第4話 剣士アリスト 後編
部屋に置いてあったベッドでアリストの治療を行う。
革の張ったベッドはおそらく拷問用だろう、四隅に革の枷が着いている。
部屋中には鞭や釘、ナイフ、その他に言葉にするのも穢らわしい道具が散乱していた。
間違い無い、この部屋は拷問部屋だ。
「外れたよ」
「ありがとう、そこに寝かせて」
鎖を外しアリストをベッドに寝かせる。
目立つ損傷は両腕だけだ、切断面は止血の為か火で焼いた跡がある。
耳朶は切り取られていた。
これはまだ新しい傷、流れた血が耳の穴を塞いでいるだけで鼓膜は無事の様だ。
「始めるわよ、先ずは両腕から」
「はい」
アリストに薬を飲ませ、眠りに落ちた事を確認する。
落ち着いた様子のラクト、しかし心の中は叫んでいた。
アリストに対する心配と、拷問をした奴等への激しい憎悪。
「集中よ」
「分かりました」
大きく深呼吸を繰り返すラクト。
これで大丈夫だ。
アリストの治療は滞りなく進んだ。
「よし」
最後に両目の治療を行う。
アリストの目から最後の針を引き抜きテーブルに並べた。
針の長さは人差し指程、この針には見覚えがある。
以前遊技場で見た物、まさか人間に使うなんて...
「...終わりました」
アリストの目に手を翳していたラクトが微笑む。
いつもながら早いわね。
でも少し若すぎない?
これどう見ても40前の女性じゃないよ?
肌も艶々じゃない!
「ご苦労様、まだ大丈夫?」
「まだまだ元気です!」
少し怒りを込めるが、気づかずに元気一杯なラクト。
説教は後にしよう、これからの事もあるし。
「早く起きないかな?」
アリストが眠るベッド脇に両肘を着くラクト、今回はちゃんと会わせてあげたかったんだけど...
「そんな所に立ってないで入って来なさい」
「リリ?」
ベッドから離れて扉の前に立つ。
外で息を潜ませている奴等を呼ぶとラクトが驚いて私を見た。
こんな奴等の心を読む必要も無い、殺気が部屋の中までだだ洩れじゃないか。
「よく気づいたな」
「やるねえ、お姉さん」
「なかなかの上玉だな、俺が最初だ」
「その次は俺だぜ、ババアは面白くなかったしな」
ニヤニヤ笑いながら部屋に入って来た三人組。
1人はさっきの男か。
「誰だ!!」
ラクトが叫ぶ。
見れば分かるじゃない、敵だって。
「なんだこのガキ?」
「男は邪魔だ、殺しますか?」
「ガキは直ぐ死んじまうから、いたぶっても楽しくねえ...」
「ふーん」
男達の戯れ言を聞きながら奴等の心を読む。
なんとまあ...コイツら揃いも揃って。
胸糞が悪い。
一気に男達の間合いに飛び込んだ。
「グエ!!」
男の鳩尾に拳を叩き込む。
ブヨブヨの腹は贅肉に覆われていた。
吐瀉物を撒き散らしながら男は空中を舞う。
「テメ...」
次の男に回し蹴りを喰らわせる。
蹴りは手加減が難しい、首を折らない様に調整した。
「よっと」
「フグッ!?」
最後の男は吹き矢の筒を口に当てていた。
素早く取り上げ、前後を逆にする。
息を大きく吸い込んでいたのか、針は自分に刺さった様だ、男は喉を押さえて暴れだした。
「リリ、コイツらは?」
立ち回りを見ていたラクトに驚いた様子は無い。
こんな奴等に後れを取る私ではないと分かっていたのだろう。
「バカ息子と取り巻き達ね」
「アリストの針もコイツが?」
「そうみたいね」
喉を押さえている男の頭を蹴りあげた。
「ふーん」
ラクトが男達に近づく。
表情は静かだ、殺したりはしないだろう。
「苦しい?」
ラクトが喉を押さえて呻く男に呟いた。
何をするのかな...なるほどね。
「よいしょ」
男の口を抉じ開け、喉に刺さっていた針を引き抜く。
顔に生気が戻る、でもこれからが地獄よ。
「...Hypersensitivty」
「ギャアア!!」
男が再び暴れ始めた。
ラクトが今したのは人の神経を最高の感度まで高める魔法。
ぶり返した痛みは先程の比では無い。
死にはしないが、これから飲み食いする度に激痛が襲うだろう。
「残りの2人は?」
「もういいよ、本当はこんな事したくなかったけど」
ラクトはそういう人、でも我慢できなかったんだね。
「起きなさい!」
気を失っていたもう1人の頭を踏みつける。
靴の裏には覚醒の魔法を纏わせた。
「案内しなさい」
「...どこに?」
「貴方達が拷問した使用人達の部屋によ。
隠しても無駄だからね、調べは着いているから」
さっき心を読んで知ったばかりだけど。
「し...知らない」
「なら死ぬ?」
男のこめかみを片手で掴み、一気に指を食い込ませる。
骨が軋んでもう少しで砕けそう、しないけど。
「アア!!分かりました!!」
叫ぶ男の股間が濡れた。
「誰か」
「はい」
呼び掛けると馭者が部屋に入って来た。
目配せをすると馭者は床に倒れていた男達をロープで縛り上げ出ていく。
言葉はいらない私達、阿吽の呼吸だった。
「ここ?」
アリストだけを部屋に残し、私達は男に続く。
ラクトの手には治療の道具が入った鞄が握られていた。
「はい...」
「ご褒美よ」
「え、ギャ!!」
男の股間を蹴りあげると靴のつま先に潰れた感触が残った。
「助けに来たわよ」
「...貴方達は?」
扉を抉じ開けると部屋には数人の男女が固まって震えていた。
酷く怯えている、日常的な暴力を受けていたのは間違いない。
「アリスト...アリスの仲間よ、もう大丈夫だから」
「リリ?」
ラクトが驚いて私を見た。
「アリスお嬢様が?」
年配の男性が呟いた。
服装から察するに執事だ、しかし彼の片目は濁っていた。
吹き矢が刺さり、放置されていたのだろう。
「助けて頂き...ありがとうございます」
そう言った女性には片腕が無い。
部屋に居た全ての人達には何らかの損傷が見受けられた。
「ラクト」
「分かってるよ。
みんな戻してあげる、大丈夫だからね」
笑顔で使用人を見つめるラクト。
彼の笑顔は人を癒す、疑心暗鬼な空気は霧散していく。
本当の癒しとはこれなんだ。
「大丈夫?」
「...うん」
立て続けに行う復元魔法、私も軽傷者に治癒魔法を施すが、さすがに疲れが出てきた。
「リリはアリエ...アリスの所に戻って」
「良いの?」
「うん、起きた時に誰も居なかったら可哀想だもん」
ラクトは強い瞳で私を見た。
覚悟したんだ、目覚めたアリエスとの再会が叶わぬかもしれない事に。
「後をお願いね」
治療に集中するラクトを残して再びアリエスの部屋に。
彼女の瞳は開き、ただ天井を見つめていた。
「気分はどう?」
「貴女は?」
顔を私に向けるアリエス。
今回も首から下は麻痺させて貰った。
「ランドルフ王国の使いです」
「そっか...」
特に驚く様子もなくアリエスは私の言葉を受け入れた。
彼女の心の中は静かだった。
「屋敷のみんなは?」
「全員解放したわよ、安心なさい」
「...ありがとう」
再び目を瞑るアリエス。
彼女の脳裏に浮かんで来たのは今までの事だった。
逃亡の果てに、最後は故郷で死にたいと願ったアリエス。
仲間と別れ街に潜入したが、直ぐ知り合いに見つかってしまった。
捕縛を覚悟したアリエスに街の人が言った。
『よくぞお戻りになられました』と。
アリエスの父が治めていたこの街。
本当ならアリエスが近隣から婿を取り、継ぐ筈だった。
しかし彼女は拒んだ、アリエスには恋人が居たのだ。
男は街で小さな料理屋を営んでいた。
貧しい男との結婚をアリエスの父が許す筈も無く、2人は駆け落ちした。
街の人達はそんなアリエス達を応援し、街を脱出した2人は恋を成就させた...か。
続きは後にするとして、先ず最初に。
「どうして使用人を助けようと思ったの?」
「頼まれたからよ」
「街の人達から?」
「ええ、領主の屋敷に使用人で雇われた家族が帰って来ないって聞いてね」
「そう」
それだけで命を張るなんて、少し無謀じゃないのか。
「自信あったんだけど、子供を盾にされちゃお手上げよ」
「子供?」
「使用人に雇われた男の子よ。まだ10歳位だったわ」
アリエスは心の中で一気に感情を爆発させた。
しかし表情には浮かべ無い、凄い精神力だ。
「しかし前領主の遠縁とは言え、よくあんなのを迎え入れたわね」
さっきの中年男女を思い出す。
「私のせいよ」
「貴女の?」
「私が家を飛び出したから...お父さん気落ちしたのね、あんな屑を見抜けられず養子にして」
「仕方ないわ、アリエスは愛に生きたかったのだから」
私もそうだ、ラクトと生きる為なら実家なんか...いや私は反対されて無いな。
「それなのに...私はあの人を裏切り...息子を...守れなかった...」
アリエスの瞳から溢れ出す涙。
彼女の心に浮かんだのは目を背けたくなる自業自得の悲劇だった。
「野盗に襲われたのね」
「どうしてそれを!?」
「調べさせて貰ったわ」
嘘だけど。
「街を出た貴方達はランドルフ王国で一軒の宿を始めた。
宿は順調で、貴女は子供にも恵まれ幸せに暮らしていた、そうでしょ?」
「ええ...」
「そんなある日、宿に泊まりに来た1人の男、貴女はその男と」
「止めて!!」
アリエスが叫んだ。
激しい悔恨...彼女は男に口説かれ、家を抜け出し一夜の過ちを犯してしまったのだ。
翌朝起きると男は居なかった。
慌てて家に帰ると宿は野盗達に襲われた後だった。
半狂乱になりながら必死で荒らされた室内から家族を探すアリエス。
...見つかったのは変わり果てた夫と息子の姿だった。
「野盗は貴女が剣術の達人と知っていたのね、だから仲間の1人に命じて貴女を宿から引き離した...」
「...馬鹿だった...男に口説かれて...ああ!!」
激しい慟哭、まさかこんな苦しい過去を背負っていたなんて...
「それで冒険者に?」
「宿の常連だったナッシュとパーティーを組んで、奴等に復讐するために...数年掛かったわ」
野盗達を皆殺しにしたアリエスは死のうとしたが、その時一緒にいたナッシュが彼女を救った。
『死んだところでどうにもならねえ、生きて償おうぜ、俺みたいに』...か。
「だから男装を?」
「女を捨てたのよ、だから」
「ふーん」
なるほど、大体の事は分かったよ。
それじゃ最後だ。
「どうしてラクトを?」
「あの子の事をどうして!?」
「今回同行してるのよ」
「あの子は関係無いわ!ただの...ただの使いッ走りよ!
仲間なんかじゃない!!」
やっぱりか、そう言うだろうな。
「大丈夫よ、ランドルフ王国はラクトと貴方達のパーティーは関係無いと認定してるから」
「本当ですか?」
「信じられないの?」
アリエスの目を見つめた。
「もしかして私の身体を?」
「ええ、ラクトが」
「ラクト...ちゃんとヒーラーになれたのね」
「そんなに心配だった?」
「あの子は親の愛情を受けずに育ったの、心配は当然でしょ?」
『自分は裏切っておいて?』
そう言いたいが、今は飲み込んだ。
「ラクトはどこに?」
「近くに居るわ、会う?」
「....止めておきます、そんな資格なんかありませんから」
「悲しむわよ?」
「まさか...」
「本当よ、ラクトはアルテナやナッシュ、そして貴女に恩返しする事だけをずっと考えてたの」
「ラクトが?」
アリエスが呻く、これはどうした物か...
「リリエッタ様」
「何か?」
扉がノックされ、部屋に馭者が現れた。
「使用人の治療が終わりました」
「そう、ラクトは?」
「最後の1人の治療を終えますと、意識を失いました」
「なんですって!!」
迂闊だった!
まさか全力で全てやりきるなんて!!
「落ち着いて下さい、単に体力が尽きただけです。
数時間もすれば目を覚まされます。
今はベッドでお休みを」
「良かった...」
ラクトが無事ならそれで良いわ。
「...最後に会っても良いですか?」
小さな声でアリエスが呟いた。
「どうしたの急に?」
「眠っているラクトに会いたいんです、最後にもう一度だけ」
「分かった、これを着なさい」
真剣な目をしたアリエスにゆっくりと頷き、服を差し出した。
「どうぞ」
「ああラクト...」
馭者の案内でラクトの居る部屋に着いた。
扉の向こうで静かに眠るラクト、穏やかな寝顔は治療をやりきった満足感に満ちていた。
「...ラクト」
アリエスが静かに近づく。
その瞳には間違えようの無い愛情が満ちていた。
それは親子の愛情、アリエスはラクトに過ちで失った息子をみていたのだ。
「...こんなに大きくなって...当たり前か、時間は過ぎるんだし」
アリエスはラクトの頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫で始める。
母親だっただけに、その手つきはとても慣れていた。
「昔寝てるラクトにしてたんです」
「そうなの?」
「あの時は悪い夢を見ていたんでしょう、こうすると笑顔になって...ラクト...ラクト...」
静かな部屋にアリエスの声だけが聞こえた。