07 神殿からの追放3
クリスと今後の生活について話し終えたクローディアは、荷物をまとめるために自室へと戻った。
少ない衣服を畳みながらクローディアは、クリスの善意に胸がいっぱいになっていた。
神殿の外の生活をほとんど知らない彼女のために、クリスはいろいろと考えてくれていたのだ。
彼の領地には、町から少し離れた林の中に狩りを楽しむ際に使用している別荘があるのだとか。
そこの管理を町長に任せているが、管理人の役目をクローディアに譲ってくれることになった。
管理人として働く代わりに、給料を支払う。それで生活には困らないだろうと。
一人で生きていくには住む場所のほかにも、働いて生活費を稼がなければならない。竜神に仕える以外の仕事をしたことがないクローディアにとっては、とても有り難い提案だった。
使用人の手配もしてくれると彼は言ったが、クローディアは一人で暮らしたいと断った。働かせてもらう身で使用人は贅沢だと感じたのもあるが、なにより今のクローディアは初めて得た自由を満喫してみたい気分だった。
何もかも自分一人でしなければならない環境は、毎日が大変で忙しくなるだろう。初めての経験に一喜一憂しながら充実した毎日を送れば、卵のことは忘れられるかもしれない。そう思っていた。
衣服をトランクケースに詰め終えたクローディアは、次に机の引き出しを開けた。中に入っているのは、聖書と紙とペン。
それからクローディアの宝物となっていた、黒竜の細工が施された懐中時計。
「これはもう、必要ないわね……」
懐かしく思いながら、細工を手でなぞったクローディアはそう呟いた。
これは五歳の時に、オリヴァーから初めて贈られたもの。
『この針がここに来たら、ボクに会いにきてください』
『はい! こちらの噴水のまえで、待ち合わせしましょう』
それが、二人が会う際の時間の決め方だった。
今思えば、クローディアはその時間になってから伯爵家を出発していた。クローディアが到着するまで彼は、ずっと待っていたのだろうか。彼女は思い出して笑みを浮かべた。
両親からは、この懐中時計は貴重なものだから大切にしなさいと言われていた。黒竜の細工がほどこされたものをいただけるのは、特別な証だと。
クローディア自身も彼から貰った大切な宝物だったので、神殿入りする際に許可を得て持ち込んだ。
寂しい時は、この懐中時計が慰めになったことも多かったが……。クローディアにはもう必要ない。
彼とはすでに、別々の道を歩んでいる。二人の時間はとうの昔に止まっているのだから。
懐中時計を引き出しの奥へと押し込めたクローディアは、聖書だけを取り出してトランクケースへと詰め込んだ。
他に持っていくものはないだろうかと部屋の中を見回していると、扉をノックする音が。
「はい。どうぞ」
クローディアが返事をすると、部屋に入ってきたのは神殿にいる聖女達だった。現在、この国にはクローディアを含めて六名の聖女がいる。その全員がこの場に集まった。
「筆頭聖女様……。本当に出て行かれるのですか?」
「ええ。私の意思ではないけれど」
「私達だけでは、国を支える自信がありませんわ。どうか、お考え直しくださいませ!」
「教皇聖下のお考えでは、聖女の力によって国を守る仕組みはもう古いそうですわ。これからは、騎士の時代なのだとか」
聖女を輩出した家門に、多額の報奨金を支払う制度が国の財政を圧迫しているのだと、先ほど教皇に愚痴られたばかりだ。
その報奨金を騎士の育成に充てたほうが、効率的で確実に国を守れると。
「ひどいですわ! 私達が毎日、どれだけ神聖力を削ってお祈りしているのかも知らないくせに!」
神聖力とは、魔術師が使う魔力のようなもので、竜神へ祈りを届けるためには神聖力を多く必要とする。
傍から見れば、祈るだけの楽な仕事に見えるだろうが、疲労度は肉体労働者と変わらない。祈りの内容によっては、それ以上の場合もある。だからこそ聖女は、祈る以外の労働は強制されないのだ。
「仕方ないですわ。聖女の苦労は、聖女にしかわからないですもの」
納得がいっていない様子の聖女達に、クローディアはにこりと微笑みながら続けた。
「それより、筆頭聖女としての最後の役目を果たさせてくださいませ。マリー、次の筆頭聖女はあなたにお願いします」
クローディアが筆頭聖女の証である装身具を身体から外し始めると、マリー不安そうに両手を組み合わせた。
「私に筆頭聖女が務まるとは思えません……」
「あなたは六年間、私と一緒に筆頭聖女について学んできましたわ。マリーならきっと、立派に役目を果たせます」
クローディアが十二歳で筆頭聖女となった際に、一緒に補佐として任命されたのがマリーだ。
本来なら年長であるマリーが筆頭聖女を務める番であったが、前教皇は力の強いクローディアにその役目を任せ、幼い彼女と一緒に学ぶ者が必要だとマリーを補佐につけたのだ。
マリーは聖女の力が発現した際に、恋人から婚約破棄されていた。結婚適齢期を過ぎ、聖女を引退してからでなければ結婚できないマリーを、恋人は鬱陶しく思ったようだ。
存在自体を否定されて自信喪失していたマリーと、幼いクローディアを一緒に学ばせることで、前教皇は相乗効果を狙った。
教皇の狙いどおり、クローディアとマリーは二人で協力して筆頭聖女としての役目を学び、筆頭聖女としての経験を積んできた。
儀式などで人前に出たのはクローディアだが、マリーも同じことができる。彼女自身はまだ自信がないようだが、クローディアが安心して任せられるのは彼女だけだ。
「マリーならきっと、私より上手く立ち回れますわ。怖いと思う時は目を閉じて、私の後ろにいると思ってください」
マリーに装身具をつけさせながら元気づけるようにそう述べると、マリーの瞳は潤み始めた。
「いつまでも年少のクローディア様に頼ってはいられませんね。……ありがとうございます。そのお言葉で勇気が湧きました」
決心がついたような表情を浮かべるマリーを、クローディアはぎゅっと抱きしめた。
クリスはいつもクローディアを庇護する存在であったが、マリーは共に戦う戦友のような関係だった。苦楽を共にし、二人で困難を乗り越えることで一緒に成長してきた。お互いに一人前の聖女となれたので、これからはそれぞれの道を歩む時が来たのだ。
本当ならもっと良い形で筆頭聖女を譲りたかったが、こればかりはクローディアにはどうすることもできない。神殿で唯一、聖女よりも地位が上なのが教皇。その教皇に追放を言い渡されたのだから、逆らえるはずがない。
最後に皆で、クリスからもらったクッキーを食べながら、思い出話に花を咲かせつつ別れを惜しみ合った。
彼女達は、クローディアがいなくなると美味しいお菓子も食べられなくなると、冗談交じりに嘆く。管理人の仕事で最初に得たお給料は、彼女達への差し入れにしようと、クローディアは心に決めた。