死地からの脱出 オーストラリアンミストの献身
南の森で囲まれたフールとポンタ、大ピンチですがフールの『愚者』は発動しません。さらに聞こえる「魔王ボッツ到着」の報。二匹は脱出できるのか。
ボッツとフールの第2ラウンドです。
毎週金曜日更新、全10回の第7話です。よければぜひ!
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これはホントの本当に絶体絶命のピンチだ。私とポンタを入れて7匹の野良猫は今、森に潜んでいる。たぶん戦力と呼べるのはポンタとトンカツの2匹、後はあんまり争いの得意じゃなさそうなガリガリとヒョロヒョロ猫ばかりだ。
そして肝心の私のシッポはどうも本日調子がよくないし、相手は猫の御法度、『昼間は争わない』を無視して襲ってくる。ヘタしたら『殺し合わない』という掟さえどう思ってるかわからない連中ときたものだ。
敵の家猫の数はよくわからないが先ほどの路地だけでも11匹、さらにこの森の逆方向と別方向に10匹以上で、合計20匹を越えるようだ。さらにあの猫パンチのレオがボス格で控えている。
状況を分析すると、どうにもこうにも相手にならないという結論になる。
それにしてもボッツは私を攫ってどうするつもりなのか。
もしボッツが猫神様の力が分裂して私とボッツに宿り…というストーリーがわかっているとしたら、私の力を手に入れることで『新たな神の誕生』を狙っている可能性がある。どうしたらそうなるのか理屈はわからないけれど。
最悪、私の命を狙っているという可能性も否定はできない。まあ、『攫ってこい』がボッツの指示なら殺されることはないと思うが、希望的観測といえばそうだ。
かなり長い時間、茂みに潜んでいる。日没が近いのだろうか、森の中はすでに真っ暗だ。
家猫たちがあきらめた気配はないけれど、なぜ彼らは森に入ってこないのだろう。時間が経てば私たちを心配したガンツやセージが救援に来る可能性だってある。そうでなくたって飼い猫たちは家に帰らねばならない。時間の経過は私たちにとっては少しだけ有利に働くはずだ。
「ねえ、ポンちゃん。なぜ家猫たちは私たちを探しに来ないんだろう」
「…またポンちゃん呼びに戻ったな」
ポンタがチラリと地面を見てから推測する。
「夜になって、強力な応援が来るのを待ってるとか」
「ボッツのこと?」
「うん。考えたくないけどな」
ポンタの言うとおりなら、確かに考えたくない。今の状況でさえ大ピンチなのにここへ魔王登場ではいよいよ最悪の状況だろう。
「ポンタ、あと一回くらいならパタパタやって、森の前の家猫を散らせるかもしれない。今逃げた方がよくない?」
「またポンタ呼びか。怖くなってくるとポンタになる」
そう言ってポンタが考え込む。
「俺はそろそろガンツが探しに来るころだと思うんだ」
そういえばチャイムが鳴ってだいぶ経つ。ガンツに南の森に行くことは告げてあるから、プリプリ怒りながら迎えに来てくれるかもしれない。
「確かにね。すごく怒りながらやって来そうだね」
「お前のシッポが今日どういう調子なのかわからない以上、ヘタに動くより森の入り口からガンツが来た時、勝負をかけた方がいいように思う」
ポンタが自分を納得させるように頷いて言った。
「でも…家猫の数から考えてもガンツ一匹で何とかなるかな?」
「俺たちだけよりはマシだろ」
ポンタがそう言ったとき、森の東側がザワザワと騒がしくなった。ガンツが来るのなら北側の森の入り口、つまり来たのは敵ということになる。
家猫の声が森に響いた。
「ボッツ様だ」
「新しい猫神様だ」
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「ボッツが来た」
私の声はたぶん震えていただろう。
「仕方ないな」
ポンタが思い切りよく立ち上がり、周りの野良猫たちに声をかける。
「まずいぞ。イチかバチか、北側へ逃げよう!」
トンカツも呼応する。
「よし、わかった。俺たちが援護する、お前はフールを守れ」
どうやらみんなで私を守ってくれる態勢のようだ。申し訳ない。
私たち7匹の猫が一斉に茂みから出て、北側に走った。
そこにはレオの一群10数匹が待ち伏せしていて、森の出口に立ち塞がった。
昼間私たちを路地で襲ったあの黒猫…たぶんボンベイという猫種だと思われるが、あいつも一緒だ。
「ポンタ、そこにチビを置いてお前達は帰れ」
レオが忠告をするが、ポンタはギッと睨んだ。
「そう言われて、その通りにすると思ってんのか」
「…そりゃそうだ。ちっ、嫌な仕事だな」
レオが何かをブツブツ言っている。
家猫と野良猫合わせて20匹が睨み合う。
私はガタガタ震えながら、ポンタの背中にしがみついていた。
トンカツがレオに声をかける。
「何だ、レオ。家猫一の猛者と言われたお前が『チビ猫攫い』か。堕ちるところまで堕ちたな」
レオがゆっくりとトンカツに目を向けて、本当に嫌そうな表情を浮かべた。
「同感だ。トンカツ」
ハアと息を吐き、身体の力を緩めた。
「俺は止めた」
そう言ってレオは茂みの横に座り、道を空けた。
黒猫が目を丸くしてレオを咎める。
「レオさん、何してんですか。ボッツ様の命令ですよ」
「ふん。知らんよ。チビ猫攫いを命令する神様がいるもんか」
レオが言い放ち、周りの家猫たちがどうしたものかと動揺する。
「レオさん、まずいですって」
「いいから、やりたい奴だけでやれ。俺は子猫の誘拐なんてやらん」
「レオさん!」
「うるせえぞ、カラ。俺に指図するな」
『カラ』と呼ばれた黒猫ボンベイが一度私たちを見てから、レオをキッと睨む。
「レオさん、いいんですね。野良猫側に寝返ったということで」
「ふむ、そういうことならそれでもいいな。だがな、俺は野良猫の味方じゃねえ。チビ猫攫いの敵だ」
そう言うやいなや、前足を一閃する。
「フギャア!」
カラが顔を押さえて倒れ込んだ。
固唾を飲んで成り行きを見ている間に、森の奥から大勢の猫がやってくる気配がした。
「くそっ!後ろからも来たな」
トンカツが振り向く。
後方からまず5匹の家猫が走って現れた。数からいって先発隊だろう。
「レオさん。いや、レオ。どういうことですかね」
その場の様子を見て、グループの中心にいる縮れた長毛の猫が声を出した。この猫たちは…
今までの家猫の殺気とは違う。本気で私たちを殺そうとしているかのような殺伐とした雰囲気だ。今までの夜の公園の戦いが、のどかに感じられるレベルといっていい。
レオがしらけた顔でその縮れ毛猫を見る。
「モネ、お前らのその雰囲気も気にくわねえな。この街の猫はおかしくなってるぞ」
レオの言葉の通りだ。何かに洗脳されているかのようなイッた目の猫達がこちらを見ている。
「ポンタ…」
私は恐怖で手足をすくませながらポンタにきつくしがみつく。
「フール、安心しろ。お前だけは俺が死んでも守ってやる」
ポンタは私は人間だった年月を含めても、一番勇敢で誠実な男の子だ。
「…!」
私だって頑張るよ!私はあまり調子が良くないシッポをパタパタ振って、後方の家猫たちに送る。
(あっち行け・あっち行け・どっかに行け…)
どういうことだろう。まったくといって手応えがない。光が浮いてくる気配さえない。
「ウフフフフ。ボッツ様の仰ったとおりですぞ。見なさい、あのチビ猫のシッポ。満月の夜には何の力もないです」
縮れ毛猫モネが勝ち誇って周りの猫たちに言った。
…そうだったのか。うかつだった。私とボッツの力は『愚者』と『賢者』。癒やしの力と滅びの力、ボッツが太陽に弱いのなら、私の力は月の光で弱まるのだ。気がつかなかった。猫神様からはヒントをもらっていたのに。
ボッツは気がついていたんだ。今夜が満月の夜だということも。
その間にもさらに家猫たちの数が増え、私たちは取り囲まれている。
「ごめん、ポンタ。これはいよいよ最悪の状況かも」
私の声にポンタは前方をにらみながら、応える。
「あきらめるな、フール。俺には聞こえるぞ」
何が聞こえるのか。私も耳を澄ます。
「聞こえる!ガンツ達の声だ!」
縮れ毛モネたちも顔を上げ、声のする方を見た。
そこにガンツが叫びが聞こえる。
「フール!フール!今行くぞ!フール!」
私はこんな状況なのに、うれしい涙が止まらなくなってしまった。
今ではガンツは本当に私の父親なんだ。私も声の限り叫んだ。
「ガンツーーーッ!助けてーーーーーッ!父さーーーーん!ガンツー!」
モネがムスッと顔を顰め、レオを睨んだ。
「レオ、あなたがグズグズしてるから、野良猫の応援が来たじゃないですか。このことはボッツ様に報告しますからね」
縮れ毛モネがレオに向かって言うが、レオはソッポを向いたままだ。
やがて前方にガンツだけでなく、大勢の野良猫たちが現れる。
「こっちの森は俺たちの縄張りだぞ!」
「やっちまえ!」
家猫と野良猫総勢50匹を越える大乱戦となった。
見た目にはどっちが家猫でどっちが野良かわからない。
野良猫たちが口々に叫んでいる
「お前ら、猫神様の掟を破ったな。どうなるか判ってんのか」
「天罰が下るぞ」
「この罰当たりが!」
乱戦の中、ひときわ大柄な猫が敵をかき分けて私に近づく。
ガンツだ!ずっと私を近くで守って奮戦していたポンタの肩の力が抜けていくのが判った。
「ガンツーーーッ!」
私が叫ぶとガンツが援軍の到着でひるむ黒猫をバシッと前足ではたき、道を空けさせた。
私は一目散にガンツのところへ駆け寄る。ガンツも全力で私に近寄って思い切り抱き寄せた。
「ガンツ!父さん!怖かった」
「よかった、フール」
ポンタもホッとした表情で私とガンツの横に立った。
家猫たちがそのガンツの勢いにたじろいで顔を見合わせている。
だが私たちはまだ判っていなかった。
家猫たちの包囲網はもうひとつ外側に広がっており、東側からボッツがゆっくりと近づいていたのだった。
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「道を空けろ!」
「ボッツ様のご降臨である!」
そんな声がする。先ほどの縮れ毛猫モネ…猫種はラムキンという珍しい猫だと思う。全身が縮れた小柄な猫だが、目つきが半眼で恐ろしく鋭い。多分、ボッツの側近ということだろう。長くてカールしたシッポを振りながら、家猫軍団を仕切っている。
家猫たちはススッと道を空けるように後ずさりした。
例の毛並みがザワリとする感覚がして、向こうから大きなロシアン・ブルーが姿を現す。
「ボッツ様!」「新しい猫の神!」「ボッツ様!」
家猫たちの目つきが明らかにおかしい。
『狂信者』という言葉が私の頭に浮かぶ。この数ヶ月でボッツは家猫たちの心をつかんだということか。
…猫神様の話からすると、猫たちの信心を集めれば集めるほどその力が強大になるはずだ。だとすると今のボッツの力は前に公園で見た時よりもずっと強くなっている。
ボッツが野良猫たちの前に立つ。乱闘していた猫たち家猫野良猫の両方が息を飲んで魔王を見る。シンとした中でボッツが例によってうなり声をあげる。
「グワアアアアアアアッ!」
その声だけで金縛りにあったように最前列の野良猫たちが硬直した。
先頭の猫が泡を吹いて倒れる。そこをボッツは構わず進み、下も見ないで乱暴に踏みつけた。
野良猫だけでなく周囲の飼い猫さえもゴクリと喉を鳴らして動かない。
「グエエッ」
踏まれた猫の口から血が出てきた。明らかに大怪我だ。
私は見ていられず、ポンタの背中に隠れる。ポンタも私をかばうように身体の位置を変えた。
「ボッツ、お前は猫の世界の大切な掟を破った」
いつのまにか駆けつけた野良猫のボス、ドブがボッツの前に青い顔で立ち塞がる。さすがの度胸だ。
ボッツはドブを前にしても、その言葉を聞いてもまったくの無表情だ。さすがに家猫たちも引き気味になっている。縮れ毛モネを中心とした狂信者猫集団以外は。
「シャッ!」
ボッツは一声発するとドブに向かい、右の前足を上から下へ袈裟斬りに振った。
「うおっ!」
ドブは避けようとして避けられず、胸から腹にかけて大きく傷をつけられた。血しぶきが舞う。
「ウググ、やはりお前はこの世にいちゃあいけねえ猫だ。お前だけは許さん!」
そう呻くと体格にまかせてボッツに突進した。
「ドブ、よせ!」
ガンツが叫んだが、ドブはそのままボッツに体当たりをする。
ボッツも初めて立ち上がってそれを受け止めた。
家猫と野良猫のボス同士が正面から衝突したが、ボッツは一歩も後ろへ下がらない。
一瞬止まった2匹。しかしドブがそのままズルリと前へ崩れ、頭から地面に倒れた。
ドブの耳からドクドクと大量の血が流れている。
「ドブ!」
もっとも仲の良かったトンカツが走り寄って、ボッツの前に立ちはだかろうとする。しかしボッツがさらに前足を一閃すると、トンカツも口から血を吐いて後ろに吹っ飛んだ。
どの猫も顔色をなくしていたが、モネが大声で褒め称えた。
「ボッツ様!新しい猫神様だ!見よ!これが新しい猫の神様の姿だ!」
「黙れええええっ!」
初めてボッツが言葉を発し、モネに裏拳を当てた。モネが一発で鼻血を出して昏倒する。
どういうことだろう。ボッツはすでに見境いなく周りの猫をすべて傷つけている。
ボッツ自身も壊れかけているかのようだ。
立ち上がったモネが鼻血をダラダラと流しながらも、さらに魔王ボッツを後ろから追い、声をかける。
「ボッツ様に道を空けよ。猫神様のお通りである!道を空けよ!」
ボッツがどこに向かっているかというと…やっぱり私のところらしい。表情のない緑色の目がこちらを真っ直ぐ捉えている。
距離はまだ数メートルあるが、私は初めてボッツの正面に立った。
何故だろう。確かに怖いが意外なことに不思議な懐かしさを感じるのだ。
(私の一部だ。私もボッツの一部だ…)
フラフラとボッツの側に近づきそうになる自分を必死で制する。その時誰かの声が心の中に響いた。
(助けて…フール…助けて)
私は声の主を探して周りをキョロキョロと見回す。…わかった。
声は目の前にいるボッツだ。ボッツが私に助けを求めている。
何か私の様子がおかしくなっているのに気がついたガンツが叫ぶ。
「ポンタ!フールをここから逃がせ!早く!」
すぐさまポンタが私を背中に抱えて北側に全速力で走る。
「ガンツーッ!」
いかにガンツでも相手が悪すぎる。猫を滅ぼす力を持った魔王ボッツは多分無敵の存在だ。
「ポンタ!駄目だよ!ガンツが死んじゃう!」
私の叫びにポンタは失踪しながら答える。
「お前を助けるためにガンツは来たんだ。戻ったら無駄になる!」
だがすぐにポンタが急ブレーキをかけてそこで止まる。
「…ポンタ?」
「ちぇっ、今夜はどうも家猫総動員らしいな」
ポンタが道の真ん中に立って周りを見渡した。行き先のあちこちの路地から家猫たちが2匹、3匹と出てくる。
「前は家猫の集団、戻るとボッツか。まだこいつらと戦う方がマシかな」
ポンタがブロック塀を背後にして私をかばう姿勢をとった。
どうしたら…シッポが使えなきゃ私はホントの足手まといなんだ。泣けてくる。
「ポンタ、チビはもらってくぜ」
家猫たちが包囲の輪を狭めてポンタににじり寄った。
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「おい、お前らこっちを見ろ」
その声に私たちを囲んでいた家猫たちが一斉に振り返る。
「よし、そのまま動くなよ」
どうしたことか猫たちはその姿勢のまま金縛りにあったように動けなくなった。
この声には聞き覚えがある。
「ポンタ、弱っちいなあ。それで姫を守れるのか」
ルノーがニヤリと笑った。
「ルノー…」
ポンタと私は呆気にとられてルノーを見る。私が公園の砂場で言いがかりをつけられ、ルノーにいじめられたのはついひと月程前のことだ。ルノーはどうしたのだろう。
「ふん、変な目で見るな。お前らの味方になったわけじゃねえ」
ルノーが面白くなさそうに言った。
「どうも家猫全体がおかしいんだ。ボッツ様も変だし、周りの猫たちの様子も異常すぎる。今回はお前らを助ける。こっちの猫姫がボッツ様を止められるのはフールだけだって言うしな」
「そっちの猫姫?」
ポンタがルノーの指さした方向を見ると一匹の猫が姿を現した。
「フーちゃん姫~。大丈夫だったぁ?ケガはない?」
「ランちゃん!」
見知ったブラウンとホワイトのノルウェージャンフォレストキャットに私は驚いた。
「レオといい、お前らといい、家猫たちは分裂したのか?」
ポンタが目を丸くして尋ねた。
「そういうわけじゃないんだけど~。このままだとボッツ様って、野良猫どころか家猫もぜ~んぶ滅ぼしそうなヤバイ雰囲気がするのよね」
ミケがそういうとルノーは悔しそうに続ける。
「おかしいんだ。いくら何でも周りの家猫まで気分次第で半殺しだ。どうかしちゃったんじゃないかと思うくらいの暴走ぶりだ」
ルノーはポツリと言う。
「ついていけねえよ」
ミケが思い出したかのように、そこで硬直している家猫の耳もとでソプラノ声を出した。家猫たちがバタバタと倒れ、眠り始めた。
「フーちゃん姫、私はボッツ様を止められるのは姫だけだって思ってるわ」
「へ?」
私があの魔王を?そりゃシッポが絶好調なら、ねぐらに帰らせることくらいは可能かもしれないが、あれと戦うなんて絶対無理だ。
「この間隣町に行った後、以前の猫神様のお告げを思い出したの。『ボッツの暴走は猫には止められない。猫でないものにも止められない』って」
「フーちゃん姫、あなた中身は猫じゃないでしょ!」
ミケからいきなり私の本質を言い当てられて、私は激しく動揺する。
「み、見てのとおり、た、ただのチビ猫です」
「…まあ、いいさ。ポンタ、今夜はフールを連れてできるだけ遠いねぐらに行け」
ルノーがミケの方を見る。ミケも頷いた。
「フーちゃん、大丈夫?ボッツ様に聞いたわ。フーちゃんは満月の夜は力が使えないと。次の月のない夜、私たちが何とかしてボッツ様を公園に誘い込むわ」
絶対無理だと思う。シッポが使えようが使えまいが、あの感情をなくしたような魔王相手に私が戦えるわけがない。青い顔で首をブルブル振る私を見ているのかいないのか二匹は南の森方向に去って行く。
「ポンタ、今夜のはでかい貸しだぜ」
闇の奥からルノーの声が響いた。
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南の森での攻防戦における野良猫の被害は甚大だった。
私を逃がしたガンツも身体中に切り傷を負ってようやくねぐらに戻ってきた。それでもガンツが生きて帰ってきてくれたことで私はホッとした。命さえ無事なら私がシッポで治すことが出来る。
あの後ボッツは野良猫だけでなく、家猫さえも殴り倒し蹴り倒し、踏みつけた。特に私の逃走経路上で頑張ったガンツは大怪我をしたのだった。
ただ他の家猫と野良猫の争いは両方とも怪我猫だらけで勝負にならない感じだったらしい。
最後にセージがようやく駆けつけ、こんな夜のために作っておいた『強力またたび入り大煙幕』を発射したため、森とその周辺が煙りだらけのまたたび臭だらけになった。
それでほとんどの猫がフラフラで戦場を離脱しただけでなく、異臭騒ぎで人間の警察が駆けつける騒ぎとなったようだ。
さすがにボッツもそれ以上暴れられず、引き上げたらしい。
しかし野良猫たちの顔色は悪い。最大の被害は怪我猫が多かったことでも、南の森の縄張りを失ったことでもない。ボスのドブが死んだのだ。魔王ボッツによって殺された。
そしてボッツの今回の所業は猫神様の『昼間は争わない』と『殺し合わない』を否定する大事件だった。今のところボッツに天罰が下されるなどのことはなく、ボッツが新しい猫神様ということを否定する材料もない。
「ごめんなさい、父さん。私を助けるために」
大怪我したガンツをシッポで癒やしながら、私は謝った。
ガンツがキッとなってそれを遮る。
「謝るな。娘を守っただけだ。シッポもそんなにいらん。もう治りかけだ」
ガンツの言葉は強がりだけでなく、本当にひどい傷口は塞がりかけている。すさまじい回復力だ。
「しかし、大規模な戦闘とボッツの暴走を止めるために撒いた煙幕はやり過ぎでした」
セージがうなだれた。
「そんなことねえよ。あれがなかったら、野良猫の死猫がもっとたくさん出てただろうってベロベロが言ってたぞ」
ポンタがセージを慰めたが、セージは嘆く。
「いいえ、あれでニンゲンが介入するとは予想外でした。野良だけでなく家猫でさえ10匹以上がホゴセンターへ送られたと聞きます」
煙幕と異臭の騒ぎで近所の住人が警察に通報した。そこに猫の大群が見つかったことから保護センターも出動して、結果的には怪我で逃げ遅れた猫や警察が駆けつけた森の北側の猫が保護されたようだ。
その中には瀕死の状態だったトンカツをはじめとする野良猫が数匹、そして私たちを助けた家猫のレオやルノーの子分ダビなども含まれるという。
すぐに殺処分ということはないだろうが、飼い主のいないトンカツあたりは危ない。
ポンタもセージも家猫の縄張りからやや遠い私たちのねぐら、大工さんの裏の工場に避難している。だが街の野良猫たちは半分以上が引っ越しを余儀なくされ、昼間もできるだけ外出を控えている。
家猫でさえ、尋常でないボッツの凶暴さに外へ出てこない状況だ。
だが家猫と違って私たちは餌や水を得るためにあちこちを漁らなくては生きていけない。
力の弱いメス猫や赤ん坊持ちの猫の中には隣の町へ移動したものも少なくないようだ。
私たちの雰囲気もすっかり暗いものとなる。
「でもさ」
何とか明るい空気を作ろうとポンタが言い出す。
「フール、あの夜からずっとガンツのこと『父さん』呼びなのな」
「何がおかしいんだ」
ガンツがムスッとして言うと、ポンタがニヤニヤする。
「ヘヘヘッ。フールが『父さん』って呼ぶたびに、顔が緩むのを我慢してるの丸わかりだぜ」
「う、うるせえっ!そんなこと」
「じゃあ、ガンツ呼びの方がいいの?」
私がガンツを上目遣いで見つめる。
「い、いや。その」
ガンツがしどろもどろだ。
そして小さな声で「…『父さん』でいい」と言ったので、一同大笑いとなった。
それにしてもボッツの『助けて』か。
私は猫神様の言ったとおり、ボッツと対峙してわかったことがある。ボッツは私の助けを求めている。私にしかボッツは止められない。
そして厄介なことにボッツと私は意外と近い存在なのだ。
ボッツを止める方法、保護センターにいる仲間のこと、後回しになっている山田蕗の心臓病…私にできることは何だ。私にしかできないことはなんだ。
34 EXTRA 「隠密猫ホクサイの冒険」
私はホクサイ。飼い主様によれば猫種は『オーストラリアンミスト』。よくわかりませんがこの淡くて細かいキャラメル色の模様が霧のように見えることで『ミスト』の名称をいただいたようです。
ニンゲンの飼い主様はもちろん大切なのですが、私にはもっと大切な主がおります。
その昔、隣町の猫との抗争で危うく命を失いかけたとき、助けていただいたレオナルドさんです。詳しいことは省きますが、私の命の恩猫なのです。
そのレオさんですが、本日はまったくの不機嫌です。
「おい、ホクサイ」
「はっ、何でしょうか」
「俺は今夜ガンツのとこのチビを攫ってくる役割だそうだ」
「…」
私が黙っているとレオさんが嫌そうな顔で言います。
「お前な」
「はい」
「チャイムの頃にガンツに知らせろ。南の森でチビがピンチだってな」
チャイムというのは夕方の合図のことです。
予定としては…まあ動けそうです。
ただしこれはボッツ様の命令からは外れることです。心配ですね。
「レオさん、大丈夫ですか。知られたら…」
「気に食わんのだ」
レオさんは誇り高い猫なのです。わかります。しかし私は返事ができませんでした。
「…」
「子猫攫いなんてまっぴらだ」
そういうなら私もそれについていきましょう。ボッツ様に逆らうことになっても。
「わかりました。伝えてきます」
私はいったん市庁舎に戻ることに決めました。私が市長の飼い猫だというのはここの所員誰もが知っているので顔パスです。
飼い主のツボイ市長様が執務室で私を抱き上げてくれました。
「なあ、ホクサイ。どうしたらいい。猫の保護にもっと力を入れたいけれど、なかなかそこまで手が回らないのだ。『殺処分ゼロの街』はまだ遠いなあ」
何を仰っているのかはよくわかりませんが、大変高邁な信念をお持ちなことは察せられます。
飼い主にも恵まれた私であります。志の高い飼い主と人情味のあるボス猫、ツボイ市長とレオさんに仕えられて私は幸せです。
飼い主に顔を見せた後、私はいよいよ『もうひとつの顔』になります。それは『隠密猫の技を継ぐ者』であります。
夕闇の中、私は若干身体の色を変化させます。この暗めの体色ならトワイライトの中で動き回っても目立たないでしょう。素早くブロック塀の上に登り、足音と体臭を消しながら駆けていきます。
数分でガンツのねぐら近くの路地前へ着きました。だいぶ暗くなってきたので体毛の色をもう一段濃いものに変化させます。
耳を澄ませると微かに南の森の方に喧噪が聞こえます。そろそろレオさんの嫌いな猫攫い作戦が始まるのでしょう。
そっとねぐらの方を覗くとガンツとセージがいました。好都合です。
チャイムと同時に工場の裏からねぐらに回り、声を出します。この声はガンツ達には逆方向から聞こえているように感じるはずです。
「ガンツ、フールがピンチだ」
ガバッとガンツとセージが身を起こしました。
「誰だ!」
「南の森に行け。できるだけ大勢の猫に助けを求めろ。相手は多勢だ」
「誰だ!誰なんだ!」
まるで逆の方向の壁に向かってガンツが怒鳴っています。
「ふーむ。これは…忍法『猫だまし』ですね」
セージが見抜きました。なかなか手強いですね。
私は用心のために一度自分の位置を変え、今度は材木の中から声が聞こえてくるように話します。
「ボッツも来る。お前らだけでは助けられない。いいな、数を集めろ。これは罠ではない」
「本当だと証明できるか」
「嘘だと思うならそれでいい。私にお前の娘を助ける理由はない」
それだけ言うと、素早くその場を離れました。しかし数メートル先でもう一度、塀に向かって声を出します。
「急げよ。時間がない」
この声はまだ私がそこにとどまっているかのように聞こえるはずです。うまくいっているようですね。ガンツもセージも塀の方を睨みつけたままです。
後は知りません。私は主、レオナルドの命を果たしただけです。少しだけサービス過剰になりましたが。
フールと言いましたか、あのチビ猫。あれは守るべきだと私も思うのです。あの公園で見た不思議な光…。
まず体毛や目を元の色に戻し、緊張感を身体から抜いて、私はまだ灯りの灯る市庁舎の裏口に回ります。
「ナア~」と鳴きますと、守衛は私を知っていますのでドアを開けて中に入れてくれました。
市長執務室までヒョイヒョイと駆け、専用の入り口から入室します。
「おお、ホクサイ。どこに行ってたんだ。私もそろそろ退庁しようとしていたところだ」
やれやれ間に合ったようです。
ご主人様、ツボイ様はニンゲン界では市長という役柄だそうです。偉大なのです。
…偉大なのですが、ここのところ何だか元気がないのが気がかりです。体調が優れないのなら、とっとと退庁して休養をとってほしいと思います。うまいことを言いました。
市長の車に乗り込んで帰宅の途につきました。そっと南の森を振り返ります。耳の機能を強めると猫たちの喧噪が確かに聞こえますね。
私自身はこの抗争に何の興味もありません。正直ボッツ様にも大して関心はないのです。
ただただレオナルドさんのため、そして飼い主のツボイ市長のために働きます。
はっ?『隠密猫の家系』ですか。それについては鎌倉時代から引き継ぐ秘密ですが、いつか語る日もあるでしょう。
読んでいただきありがとうございます。
ひとますピンチから脱したフールですが、問題は深刻化しております。あと3回で終わるのか、大丈夫か、私。
残り3回、最後まで見守っていただけたらありがたいです。