爆弾と私
私は心臓に爆弾を抱えている。時限爆弾だ。
その時がいつ来るかはわからない。もしその爆弾が起動すれば、心臓が松ぼっくりみたいに固まって、一瞬で死んでしまうとお医者さんに言われている。そういう病気なのだ。
文化祭の準備は着々と進んでいた。
今年はクラスでメイド喫茶をやるので、私はメイド役……ではなく、宣伝ポップや看板作りの裏方仕事を任されていた。
みんな私を存分にこき使ってくれる。クラスのみんなには病気のことは言ってない。みんなある日私がぽっくり死んだら、その時初めて知るだろう。
遠慮なくこき使ってほしいから言ってないのだ。みんなのお荷物にはなりたくない。
もちろんみんなの前でぽっくり逝くのも嫌だから、発作が起きそうになったらどこかへ消えるつもりだ。
そう、思っていた。
メイド喫茶に使う画材を買いに街に出た時のことだった。秋の空気が心地よくて、微笑むように狭い路地を歩いていると、前からトレンチコート姿のおじさんが駆けてきた。
いかにも胡散くさいおじさんだった。顔を帽子とサングラスと大きなマスクで隠し、映画俳優みたいなわざとらしくカッコつけた挙動とともに、中ぐらいの大きさの段ボール箱を小脇に抱えてやってきた。
用もなく私が進路を変えようとした時、そのおじさんに話しかけられてしまった。
「きっ……、きみ! お嬢さん! ちょっといいかい?」
「あっ。いいです」
そう言って私は手でポケットティッシュでも押し返す動きをし、目を合わせないようにして逃げようとした。
「いいんだね? じゃ、お願いだ。頼みがあるんだ」
「いや……。『いいです』の意味が……違う」
「この段ボールを預かっていてくれないか」
そう言って、おじさんは無理やり私にそれを持たせてきた。
「追われているんだ。頼む! ちょっとでいいんだ! またすぐに取りに来るから!」
「え……」
既に手渡されているからには断りにくかった。
「なんですか、これ……? 中に何が……」
おじさんは、言った。
「爆弾だ」
「ば……、ばく……」
「時限爆弾だ。大丈夫、すぐには起動しない。すぐに取りに帰るから、それまで頼む。じゃっ!」
おじさんは急いでまたアクション俳優みたいな大袈裟な動作で走り去ろうとしたかと思うと、すぐに振り向いた。
「あっ、そうだ。それ、どっかに置いて行こうとか思っちゃいけないよ? きみの体から離れたことを感知するなり爆発するから」
「ちょっ……!?」
「大丈夫。肌身離さず持っててくれたら絶対爆発しないから。それ持って動くのはいいよ。中にGPS入ってるから、それを追ってきみを見つけることは出来る」
「待っ……!」
「じゃっ!」
おじさんはカッコよくてのひらをピシッと立てて挨拶を残すと、スポーツ自転車ぐらいの速さで立ち去った。
私は段ボール箱を両手でぶら下げ、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
ドッキリか何かだろうか、これ。それともあのおじさん、つまらない企画動画ばかり撮ってるユーチューバー?
「そうだ! 画材、買いに行かなきゃ!」
段ボール箱を地面に置いて、画材屋さんに行こうとして、でも気になったので、段ボール箱に耳を当ててみた。
コチコチコチコチ……
なんか鳴ってる!
本物か、これ!?
私が体から離したら爆発しちゃうのか!?
その場から動かずに、おじさんの帰りを待ってみた。
刑事さんが後を追いかけて行くのを目撃することになるのかと思っていたけど、誰も通らなかった。
おじさんは、戻ってこない。
ほんとうに、本物なのかな、これ……。
自分の体から離してみればすぐに判明することだった。でも勇気がない。
「も……、もうっ!」
自分は今、犯罪に加担しているのかもしれない。そう思うと、落ち着かなくなった。しかも段ボールが微妙に重い。いかにも火薬と時限装置がぎっしり詰まっているという感じだった。両手でぶら下げているとすぐに肩にずっしり疲労がのしかかりはじめた。
おじさんはこれを持って動くのは構わないと言った。
とりあえず公園でも見つけて座ろう。そう考えて、歩き出した。
そこそこ広い公園を見つけた。
秋の風に木々がさわさわ音を立て、子供たちの遊ぶ声が響いていた。
私はベンチに腰掛けると、段ボール箱を膝の上に置いた。スズメや名前を知らない小鳥たちがかわいい声で鳴いていて、学校帰りの小学生たちが楽しそうに駆け回っていた。
ここにいればいいよね。
おじさんがこれを取りに帰ってきてくれるまで。
そう思ったけど、おじさんが戻ってくるという保証はなかった。もしかして私にこれを押しつけて、逃げたのかもしれない。
そうすると、これは時間が来たら爆発するということだ。私の体から離しても爆発する。おじさんが嘘をついたのなら、私はもう詰んでいるということか。なんだか現実感がなかった。
「あっ……。警察に届ければいいんだ」
そう呟いたけど、足が動かなかった。GPSがこれに入ってるということは、私がこれを届けに行こうとしているのがおじさんにはわかってしまうことだろう。もし、おじさんが起爆装置を持っているとして、もし、交番の中で爆発させられたら……
「おまわりさんに迷惑かけられないな……」
そう呟くと、私はおじさんが戻ってくるのを待った。
小学生の一人が、私を見つけて寄ってきた。
「お姉ちゃん、何してるの?」
話しかけてきた。まずい! 今、もしこれが爆発したら……
「なんでもねーよ。あっち行け、ガキ!」
私はDQNのフリをして、彼を追っ払おうとした。私の座っているベンチから遊具や広場までら距離がある。そこで遊んでいてくれれば被害が及ぶことはないだろう。
「このお姉ちゃん、おもしろい!」
彼をおもしろがらせてしまった。
「おーい! コウちゃんたちー! このお姉ちゃん、おもしろいよ!」
ワラワラと小学生たちが私の周りに集まってきた。
「来んな! ガキども!」
私は戦場の兵士にでもなった気分で、彼らが地雷を踏むのを恐れて怒鳴った。
「あたしに近寄んな! 噛むぞ! 怖いんだぞ!」
本気じゃないのがバレバレだったらしい。本物のDQNじゃないのもかわいさでバレバレだ。小学生たちはゲラゲラ笑い、私のことをおもしろがった。お笑い芸人に出会ったようにご機嫌だった。
私がひたすら物言わぬ岩になっていると、ようやく私のことを関わってはいけない変な女だとわかってくれたようで、小学生たちは散っていった。やがて日が暮れはじめ、それぞれの家へ帰っていった。
おじさんは戻ってこない。
一人ぽつんと残された公園のベンチで、待ちくたびれて私は寝転んだ。段ボール箱はもちろん体から離さない。枕代わりにして、それの上に頭を乗せた。
コチコチコチコチ……
規則正しいリズムが心を安らかにさせてくれた。
なんだか何もかもがどうでもよくなってきた。どうせ私、近いうちに死ぬんだから、ここで爆発させちゃえば楽かな。そう思った。
巻き込む人がいなくて、一人で吹き飛ぶなら、それでいいような気がした。
でも、怖い。
段ボール箱から頭を離すことが出来なかった。
なんでだろう。私のもう心臓に、爆弾は入ってるのに。
この段ボール箱がが爆発して、体を弾き飛ばされるのが、怖い。爆弾に殺されるぐらいなら、自分の足で屋上から飛び降りたい。そのほうがなんか悔しくない。
自分の命をいいようにされてたまるものか。ちゃんと下に誰もいないことを確かめて、責任を持って自分の命を終わらせたい。そっちのほうが絶対、いい。
そう考えながら、私には何も決めることが出来なかった。ただ、死ぬのなら派手に爆発するんじゃなく、誰にも迷惑をかけずにひっそりと、私を包み込む死神の手にすべてを任せて、胸の爆弾が起動するのを待つのが自分に一番合ってるように思えていた。
いつの間にか眠っていたようだ。
夢の中で、トレンチコートのおじさんが、私を上から覗き込んでいた。
「よく頑張ったね」
おじさんは、言った。
「よく誰も巻き込まずに守り通してくれたね。爆弾は解除してあげるからね」
夢の中で、私は安心して微笑んだ。
よかった。爆弾から体を離さなくて。
おじさんのことも憎んではいなかった。平安な眠りをありがとう。ムニャムニャで、めちゃくちゃな意識の中で、そんな寝言を口に出しそうになった。
「ああ。ついでにこっちの爆弾も解除してあげよう」
おじさんはそう言うと、私の胸に手を触れてきた。
「ギャーーーーッ!?」
派手な叫び声をあげて私は跳ね起きた。
しまった! 爆弾から頭を離してしまった!
そう思ったが、見ると枕代わりにしていた段ボール箱は、そこからなくなっていた。
辺りはもうすっかり暗くなっていて、小鳥たちが眠る前の騒がしいお喋りを木々の中で交わしている。
左胸に……おじさんの手が強く触れたような感触は残ってるけど……
夢だったのだろうか、全部?
私はそう思った。爆弾がなくなって、よかったよかった。とにかくそう思うことにした。が、それが夢ではなかったと語るように、後日、病院で私の胸の中の爆弾も消えていることを知ったのだった。
文化祭は明日だ。
我がクラスのメイド喫茶はオープン前から反響を呼び、前売り券は完売だ。
「優奈の絵、かわいいよね」
クラスメイトがみんな、私の描いたポップを褒めてくれた。
「優奈、優奈自身もかわいいんだから、メイドさんやってくれればよかったのに。たぶん他のクラスの人、優奈がメイドやると思い込んで券買ってくれてるよ?」
私はにっこり答えた。
「もしかしたら迷惑かけるかもって思ってたから辞退してたけど……みんながそう言ってくれるなら、やっちゃおっかな」
「うん! やりなよ! 絶対優奈メイドさん、人気出る出る!」
「お客さんの満足度が上がると思うよー」
「それにしても優奈。なんか明るくなったよね? なんかあったの?」
「あっ!」
私は誤魔化すように、でも本当に、それを感じて声をあげた。
「だめだ……。メイドさんは無理だ。重たい段ボール箱を半日持ち続けたから、肩を痛めてるんだった」
本当だった。あの爆弾の箱をぶら下げておじさんを待っている間、私のか弱い肩は、後を引くほどの筋肉痛になっていたのだ。
それを聞いていた野球部の男子が、傍から言った。
「なになに? ……痛そうだな。シップか、コールドスプレーでも貸そうか?」
「いいよ、そこまでじゃ……痛つっ」
「肩も上がんねーのか、辛れぇなあ」
「こんなの明日になったら治ってるって……痛い!」
「意地っ張りだな。しかしその様子、まるで肩に爆弾を抱えた投手ピッチャーだな」
「ははっ!」
そのつまらない喩えを聞いたら笑いが止まらなくなってしまった。
「はは……! ははははは! はっ! はっ! はっ! あーーー! 可笑しい!」
あのおじさんは何者だったのだろうか。まさか、神様? 私を試して、私が悪い子がどうか、見定めて、合格したから胸の爆弾を解除してくれたのだろうか?
とにかく可笑しくて、可笑しくて、まだまだ生きられることが嬉しくて、涙と笑いがずっと止まらなくなった私を、クラスメイトたちはただぽかんと眺めていた。
(おわり)