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落日の紅が映す心の意味は  作者: 月夜野桜
第二章 その唇は愛を語る
10/21

 翌朝ステラたちが向かったのは、アジトのあるエル・イエロ島から東、二百キロ以上先にあるグラン・カナリア島。その北東端に、このイスパニア領カナリア諸島の首都ともいえる最大の街、レアル・デ・ラス・パルマスがある。


 新大陸の発見者として有名な、彼のクリストバル・コロンも、この場所で大西洋横断の準備をして出航していった。その航海において、旧大陸側最後の陸地となった場所である。


 風向きやカラベラ船の航行性能の問題で、着いたのはもうとっくに日付が変わった後。朝まで沖に停泊し、明るくなってすぐに入港した。


 北東に伸びた半島に港湾施設が整備され、海岸沿いや南西の高台に向かって四角い建物が並ぶ。白い漆喰の壁に黄色いアクセントをつけていたり、壁全体が赤や青などに塗られていたりする、カラフルな外観。


 イスパニア南部でよくある街並みに似ているが、南国の気候と海の存在がそうさせるのか、それともアフリカ文化の影響なのか。開放感と陽気さを漂わせる、どこか楽しい風景だった。


 乗ってきたカラベラ船はイスパニア船籍。オスバルドが船主、ヴィトーリアはその妻という設定で、入港許可をもらっていた。


「オスバルドさん、イスパニアの言葉も喋れたんだね! びっくりだよ!」


 見事なイスパニア語で役人と会話していたオスバルドに、ステラが目を輝かせながら言うと、仏頂面で返された。


「俺っちはイスパニア育ちだから当たり前よ。ってか、大して変わらねーだろ、ポルトガル語と」


 それもそうである。方言程度の違いしかないとも言えるほど似ている。ポルトガル人とイスパニア人の間では、余程込み入った話でない限り、通訳なしでもさほど困ることはない。それどころか、フランスやイタリア出身の船員との間でも、大抵はそれぞれの母国語だけで事足りる。


 これらの言葉はどれも、古代ローマ帝国の領土拡大と共に、地中海に面した欧州南部にラテン語が広まっていき、それぞれで方言として変化していったもの。分化が進んだのは帝国崩壊後に国が分かれてからで、その後も交流は多かった。結果として、日常生活に使う程度の会話であれば、身振り手振りも交えることで、割と通じてしまうものなのである。


「それより俺っちは、嬢ちゃんが女だってこと、再認識したよ」


「は? なにそれ? 男だと思って――」


 襲おう、あるいは誘おうとしたことは内緒にすべきなので、慌ててその先の言葉を変えた。


「たとか、ひどくない? こんなに可愛いのに?」


 ステラは両手を広げ、くるりと回りながらアピールした。足首まであるスカートが翻り、亜麻色の長い髪がふわりと風になびく。陸に上がるので、今日は船で着替えてきた。髪も下ろし、その辺にいるごく普通の西洋娘にしか見えない。


「ステラ、余りはしゃぐな。変なのに目付けられるぞ?」


 そう言うヴィトーリアこそ、目を付けられそうだった。同じく髪を下ろし、スカートに履き替えたその姿は、どこぞの令嬢と言っても通じる美しさ。一人で出歩いたら危険だと思う。相手の方が、だが。


 後ろに続く何人かの黒人船員たちを見ながら、ステラは訊ねた。


「カルロスさんにも来てもらわなくてよかったの?」


 ドミンゴを始め、船に乗って間がなく、言葉が通じない者も何人かいる。ステラの視線を追って、ヴィトーリアが後ろを振り返った。それで質問の意図を察したのか、手招きしながら何事か口にした。


「ドミンゴ! クオ・イシ・ステラ」


 流暢な発音というわけではないが、明らかにラテン系ではない言葉が、ヴィトーリアの口から飛び出た。それを聞いたドミンゴが駆け出して、ステラの前まで来ると、頭をポンと叩く。


「へ? なに?」


 ドミンゴは振り返って、ヴィトーリアに何事か言った。こちらはステラにはよく聞き取れなかった。


「強さを指定されなかったから、軽くにしといたって言ってるぞ?」


 面白そうに微笑みながら、ヴィトーリアが答える。


「もしかして、私の頭を叩けって言ったの? 姐御、ドミンゴの国の言葉、喋れたんだ……」


「何年こいつらと同じ船に乗っていると思ってるんだ? むしろお前がまったくわからない方が意外だ。象牙を買い付けに行っていた辺りの言葉だぞ?」


「わ、わわ、私、そんなに何回も行ってないしー!」


 思わぬ突っ込みが入って、ステラは視線を泳がせつつ言い訳をした。


 その様子を見て、ドミンゴがまた何事か言っている。何度かやり取りしたのち、ヴィトーリアが翻訳してくれた。


「ベニンのあたりは言葉が違うそうだ。ドミンゴはもう少し東の出身らしい。アフリカは部族が沢山いて、言葉も色々だから仕方ないと言っている。後ろを歩いている中にも、ドミンゴと言葉が通じない奴が何人もいるとさ」


「なるほど。――ありがとー! ドミンゴさん!」


 察しが良くて助かると思った。ステラが何事か困っているのに気付いて、理由を訊いてくれたのだろう。


「嬢ちゃんは本当、見てて飽きないよなあ……」


 さも可笑しそうに、オスバルドが小さな声で呟く。当然ステラは聞き逃さない。口を尖らせて食って掛かった。


「は? なんてこと言うのさ! オスバルドさんだって、笑えることばっかしてるじゃん! 一昨日の夜だって……」


「待った、待った。それは言わねえ約束だぜ、嬢ちゃん」


「ふふふふふ……どうしよっかなー?」


 追いかけてくるオスバルドの手から逃れ、ステラは海岸沿いの道を駆ける。そしてふと振り返って訊ねた。


「そういえばこれ、どこ向かってるの?」


 ステラの質問に、オスバルドは目をぱちくりさせながら答える。


「野暮なこと聞くなよ」


 わかりやすく歪んでいくステラの顔。半眼になってオスバルドを睨め上げる。


「まさか……」


「酒場に決まってんだろ」


「だよね……」


 ヴィトーリアもいるのだから、いきなりそれはない。いや、酒場で買うものなのだろうか。その辺りの知識はステラにはない。とりあえず、酒以外の自分が楽しめる飲み物があるかどうかの方が大事だった。


 後ろからドミンゴが走ってくる。ヴィトーリアたちは追いかけてきておらず、少し離れたところで立ち止まっていた。何事かドミンゴは言っているが、聞き取れない。しきりにヴィトーリアたちの方を指差している。


「あの店だって言ってるみたいだな」


「オスバルドさんもドミンゴの言葉わかるの?」


「わかるわけねえだろ。でも、そういうことだろ?」


 確かにヴィトーリアたちが立ち止まっているところにある建物は、酒場のように見える。ドミンゴもついて来いというようなジェスチャーをしているので、オスバルドと一緒にそこまで戻った。


「お頭、今日はここですかい?」


「アイツに用があるって言っといたろう?」


「ああ。そういやそうでした」


 オスバルドとヴィトーリアのやり取りは、元々ここに用があって、このラス・パルマスまできたという話だろう。誰か人に会いに来たと言っているように聞こえる。そしてここにその人物がいる、あるいはこれから来ると推測出来る。


 皆に続いて中に入ると、まだ午前中だというのに店内は騒々しく、活気に満ち溢れていた。あちらこちらでジョッキを傾け、大声で笑い、魚や肉などを頬張っている。何人か女性もいるが、店側の人間だろう。あるいは、その手の商売の者か。


「みんな、座れ。今日はアタシのおごりだ。明日は自分で払えよ?」


「それはないぜ、お頭ー」


「俺は明日の分まで飲むぞー!」


 ヴィトーリアが真っ先に座ると、皆冗談を飛ばしながら喜んで、その周りを囲んでいく。


「お前も座れ。山羊のミルクくらいなら出てくるぞ?」


 ステラが座らずに迷っていると、ヴィトーリアがそう促してくる。


「あ、えっと……」


 どうせ自分は酒は飲めない。皆が楽しんでいる間に用事を済ませた方がいいと思い、懐から取り出した手紙を示した。


「私、これ届けてもらうように頼んでこないと。リスボンにいる家族への手紙」


 少々考えるような素振りをしてから、ヴィトーリアが問う。


「……お前、前にもこの街に来たことあるのか?」


「うん。補給に寄ったことある。お父さんの知り合いの商人がお店出してるから、その人に頼んでくる」


「そうか……自分の身は自分で守れるな?」


 ステラは懐に隠してあるダガーをポンポンと叩きながら、笑顔で答える。


「もちろん」


「なら行ってこい。その商人とやら、この街には詳しいよな? 必要なものを揃えるのに、どこへ行ったら得か聞いてきてくれ。商人の娘の腕の見せ所だぞ?」


「腕って言うより、この場合人脈だよね? ついでに訊いてくるよ」


 手紙は再び懐に大事にしまい込み、手を振って別れを告げてから店の外へと出る。


 左右を見回して、どちらへ行けばいいのか迷う。店の場所を自力で探すとなると、流石に時間がかかりそうだ。目立つから知っている人もいるだろうと考え、目の前の岸壁で釣りをしている男に声をかけた。


「おじさん、ちょっと聞きたいんだけど、野菜とか果物売ってるところ知らないかな?」


「自分で食うやつだよな? あちこちで売ってるが……」


 振り返った日焼けした男に、ステラは親指と人差し指で輪を作り、大きさを示しながら追加で説明する。


「あのね、毒リンゴ知ってる? これくらいの大きさの赤い実。新大陸から伝わった、食べられないんだけど、見た目が綺麗だから飾るやつ」


「まさか、それ食いたいのか?」


 ぶんぶんと首を振ってステラは否定する。


「だから毒だってば。それ飾ってるお店なんだ。売ってるのは、普通の野菜や果物」


 しばし記憶を探るような素振りをした後、男は答える。


「んー、そいつかどうかは知らんが、似た話を聞いたことがある。美味そうだから売ってくれと言ったら、毒があるからと断られたって話。確か、あの辺りだ」


 男はステラの背後、南南西の方を指す。少し高台になっている。


「市場があるんだが、そこだったかもしれない。もしなくても、野菜売ってる奴らに聞けば、たぶん教えてもらえるだろう。珍しいからな、そういうのは」


「わかった。ありがとー! 大きい魚釣れるといいね!」


 笑顔で手を振って別れると、男が指した方へと向かって、適当に道を選んで入り込んでいった。


 この辺りは大口取引の商店や酒場、宿などの、船乗り向けの施設が多いようだった。海が近いからか、魚介類の小売店もある。それらを眺めながら、市場があるという辺りへと向かって坂を上っていった。


 道中に目的の店があるかもしれないので、目印を探すことは怠らない。ベラドンナのような見た目だが、実は黒ではなく鮮やかな赤。未成熟のものは緑色なので、それも考慮しながら見ていく。


 リベイラ・グランデでは実が生っていたし、この辺りなら一年中実をつけると言っていた。新大陸から持ち帰られたものだというが、毒があると言われている故に、鑑賞用としてしか育てられていない。商品と間違われる可能性を考えると、野菜や果物を扱う店で店頭に置いているところは、目的の場所だけだろう。


 ステラの視線が、市場の手前の一軒の店先に吸い寄せられる。鉢植えに鮮やかな赤い実が沢山生っている。駆け寄って葉の形を見ると、毒リンゴに間違いなかった。


「この赤い実、美味しそう。十個売って」


 店先にいたエプロンをかけた太った男に、毒リンゴを指差しながらステラが言う。その口から飛び出したのは、ポルトガル語でもイスパニア語でもなく、ヴェネト語。ヴェネツィアで使われる言葉。店主らしき男は、しばし瞬きしながらステラの顔を見つめたのち、同じくヴェネト語で答えた。


「馬鹿言っちゃいけない。これは悪魔の実だ」


「ただの赤いベラドンナでしょ?」


「ベラドンナは猛毒だぞ」


 一粒もぎると、それを示しながらステラは言う。


「でもこれ食べると美人になれるって聞いた。黒いのより赤いのの方が綺麗になれるでしょ?」


「返してくれ、売り物じゃないんだ」


「知ってる」


 そう言うと、店主が差し出した手には置かず、ステラは実を地面に叩きつける。果物のように柔らかい実は簡単につぶれ、赤い汁が地面に飛び散った。


 そんなことをされても店主は怒りもせず、店の奥へと下がりながら、ステラを手招きした。


「奥へどうぞ、小さなお客さん。もっと美味い食い物が沢山あるよ」


 その後を追って、店内奥のシトロンという柑橘類の一種が積まれた棚の前で話を始める。


「まずはこれ。夜に届けて」


 店先でのやり取りで、目的の店に間違いないと確信したステラは、懐から手紙を取り出して手渡した。さり気なく受け取って、店主は懐にしまい込む。


「他に御入り用のものは?」


「んー、そうだね……」


 顎に指を当ててしばし考えた後、ステラは言葉を選びながら答える。


「うちの船の修理に使えるような資材売ってる場所、無いかな? 質がいいのを安く買えるところ。あとは、水や食料、お酒とか、航海に必要な物資一通り」


 店主もしばし考えるような素振りをしてから、逆に質問で返す。


「お客さん、この街は初めてかい?」


「もちろん」


 あっけらかんとした表情でステラは返す。店主はカウンターの向こうへと移動しながら応じた。


「なら説明してもわかるまい。地図を書いてやるから、それを持っていけ」


「ありがと。正直、ここ探すのも大変だったよ。かなり運が良かったと思う。下手したら、一日中彷徨ってたかも」


 カウンターの上で店主が紙を広げ、羽ペンで地図を描き出したのを見ながら、ステラはそう零した。店主はふと手を止めて、ステラの顔を見上げながら問う。


「武器や弾薬は必要ないのか?」


「んー、それは要らない。――あ、そうだ。これ別件なんだけど、スローイングダガーないかな?」


「何本か置いてあるから、帰りに渡そう。クスリも必要か?」


「そこまでは要らないよ」


 イスパニア語で店の名前やら、買える物の内容やらを色々と書き込みながら、店主は丁寧に地図を描いていく。


「これでわかるか?」


 手渡された地図を見てステラは考える。頭が段々と傾いでいったものの、それを持って外に出ると、左右を見回してから、にっこりと微笑んだ。


「大丈夫!」


 ことんと音がして、カウンターの上に麻袋が置かれる。中身はスローイングダガーだろう。


「ご注文の品だ。ベルトの長さは自分で調整してくれ」


「ありがと! また来れたら来るよ。この店、いい店だね!」


 そう言って麻袋を取ると、代金も支払わずに出ていった。


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