最終戦争と追憶のコーニッシュ
いよいよボッツとフールの最終戦争です。公園で繰り広げられるボッツの「賢者」とフールの「愚者」…猫神様の力を分けて持った二匹の最後の戦いを書きました。迫力がでたらいいのですが…
毎週金曜日投稿、全10回の第9話です。よろしければ、ぜひ!
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例によって私たちのねぐら、大工さんの裏の工場で反省会だ。前回と違って、私がガンツにブーブー言っている。
「あのね、父さん。何であんな無茶するのよ!」
ガンツが窓ガラスに体当たりした件だ。
「ガラスはルノーの石つぶてとレオのパンチで割れかけてたじゃないの」
「お、お前がいればだいたいのケガは大丈夫だろって思ってな」
さすがに私の剣幕にガンツの声は小さい。
「うまくいくとは限らないって言ったのは父さんじゃないの」
そう、あの時私のシッポ『愚者』も結構ギリギリだったのだ。何匹かの猫に癒やしをかけたのと、センター中の犬猫を眠らせたことで随分とエネルギーを使い果たしたらしい。
外へ出て血だらけになっているガンツを死に物狂いで治し、その後の逃走はフラフラだった。
結局ガンツとポンタに交互に背負ってもらって何とか逃げ延びたのだ。
場所は街の北部、完全に家猫の縄張りで、しかもボッツのお膝元のような地域だ。あの状態でボッツの親衛隊にでも出会ったら大変だっただろう。
さて、このねぐらにはもともとガンツ一匹で住んでいたところに拾われた私が住みつき、公園や森の縄張り争いで敗れてからはポンタとセージが加わった。
そしてさらに今では野良猫になったレオとダビまで居候している。
チラリと様子を見た大工さんはさすがに驚いた様子だった。いつの間にか猫が6匹になっているのだ。そりゃ驚く。
レオが大きな身体を小さくする。
「悪いなあ。ミケが自分のところへ来ればっていうけど、さすがに俺のメンツがなあ…」
今さらメンツと言わないで、サッサとミケの世話になればいいと思うのだけれど、こういう面倒くさいとこが「男猫一匹」だね。だけどレオはまだいいんだ。元々半分野良みたいなもので、エサはだいたい自分で調達している。問題はダビの方だ。こいつはまるで働かないし、自給能力に欠けた奴なのだ。
「ダビ、あんたも少しはエサを漁りに行きなさいよ!」
私が言うと途端に心細い顔になって、半べそをかく。
「俺、キャットフードでないと食べられないんだよお」
まあ、ポンタがすでに「これもキャットフードだ」とか大嘘言って残飯食べさせてるから、時間の問題で何でも食べるようになるとは思うけどね。
「俺は隣町のボンゴのとこへ行くことにした。世話になったな」
翌々日にレオは突然そう言って出て行った。ボンゴの名前は聞き覚えがある。ミケと蕗の家に行った時に聞いた隣町のボスの名だ。
「レオ、また縁があったら会おうぜ」
ガンツが少しだけ名残惜しそうに言う。家猫にずいぶん気を許したものだ。
「ああ、だがそう先じゃねえな。お宅の姫様がボッツと対決するときには加勢に行くよ」
ガンツが顔色を変える。
「何だ。どいつもこいつもフールとボッツを戦わせようとしやがる。俺の娘だぞ」
「わかった、わかった。だけど…避けられんだろうな」
そう言って後ろ姿で手を振りながらレオは出て行った。さすらいの風来坊猫といった風情でかっこいい。
「で、ダビ」
ポンタが早くも野良猫の残飯に慣れ、私たちの集めたエサをバクバク食べている後方のダビを振り返る。ダビがビクッと身体を震わせて卑屈にニヤニヤ笑う。
「そう言うなって。俺ってけっこう役に立つからさ」
ポンタが呆れ笑いをする。
「まだ何も言ってねえよ」
セージとポンタも近くの酒屋の裏側に新しいねぐらを見つけているので、近日中に引っ越すらしい。
…次の懸案はやっぱりボッツだよね。もうじきこの街の野良猫はボッツが追い出すか、滅ぼす。家猫もどうなるか。その次は余所の街の野良猫か、あるいは人間に害をなすかもしれない。
ただ私が気になるのは、この間ボッツと相対したときの彼の感情だ。
ボッツの心は「助けて」という叫びと「すべて滅ぼす」という怒りの両方だった。一部の家猫の熱狂的な崇拝を集めたボッツが自分の力を持て余し、暴走しかけているとしたら。
「助けて」というのはもはや自分の意思で止められない力への恐れではないのか。
そして怒りはもはや野良猫や家猫すべてを越えて、人間にも向けられているように感じた。
勝手に飼い、捨て、また繁殖させ、そして殺す…猫の人間に対するすべての恨みを一身に背負ってボッツが動き始めたら…考えたくないことが起こる気がする。
私のいやな予感は最近だいたい当たる。しかも悪い方向で。
42
ダビが久しぶりに公園に出かけるという。どうやら兄貴分のルノーに呼び出されたらしい。
私やポンタも南の森の戦い以来、公園には近づかない。というかほぼ自分たちのねぐら近辺ですべてを済ませている。日中は大通りならまだ人間の目があって安全だろうが、夜は危なくて外出できない状況だ。
というわけで街の猫情報が少ない。セージが独自の野良および家猫ルートで持ちこむ情報だけだ。
それによればルノーやミケはボッツとは距離を取っている状態だという。完全に反旗を翻したというわけではないにしろ、だいたい家に籠もっており家猫の集会も欠席しているらしい。
「4つ後の夜は月がない、とルノーさんが言ってました」
帰ってきたダビが短い指を曲げながら、私に直接言った。
「何度言ったらわかるんだ。フールを巻き込むな」
ガンツが血相を変える。
居候の身のダビはビクッと身を震わせたが、伝言を頼まれただけだろうから気の毒だ。
「父さん。心配してくれてありがたいけど、この前ボッツと向き合ってわかったことがあるんだ」
珍しく私は真剣だ。
「むう」
ガンツも以前のようには頭から否定することはない。ガンツなりに私とボッツの因縁めいたものを感じ取っているのだろう。
「ボッツはもうすぐこの街の猫を全部根絶やしにしようとするよ。その後は余所の街の猫か、もしかしたら人間かもしれない。そうしたらホントにこの付近の猫すべてが居場所を失うと思う」
私はこの前から感じ取っていたことを説明する。
「…ボッツを止めるっていうことは、つまりどういうことなんだ」
ガンツが難しい顔をしている。
そうなんだ。そこが問題だ。いや、私は実は少しだけ判りかけている。怖くてそこから目をそらしていると言ってもいい。
…でも仕方ないかな。これは私しかできないことだ。
「ダビ、頼みがあるんだ。」
ダビが目を瞬かせて言う。
「俺、たぶんわかってます、姫様。ボッツを公園に呼び出すんですね」
もうルノーやミケの間では計画表が出来てるんだね。
私はため息をついて、それからダビに肯定の意味で頷いた。
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「だから、そこに猫神様がいることが必要なの。何とかあの娘、隣町のあのニンゲンの女の子、わかる?」
私はミケと作戦会議中だ。
次の新月の夜に公園には役者が揃うことが肝心だ。蕗というより猫神様にいてもらわなくちゃいけない。ただこの間聞いたとおり、今の猫神様の力はお告げをするのさえ厳しいほど弱まっている。何とかここまで来て欲しいんだけど。
「でも、フーちゃん姫。どうやったら…?」
「ランちゃんは近くにいれば猫神様と会話できるんじゃないかな。多分だけど」
あの時は私が猫神様に召されていくのを傍観するだけだったミケだが、今回は何とか私の作戦を伝えてもらえればありがたい。
私とボッツの「愚者」「賢者」の力は互角か、どっちかって言えば当夜に限れば私の方に分があると思う。ただし身体能力は段違いだ。ただただ体力で押し込まれたら瞬殺だろう。
うーん、作戦が必要だなあ。決戦までに猫神様に聞きたいこともある。教えてくれればだけれど。
後は…私が覚悟できるかだ。
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「さあ、聞かせてもらおうか。ボッツと向かい合って、それでどうするつもりだ」
ガンツが例によってしかめ面で言った。
私が明後日の新月の夜、いよいよボッツと相対する予定と聞いて心配したポンタやセージ、居候のダビや何故かホクサイも参加して作戦会議だ。というか、雰囲気は私の審問会のようになっている。
ちなみにホクサイはよほど私やガンツのねぐらが気に入ったのか、頻繁にここに来るようになった。あるいはホクサイなりに私に情報をもたらそうとしているのかもしれない。ボッツの近況はもちろん、その親衛隊、特にあの縮れ毛の猫…モネといっただろうか、ラムキンの動向を知らせてくれる。
それによればモネは私を執拗に狙っている。今一番注意しなくてはいけないのがモネだとホクサイは言った。
あと、これは今の私たちには直接関係ないけれど…飼い主の坪井市長が倒れたらしい。病状はホクサイではどうにもわからないけれど、街の猫の味方になりそうな人だけにちょっと心配だ。それから健三君のお父さんでもあるしね。
さて、私の作戦…といっても結構大雑把だ。要するに私の「愚者」とボッツの「賢者」、これは相反する力だけれど、反面引かれ合うという磁石のような性質があると思う。事実私とボッツはこの間の森で相対した時、お互いが通じ合うような感覚を持った。これはボッツも同様だったはずだ。
だからボッツに全力で「愚者」の力を浴びせる。ただし(治れ)や(眠れ)ではなく、(ひとつになれ)だ。後はボッツが「賢者」の力でそれに応じてくれれば相殺されて…その後はわからない。ひとつになってしまえば、ボッツにも私にも到底手に負えるような力ではなくなる。
ボッツは「助けて」と言った。たぶんもう身体が耐えられなくなるくらいなんだ。私が結構平気なのは要するに中身が本当は猫でないせいに違いない。
後は猫神様に聞かないとわからない。
まあ、猫神様がその決闘の場にいれば、ひとつになった力を何とかどうにかこうにか…してくれるんじゃないかな。この辺はまったく大雑把だけど。
その後ボッツと私がどうなるのかは…これもわからない。
私はガンツとポンタ、セージ、ホクサイ、ダビにこの力の流れについて説明する。ただし私とボッツの力が統一されたら身体は耐えられないだろうことや、その後私たちがどうなるかも不明だということは言わなかった。言ったら全員が全力で止めるだろうからね。
しかしポンタはそういうところ敏感だ。たぶん私の顔から変な覚悟を感じ取ったのだろう。
「でも、フール。それでその後お前はどうなるんだよ。お前は無事に済むのか?」
「実を言うと絶対大丈夫!とは言えないけれど、今までも力を使い切ったら眠るだけだったし、ダイジョウブダトオモウヨ」
私の言葉に心がこもっていないとき、何とはなしに棒読みになる癖をすでに全員が知っている。
「…全然、不安でしかないですね、フーちゃん」
セージの声にみんな頷く。
こんな調子でいまひとつフワフワしていてつかみどころのない私中心の作戦会議は進んでいった。
要するに私がボッツに無事たどり着くようにみんなで守ってね、という作戦だ。面目ない。
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いよいよ今夜は新月の夜、小学校のチャイムが鳴る。
夕焼けに染まるねぐらの外に出ると、そこにはミケがいた。
「フールよ。いよいよだな」
あれ?誰だ、これ。
「…猫神様?」
「うむ。ワシの最後の力を振り絞った。妖猫ミケランジェロの身体を依り代としてここまで移動してきたのじゃ」
「じゃあ、猫神様…」
私はねぐらの前、私と猫神様しかいない場でひとまず自分の考えを猫神様に話した。
「ふうむ、大筋では正しいが一部間違っておる。よく聞け、フール」
そして月のない夜が来る。
「おい、フール。ホントに行くのか?」
ポンタがやはり心配そうだ。
私だって出来ることなら行きたくないよね。魔王と対決だなんて荷が重いよ。
「危なくなったら全力で逃げるよ」
「お前の全速力に追いつけない猫はいないよ、フール」
「ポンちゃんが背負って逃げてくれるから大丈夫」
私は無理に笑顔を作ってみた。
ガンツは今の今まで反対していた。
「ふう…。いいか、フール。危ないと思ったら、街の猫の運命なんてどうでもいいから逃げるんだ。俺やセージが周りにいる。とっとと下がって俺に替われ。いいな」
ガンツの「街の猫の運命なんてどうでも」のところで、隣で聞いていた猫神様がピクリと身体を動かした。もちろんガンツにはこれがあなたの尊崇する猫神様です、というのは言ってない。
私はガンツの言葉に黙って頷いた。そんな猶予を与えてくれる相手だったらいいんだけど。
新月夜は私の夜だ。メチャメチャ調子がいい。今夜だったらちょっとやそっとの相手に負けたりしない…とは思う。でもボッツだって「苦手が太陽」だってんだから、夜の調子が悪いはずないんだよね。
私とポンタ、ガンツとミケ(猫神様)がそろってねぐらを出発した。
ねぐらを出るとセージとレオが待っていた。
「フーちゃん、無理は禁物ですよ」
「姫様、助太刀に来たぜ」
セージは何か秘密兵器を、レオは腕っ節で助けてくれようとしている。なかなか頼りがいがある。
道々、野良猫たちがどんどん合流してくる。この街の猫の命運を掛けた戦いだということがわかっているようだ。臆病者のダビも緊張を隠せない顔で群れに加わった。
「あのさ、ダビ」
「自分より緊張している者の様子を見ていると自分の緊張は解けていく」の方式は本当だった。私は見たことのないキリッとした顔がおかしくて話しかける。
「なんスか。姫様」
「前に毛並みが汚いとか言ってごめんね。ダビは綺麗なキャリコのコーニッシュレックスだね」
「…こ、こーにっしゅですか。意味はわかりませんが、何かあざす。今日は死ぬ気で戦います」
ダビが口をキュッと結んで私を見た。
いよいよ公園の入り口、私は正面から堂々と入っていった。これは私とボッツの果たし合いなのだ。逃げも隠れもしないよ。何だか少し開き直ることができたようだ。私は顔を上げた。
「ポンタ、ガンツ、よく聞いて。今夜は私とボッツ、どちらがお互いのシッポをつかむかっていう勝負なの。でもボッツのシッポ、私以外が触ったら、ただじゃ済まないから、絶対つかんじゃ駄目だよ」
ガンツとポンタが聞いてないぞという顔を見合わせる。
「…」
「ポンタ、これはフリじゃないからね」
「…わかってるよ。バカじゃねえの」
ポンタがむくれて、私はすっかり落ち着いた。ホントに触っちゃ駄目だからね、ポンタ。
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公園の正面から私は百匹を超える野良猫軍団を従えて入っていった。いや、家猫も多数いる。「ボッツにはついていけない」という猫たちだろう。
「フールか」
ボッツの低い声が砂場の方から響いた。
「待っていた。フール」
ボッツの周りにも同じくらいの数の猫がいる。
「ボッツ、決着をつけよう。私が助けてあげるから大人しくしなさい!」
私は噴水の上に登ってできるだけ大声で叫んだ。公園のすべての猫がザワリとする。
「やい、チビ猫!お前なんかが新しい猫神様と戦おうとは烏滸がましい。サッサとボッツ様の前にひざまずけ!このチビ!折れ耳!」
ボッツのすぐ近くにいるラムキン、モネが私を挑発する。あの縮れ毛、折れ耳って言った!…気にしてないけど。でもこいつの顔は忘れないよ。
「新しい猫神様を仰ぐ尊き猫たちよ、あの異教徒達を討ち果たせ!」
モネの言葉に家猫軍団がザッと前へ動き始める。
…とはいえ、何となく見えるね。本気の親衛隊と、仕方なくそっち側にいる「いやいや魔王軍」と半々くらいじゃないの?
家猫たちの前進と同時に私の周りの猫たちも前へ進む。私を守るように周囲を固め、ボッツに近づく。ガンツやポンタ、レオ、トンカツ、ダビも私の楯になる覚悟のようだ。作戦どおりとはいえ申し訳ない。
ボッツの「ガアアッ!」という叫び声が引き金となって、乱闘が始まった。ボッツ親衛隊の猫たちが私目がけて殺到する。
「怖いっ!」
さすがに数十匹の猫が私一匹に向かって殺気をこめた目で集まってくるのには怯んだ。
「そいやっ!」
レオが先頭に立って、前線に立ち塞がり猫パンチを繰り出す。
「ギャッ」と先頭の猫が顔を押さえてうずくまった。強い。
だが、数が数だ。どんどん押し寄せてくる親衛隊はそれをすり抜け、私の近くにも来た。
右側でガンツが腕力で奮闘している。ポンタは素早く動いて左手の方向を防いでいてくれる。
私だけが怯えているわけにはいかない。私も震える足に力を込めて、咆哮するボッツに近づく。
ボッツはやはり攻撃力が特別のようだ。周囲の野良が一瞬で数匹倒れていく。本来なら私の「愚者」でどんどん癒やしていきたいところだけど、今夜は決着戦だ。力を溜めておかないといけない。
トンカツもダビも傷だらけになりながら、私に道を作ってくれている。それにしてもなかなかボッツが遠いね。近づく前に物理攻撃を受けたらやばいんだけど…と考えていたら。
「ボン!」
大きな音がして閃光が見えたと思ったら、私とボッツの間に煙が湧いた。
「爆発だ!」「逃げろ!」「ニャオン!」
猫たちが一瞬爆心地を避けようと周囲へ遠ざかった。
「フーちゃん!煙だけです。前へ!」
セージの声だ。私は頷く。
「みんな、行くよ!私を守って!」
「おう!」「行くぞっ!」
周囲の猫とともにボッツに向かって突進した。
47
その2時間ほど前の夕方、ミケ(猫神様)は私の作戦に難色を示した。
「ふうむ、大筋では正しいが。よく聞け、フール」
「まず肝心なことだが『賢者』と『愚者』の戦いはシッポの取り合いなのだ」
戦いの直前にメチャメチャ肝心なことを聞いて私は戦慄する。
「ね、猫神様。何でそれを早く教えてくれないんですか」
「前も言ったじゃろう。ワシは『賢者』と『愚者』どちらかの一方的な味方はできんのだ」
ミケの顔で猫神様の声は違和感ありありだが、淡々と言う。
「じゃあ、何で今夜はこっちにいるの?」
「ボッツは罪を犯した。『同族猫殺し』という大罪じゃ。ついでに言うと」
ついでに言うと、ボッツはこのシッポ争奪戦のルールをすでに手に入れているのだそうだ。それは賢者側の『滅び』のルールだっていうけど、よくわからないなあ。
とにかくこの間の森の件で猫神様は私の方に味方することになった。それほど『猫殺し』は重い罪なのだ。
さて猫神様の説明によれば、要するに「賢者」と「愚者」の力がぶつかれば相殺されることは私の予想通りだが、どちらがシッポをつかむかが勝負の分かれ目なのだという。
私がつかめばボッツの「賢者」がごっそり私に流れてくる。ボッツがつかめばその逆だ。
私に流れ込んできたボッツの力は相殺され、それから浄化され「神力」となって、神聖な力を持つに至る。
「だが、逆にボッツがつかんだら…」
私はのどをゴクリと鳴らす。
「つかんだら?」
「ボッツの中で黒濁化される。それにボッツが耐えられれば、それで本当の魔王誕生じゃ」
猫神様がミケの顔で怖いことをサラッと言った。
「…ボッツが耐えきれなかったら?」
私は恐る恐る聞いた。
「黒濁した神力は漏れ出て街を包む。街の猫は全滅かもしれん。そこにいる猫は耳から血を吹いて死ぬ。隣町くらいまでは影響があるじゃろうな。人間にも悪影響があるやもしれぬ」
怖すぎるよ。猫神様が続ける。
「ただこれ以上ボッツを放置しておけば、その被害はこの近辺だけでは済まなくなる。危険があるからといって放っておくわけにはいかんぞ、フール。今夜は世界を救うのじゃ」
「猫神様~。どう考えても荷が重いよ~」
私はすっかり泣きべそモードだ。今夜の作戦、やっぱり止めちゃいたい。
「だいたいシッポをつかんだ方が勝ちだとか、リーチのあるボッツの方が圧倒的有利じゃないですか」
「ふむ、だが懐に入ってしまえば、身体の小さいお主が有利かもしれんぞ」
「そこまで接近するのが難しいんですよ。体力的にはこっちが圧倒的に不利だし」
私は喚きながら、あることを思いつく。
「じゃあさ。だったら腕の長いホクサイとかにつかんでもらって、私がホクサイのシッポをつかめば…」
これは『猫直列』という技…「愚者」のルールだ。重傷の猫を複数癒やすのに使う。自然と頭に浮かんだ。
「止めといた方がいいな。それは『愚者』の癒やし技じゃ。『賢者』でそれをやったら、お主とボッツの間にいる猫は大怪我するじゃろう。万が一死んだらお前にも力は流れんし、無駄な被害が出るだけじゃ」
ハア、やっぱり自分でつかむしかないか。
48
ボッツに突進しながら、私は猫神様の言葉を思い出す。
とにかくシッポをボッツより先につかむ。ボッツもそのつもりだろう。私はシッポを隠すように下げた。
セージの煙幕が消えると、もうそこはボッツの間近だった。ボッツが凄い目で私を見る。
だがそこへあのラムキン、縮れ毛のモネが私の目の前に現れた。私の周囲やボッツの親衛隊に大柄猫が多い中、一際小柄なモネは今までこの機会を狙ってボッツの足下に潜んでいたらしい。
「チビ猫!覚悟しろ!」
しまった。上ばかり見てて、油断した。目の前で鋭い爪が振られ、私は思わず目をつぶった。
「グエッ!」
モネの鋭い爪の攻撃を受けて倒れたのは、私ではなくてダビだった。ダビも私の身代わりになるつもりで側にいたのだろう。
「ダビッ!」
「この裏切り猫め!邪魔しやがって」
モネが忌々しそうに叫んで、もう一度私を睨む。
「おい、モネ。こっち見ろ」
思わず、横を向いたモネの身体が金縛りのように固まった。そこにはルノーがいて、得意の視線攻撃を仕掛けたのだ。ルノーが固まったモネを前足で突き倒す。
「ダビ、さすが俺の相棒だな…?フニャン!」
ルノーがカッコつけて何か言っている間にボッツの右前足が一閃される。
ルノーもダビの身体の上に放り出された。モネとダビ、ルノー、三匹重なってそこに倒れた。
もう私とボッツの間には誰もいない。
「ボッツ、大人しくしな。私が助けてあげるよ!」
ボッツは答えず、唸る。
「グアアアアアアアッ!」
接近戦、接近戦…猫神様にもらったアドバイスを思い出して、ボッツの身体の下に潜り込む。確かにこのポジションなら私が有利…と思ったら。
ニヤリと笑ったボッツがヒョイと立ち上がる。
「立つんかい!」
立ち上がったボッツの長い前足が私のシッポをつかむためにと伸ばされる。
危ないっ!と思った瞬間にポンタが後方から跳躍してきて、そのままボッツの胸に頭突きを浴びせた。ボッツは後ろによろめいて、前足がシッポをつかみ損なった。
「邪魔するな!」
ポンタがボッツに張り飛ばされて飛んでいく。
「ウニャオン!」
「ポンタ!」
後ろで倒れたポンタも気になるけれど、私は仕方なくボッツと少しだけ距離を取った。
立ち上がったままのボッツが距離を縮めて、後ろ脚で私を踏みつけようとした。
いつの間にかボッツの身体が巨大化している。身長は犬より大きく、後ろ脚も人間のサンダルくらいある。ルール違反じゃない?猫神様?…ボッツの低い声が上から聞こえた。
「踏み潰してやる。フール」
「ニャン!」
こんなのに踏まれたら死んでしまう。私は悲鳴をあげて、一発目のスタンピングを避けるが、二発目が脇腹をかすった。
「ウギャ!」
「うちの娘に何しやがる!」
ガンツが私をかばって上に覆いかぶさった。ボッツはそのままガンツの背中を踏みつける。
「ぐわっ!」
ガンツが呻いた。
その時、ボッツの右側、まったく誰もいない場所からいきなり私の声が聞こえた。
「ボッツ、こっちだよ!」
ボッツが唖然として右側を向くと同時に、ホクサイの声がガンツの腹から響く。
「姫様、今です!」
私はボッツが横に気を取られているうちに、ボッツのシッポの目の前まで匍匐前進した。そこにボッツのシッポがある。私は手を伸ばした。
「よし!とったよ!」
だが無情にもボッツのシッポはヒョイと私の手から逃げ、振り上げられた。今のボッツは背が高い。
「しまった!」
「フール、ここまでだ」
ボッツが私を足で押さえつけ、私のシッポに手を伸ばす。
万事休すか…。
「駄目だ…ごめんなさい、みんながあんなに頑張ってくれたのに。街の猫を守れなかったよ」
私は目を閉じた。
「あきらめるな!フール!」
いつのまにかポンタがボッツのシッポをつかんでいる。
「放せええっ!」
バランスを崩したボッツが焦ってブルブルと激しく振りながら、シッポを光らせた。
「ポンタ、危ないよ!放して!」
私が叫んでもポンタは傷だらけの顔で食らいついている。
ブルブル振り回されるポンタのシッポをこれまた傷だらけのガンツがつかんだ。
「フール、俺のシッポをつかめえっ!」
血だらけ傷だらけのガンツの顔を見て、私は泣き叫ぶ。
「父さんっ!」
「早くっ!」「急げっ!」
私はガンツのシッポをつかむ。その瞬間、私の勝利となる『猫直列』が完成した。
ボッツから私までのラインが黄金色に光り輝く。
「グワアアアアアアッ!」
ボッツが最後の力を振り絞って足掻くが、いつのまにかミケ(猫神様)がボッツの耳元にいる。
「ボッツ。終わりだよ。眠りなさい」
ミケのソプラノを聴いてボッツが目を閉じ、そしてドッと倒れた。
同時に私も含めて、直列していた猫たちもドサドサと地面に投げ出された。
ポンタとガンツは耳と目と鼻からドクドクと血を出している。
「ポ・ン・タ、ガ・ン・ツ…」
公園中の猫が息を飲んで見つめる中、私は意識だけが空に昇っていく。
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私は猫神様と二匹で公園上空にいる。自分の身体が光り輝いていた。
「猫神様」「姫様」「猫神様が復活された!」「姫様も光っておられるぞ!」
公園中の猫が上を見て、騒いでいる。
そのうち一匹、また一匹とひざまずき、私たちを含む倒れている猫を除いてはひれ伏して仰ぎ見る格好となった。
「猫たちよ!すべての猫たちよ。我はここに復活した」
オオオオオッと唸るような吠えるような鳴き声が公園中に響く。
猫神様は次に杖を一閃する。
ゴゴゴゴッと轟音がしたと思ったら、赤い光の粒が夜空から無数に振ってきた。
「?!」
次の瞬間、赤い光は地面に激突し、ドン!ドン!と爆発して穴を開ける。
猫神様、何やってんの?猫たちには当たっていないが、みんな腰を抜かすようにしゃがみ込んでいる。
さらに猫神様はシッポをフワリフワリと振る。今度は白い光が湧き上がり、公園の大きさとなって地面に吸い込まれていく。地面が元に戻っていた。
「ふん。まあまあの調子じゃな」
猫神様はつまり、復活のデモンストレーションをやったみたいだ。近所迷惑な。
「すべての猫よ。我に従うべし。異議あるものはここより去れ」
その場を一匹も動かない。恐れと憧れの交じった目で私と猫神様を見上げている。
「新たな掟を託宣する。これより猫同士の諍いを禁ず。家猫も野良猫も争うべからず、助け合うのだ。助け合ってこの街で生きていくのだ」
猫神様はそう言うと私を見た。
「フールや。これでいいかね?」
私は何も言えずに、とりあえず頷いた。
「姫様!」「猫の姫様!」「姫様、万歳!」
猫の声が歌のように公園に響いた。
50
気がつくと果てしない草原が続く場所に私はいた。草原の真ん中にテーブルがひとつ、シュールな光景だ。
テーブルに着いているのは私と猫神様、そしてボッツだ。
ハッと自分を見下ろすと、あの山田蕗の家で見た姿、蕗と猫の中間の姿だ。
さすがにボッツは生気なくうなだれている。
「さて、戦後処理じゃ」
猫神様が宣言する。
「戦後処理?」
私はボッツをチラリと見た。
「この後、どうするかじゃ」
「猫神様、あの、今夜ケガした猫は…」
「すべて癒やしておくから安心せよ」
私はホッとして胸をなで下ろす。
「だが、すべてが元通りとはいかん。まず其方らじゃ」
ボッツが初めて顔をあげた。
「俺が何をしたかは自分でよくわかってる。どういう罰でも受けるさ」
「お前は猫殺しの罪がある。残念ながら許すことは出来ん」
猫神様が無表情にボッツを見る。
私は思わず口を挟んだ。
「ちょっと、猫神様!違うでしょ!」
異議を唱えられるとは思わなかったのだろう。猫神様が椅子からちょっとずり落ちそうになった。
「な、なんじゃ。殺されかかったくせに」
「そもそも、何で私やボッツがこの力を得たのよ」
「えっ…」
「猫神様のミスでしょ。ホントは自分のとこへ集めるはずだったのがボッツのとこに行っちゃったんでしょ」
猫神様が痛いところを突かれた顔になっている。
「そうじゃけど…お前はボッツをどうしたいのじゃ」
「長生きして、どういう形でもずっと生きて、猫のためにこれから働いてもらいたいです」
猫神様もボッツも私を目を丸くして見つめる。それから猫神様が息を深く吐いた。
「…フー、わかったわい。ちょうど今、人間の魂が離れていく依り代がある。好都合なことにこの街の猫が心配で心配でたまらない、という人物じゃ」
「人物って、まさか、それ…?」
「うむ、まあ、前から目はつけておいたのじゃ。市長のことは」
「…」
「ボッツよ。この後、お前は死線を乗り越えた市長として蘇る。猫のために尽くせ」
ボッツは椅子から立ち上がり、猫神様の前で跪いた。
「仰せの通りに」
それから立ち上がって、私の前でもう一度跪く。
「姫様、この恩は忘れません」
すっかり改心したボッツをポカンとして見ていたら、ボッツが顔を上げるとき微笑んで小さな声で私に言った。
「ありがとな、助けてくれて。フール」
51
「さて、猫に戻れないのはフールもじゃ」
ボッツが去って、二人きりになると、猫神様がしれっと言うので私はビックリした。
「何で?何で私も戻れないの?」
「というか、わかっているじゃろう。お前は役割を終えた。身体をそろそろフール本人に返してやりなさい」
私はギクリとする。
「フールは私じゃないの?」
「お主は蕗じゃろうが。時空を越えてフールの身体を借りて蘇った山田蕗じゃろう。子猫のフールに返してやるのが道理じゃ」
「いやだよ!ポンタにもガンツにももう会えないの?そんなの嫌だ!」
私は泣きわめいた。
猫神様がようやく優しい目をして私を諭した。
「これほど猫を愛してくれてありがとうな、蕗。だがワシにもお前を人間界に帰す義務がある。理解しなさい」
「子猫のフールは助かるの?」
私はヒクヒクと泣きながら訊いた。
「うむ。元の子猫に戻る。お前の記憶はなくなるからトラックから落ちる前の状態になる。ガンツが大切に育てるだろうて。ちょっと違和感はあるだろうがな」
「…ちょっとじゃないと思うけど」
猫神様は何も言わずに微笑む。
「私は山田蕗に戻るってわけね」
猫神様がさらに言いにくそうに私を見る。
「その予定じゃったのだが…」
「えっ?違うの?」
「いや、蕗は4年後に死ぬはずじゃったから、そこへお前の魂を…と市長と同じ線で考えていたんじゃが」
猫神様が私を横目で睨む。
「お前、ワシに無断で蕗を助けたじゃろ」
「えええっ。あのアナグラム?」
私は確かに蕗の家に手がかりのアナグラムを残した。当時ミステリーにはまっていた蕗なら、あるいはと思ったのだが。
どうやら蕗は本当にあのアナグラムを解いた…とは言えないみたい。
(SINZO KENSA)→「心臓 検査」だったはずだが、蕗はこの時恋愛脳が強く働いていた。彼女の回答は(KENZO SINSA)→「健三 審査」となった。恥ずかしすぎる。
その週に片思いの相手、坪井健三くんの剣道昇段審査があり、彼女は「これは運命だわ。猫ちゃんが私にお告げをしてくれたのね。昇段審査の会場で何かあるんだわ、キャッ」っと山田蕗らしい解釈をして、会場に乗り込んだ。馬鹿じゃないの、自分だけど。
だが、それが結果的に幸いした。健三くんの剣道着を見て興奮した蕗はホントに具合が悪くなって、母親に電話で助けを呼んだ。
「健三くんを見ていたら、胸がドキドキして恋の病でおかしくなった。迎えに来て」
私が親だったら、心臓と同じくらい娘の頭の心配をするよ。とにかく母親は審査会場に蕗を迎えに行き、そのまま病院に寄った。たまたまいい医者のいる病院だったらしく、蕗の心臓の欠陥が判明したというわけだ。
とすると…私は?私はどうなっちゃうの?
「蕗は死なない。だからお前の戻る場所は別のところになるな。少し待って貰う」
どんな人間に生まれ変わることになることやら…ハア。
それから猫神様が言いにくそうに切り出した。
「…今夜、死んだ猫は一匹だけじゃった。それは癒やせない」
「死んだ猫は駄目なんですね。誰が…」
そこまで言って私はハッとする。まさか…
「ポンタ!ポンタじゃないでしょ?ねえ、猫神様!」
「ポンタは死んだ。あの『賢者』の力をその身に直接流したのじゃ。耐えられなかった」
「駄目だよ!治して!蘇らせて!神様なんでしょ!」
私はギャーギャーと喚いたが、猫神様は表情を動かさない。
「まあ、聞け、蕗。お主は人間界に帰す。どういうタイミングになるか、わからんが次に生まれるときは人間じゃ」
「ポンタがいない人間界なんて行かない!」
まだ私はワンワン泣きながら駄々をこねる。
「…聞けってば。ポンタも今夜の功労者じゃ。奴も人間界に送ることにする」
あまりに意外な猫神様の言葉に、私は涙でグシャグシャの顔から全力で「?」を発信する。
「賢者の力を浴びすぎた。猫として生まれ変わるにはステージが変化しすぎたのじゃ。だからお前と一緒に人間界に送ることとする。お前は猫の世界でポンタの世話になったじゃろう。今度はお前がポンタを助けるのじゃぞ」
猫神様はすごく複雑で意味不明なことをサラリと言った。
「何かもうよくわかんない!嬉しいんだか悲しいんだか。ねえ?これはハッピーエンドなの?それともバッドエンドなの?ねえ、誰か教えて!」
52 EXTRA 「フール姫様とその後のガンツの話」
俺はダビという名前の元家猫だ。1年ほど前にこの街に引っ越してきた。
ルノーさんを兄貴分にした件は省くぜ。長くなるからな。
姫様に出会ったのはリンゴ公園の砂場さ。家猫の縄張りだっていうのは街の猫だったら誰でも知ってることだ。だからルノーさんが俺に目配せしたんだ。
「おい、ここは家猫の縄張りだ。お前のような野良が入っていい場所じゃねえ」とルノーさん。
だから俺も「そうだ。痛い眼にあわせるぞ、こら」と言ってやった。
それがフール姫様との出会いだ。
最初は小生意気で口が悪くて、ドン臭いチビ猫だって思ってたさ。
だがフール姫様は俺の予想をいつも超えるような不思議で高貴で、可愛い子猫だった。
いっつも「ポンタ、ポンタ」って言うのが気に食わなかったけどな。
いろいろあったなあ。姫様の光で酔っ払ったようにフラついたこともあったし、ホゴセンターから助けて貰ったこともあった。俺はあの時、飼い主に捨てられてガッカリしてた。そんな時、姫様に助けられたから、もうこの命は姫様のために使おうって決めたんだよな。
公園に行く前、姫様から「綺麗なキャリコ」って褒められたんだ。キャリコが何なのか知らないけれど、もうとにかく俺は武者震いしたね。絶対姫様の役に立ってみせるぞ!って。
結局姫様は戻ってこなかった。いや、公園の決戦の後、姫様は息を吹き返してガンツの元に戻っていった。けれどあれは姫様じゃなかった。「普通のチビ猫」だったよ。記憶がなくなったとかそういうことじゃなくて、違うんだな。好奇心の塊で、勇気があって、ドン臭くて小生意気で口は悪いけど誰にでも優しい不思議な俺の姫様じゃなかった。
あの後フール(姫様ではない)は不思議にすぐ飼い主が見つかった。引っ越しでゲージごと落としてしまったお金持ちのオバハンが大工のとこへ引き取りに来てたよ。
子猫はミャーミャー鳴いてたけど、ガンツは淡々としてた。あいつも多分気づいてたんだろ。あれがフール姫様じゃないことに。
姫様はボッツを取り除くためだけに猫神様が使わしてくれた天使だったんじゃないかと俺は思ってるけどね。
元々野良猫なんて半年くらいで親猫から離れていくんだ。あんな父親べったりの子猫なんていないからな。
でも俺は思い出すんだ。ルノーさんから言われて姫様を見張り始めた頃のこと、河原で虫取りの練習をしてた姫様とガンツの姿さ。まあ、ドン臭いのなんのって、バッタが姫様の頭にチョンと乗って休憩してから逃げてく有様だ。俺は笑いを堪えるのに苦労したね。
だから姫様が初めてバッタを一匹捕まえてガンツの方が大喜びしてさ、宙に放り投げながら涙ぐんでたのを見てさ、俺ももらい泣きしたくらいだよ。
俺は親の顔なんて知らないからな。物心ついた時はペットショップっていうところでゲージにいた。親といえるものがあるとしたら、そこのテンインというニンゲンか、ゲージに備えられてるエサダシキというやつさ。
ガンツはもちろんそれからしばらく落ちこんでたよ。ポンタが死んだのも堪えたんだろうな。前に嫁さんに出てかれた時以来の落ち込みだ。
でも前と違うのは俺が同居してることと、他の猫がよく遊びに来ることだな。セージはもちろん、ルノーもホクサイも、それから何でかラブラブな雰囲気を醸し出すレオとミケがやって来てガンツの目の前でイチャイチャするからガンツが切れかかった。笑いこけたね、俺は。
そういや、何とあのモネも一度来たよ。頭下げてたね、深々と。あいつなりに責任は感じてるのかな。
この街からはボッツもフール姫様も、そしてポンタもいなくなった。
だけどどうしてか、公園の猫は増えた。時々ホゴセンターのニンゲンが猫を捕まえに来るのは変わらないんだけど、不思議なことにその猫が戻ってくるんだ。何か怖い目には遭ったみたいだけど、よくわからないな。
それで、エサが足りなくなるかと思ったら、時々やっぱりホゴセンターの奴がエサのカゴを公園に置いてく。どうなってんだ?
やつらの口からは「チイキネコ」って言葉がよく出てくる。
姫様が街からいなくなって、何だか街の色がくすんで見える。俺はやっぱり姫様が大好きだったのかもしれないな。恋とか何かじゃないぜ。俺はポンタとベタベタしてる姫様も好きだったからな。いや、ホントだ。天使とか何かだったら、今も空の上から見てるのかなあ。また会いたいなあ。
いつか会えるのかなあ。
読んでいただきありがとうございます。次回最終回!ようやくゴールまで来ました。楽しんでもらえたらうれしいです。