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落日の紅が映す心の意味は  作者: 月夜野桜
第三章 その髪は復讐の色に燃えて
17/21

 怒号と悲鳴と、銃声と剣戟の音だけが、周囲を支配していた。シルヴェリオ号は敵船の横腹へと船首から突っ込んでおり、ヴィトーリアたちは既に敵船に移乗攻撃を仕掛けている。


 船首楼甲板からは銃や弓の腕に覚えのある者たちが援護を行い、わらわらと沸いてくる多数のバルバリア海賊たちを寄せ付けない。敵船からも応射があるものの、乗員数の割には攻撃の手が薄い。


 戦闘に加わらず、座り込んだままの者たちが多いのだ。その顔ぶれを確認すると、ステラは満面の笑みを浮かべて叫んだ。


「予定通り! 姐御に続けー!」


 櫂を握ったまま戦わずにいる者たちは、どう見てもトルコ人やベルベル人ではない。恐らくは、バレアレス諸島やイタリア沿岸から連れ去られた、キリスト教徒の奴隷たち。


 ステラは機敏に味方銃士の間をすり抜けていくと、船首から敵船へと飛び移った。ヴィトーリアたちが確保した甲板の一部に立つと、しゃがみ込んで後ろを振り返る。予想通り、漕ぎ手たちは鎖で拘束されていた。


「これ使って。鎖を切って! 仲間を助けて!」


 手近な漕ぎ手の男に鉈を手渡す。意図を察したのか、男はそれを振るって自身の足を縛る鎖を叩き斬った。


「任せろ!」


 手の拘束は自分では外せないのか、代わりに隣の男の手から解放していく。追いついてきたカルロスやドミンゴたちも、同じようにして漕ぎ手たちを解放していった。


 背負っていた袋を下ろして、ステラは床に武器を拡げていく。カットラスやダガー、短槍など、あまり長くはなく、狭い船上で使うのに適したもの。


「みんな、どれでもいいから使って! 一緒に戦って! 故郷に帰りたいでしょ? 家族に会いたいでしょ? みんなで戦えば絶対勝てるよ! 私たちのが人数多いんだから!」


 ステラの激に応じて、解放された奴隷の漕ぎ手たちが次々と武器を手にしていく。


「うおおおお! トルコ人どもめ! 今までの借りを返してやる!」


「俺も戦うぞ! 神よ、我らに力を!」


 厳しい強制労働と劣悪な扱いで、相当鬱憤が溜まっていたのだろう。奴隷たちは武器を手に、バルバリア海賊相手に勇敢に立ち向かっていく。仲間の解放を手伝う者たちも多い。そうして味方はどんどんと増えていった。


 戦力を増やす。ヴィトーリアがかつて言っていたのは、このことなのだ。以前もやっていたに違いない。バルバリア海賊もオスマンの商船も、漕ぎ手は皆キリスト教徒奴隷。エーゲ海にいたころは、これで戦力を増やしつつ、敵船と戦っていたのだろう。


「カルロスさん! あと任せていい?」


 手持ちの武器がなくなり、カルロスの元に駆け寄りながら声を張り上げて問う。答えはステラの予想通りで、期待通りだった。


「任せるもなにも、元々あっしの仕事でさあ。お頭のこと、頼みやしたぜ。何しろ、お嬢以上のお転婆でやすからなあ」


 乱戦の最中だというのに、顔を皺くちゃにしてとても幸せそうな笑みを浮かべるカルロスに、ステラもとっておきの笑顔を向けて返した。


「わかった! ドミンゴさん、一緒に来てくれる?」


「お頭、守る! ステラ、守る!」


 ドミンゴは得意の槍を天に突き上げながら宣言した。アフリカの大地で獲物を狩るのに、よく使っていたらしい。


 そのヴィトーリアがどこへ行ったのかと周囲を見回すが、近くには見当たらない。代わりにオスバルドの姿を認めて、ステラは走り寄りながら訊ねた。


「オスバルドさーん! 姐御はー?」


「俺っちが聞きてーよ! 一人で突っ込んでいっちまったー!」


 オスバルドが戦っている相手の足元に滑り込みながら、脚に斬りつけて援護をする。バランスを崩した敵海賊を、オスバルドが見事に袈裟懸けにした。


「どっちにいったの? 助けに行かなきゃ!」


 船尾の方を指した後、オスバルドはしまったとばかりに一瞬硬直したのち、シルヴェリオ号の方を指し直した。


「あ、あっちだ! お頭は指揮を執るために――」


 ステラの意図を遅れて理解したのだろう。言えばきっと追いかけていく。そう判断して嘘を吐いたようだが、バレバレである。自分の身を案じてくれた優しいオスバルドに感謝しながら、ステラも船尾に向かって駆け出した。


「ありがとう、オスバルドさん!」


「ク、クソっ! 野郎ども、撃て撃てー! 嬢ちゃんの道を切り拓けー!」


 シルヴェリオ号の船首楼甲板から、早速射撃が行われた。敵船尾方向で幾つもの血飛沫が弾ける。


 自分は愛されている。こんな時にもかかわらず、ステラはそう感じてしまった。


 皆の援護に支えられ、怯んだ敵兵の間をステラが駆ける。小さい体躯を存分に生かし、相手の腰よりも低い高さまで身を沈め、両手に逆手に持ったダガーで脚を斬り付けながら、機敏にすり抜けていく。


 それを追うドミンゴは、長身ながらも瞬発力とバランス感覚を生かして、敵が振るう武器を巧みに避けながら、最小限の反撃をしつつ進んでいる。


 目指すは船尾にある天幕の中。ガレオン船のような立派な船尾楼は持たず、屋根代わりに布を張り、その下がいくつかの部屋に分けられているのが通常。姿が見えない以上、あの中で戦っているはず。


「道を、開けろー!」


 天幕の前に立ち塞がる大男に向かって、腰につけていたベルトからスローイングダガーを外し、思い切り投げた。見事に眼球を貫き、仰け反っていく。その横をすり抜けると、声を張り上げた。


「姐御ー! どこにいるのー!?」


 返事はない。しかし剣戟の音がその位置を教えてくれた。


「ステラ、行く! ドミンゴ、ここ守る!」


 倒れた大男にとどめを刺したドミンゴは、甲板の方を向いて入り口を塞ぎながら言った。その逞しい背中は、かつてないほど頼もしく見えた。


「お願い! でも、無理しないでね! 家族が待ってるんでしょ? 必ず帰るんだよ!」


 ドミンゴの好意に甘えて、ステラは奥へと進んだ。ヴィトーリアとシャルークが戦っているらしき部屋ではなく、敢えて隣の部屋へと忍び込む。仕切っているのは単なる帆布はんぷに過ぎない。ならば、奇襲も可能。


 深く息を吸ってからゆっくりと吐いた。神経を研ぎ澄まし、隣の部屋の音に集中する。足音と漏れる気合の声から位置関係を把握すると、ステラは飛び上がって布地にダガーを突き立てた。そのまま全体重を乗せて引き裂く。


「ふおおおおお!」


 思い切って隙間を突き抜け飛び出た先は、シャルークと思わしきターバンを巻いた屈強な男の背後。驚いてこちらを振り向いた相手の顔目掛けて、ダガーの斬撃を見舞う。


 鋭い金属音がして、左手が痺れた。ステラのダガーは、男のシャムシールによってあっさりと弾かれ、宙を舞っていた。その隙をついて、ヴィトーリアのカットラスが横薙ぎに男の頸を襲う。


 しかし間一髪、男は身を沈めて躱すと、そのまま身を捻るようにしてヴィトーリアに足払いを喰らわした。その間にステラは、右手のもう一本のダガーを敢えて左手に持ち替え、素早く何度も突き出した。


 男は上体を反らし、余裕でそれを躱しつつ、間仕切りに向かって下がった。依然として二対一ではあるが、前後からの完全な挟み撃ちの状態を脱した男は、態勢を整え直す。


 足払いを避けて後ろに飛び退っていたヴィトーリアが、カットラスを構え直してステラと共に男と対峙する。


「ステラ、お前下がってろ。これはアタシの戦いだ」


「やだね。姐御が死んだら困るんだよ、私」


「へっ、シャルーク如きに負けるか、このアタシが。この三年、何のために生きてきたと思ってるんだ?」


 強がりに聞こえた。今の奇襲でも、二人掛かりでも、このシャルークは見事に対応した。バルバリア海賊の大頭目の座は、謀略や買収など汚い手を使ったのではなく、その実力で勝ち取ったに違いない。ステラとしては、ここで退くわけにはいかなかった。


「負けそうになってたのに、何言ってんのかな? 私がこの五か月、何のために船に乗ってたと思ってんの?」


「知るか、アタシが!」


 先に動いたのはヴィトーリア。カットラスの斬撃を、シャルークがシャムシールで弾き返す。その隙をついて、ステラは身を沈めて脚を狙った。下を見ることもなく横にステップしてシャルークが躱し、左手でステラの顔面に向けて裏拳を見舞う。


「ステラ!」


 慌ててヴィトーリアが、その左手目掛けてカットラスを振り下ろす。予測していたのか、シャルークは腕を引いて簡単に避けた。逆にヴィトーリアのカットラスを、右手のシャムシールを上から振るって叩き落とす。


「うああああ!」


 振り下ろされたシャムシールを踏みつけて、ステラは体当たりするようにしてダガーを突き立てる。シャルークの胸に血が滲んでいくのを見る間もなく、ステラは弾き飛ばされた。


 シャルークはヴィトーリアに向かって牽制の蹴りを放つ。そのまま流れるような動きで、床に落ちたカットラスを拾った。胸にはダガーが刺さったままだったが、急所ではなく致命傷にはなっていない。


 両手に武器を持ったシャルークがステラの前に立つ。長い黒髭に縁どられた顔を、余裕の笑みで歪めていた。


 壁際に後ずさりしながら、そっと右手だけ腰の裏に回した。そこにあるスローイングダガーに指を掛ける。ステラの翠の瞳はシャルークを見ておらず、その背後にある隣の部屋の中を向いていた。


「姐御、ナズ、ウベ!」


 ステラはこの巡り合わせに感謝した。あの時芋虫を食べていなかったら、このまま負けていたかもしれない。ドミンゴから学んだ言葉が、彼の得意な武器が、視線の先にあるのだから。


 発音は最悪だったと思うが、ヴィトーリアは理解したのか振り返った。ステラに向かって、シャムシールが襲い掛かる。機敏に身を沈めて避けながら、シャルークの足元に転がっている自分のダガーに向かって左手を伸ばした。


 それに対応するためにシャルークが右足でダガーを蹴る瞬間、右手に取ったスローイングダガーを顔面目掛けて投げつけた。


 シャルークの左眼に深々と突き刺さっていく。拾おうとしたことで、もう武器はないと油断したに違いない。敢えて左手にダガーを持ち替えたことで、左利きだと思い込んだに違いない。


 幾つも重ねた策が見事に嵌まり、ステラの奇襲が決まった。シャルークは武器から手を放し、痛みに歪む顔面を押さえる。


 その様子を見て満足気に微笑みつつ、へたり込むようにしてステラは身を屈めた。亜麻色の頭の上を、銀色に輝く穂先が通過する。シャルークの身体を貫いて現れたそれは、そのまま船体を構成する木の壁に突き刺さった。


 長い黒髭が紅く染まっていく。シャルークの口からは鈍い悲鳴と共に大量の血反吐が溢れ、顎から髭を伝って床に広がっていった。その身体は槍によって壁に縫い付けられ、倒れることも出来ない。


「姐御、この船が負けたのは誰のせい?」


 床に落ちた自分のカットラスを拾いながら、ヴィトーリアが答える。


「無能な船長のせい」


 鋭く横に払うと、シャルークの頭は胴体と永遠の別れを告げた。ごろりと床に転がったその首を、シャルークの得物であったシャムシールを拾って、先端に突き刺す。それを持ってヴィトーリアは駆け出した。


「シャルークは死んだ! アタシらの勝ちだ! この首を見ろ!」


 そう何度も連呼しているのが聞こえる。甲板に大きな動揺が走ったのが、騒めき声で把握出来た。ステラはそれを聞いて心の底から安堵し、力が抜けて本当にへたり込んでしまった。


 まだすべてが終わったわけではない。この船での戦いの趨勢が決まりそうなだけ。海戦自体の決着はついておらず、ステラも自分の目的を果たしていない。しかし今だけは、少し休みたいと思った。


「ステラ! ステラ!」


 血相を変えてドミンゴが飛び込んできた。その腕に抱き起こされるようにしながら、ステラは微笑んだ。向日葵のように明るい満面の笑みで呼びかける。


「ありがとー! ドミンゴさん!」


 ドミンゴも白い歯を覗かせて、とっておきの笑顔で返してくれた。そのままステラを両腕で抱え上げると、何事か叫びながら走り出す。


「ちょ、ちょっと、ドミンゴさん……?」


 天幕の下を抜け、甲板へと連れていかれると、そこではもう大勢が決していた。バルバリア海賊たちは次々と武器を捨て、投降を始めている。オスバルドとカルロスが忙しく立ち回り、武器を回収させたり縛り上げたりしていた。


「勝ったんだね、私たち……」


「ステラ、強い。お頭、強い。ドミンゴ、愛してる」


 このまま嫁としてアフリカまで抱えていかれそうで、ステラは頬を染めて苦笑いした。


 シャルークが討ち取られたことで、オスマン艦隊右翼は大混乱に陥っているようだった。所詮寄せ集めの海賊に過ぎない彼らにとっては、自分の生命こそが最も大事なのだろう。どの船も我先にと逃げ始め、互いに衝突を繰り返して身動きが取れなくなり、被害を拡大していった。


 シルヴェリオ号に戻ったステラは、その様子をフォアマスト上の見張り台から眺めていた。統率を完全に取り戻したバルバリーゴ艦隊は、敵船を次々と拿捕し、降伏させていった。


 まもなく、オスマン艦隊全軍が撤退を始めた。総司令官アリ・パシャの乗る旗艦が、ドン・フアンの艦隊に投降したようだった。


 恐らくアリ・パシャも死んだのではないかとステラは思った。砲撃に巻き込まれたのか、銃弾が命中したのか、あるいは誰か勇敢な者が乗り込んで討ち取ったのか。それはここからではわからない。


 だが、ヴィトーリアのように、アリ・パシャに仇討ちをした者がいたのかもしれない。単なる戦争の勝利ではなく、誰かの個人的な願いも叶っていれば良いと、ステラは想った。


 連合艦隊右翼では、背後に抜けようとするウルグ・アリ艦隊を抑え込もうと、ドーリア艦隊が奮闘していた。しかし、ウルグ・アリの意表を突いた転針により、中央やや南にいたコロンナ艦隊への攻撃を許してしまった。


 すぐに対応したバサン艦隊によってこれは防がれ、結果的に中央と右翼での挟み撃ちの形となった。残っている司令官は、ウルグ・アリのみ。形勢は完全に連合艦隊側に傾いており、ウルグ・アリ艦隊も散り散りに逃げ出していった。


 オスマン艦隊が撤退を始めたのは、午後一時半ごろ。その後も追撃や拿捕のための戦闘が続いたが、夕刻にはほとんどのオスマン艦船は拿捕されるか沈没し、戦闘は完全に終息した。逃してしまった敵船の数は、僅か二十五隻ほどだという。


 プレヴェザの海戦を始め、それまで地中海において無敗を誇った最強のオスマン艦隊。それが三百隻近くも動員されたにもかかわらず、文字通りの全滅と言える大敗北を喫した。


 後にレパントの海戦と呼ばれることになるこの戦いは、戦端が開かれてから一時間半という超短期決戦にて、実質的な終結を迎えた。世紀の大海戦は、連合艦隊側の歴史的大勝利に終わり、人々は狂喜乱舞しながら夜を明かしたという。


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