六
情報屋がやってきたのは、ステラが膨れた腹に満足し、食後のミルクを味わっている時だった。
「随分と待たせやがって……」
表からではなく、店内奥から入ってきた男に、ヴィトーリアが毒づく。小柄で華奢な男で、ステラとそれほど背の高さが変わらないように見える。女や子供に化けて忍び寄り、諜報活動もする類の者ではないかとステラは思った。
「済まない。裏を取るのに時間がかかった。何分、複数の国が絡んだ出来事だからな」
その言葉を訊いて、ヴィトーリアは満足気に微笑んだ。情報屋はもったいぶった調子で、肝心の情報そのものではなく、結論を先に言う。
「おめでとう、と言っておこう。恐らくこの先しばらくは、稼ぎ時になる」
「どういうこと?」
思わず問いかけてしまってから、しまったとばかりにステラは周囲を見回した。差し出がましいと怒られるかと思ったが、特に誰も咎めてはこない。特段重要な秘密の会合というわけでもないのか、既にステラも家族の一員として発言権が認められているのか。どちらなのかは判断出来なかった。
情報屋も気にした様子はなく、自然な対応でその理由を教えてくれる。
「ローマ教皇ピウス五世が動いた。再びカトリック各国に呼び掛け、正式に神聖同盟が結成された。ヴェネツィア、ジェノヴァ、サヴォイア、トスカーナ、ウルビーノ、パルマ。これらイタリアの都市国家に加え、イスパニアとマルタ騎士団が参加する」
それらカトリック各国による神聖同盟。ステラが知る範囲では、考えられる目的は二つある。
一つは、対プロテスタントの大規模戦争。
複数の場所が考えられるが、最有力はフランスで起きているユグノー戦争と呼ばれる内戦への介入。カトリックとプロテスタントが、この十年近く断続的に戦闘を繰り返している。
昨夏の第三次戦争において和議が結ばれたものの、いつ再燃してもおかしくない状態が続いたまま。教皇やイスパニアは、その時にフランス内のカトリック勢力に援軍を送ってもいる。
神聖ローマ帝国やイスパニアを支配するハプスブルク家と、フランスを支配するヴァロワ家は、ほんの十二年ほど前まで、イタリアを巡って数十年間も争い続けた仲である。その過程で、教皇主導でイタリア各国を含めた神聖同盟が結成され、フランスと戦ったという実例もある。
そういった過去の因縁もあり、もっと本格的な戦いを起こすつもりなのかもしれない。特にイスパニアにとっては、フランス私掠船が新大陸への起点であるカナリア諸島、そして遥かカリブ海までも出向いて、拠点を攻撃しているという深刻な事情もある。
他にもカトリックとプロテスタントの争いは、各地で起きている。イスパニア領であるネーデルラントでも、プロテスタントによる反乱が起きている最中。そちらへの対処かもしれない。
もう一つ考えうるのが、対異教徒の大規模戦争。すなわち、オスマン帝国との戦いである。
オスマン帝国は昨年から、地中海最奥部にあるヴェネツィア領キプロス島を攻撃しており、オスマンとヴェネツィアは戦争状態となっている。昨夏に教皇支援の下、イスパニア艦隊も動いたが、追い返すこと能わず。大都市ニコシアは陥落し、残るはファマグスタのみという状態。
そのどちらなのか知りたかったが、流石に子供である自分の口から聞くのは不自然と思え、ステラは黙って続きを待った。代わりに、ヴィトーリアが問う。
「もちろん、アタシが期待してることをやるためだよな?」
情報屋は自信ありげに頷くと、ゆっくりと答えた。
「当然。教皇は、オスマンに対して強い警戒心を抱いている。神聖ローマ帝国が和議を結んだことが、主な要因だろう。フランスもオスマンとの友好関係が深く、頼れるのはイタリア諸国とイベリアの二か国だけとなってしまった」
「そのイスパニアをどう説得したんだ? ヴェネツィアがマルタに援軍を出さなかった件で、東地中海については、イスパニアは消極的だったはずだ。去年もそれで失敗した」
「対価として、バルバリアの制圧にヴェネツィアも協力する、という盟約がなされたそうだ」
ヴィトーリアはその情報屋の発言に特別に反応して、歓喜の笑みを浮かべたようにステラには見えた。チャンスが二回あるかもしれない。そう考えたのだとステラは解釈した。
「今回はイスパニアも本気だ。フランスとポルトガルは参加していないが、だからこそ大艦隊を派遣するはずだ。それをもって、イタリア諸国と共に、オスマン艦隊と対峙する。そうすると、この辺りの警備が甘くなり、仕事をしやすくなるという寸法だ」
パンっ、とヴィトーリアが膝を叩いてから立ち上がった。懐から小袋を取り出し、テーブルの上に置く。かなり重量のある音が響いた。相当な枚数の銀貨か金貨が詰まっているに違いない。
「とっておけ。その件、引き続き調べてくれ。次はセウタで会おう」
「毎度」
報酬の小袋を手に、情報屋は店内奥へと下がっていく。それを横目に、ヴィトーリアはテーブルの上に飛び乗って宣言した。
「野郎ども、待っていた時が来たぞ! 宿は引き払え。今からでも船を出せ。やれるか?」
「おおー!」
酔っぱらっていたはずの船員たちが、両腕を突き上げて吠える。情報屋の話を理解出来ていないだろうドミンゴたちも、その勢いに呑まれて同じことをしていた。もちろんステラも同様。
しかしステラは、頭の中では別のことを考えていた。情報屋の話には、微妙な違和感がある。その点を、支払いをして店を出る準備をしているヴィトーリアに問う。
「ねえ、姐御。オスマンとの戦いなら、当然地中海だよね? きっとガレー船を使うはず。この辺りの警備についてるガレオンとかナウの外洋艦隊は、いなくならないんじゃない?」
ヴィトーリアはちらりとステラに視線を送った後、その場では答えず外に出てから口を開いた。
「そいつらが動こうと動くまいと、アタシたちにとってはどっちでもいい。東地中海で戦争が起こることが重要なんだ」
そうすると、ヴィトーリアの狙いはステラの想像通り。オスマンの主力は、恐らくバルバリア海賊となる。集結途中に奇襲するか、それとも戦後疲弊したところを狙うか。とにかく戦争に乗じて動くつもりなのだ。
「そうだ、お前セウタに知り合いはいないか?」
続けて意外な質問がヴィトーリアの口から飛び出す。意図を量りかねて、ステラは首を傾げながら問い返した。
「えっと、特に心当たりはないけど、どうして?」
「そうか……」
ヴィトーリアはやや困った様子で、歩を緩めながら思案顔になる。
「いやな、武器が欲しいんだ。それも大量に」
大量に、ということは、やはり大規模な戦闘を考えているのだとステラは判断した。神聖同盟対オスマン帝国の戦いを利用して、目的を果たそうとしている。
「ポルトガルは神聖同盟に参加していない。恐らくこの先も出陣はしないだろう。イスパニアの港は、どこも出陣の準備で大わらわになる可能性が高い。ポルトガル領のセウタでなら、遠回りせず調達が可能と考えたんだが……」
「大量にって、具体的にはどれくらい必要なの?」
「店が開けるくらい」
交易が出来るくらいとは言わなかった。多く見積もっても百人か二百人分だろう。それくらいならば、用意は可能かもしれない。そう考えると、ステラはヴィトーリアに告げた。
「一昨日会ってきた知り合いの商人、あの人に頼めば多分どうにかなるよ。顔が広いから、セウタにも知り合いいるはずだし、リスボンから運んでもらえるかもしれない」
「ほう……。なら頼んでいいか? 終わったら直接港へ来い。オスバルドを待たせておく」
「その代わり、何を企んでるのか、あとでちゃんと教えてよ?」
ステラは悪戯っぽく笑うと、完全に暗くなってしまう前にと駆け出した。
「ちょっと待て、ステラ」
後ろから声がかかり、ヴィトーリアの元へと戻る。呆れた顔でステラを見下ろしていた。
「話は最後まで聞け。指定がある。鉄砲や弓は要らない。目の前の敵を攻撃出来るものなら何でもいいが、使い方を知らなくても戦える簡単なやつがいい。もちろん船上で使いやすいものだぞ?」
「カットラスとかダガーとか、あとは短めの槍とか?」
「そのあたりでいい。とにかく数が欲しい。出来れば重量は余り重くしたくない。船の機動力が下がるし、持ち運びに困る」
なかなか難しい注文だと思った。判断は専門家に任せ、そのまま内容を伝えるしかない。
「わかった、ちょっと行ってくるよ!」
一昨日の道を思い出しながら、もうかなり暗くなった街中を駆けていく。荒くれが道端で酔いつぶれていたりして、少々怖くはあったが、一人で行かないとならない。
「ステラ! ステラ!」
すぐに後ろから聞き慣れた声がして、振り返るとドミンゴだった。明かりも持っていて、護衛にと寄越してくれたのだろう。一瞬迷ったが、彼なら言葉が通じないので安心と思い、ステラは手を振って迎えた。
「ドミンゴさん、ありがとー!」
追いついてきたドミンゴと一緒に、毒リンゴのある店へと走っていった。荒い息を吐きながらたどり着いたころには、もう店が閉まっていた。
ステラは店の横にある居住スペースの扉を、独特のリズムで叩いた。二度繰り返すと、上から声が降ってきた。
「誰だ? 何の用だ?」
「私!」
ドミンゴの持っている明かりで顔がわかるようにして、二階の窓から見下ろしている店主に呼び掛けた。ステラの顔を覚えていてくれたのだろう。すぐに引っ込むと、しばらくして目の前の扉が開かれた。
「ドミンゴさん、ちょっと待ってて」
そう声をかけてから、中へと滑り込む。扉は閉めず、ヴェネト語で小声で話しかけた。
「神聖同盟とオスマンの戦いに乗じて動くみたい。店が開けるくらいの数の武器を、セウタで調達したいって言ってた。手配を頼めないかな?」
店主はしばし思案顔をしたのち、頷きながら答えた。
「わかった。間に合うかどうかわからないが、手配はしよう。悪魔の実がある店に行け。もし話が通っていなければ、その店の主人が手配してくれている途中だと言って、足止めしておけ」
「わかった、そうする。それで、欲しい武器なんだけど……」
ヴィトーリアの指示をそのまま伝えた。調達ルートがわからない以上、具体的に指定するのは難しい。何がいいのかは、専門家に任せる、ということで。
「それじゃ、よろしく!」
最後はポルトガル語で挨拶をして外に出た。ドミンゴがちゃんと待っていてくれて、共に港へと急ぐ。
着いてみると約束通りオスバルドが待っていてくれた。小舟でカラベラ船へと連れていってもらいながら、調達を頼めたことだけは伝えておく。
先に甲板に上がらせてもらい、小舟を引き上げている間にヴィトーリアへの報告を始めた。
「あのね、現地の知り合いに話は通してくれるって。でも、こっちのが先に着いちゃうかもしれない。だから、用意が間に合うかどうかはわからない。少し待つ必要があるかも」
「それくらいは織り込み済みだ。どうせ一番乗りになるから、一週間でも二週間でも構わない」
思っていたより悠長に構えている気がした。ステラが考えているのと、少々違うことをヴィトーリアは狙っているのかもしれない。
「それで、何を企んでるの?」
「どうせもう聞いてるんだろ? シルヴェリオの敵討ちさ。相手はマホメッド・シャルーク」
「あのシロッコ? 前のお頭は、シロッコに殺されたの?」
具体的に誰かまでは教えてもらえてなかった。そこまでの情報は掴めていないと聞いた。シチリア海峡付近で、バルバリア海賊の一団と戦って負けたらしいとだけ聞いていた。
ヴィトーリアは意外そうな表情でステラを見下ろしながら言う。
「聞いてなかったのか? アタシの過去に興味津々のようだったから、カルロスあたりから聞き出しているものかと……」
「そんなに過去のこと詮索しないよ……。そりゃ、謎めいてるから、知りたいことは知りたいけどさ」
ランタンを手にジェスチャーで出港を指示したあと、ヴィトーリアは遠くの海を眺めながら語り始める。恐らくヴィトーリアにとって最悪の思い出を。
「あの頃はなあ、バルバリア海賊と激しくやりあっててな。エーゲ海にはもういられなくなって、マルタやシチリアに拠点を移していたんだ。当時あの辺りではな、イスパニア海賊とバルバリア海賊がしょっちゅう戦っていた」
オスマン帝国によるマルタ包囲戦の前なのか後なのか、あるいはそれそのものなのかで、話が大分変わる気がする。ステラはそう考えて、話の腰を折って悪いと思いながらも訊ねた。
「それって、何年くらい前の話?」
「三年前。オスマンと神聖ローマ帝国の間で和平条約が締結されたことで、エーゲ海への進出が強まった。それで、オスマンを撃退したマルタ付近へと逃げることになったのさ」
場所だけでなく、ステラが聞いている時期とも一致する。
「そのあとどうなったの?」
「シルヴェリオはイスパニアに伝手があったようでな、何隻かの海賊船と協力関係を結んだ。マルタ騎士団も周辺で活動していたし、チュニスはイスパニアの保護下にあったから、しばらく落ち着けるかと思った。そこにやってきたのが、シャルークさ」
マホメッド・シャルーク。別名シロッコ。本来は、初夏に北アフリカから地中海を越え、イタリアに向けて吹く、暑い南風のことを指すイタリアの言葉である。砂嵐を起こすこともある。北アフリカのバルバリア地方から、度々イタリアを襲いにくる彼のことを、人々はその季節風に例え、シロッコと称し恐れていた。
「負けちゃったの……?」
ステラの問いに、ヴィトーリアはすぐには答えない。船縁に行って、海を見下ろした。隣に並んで下を見ると、海の一部が星空のように青く光っていた。夜光虫の群れ。船が通ることによって刺激され、発光しているのだ。船尾から続く航跡が、美しく輝いている。
それを目で追いながら、ヴィトーリアは続きを語り始めた。
「あの時もこんな海だった。シャルークはバルバリア海賊の中でも特に有力な頭目でな。奴の船団には、束になっても敵わなかった。シルヴェリオは死に、生き残った者は僅かだった。この船は当時協力関係にあったイスパニアの奴のものだ。まともな状態のは、これしかなかった」
この船の乗組員が多国籍なのは、その時の生き残りを寄せ集めたものだからでもあるのだろう。カルロスは昔のヴィトーリアを知っているようだが、オスバルドは知らないように思える。その時に合流した一人なのかもしれない。
「敵討ち、したいの?」
ステラの問いに、ヴィトーリアは静かに頷いた。彼女らしくなく、しおらしい感じで。髪を下ろして、スカート姿だからそう見えるわけではないのだろう。今は海賊船の女船長ではなく、ただの一人の女になっているのだ。シルヴェリオを愛していた、恋する乙女に。
「シャルークはきっとオスマンの招集に応じる。流石に総司令官を任されることはないだろうが、主力艦隊の一つを率いるだろう」
「でも、合流する前に叩くとしても、どこにいるかわからないし、そもそもシルヴェリオ号一隻じゃ敵わないよね? どうするの? 仲間でもいるの?」
ばさっと髪を振り上げて、ヴィトーリアが顔を上げる。後ろ手にまとめながら、不敵な表情でステラを見下ろした。
「今回はたくさんいるさ。二百隻か三百隻は集まるだろう」
「は?」
言っている意味がわからず、ステラは目を見開き、間抜けな顔で問い返した。桁を間違えているとしか考えられない。あのやり方の海賊活動の中で協力者を集めたとしても、二十隻でも多すぎるくらいだ。
「何を驚いている? 戦場で堂々と戦うのさ。マルタにいたと言ったろ? 騎士団に伝手がある。奴らが参戦するのかどうかは知らんが、教皇庁の海軍は間違いなく出る。奴らとつながりは深い。それに入れてもらえるよう、頼み込む」
利用なんて生易しいものではない。自らが一員として参戦する。両軍合わせて数百隻単位の大海戦に。そして混戦の中、シャルークを奇襲する。そういうことだろう。
ステラが考えた可能性のうち、一番派手で、大胆で、そして一番ヴィトーリアらしいやり方だと思った。
自然とステラの顔にも笑みが漏れる。これから起こる大事件を予感して。そこで、自分も役目を果たさなくてはならない。
「武器をたくさん用意するってのは、長期戦を想定してるってこと?」
「いいや、戦力を増やすのさ」
ヴィトーリアは、ステラの期待通りの言葉を返した。船は他にもあるのかもしれない。今まで助けてきた人々が、協力してくれるのかもしれない。
「やろう、姐御。私も全面的に協力するよ!」
ステラも髪をまとめ上げながら元気に宣言した。ここからはまた海賊見習い。早くズボンに穿き替えて、甲板掃除でもやりたかった。この船だって荷物くらい運べる。整備すればきっと役に立つ。
夜光虫の放つ青い光を後ろに引いて、大海原を船が走る。その行き先は天国か地獄か、ステラにはまだわからない。どちらだとしても、突き進めると思った。この家族たちとなら。




