いつもの日常 帰って
本日3話の3話目
気を失っていたミーケは日暮れ前に目を覚ました。そろそろ帰らないといけない時間かぁ。楽しかった時間が終わってしまうのはなんとも寂しい。俺がもの寂しさを感じてる間に、彼女の朦朧としていた意識もちゃんと晴れたらしい。
「おはよう、旦那様♡」
誰が旦那様だよっ。いくつぶっ飛ばしてんだ。俺はミーケのボケに心の中でツッコむ。でも声に出してはいけない。声に出してツッコんだら何かが終わってしまう気がする。そう、俺の自由が。今が耐え忍ぶ時だ。俺が無反応なことにミーケが不満を感じたらしい。顔がぷくーと膨れていく。やばい。
「そろそろ帰る時間だね。」
必死に話題を変える。耐えろ、耐えてくれ。ミーケの顔がさっきよりも膨れていく。やっぱり厳しいか。彼女の顔が爆発しないことを必死に祈る。顔が爆発ってなに。
「しょうがないなぁ。」
そう言って、ミーケの顔がしぼんでいく。ふー、なんとか耐えきれたみたいだ。俺が安堵感を抱いていると、俺の左手を彼女の右手が握ってくる。まぁ、手つなぐくらいならいっか。俺は彼女の手を握り返す。そっと、隣を見ると、彼女も満足げだ。良かった。でもよく考えたらこれって、ドアインザフェ…、いや気のせいだろう。そうに決まっている。5歳のミーケがそんなことわかるはずないんだから。頭からそんな疑念を追いやって、俺たち二人は手を繋いだまま帰路に就いた。
俺たち二人は家のすぐ目の前まで帰ってきていた。ミーケの家で晩御飯食べるのだから、そのまま直行しても良かったが、あとで寝坊した母さんにやつあたりされるのも嫌だから、一度自宅に寄ることにした。
家の中に入るとまだ母さんがソファとブランケットに挟まって寝息を立てている。ほんと、良いご身分で。追い出された身としては、ちょっとイラッてくる。腹いせにイタズラしたい欲に駆られる。ただ何をやるかが難しい。落書きやびっくりさせるようなことは後が怖い。うーん、どうしよう。
俺は少し考える。ミーケは母さんを起こさない俺を不思議そうに見ている。そんな彼女の姿が目に入り、自然と思いついた。ちょっと弱いがこれでいこう。俺は台所からリビングに水の入ったコップを運ぶ。よしよし、まだ母さんはちゃんと寝ているな。ミーケに「しー」と一度合図してから、横向きで寝ている母さんに俺はそぉと近づく。一歩、また一歩とゆっくり進む。もうちょいのところまで来た時、踏んだ床から大きく軋む音がした。
音のせいで、ビクッと体が縮こまってしまった。やばっ、起きた?俺は母さんの動きを必死に注視する。その瞬間母さんの体がぴくっと動く。
やばいやばい、なんて言い訳しよう。起こす前に水を飲もうとした。これでいけるか?わざわざリビングまで持ってくる必要ないし、きついか。きついよな。寝起きで喉乾いた母さんのために持ってきたってのは。いや、起こしてから持ってこいって話だからきついよな。なんか、なんかないか。
俺は言い訳を必死に探す。ただ苦しい。なかなか妙案が思い浮かばない。ただ、いつまで立っても母さんが起きない。セーフか?大丈夫そうだが、もう少しだけ待つ。カチカチという時計の針だけが場を支配する。時計の音が何回も鳴ったが、母さんが動く気配はない。ふー、なんとかセーフみたいだ。歩を再開させ、やっとのこと母さんの目の前まで来た。寝息が聞こえる。寝ているみたいだ。ニッシシ、日頃の恨みだ。
俺はそぉと、コップを母さんの薄いピンク色の唇に追加づける。そぉと、そぉと。俺はゆっくりと、唇と唇の間の端、下側の口角にそっとコップから水を垂らす。口角から垂れた水が頬を伝い、顔から落ちて枕にも浸透していく。枕に丸いシミができて、いい感じでよだれ痕みたいになった。いやぁ、これは女性としては恥ずかしいやろ。そんなことを考えてると、笑いがこみ上げてくる。横から覗いてたミーケも音がしないように、クスクスと笑っている。
「ルート、わるぅ。」
彼女が小さい声でつぶやく。
「ミーケ様ほどではございません。」
ミーケとクスクス笑い合う。
さぁ、あとは起こすだけだ。どんな反応をするかなぁ。よだれに気づいて、慌てて水をぬぐうか。それとも口元を隠して赤くなるか。どっちにしても日頃見れない母さんの姿が見れそうで楽しみだ。しかもミーケにも見られるのは余計に恥ずかしいだろう。
俺はコップを台所にしまいに行ってから、堂々と母さんに近づく。今度は起こすだけだから、堂々とね。俺は母さんの肩をゆする。
「かーたん、起きてっ!お腹減ったから、早くミーケの家行こっ。」
ご飯食べに行こ、じゃなくてミーケの家行こって言ってるのに、ちょっとおかしい気がするが気にしない。母さんの肩を揺らし続ける。少ししてようやく母さんがなんか言い出した。ただ聞き取れないから、続ける。数分経ってから、母さんがようやく言語を返してくれた。
「ルートぉ、もうちょい寝させて…。」
言うだけ言って、母さんはまた寝始めた。すぐにいびきをかきだす。夜も普通に寝ているのに、どんだけ寝るの、この人。さすが一筋縄でいかない。ただ諦めたら、ご飯が遅くなってしまう。俺も諦めずに起こそうとするも、手を払いのけられた。ひどくない!?衝撃を受けている俺をミーケが可哀相な人を見るような目で見た後、俺と代わってくれた。つらいよ。
「おばさん、起きて。」
「あぁ、ミーケちゃん来てたのね。」
ミーケの言葉1つでおばさんはすぐ起きた。ふざけんな。なんでかわいい息子が起こしても起きないくせに、ミーケが起こしたらすぐに起きんだよ。あれだよね、一応、体裁を気にしてだよね、他所の子だからだよね。優先度とかだったら泣くぞ。くそが。
落ち着け、なんか心が少し痛いが今はそっちは後でいい。よだれだ、よだれ。せめて傷の分くらいは楽しませてよ、母さん。
「かーたん、口元よだれすごいよ。」
「あら、ほんとね…。」
そう言って、母さんは口元を袖で拭うだけだった。女捨てすぎだろ、男か。いや、男でももっと羞恥心あるわ。俺とミーケは呆気にとられるしかなかった。こうやって、俺の頑張りは自分の心に傷をつけるだけに終わった。ふざけんな。




