11 聖竜城での動き2
会議が終了して廊下へと出たクリスは、枢機卿の召集よりも先にしなければならないことがあった。
部屋へと戻ろうとしているオリヴァーの後を追い、辺りに人がいなくなったところで彼を呼び止めた。
「王太子殿下。お呼び止めして申し訳ございませんが、少しだけお時間をいただけますでしょうか」
「はい。何かご用ですか?」
黒竜の仮面に似合わず物腰柔らかな口調で、オリヴァーは振り返った。彼は王太子であるが、常に誰に対しても敬語を使い、威圧的な態度を取る姿などクリスは一度も見たことがない。
その人当たりの良さから彼を慕う者も多いが、逆に黒竜の威厳に欠けると非難する者もいる。
同じく竜に変化することのできるクリスとしては、彼がこのような性格なのも理解できた。
竜に変化できる者は尊敬される場合も多いが、恐れられることも多いからだ。クリスの性格が穏やかなのも、同じ理由だと言えよう。
それゆえにクリスは、一方的にオリヴァーに対して親近感を覚えていた。
だからこそ、このような余計な事をしてしまうのかもしれない。
クリスはそう思いながら、ポケットに手を入れた。
「殿下に、お渡ししたいものがございます」
ポケットから取り出した懐中時計を差し出すと、オリヴァーは身体をぴくりと震わせた。
「なぜクリス枢機卿が、これを持っているのですか……」
「こちらは、筆頭聖女様が置いて行かれたものでございます。黒竜の彫刻が施されておりましたので、殿下とご関係があるかと思いまして」
「……確かにこれは、俺がクローディア嬢に差し上げたものです」
懐中時計を受け取ったオリヴァーは、大切そうにそれを両手で包み込んだ。
彼にも何かしらの感情があるのだと判断したクリスは、「ご無礼をお許しください」と先に断ってから、少しきつめの表情で彼を見つめる。
「差し出がましいですが、今回の件は殿下にも責任がおありなのではございませんか?」
「……それは、どのような意味ですか」
「儀式の際に、殿下がどなたを想っておられたのか。それが全ての答えかと」
オリヴァーはしばし懐中時計を見つめると、ぎゅっとそれを握りしめた。表情が見えないのでどのような感情があるのかは、図りきれない。
けれど、儀式の際にオリヴァーが思い浮かべていたのは、ベアトリスでない。クリスにもそれくらいの察しはつく行動だった。
「失礼します……」
オリヴァーはその質問に答えることはなく、足早にその場を去った。
オリヴァーは信じられない気持ちを抱えながらも、その足でベアトリスの元へと向かった。
いつかクローディアに使ってもらいたいと思っていた王太子妃室は、今はベアトリスが占拠している。
ノックもせずに扉を開けると、ベッドの上で卵を温めていたベアトリスが驚いたようにオリヴァーを見つめた。
けれどその表情はすぐ、微笑みに変わる。
「オリヴァー殿下、やっと来てくださったのですね」
「卵の様子はいかがですか?」
なぜだろう。彼女が卵を抱えている姿を見ると、無性にイライラする。
オリヴァーはそのいら立ちの原因がわからないまま、ベアトリスの近くへと寄った。
彼女は、オリヴァーの質問に一瞬だけ顔を曇らせる。
「……卵は二人で温めなければいけないそうですわ。ですから早く、オリヴァー殿下もこちらへ」
ベッドに入るよう誘われ、オリヴァーはさらに気分が悪化した。二人で卵を温めるところを想像しただけで、怒りが満ちあふれてくる。
「令嬢もお疲れでしょう。今日は俺が温めますので、どうぞご休憩ください」
「まぁ! お優しいですわね。それではよろしくお願いいたしますわ」
ベアトリスから卵を受ける取ると、先ほどまでのいら立ちや怒りが一瞬で消え去るほど、安心した気持ちで満たされる。
自分はこの卵の親なのだ。
卵を抱いただけでそのことを確信できるほどに、オリヴァーは卵を愛おしく思う。
「卵を温めるのも疲れますのよ。気晴らしにショッピングへ行ってまいりますわ!」
呼び鈴を鳴らしたベアトリスは、侍女達に出かける準備を始めさせる。オリヴァーに卵を渡したので、もう関係ないような雰囲気だ。
オリヴァーとしても、もう彼女に用はない。ベアトリスに見送られることもなく、静かに部屋から退室した。
自室へと戻り、ベッドの上で卵を温め始めたオリヴァーは、すぐに卵がほんわか温かみを増したことに気がついた。
まるでこの世の幸福を、全てかき集めて抱きかかえているような気分。
まどろむように卵の温かさを感じていたオリヴァーだが、次第に物足りなさを感じてくる。
ベアトリスが言ったように、卵は二人で温めるもの。けれどあの時、彼女と一緒に卵を温める気にはなれなかった。
オリヴァーの心には、常に一人の女性しかいない。
彼女を思い出しながら、懐に入れていた懐中時計を取り出した。
「ディア……。なぜこれを置いて行ったのですか……」
クローディアが、この懐中時計を所持しているということだけが、オリヴァーにとって唯一心の支えだった。
いつかこの懐中時計を懐かしんで、自分の元を訪れてくれると願っていた。
毎日のように、クローディアと約束をしていた時間に飛行するのも、彼女が乗った馬車を見つけたかったからだ。
今日はついに、馬車に乗り込むクローディアを目にすることができたが、彼女は聖竜城へは来てくれなかった。しかも、この懐中時計は置き去りにされ、彼女は首都から離れてしまった。
彼女にとってはオリヴァーもこの懐中時計も、とっくの昔に忘れた存在だったのかもしれない。
自分だけがいつまでも、過去の関係に執着している。
クリスはあのような疑念をぶつけてきたが、それが事実だとはどうしても思えなかった。
確かに儀式の際は、久しぶりにクローディアの顔を見られたので嬉しく思っていた。
それどころかオリヴァーは、儀式の相手がクローディアなら良かったと悔やんでいたほど。
卵がクローディアのもとに降ってきた際は少し期待してしまったが、結局クローディアは卵を手放した。
あの時オリヴァーは、卵の親がクローディアかもしれないと主張したかったが、筆頭聖女である彼女に傷をつけるような真似はできなかった。
自分の一方的な感情で、彼女の輝かしい人生を台無しにしてはいけない。オリヴァーはこれまでずっと自分にそう言い聞かせて、我慢をしてきた。
「ディアに会いたい……」
オリヴァーは卵を抱きしめながら、もう何万回は口にしたであろう言葉を吐き出した。





