すげーやな、これが噂に聞くお宝……」
妙な歓声が聞こえて振り向くと、案の定オスバルドだった。
「オスバルドさん! 船漕いで帰ったんじゃなかったの?」
「へっへっへっへっ、日ごろの行いってやつよ。いつも外れくじ引くからって、代わってくれたのよ。こう見えても、俺っちなかなかに人徳あるからな」
腕を組み、自慢げに語るオスバルド。確かに外れくじを引いた気がする、今回も。厄介なことにならなければいいと思いながら、ステラは半眼になってオスバルドを睨みつける。口を尖らせて食って掛かった。
「一番手柄は私だからね? 私が最初に選ぶからね?」
「別に邪魔しにきたんじゃねえわな……こんだけありゃ、選り取り見取りだろ……」
ぱちくりと眼を瞬かせて唖然とするオスバルドは放っておいて、ステラは財宝の山を端から慎重に眺めていった。その視線が、洞窟の隅に止まる。
金貨の山に埋もれるようにして、小さな木箱が置いてあった。長辺が二十センチほどの直方体。象嵌細工の施された表面の状態は良く、かなり新しいものに見える。
これかもしれない。そう思って、ステラは箱を手に取った。金貨が崩れて甲高い音を立てる。予想通り、聖マルコを表す有翼の獅子の姿が、蓋の表面にあしらわれていた。ヴェネツィア共和国の象徴。その象嵌細工の見事さは、これが箱だけでも高価な代物だということを示していた。そしてもう一つ予想通り。箱には小さな錠がつけられていて、蓋は開かなかった。
「姐御、これ何?」
耳元で振って音を聞きながらステラは訊ねる。何か紙でも入っているのか、かさかさと音がする気がする。上から手が伸びて、ひょいと取り上げられた。
「これはアタシのだ」
「あ、さっき自分は除外するって言ってたよね? 私が最初に選ぶ権利あるはず。私、一番手柄の御褒美、それがいい! その箱綺麗! 箱だけでも結構な価値だよね。それに、わざわざ鍵付きの豪華な箱に入れてるくらいだから、その中身が一番高いやつでしょ?」
翠の瞳を輝かせてステラが食い付くと、弱ったような表情をしたヴィトーリアが答える。
「お宝じゃあない。アタシの私物だ。他のにしろ」
ずいっと顔を寄せて、ステラはヴィトーリアを睨め上げる。
「私物ー? こんなところに隠すなんて、いったい何なのかなー?」
「俺っちも気になる! お頭、それってもしや……」
オスバルドまで興味を持ってしまったことに戸惑いながらも、ステラは飛び跳ねて箱を取ろうとする様を装って、誰からも背が見えないよう位置を変えた。
死角になったと確信すると、左手がすっと腰の後ろに回る。そこにあるスローイングダガーの柄に指を掛けながら、答えを待った。
「生命よりも大事なもの」
その言葉を聞いた瞬間、ステラは迅雷のように動いた。左手で抜いたスローイングダガーを首筋の急所、頸動脈にあてがいながら、右手でヴィトーリアの頸を巻き込むようにして動く。するりと身体を背後に回すと、右腕を首に巻いて締め付けつつ顎を押さえ、両足で胴に抱き付いた。ダガーの鋭い切っ先は、ヴィトーリアの左眼の直前に突き付ける。
「それは私が貰う。私にとっても、生命より大事なものなの」
ヴィトーリアの耳元に唇を寄せ、囁くように告げた。その表情はいつもの明るく元気な少女のものではなく、翠の瞳は殺気を宿し、冷たく輝いていた。
 




