散髪はやっぱり怖い
「スキ鋏って便利ねぇ」
お風呂場に新聞を敷き、鏡を見ながら自分の髪の毛を切りつつ碧が言った。
「でしょ?!
まあ、流石にいつもこれで誤魔化す訳にはいかないけど、ちょっと重くなってきたな〜って程度だったら意外と良い感じになるんだよねぇ」
お洒落を捨てていない若い女子大生にあるまじき事だが、今日の私と碧は自分で散髪していた。
意外とネットに自分の髪の毛の切り方に関する動画があるので、それを真似しているのだ。
勿論、プロが自分の技を無料で完全に教える訳などないので、動画を上げているのは美容学校の生徒とか、プロだとしてもちょっとした緊急処置的なケアだけを見せているだけだ。
なので定期的にちゃんとプロに切ってもらうべきなのだが・・・伸びて重くなってきた後頭部とかをスキ鋏で軽くすれば、毎月行かなくても3ヶ月に1回程度にごまかせる。
碧としては源之助を迎えてから『外出したくない病』を発病しているので、最低限まで美容院への予約を削りまくっている。
私はそこまで源之助ラブでは無いのだが・・・覚醒して以来、美容院で髪の毛を切ってもらうのが苦手になって出来るだけ回数を減らす様になった。
そこでネットで色々調べ、二人でスキ鋏を買って自分で切っている訳だ。
「異世界に転移したらこういうスキ鋏を作って貰うのも良さげだね。
アイディアで特許とか取ってウハウハ出来ないかな?」
後ろに置いた鏡で背中側の髪の毛の様子を確かめながら碧が言う。
「う〜ん、髪型はその社会の常識に大きく影響を受けるからねぇ。
それこそラノベに良くある様な、貴族社会だと髪の毛をそのまま下ろしておくなんて多分無いからスキ鋏が活躍するかは微妙だねぇ」
しかも鋏そのものがそれなりに技術を要するので、安くは無い。
金属を櫛のような形にした上で半分とか3分の1程度を切る様にするなんて技術は普通の鍛冶師には難しいのでは無いだろうか。
「そりゃあ、ショートヘアはダメだろうとは思うけど、長髪を流すスタイルもダメなの?」
碧が驚いた様に振り向いて尋ねる。
「こっちの世界だって、映画俳優のアワードとかでドレスアップしていると白人女性なんかはヘアをアップにしているのが多いでしょ?
貴族社会だと複雑な髪型に美しく結い上げる技術を持つ侍女がいる事と、髪を飾る豪華で高価なアクセサリーを見せびらかす事はステータスだからねぇ。
流している髪じゃあ見せびらかせる要素が足りない」
ブラッシですいた髪をどけながら碧がふむふむと頷く。
「じゃあ、中流階級の人は?」
「中流階級の女性が髪の毛をそのまま垂らして綺麗に見せる様なシャンプーとリンスを入手して継続的に使い続けるだけの経済力があるか、微妙なところだからねぇ。
お風呂で綺麗に髪を洗うのだってお金が掛かるし。
結って上げておく方が油っぽさとかフケが目立たない」
実質奴隷ではあっても名目上は王宮魔術師であった私は、ちゃんと金は受け取っていたので入浴も髪のケアも十分出来た。だからやろうと思えば流しておく髪型も可能だったが、邪魔だったので基本的に纏めていたね。
自分で稼ぐ様な女性魔術師は忙しいから、例えお洒落な人でも顔に掛かってくる様な流しただけの髪型はあまり好まれなかった気がする。
寒村に転生して初めて髪の毛のケアに纏わる負担を自覚したのだが・・・考えてみたら一般市民だったら錬金術師に作らせないと入手しにくいシャンプーやリンス、及び魔道具が必要なシャワーでの洗髪は中々経済的負担が重いお洒落だろう。
どうせ貴族と付き合う場面では結って宝石を散りばめた髪飾りを使うのだ。
豪商クラスは貴族に合わせるし、中堅どころは洗い流して何も残らないシャンプーやリンスより、もしもの時に売って換金できる宝石にお金を使う。
仮に1年間の総支出額が同じなら、再利用や売却が可能な装飾品の方が好まれるのはセーフティネットなんて無くて脱落したら墓へ一直線になりかねない社会では当然の流れだろう。
「それに、髪の毛を不特定多数の人が来る美容室で切るなんて怖いからねぇ」
碧が終わったので、場所を交代しながら付け加える。
「うん?
美容院で襲い掛かって来る人が多かったの??」
碧が首を傾げながら聞いてきた。
「いやいやいや。
美容院で切った髪を呪詛に使われると怖いじゃん?
普通の一般人でも逆恨みとかストーカー被害とかはあったからさ。
呪詛に使える材料を床に撒き散らす美容院なんて危険すぎるでしょ。拾い集めてしっかり焼却するにしても下っ端を一人買収すればなんとでもなっちゃうし。
だから訪問美容師は居ても美容院は無かったね」
ある意味、切った見た目で競うスタイルだと腕の悪い侍女が失敗したら致命的なのも、髪を結い上げるのが主流だった理由の一つだろう。
髪の毛を結うのは失敗したら解いてやり直せば良いのだ。
切ってしまったら失敗した時は後がない。
現世では別にそこまで真剣に考える必要は無いのだが・・・切った後の髪の扱いが無造作過ぎて、見ているとやっぱりどうしても怖い。
だから最近はこのスキ鋏でちょくちょく手入れして、しっかりお洒落をして会いたい人がいる時の前にだけ美容院に行っている。
スキ鋏って本当に素晴らしい。
とは言え。
来世の事を考えるなら、普通のハサミですく手法を学ぶべきかも?