五
ぐったり。そう表現するしかない状態で、ステラはベッドにうつ伏せになっていた。とろんと下りてきてしまう瞼を慌てて上げる。先程からずっとそれを繰り返していた。
陽はもう大分傾いてきていて、窓から差し込む明かりはオレンジ色になっている。今からもう一度眠ってしまうと、未明のおかしな時間に目を覚ますのは必定。夕食を逃すわけにもいかない。宿に戻らず、皆と一緒に街に出かけていれば良かったと思った。
早朝から船を移動し、購入した資材その他の積み込みを行ったのだが、流石にただ見ているわけにもいかず。自分でも持てそうなものを積極的に運んだ結果、疲れ果ててしまった。
荷積みが終わっても、肝心の会いたい相手がまだ来ていないらしく、もう一晩泊まることになった。それで、終わった後、ステラは宿に直行した。ひと眠りして目を覚ましたのち、二度寝してしまわないように頑張っていたところである。
コンコン、と扉が叩かれた。返事をしようとしたが、身体がまだ眠っていて、うまく声が出ない。
「おい、生きてるか、ステラ?」
聞こえてきたのはヴィトーリアの声。余り心配させるのは良くないと思い、ステラは何とか声を絞り出した。
「い……生きて、る……」
どさり。寝返りと同時に床に落ちた。全身を打った痛みで、急激に意識が覚醒した。
「あいたたたたた」
「おい、本当に大丈夫か? ちと早いが飯にしよう。食ったら寝ちまえ」
「うん、そうする……」
やっと自由に動くようになった身体をゆっくりと起こして、扉の閂を外す。開けてみると、相変わらず平然とした顔の、しかしアルコールの臭気を漂わせるヴィトーリアが立っていた。
「酷い顔だな……」
そう言ってステラの頭を掻きまわす。自覚はある。頬をパンパンと両手で叩き、布切れで拭ってから、ヴィトーリアの後に続いた。
「酒場の方へ行くぞ。奴の船が帰ってきたようだから、たぶん今夜は現れる」
お待ちかねの相手。ヴィトーリアがわざわざ遠くから会いに来るほどの人間。一体どんな人物なのだろうと、隣に並んで耳打ちする。
「ね、その人って何なの?」
「ただの情報屋だ。ただし、飛び切り耳聡い奴だ」
「ふーん」
酒場の船乗りたちの噂話に出る前に、海外の情報などを運んでくる人間ということだろう。もしかしたら、普通の人間では手に入らない、各国の動きなども仕入れてくるのかもしれない。
ヴィトーリアは時期を見ていると言った。どこかで何かしらの動きがあるのを待っていると考えられる。そして行き先は恐らく地中海。拾われた時にも、いずれ戻ると言っていた。
詳しいことはその情報屋とやらに会えばわかる。同席させてもらえるのなら、だが。そう思いながら、それ以上詳しくは訊ねず、ヴィトーリアについて酒場へと戻った。
街に繰り出していった者たちも皆やってきているようで、さっそく宴会が始まっていた。また大騒ぎになることを見越しているのか、それとも情報屋との約束なのか、初めから貸し切り状態。
「ステラ! ステラ!」
中に入ったステラの顔を見るなり、ドミンゴが何事か言いながら手招きをする。何だかよくわからないながらも彼の元へと行くと、テーブルの上に芋虫が沢山いた。蝶か蛾の幼虫に見える。
既に生きてはおらず、置いてあるという表現が正しい。しかも皿の上に並べてある。それが示すことは、これは食べ物だということだった。
ドミンゴが嬉しそうな顔をして、一つつまんでステラの顔の前に差し出す。当然ステラの顔は引き攣っていく。視線を逸らし、見ないようにした。ドミンゴは何かを必死に訴えかけていて、芋虫をステラの手に取らせようとしている。
「食えって言ってるぞ?」
さも面白そうな笑みを浮かべながら、ヴィトーリアが要らぬ通訳をしてくれる。
「あの……私、こういうのは、ちょっと……」
「お前が疲れている様子だから、わざわざ精がつくものを探しにいってくれたようだぞ? 大分遠くまで出かけたそうだ」
「ドミンゴさん……」
相変わらず気の利くドミンゴを、潤んだ瞳で見つめるステラ。しかし、別の形が良かった。
それからドミンゴが何事かヴィトーリアに話し始めた。しかしヴィトーリアにもよく理解出来ないようで、何度もやり取りが始まる。
その様子を側で見ていた別の黒人船員が口を開き、何事か言い出す。恐らく別の言葉で通訳したのだろう。ヴィトーリアは納得がいったようで、ドミンゴの言い分を翻訳してくれた。
「何でも、ドミンゴの部族では特別な御馳走だそうだ。外部から客人が来た時にだけ振る舞う食材で、普段は口に出来るものじゃないと言っているぞ?」
「え、そうなの? これが?」
その辺りにいくらでもいる、ただの芋虫にしか見えなかった。しかし、ドミンゴにとっては、恐らくとても大事なもの。客人にだけ振る舞う特別な食材。ステラのために、わざわざ遠くまで探しに行ってもくれたのだ。食べないと失礼な気がしてきた。
周りの黒人船員はもちろん、白人船員も皆固唾を呑んで、ステラの行動を見守っている。
意を決して両手を差し出し、ドミンゴから芋虫を受け取った。緑色をしているが、所々焦げたように色が変わっている。火であぶって焼いたのだろうか。動かないのだけが救いだったが、これを口に入れるのは流石に躊躇われる。そのままステラは硬直してしまった。
しかし周囲の期待の眼差し、特にドミンゴの視線に耐え切れず、ステラは大きく口開くと、その中に一気に放り込んだ。
柔らかい感触が口の中にある。芋虫の形をしているのがわかる。恐る恐る噛むと、ぷちっと潰れた。はっきり言って気持ち悪い。中から汁のようなものが溢れ出してきた。
そこで、文字通り苦虫を噛み潰したような顔をしていたステラの表情が変わる。
苦いのかと思ったが、甘い。花のような良い風味がする。こってりとした感じだが、意外と美味しい。それがステラの感想だった。しかし、見た目と食感がすべてを台無しにしているとも思った。
皮は少々変な味がして、余り噛まずに飲み込んでから、ステラは言った。
「ドミンゴさん、ありがとう。美味しかった」
拍手喝采。船員たちがはやし立て、口笛が響き渡る。ドミンゴがテーブルを回り込んでやってきて、ステラの頭を抱きしめ、めちゃくちゃに撫でまわした。何事か早口でまくし立てている。
また別の黒人船員の通訳を通して、ヴィトーリアが教えてくれた。
「食べてくれた白人は初めてだって言っているぞ」
「は?」
皆にやっていることだと思っていた。食べた自分の方がおかしい……? ステラの頭に疑問の渦が巻き起こる。
「これからは、家族の一員としてお前を守ると言っている。命ある限り、お前に尽くすとさ」
目をぱちくりさせながら、ドミンゴの顔を見上げた。本当に嬉しそうな顔をしている。見ていると、つられて微笑んでしまう。たっぷりの感謝をその翠の瞳に込めて、ステラは言った。
「ありがとー! ドミンゴさん!」
よくわからないが、ドミンゴの信頼を勝ち得たようだった。
その後もう一つ勧められたが、流石にまた口に入れる気はしない。代わりにオスバルドを呼びつけた。
「オスバルドさん、これ食べるとドミンゴさんが喜んでくれるよ!」
芋虫を一つつまんで、オスバルドの口許に押し付ける。それを避けながらオスバルドは言う。
「い、いや、俺っちはそういうのは……。精がつくっていうから、疲れてる嬢ちゃんが全部食えよ」
「いやいや、オスバルドさんこそ精をつけないと。ほらほら、夜は長いんでしょ?」
「勘弁してくれー!」
逃げ出すオスバルドを、芋虫を持ったステラが追いかける。二人を見て皆が大笑いしていた。
結局、残った芋虫は、ドミンゴを始め、食べるのに抵抗がない者たちの胃に収まった。本当に美味しそうに食べていて、これも結局慣れの問題なのかもしれないと思った。
ココナッツジュースも、最初はあんなに不味いと思ったのだ。何度も食べていれば、お気に入りになってしまうかもしれない。しかし、国許に帰った後、その辺りの芋虫を捕まえて口に放り込んでいる自分の姿と、それを見る家族や友人の表情を想像したら、挑戦するのはやめておいた方が良いと考えた。
 




