33 日常の中で6
カバンの中は、まるで鳥の巣のようだった。
タオルが何枚も敷き詰められており、卵を大切そうに保護している。
彼が片時も離さずに持ち歩いていたのは、卵が入っていたからだったようだ。
卵は天から授けられた時と同じく、淡いピンクのままだ。
竜の卵は両親が温めることで、徐々に色が濃くなっていくはずだが。
(どうしてなの……)
卵が授けられてから、すでにかなりの期間が経過している。本来ならもっと濃い色になっているはずだ。
確認のため卵に触れてみると、しっかりと温かみがある。少なくとも、オリヴァーからの愛情は受けられているようだ。
(ヒロインが、温めることを放棄したのかしら……)
そうなってしまうカップルもいる。理由はさまざまだが、番ではなかったとどちらかが悟った時に、そうなってしまう場合が多い。
ゲームでは、攻略対象の好感度がMAXになった時に「番だ」と告白される。
二人の好感度がどうなっているかまでは、クローディアにはわからない。けれど、あのような儀式だったので、ヒロインが自分の卵だと思えない可能性もある。
(かわいそうな卵……)
片親からしか愛情を受けられない卵は、孵化できない。
片親が愛情を注ぐ限りは、卵の中で生きながらえることはできるが。その愛情も、長くは続かない場合がほとんどだ。
聖女だった者としてクローディアは、卵が心配でならない。せめて祈りを捧げたい。カバンから取り出して、卵を両腕で抱きしめた。
クローディアの身体に、儀式の時のあの感覚が蘇ってくる。
幸せで愛おしい、あの感覚が。
お風呂から上がって着替えを済ませたオリヴァーは、髪をタオルで拭きながら居間へとやってきた。
「ディア、お風呂ありが……」
彼女に話しかけながら暖炉の前の光景を目にして、彼はタオルをぱさりと床に落とす。
それは彼がずっと願っていた光景だった。
幸せそうに卵を抱く、愛おしいクローディアの姿。
「ディア!」
オリヴァーに名前を呼ばれて、クローディアはびくりと目を開けた。彼は血相変えてクローディアの横に座り込む。
(私は、なんてことをしてしまったのかしら……)
他人の卵を許可なく抱くなど、非常識にもほどがある。
自分のしでかしてしまったことの重大さに気が付き、身体が震えてくる。
「あの……。オリヴァー様の大切な卵を、勝手に申し訳ありません……!」
「大丈夫です。そのまま抱いてあげてください」
「いけませんわ……。私なんかが……」
これは彼とヒロインの卵だ。ただでさえ、ヒロインからの愛情を受けられていない様子なのに、他人が抱いて悪影響があってはいけない。
「ディア、落ち着いてください。卵をよく見てください」
彼に言われるままに下を向いたクローディアは、驚きで息が止まりそうになる。
「色が濃く……」
先ほどまでは確かに薄いピンクだった卵が、確実に色味が増していた。
その意味を、聖女だったクローディアはよく理解している。
「これは俺達の卵です。ディアと俺に授けられた卵だったんです」
「そんなことって……」
儀式の状況だけ見れば確かに、クローディアの元に卵は授けられた。けれどあの儀式は、オリヴァーとヒロインのために開かれたもの。
「ディアも儀式の際に、俺のことを思い浮かべてくれたのですよね?」
「私はその……。オリヴァー様があのような儀式をなさるのが心配で、悲しかったのです。お二人の邪魔をするつもりでは……」
その気持ちが強すぎたために、ヒロインがオリヴァーを想う気持ちを越えてしまったのか。
けれど、卵が授けられたということは、オリヴァーもクローディアのことを想っていたことになる。
(オリヴァー様が私のことを……?)
それを確かめたくて、クローディアは口を開きかける。
しかしオリヴァーは、急に力を無くしたようにうなだれ、「心配……」と呟いた。
「どのような手違いであろうとも、俺達の間に卵が授けられたのは事実です。孵化させるためにディアを連れ帰ります」
彼は、申し訳なさそうに顔を歪めると「すみません……。これから一生、ディアを自由にはしてあげられません」と呟く。
彼の仕事とは、クローディアを捕えることだったようだ。
(私はきっと、罰を受けるのね……)
筆頭聖女であるクローディアが、よりによって王太子との卵を授かってしまった。この責任は、追放だけで済まされるものではなかったのだ。
卵を孵化させた後は、良くて幽閉、悪くて牢屋。「一生自由にできない」とは、おそらくそういう意味だ。
「卵が孵化する前に、いろいろと準備しなければなりません。すぐにでも首都へ戻りましょう」
少ない荷物をトランクケースに詰め込むのは、これで二度目だ。あの時よりも、少しだけクローディアの荷物は増えた。
お祭りで着たドレスと、お菓子の作り方の本、星のクッキー用金型。これから先、これらを使う機会はないかもしれないが、クローディアにとっては思い出なのでトランクケースに詰め込む。
それから手鏡は、良い思い出がないので置いて行く。彼をつきまといだと思い、ひどいことを言ってしまった。本当は捕らえるための監視だったというのに。
「お待たせしました、オリヴァー様」
トランクケースを玄関へと運ぶと、彼は卵が入ったカバンを肩にかけて待っていた。
彼は、クローディアの手から無言でトランクケースを受け取る。彼はもう、疲れているように見える。
「あの……。卵は私が持っても良いですか?」
彼に全て持ってもらうのは申し訳ない気持ちもあるが、卵をこの手に抱いていたいという気持ちが強い。
オリヴァーは少しだけ笑みを浮かべると「どうぞ」とカバンを渡してくれた。
クローディアはそのカバンを、斜めがけにして卵を抱え込んだ。卵の親はよく、このようにして卵を持ち歩いている。
こうしてみると卵の親になれたのだと、少し実感が湧いてきた。





