02 竜の卵を授かる儀式1
クリスに抱き上げられて、部屋へと運ばれたクローディア。
目を覚ますと、クリスが心配そうに彼女の顔を覗き込んでいた。
腰まで伸びている艶やかな白髪を後ろで緩く束ねている彼は、年老いているわけではない。今年で二十八歳になる。普段は人間と同じような姿をしているが、彼は白竜に変化することができるのだ。
竜人族の特徴である頭の両サイドから生えている角はダークブルー。切れ長の瞳も同じ色をしており、今は不安げに揺らめいて見える。
「クローディア様。大丈夫ですか?」
「あ……。私、倒れてしまったのかしら……。大切なお祈りの最中に、ご迷惑をおかけしましたわ」
クローディアは急いで起き上がろうとしたが、それを静止させるようにクリスに肩を押さえられ、再び寝かされる。
「急に起き上がってはいけませんよ」
「けれど……、まだ朝のお勤めが残っておりますわ」
「今日くらいお休みになっても、竜神様はお怒りになりませんから。安静になさってください」
まるで小さな子供でもあやすように、彼はクローディアの頭をなでる。彼はいつもこうだ。クローディアはおかしくて、クスクスと笑い出した。
「私はもう、十八歳ですよ。自分の体調くらい、自分で判断できます」
クローディアは五歳で聖女の力が発現してしまったので、幼くして両親の元を離れこの神殿で暮らしてきた。聖女の力は強いほど早い年齢で発現すると言われており、五歳という年齢は稀に見る速さだった。
それゆえクローディアは、神殿でも丁重に扱われて世話役も付けてもらえたが、家族と会えない寂しさは抱えたままだった。
そんな時に出会ったのが、当時はまだ見習い神官だったクリス。神殿の中で一番歳が近いのが十五歳だった彼で、当時の教皇が二人を引き合わせてくれたのだ。
小さな子が一人で神殿で暮らすことを不憫に思ったクリスは、それ以来クローディアを妹のように可愛がってきた。
「そうでしたね。私の中では、いつまでも『小さくて可愛いディア』なもので……」
思い出したように照れたクリスは、改めてクローディアの背中に腕を差し入れてゆっくりと起こしてくれた。
「ありがとうございます」
「それにしても、ディアが倒れるなんて初めてですよ。本当にどうしたのですか?」
この部屋に二人だけのせいか、彼はお兄ちゃんモードに入ったようだ。クローディアの横に腰を下ろしながら、心配そうに顔を覗き込んだ。そして彼女の額に手をあてながら、「熱は無いな」と呟く。
(こんなに心配してくれているもの。やっぱり彼には、神託を話せないわ……)
「昨日は、夜遅くまでお祈りしていたので、寝不足だったのかもしれません」
当たり障りのない返事をすると、彼は困ったように微笑む。
「熱心なのは筆頭聖女として結構ですが、ご自分の体調も気にしてくださいね。もう、十八歳なのですから」
先ほどの言葉をそのまま返されては、クローディアも反論の余地がない。「気を付けます」と反省の意思を見せると、彼は納得したように彼女の頭をなでてから立ち上がった。
「そういえば。本日の『卵を授かる儀式』は、中止にいたしましょうか?」
さらっと中止を口にする彼に、クローディアは瞳をぱちくりさせた。
卵を授かる儀式は、竜人族のカップルにとっては結婚式に次ぐ大切な行事。何か月も前から予定を組み、愛し合う二人は卵を無事に授かれるよう毎日、竜神に祈りを捧げるのだ。
二人にとって大切な日を、聖女の体調不良で簡単に中止にはできない。それを知りながらも、中止を提案するクリスは本当に甘すぎる。
「十八歳を、甘く見ないでくださいませ。筆頭聖女として、立派に務めを果たしますわ」
それからクリスは、クローディアの朝食を部屋へ運ばせるよう、見習い神官に指示を出した。
あまり特別扱いされると、他の聖女達に示しが付かない。クローディアは食堂へ行くと立ち上がろうとしたが、見習い神官まで一緒になってクローディアを止めるではないか。仕方なくクローディアは、部屋で食事させてもらうことにした。
神殿での食事は慎ましい。特に現在の教皇になってからは、慎ましさが増している。朝食はもっぱら、パンと野菜スープだけだ。
伯爵家にいた頃の食事はもっと豪華だった気がするが、今となってはよく思い出せない。
「何度進言しても、聖女の食事は変わりませんね……」
運ばれてきた食事を見たクリスは、疲れたようにため息をついた。聖女と神官は食堂が別なのでクローディアはよく知らないが、聖女の食事は特にひどいらしい。教皇曰く、聖女は祈るだけなので神官よりもお腹が減らないそうだ。
せめて栄養のバランスを考えてほしいと、クリスは教皇に進言しているそうだが、これまで食事が改善されたことはない。
クリスは「すぐ戻ります」と言ってクローディアの部屋から出て行くと、少しして息を切らせながら戻ってきた。
「家からの差し入れなのですが、お召し上がりください」
差し出されたのは、クッキーの缶。クリスが蓋を開けて見せると、中には色とりどりの美味しそうなクッキーが、ぎっしりと詰まっていた。
「いけませんわクリス枢機卿。先日もお菓子をいただいたばかりですのに……」
彼はいつも理由を付けては、クローディアにお菓子などを分け与えてくれる。けれど聖職者は過度な贅沢を禁止されているし、他の聖女達の手前、クローディアばかり優遇されるわけにもいかない。
「もう少しお食べにならないと、また倒れてしまいますよ」
「そうですよ! 差し入れは受け取って良いルールです!」
クリスと見習い神官が、そろってクローディアを心配そうに見つめる。受け取らなければ一日中、二人を心配させることになりそうだ。
「……いつもありがとうございます。クリス枢機卿。良ければ、三人でいただきませんか?」
クローディアがそう提案すると、二人は付き合うようにクッキーを一枚ずつ手に取る。そして三人で同時に、ぱくりと口へと運んだ。
「美味しいですわ……」
「本当に。さすが公爵家の差し入れです!」
「これくらい、いつでもお持ちしますよ」
朝からこのような贅沢をしても良いのだろうか。神託も公表できずにいるクローディアは、いけないことばかりしている気分になる。
けれど二人は、もっと食べなければ力が出ないからと、クローディアにクッキーを勧めてきた。
二人を心配させないように、もう一枚食べたクローディアは、おずおずとクリスを見つめた。
「あの……。残りは聖女達と食べても良いですか? とても美味しいので、皆さんにもお分けしたくて」
「構いませんよ。クローディア様のお好きになさってください」
クリスとしては、クローディアの腹を満たしたくて渡したのだが、彼女はいつも他の聖女達を気にかける優しい性格だ。だからこそクリスは、クローディアばかり損をしていないか心配になり、世話を焼いてしまうのかもしれない。
食後。クリスにお礼を言って見送ったクローディアは、儀式の準備に取りかかる。見習い神官に儀式用の衣装を用意してもらい、自分は髪の毛を整えるために鏡の前と立った。
クローディアは鏡に映った自分の姿を、改めてまじまじと見つめる。
ピンクブラウンの髪の毛は、ゆるく波打ちながら腰まで伸びており、瞳は翡翠色。脇役なので、顔立ちは残念ながら絶世の美女ではないし、慎ましい食生活のため発育もあまりよくないので小柄だ。
強いていえば、竜の卵を授かる儀式をおこなうキャラなので、慈愛に満ちた優しい雰囲気がある。
そして竜人族の特徴である、頭の両サイドから生えている角。クローディアの角は、髪の毛から少し飛び出た程度の長さしかない。これは、竜の血の濃さに比例しており、今ではほとんどの竜人族がクローディアと同じ程度の長さだ。
竜に変化できるほど竜の血を色濃く受け継いでいるのは、ほんの一握りの貴族と王族だけ。クリスも竜の血を濃く受け継いだ一人なので、立派な角が生えている。
ちなみにクリス同様『竜たま』の攻略対象は全員、竜の姿に変化することができるようだ。
「――様。筆頭聖女様。お急ぎになりませんと、儀式に遅れてしまいます」
ぼーっと鏡を覗いていたクローディアは、見習い神官に声をかけられて慌てて我に返る。今は悠長に神託について考えている暇はないようだ。
急いで身支度を整えたクローディアは、再び儀式場へと足を運んだ。