第1話 ラクトの事情
宜しくお願いします。
薬で眠らされ、ベッドに横たわる男の子に僕は手を翳す。
右足の太股を紐で縛られている男の子は膝から先が無い。
昨夜街を襲った十数頭の魔物。
家に居た男の子は両親の目の前で膝下を食い千切られてしまったのだ。
これを元通りにするには高位の治癒魔法が必要になる。
細心の注意を払いながら、男の子の膝に魔法を掛け続けた。
「終わりました...」
どうやら上手く行ったらしい。
長い時間に感じたが、実際には10分程で男の子の右足は元の足が再生されていた。
「ありがとうございます!!」
男の子の手を握っていたお母さんは涙を流しながら頭を下げる。
ヒーラーとして良かったと思える瞬間。
「沢山の血が失われてますから安静にお願いします。
あと足の違和感が数日残りますけど、もし治まらない様ならまた来て下さい」
再生された部分が馴染むまで違和感があるが、これは2~3日で治まっていく筈だ、でも注意する事は忘れない。
「はい...本当に...本当に、ありがとうございました」
お母さんは男の子を抱き抱えながら治療室を出ていく。
心配だったろうな、あの子はまだ4歳になったばかりだったそうだから。
「次の患者を」
治療室の扉を開け、外に居た職員さんを呼ぶ。
昨夜から休み無しで大勢の人達に治療を続けて来た。
体力と魔力の消耗が激しいが、戦う力の無い僕には治療魔法を施すくらいしか出来ない。
疲れたなんて言ってられない。
魔獣共は城の衛兵と冒険者達が命懸けで駆除してくれたんだ、それに比べたら。
「患者は先ほどで終わりです」
「そう、ありがとう」
どうやら終わりか。
今日は本来なら休みだったんだけど、まあいいや、このまま家に帰らず自分の研究室で仮眠をしよう。
泊まる時の為に簡易ベッドもあるし。
ランドルフ王立ヒーラー養成学校に勤める僕。
2年前ここを卒業したけど、そのまま留まり、学校に併設された治療院で働きながら生徒を教えている。
本当は元の冒険者に戻って所属していたパーティの仲間に恩返しをしたいけど...
「おいラクト」
「リリエッタ様、どうかされましたか?」
研究室に向かう途中で僕と同じローブを纏った1人の女性が呼び止める。
彼女の名前はリリエッタ、僕と共に学んだ同期。
しかし優秀な彼女は一研究員である僕と違い、この王立学校で主任研究員としてバリバリ働いている。
つまり僕直属の上司になる。
「そのままの服で部屋に入るつもりか?」
「あ!」
リリエッタに言われて僕の服が血だらけなのに気づく。
昨夜から診てきた患者達の血。
これでは部屋に入れない、ベッドで寝るなんてもっての他だ。
「すみません、直ぐに着替えて参ります」
慌ててローブを脱ぐが、下の服まで血が染みている。
これは不味い、一旦家に帰らなくては。
「付いてきなさい」
僕の様子を見ていたリリエッタが呟く。
「良いから」
「分かりました」
有無をいわせぬリリエッタ。
鋭い視線は彼女が持つ切れ長な瞳の迫力も加わり息を飲む程綺麗だ。
...実際リリエッタは綺麗な人だ。
6年前、試験会場で見た彼女にこの世でこんな綺麗な人がいるのかと思った程。
身長は僕より頭一つ大きいけど(僕が小さ過ぎるのもある)腰まで伸ばした美しい髪は栗色、そして健康的な身体、二重で切れ長の瞳、意外と小さな鼻梁、引き締まった唇、全部が美しい。
「...バカ」
「どうされました?」
真っ赤な顔でリリエッタが呟く。
邪な僕の思考に気づいたのかな?
いや、まさか...
高位貴族の令嬢でもあるリリエッタにそんな事を考えているのがバレたら大変だ。
殺されちゃうよ、リリエッタのお父さんに。
「入りなさい」
「でも...」
「いいの、許可は取ったから」
「ち...ちょっと」
リリエッタに押され大きな部屋に入る。
ここは王立学校の幹部しか入る事が出来ないエリア。
一般の者は許可無く立ち入る事が禁止されている。
そこにリリエッタの研究室は置かれていた。
「ラクト、奥の浴室を使って」
「良いのか?」
扉を閉めたリリエッタは態度を急変させる。
これが本当のリリエッタ。
普段は気を張ってるそうだ、令嬢って大変なんだな。
僕も対等な口調でリリエッタに話す。
こうしないと怒るんだ。
「良いのよ、私は入ったから」
「そうなの?」
「うん、私はラクトより早く治療が終わったから」
リリエッタも治療に駆り出されていたのか。
優秀な使い手の彼女だから僕より早く、大勢の患者を助けたんだろう。
「それじゃお言葉に甘えて」
「しっかり身体を洗い流してね、掃除は済ませてあるから」
「助かるよ、ありがとう」
脱衣室から答える。
僕みたいな一般の研究員がリリエッタの使う部屋のしかも浴室まで使う事は考えられない。
これもリリエッタが学校に掛け合って許可を貰った。
このエリアにある部屋は全て専属のスタッフが着いている。
しっかりと掃除された床には埃一つ落ちていない。浴室も然り、さっきリリエッタが使ったのに脱衣室には水滴一つ見当たらない。
浴室もだ、快適な空間はまるで自分が偉くなった錯覚すら覚えた。
「気持ち良かった」
浴槽から上がり、再び脱衣室に行くとフカフカのタオルに綺麗に畳まれた僕の衣服が置かれていた。
真新しい服は全て新品、下着も全てだ。
これもスタッフに命じて用意させたんだろう。
「うし!」
最後にローブを羽織る。
さすがに王国から官給のローブは新品では無い。
しかし綺麗に洗ってあるローブは新品の様な美しさだった。
「いつもながらサイズピッタリだ」
リリエッタのスタッフはどれだけ優秀なんだろう?
一研究員の衣服サイズまで知ってるなんて。
「上がったよ」
「うん、綺麗になったわね」
リリエッタの研究室には応接間まである。
大きなソファーに座っていた彼女は僕を見て満足げに笑った。
「座って」
「ありがとう...っと!」
柔らかいソファーに身体の半分まで埋まる。
よくこんなのに平気な顔で座れるもんだ。
「オレンジジュースで良い?」
「良いよ僕がやるから」
「ダメ、私がするの」
テーブルには氷の詰まったガラスの桶と、その中に数種類の瓶が差されていた。
「どうぞ」
「ありがとう」
リリエッタからオレンジジュースが入ったグラスを受けとる。
火照った身体に冷えたジュース、最高の時間だ。
「これもどうぞ、昨日から何も食べて無いんでしょ?」
「美味しそう!」
リリエッタは大皿に盛った沢山のお菓子を持ってきた。
サブレーやマドレーヌ、色とりどりのお菓子はどれも僕の大好物。
子供みたいだが、僕はお菓子に目が無い。
何しろ子供時代はお菓子どころか、満足な食事すら食べられなかったんだから。
「美味しい?」
「うん!」
思わず子供みたいな言葉になってしまう。
本当に美味しい、自由になるお金が出来た僕は沢山の菓子店でお菓子を買い漁って来たが、これは売っている味じゃない。
きっとスタッフが手作りしているのだろう。
最近は菓子店で買う事がめっきり減った。
リリエッタがたまに差し入れしてくれるからだ。
「いつもありがとうリリエッタ」
感謝を込めてリリエッタにお礼を言う。
「...リリ」
「どうしたの?」
「二人っきりの時はリリでしょ?」
そうだ。リリエッタはそうだっんだ。
「ごめんねリリ」
「宜しい」
少女の様にリリエッタが微笑んだ。
「...ラクト」
「何?」
小さな声のリリエッタが僕の名前を呼んだ。
「まだパーティの人達を探しているの?」
「...うん」
僕が冒険者時代のパーティメンバーを探している事はリリエッタも知っている。
彼女には全て話した。
「今の僕が在るのはあの人達のお陰だからね」
「そっか...」
「リリエッタにも会わせたかったよ」
「私はいいわ」
遠慮がちに目を伏せるリリエッタ。
冒険者って乱暴なイメージがあるから仕方ない。
でもあの人達は違った。
冒険者パーティ[龍の集い]は...
急な眠気が僕を襲う、やはり疲れは限界に来ていたのだ。
僕の脳裏に今までの事が浮かんで来る。
靴職人だった父親が死んだのは僕が3歳の時だった。
2年後に母は再婚したが、新しい父親との暮らし...それは地獄だった。
毎日の様に新しい父親から繰り返される激しい暴力。
母は新しい父親との間に子供が産まれると、僕は完全に見捨てられた。
食事は殆ど与えられず、近くの食堂で皿洗いとゴミ掃除を命じられた。
給料は全て取り上げられ、食堂の廃棄された残飯を食べる事で、何とか10歳まで生き延びる事が出来た。
そんな地獄から救ってくれたのが食堂の常連だった龍の集いのメンバー、魔法使いのアルテナだった。
『よかったら私達の見習いメンバーにならない?』
ある日彼女が言ってくれた一言、それは女神の救いに聞こえた。
そのまま龍の集いに加わり、僕は家に帰らなかった。
よくこんな僕をパーティに加えてくれる気になったもんだ。
骨と皮だけの身体には筋肉は全く無かったし、栄養不足から身長は10歳には見えなかっただろう。
だから僕は死にもの狂いで頑張った。
洗濯や買い出し、武具の手入れ、必死でやった。
筋肉はどれだけ頑張っても駄目だった。
身体も小さいまま、やはり子供時代の栄養不足は響いてしまった。
そんなある日、13歳になった僕はいつもの様に拠点の街で留守番を命じられ、食事の買い出しに出ていた。
『ん?』
一軒の建物に目が止まる。
そこの店は王国認定ヒーラーが営む治療院で、助手募集と書いてあった。
『ヒーラーになればパーティの力になれる』
そう考えた僕は治療院に飛び込んでいた。
『ラクト、お前ヒーラーになるつもりか?』
治療院の助手を始めて一年が過ぎた頃、パーティリーダーのナッシュが聞いた。
『どこで...それを?』
まだ全く治癒魔法なんか使えなかった。
助手と言っても、単なる小間使いに過ぎなかったのだ。
『お前な、正式なヒーラーは国家資格だぞ?
学校に行かなきゃなれる訳ねえだろ』
『そうだったんですか?』
衝撃の事実、治癒院の先生は無給で僕を騙していた。
そんな事全く知らなかったのだ。
『これに懲りたら大人しくしてるんだな』
『そうね、ラクトは騙されやすいから』
『全く』
ショックを受ける僕を慰めるパーティのみんな。
暖かい言葉に涙が止まらなかった。
それから暫く後、その治療院は潰れた。
正式な許可無く、ヒーラーを名乗っていたそうだ。
僕を騙していた先生...男も姿を眩ませた。
『なあラクト』
『はい』
『お前まだヒーラーになりたいのか』
一年後、15歳の僕にナッシュが言った。
『え?』
突然だったので何と答えて良いか分からない。
『お前まだ諦めてないだろ、本まで買い込んでよ』
『...はい』
僅かなお金で買った本。
国家資格であるヒーラーになれなくても、せめて簡単な治癒魔法くらいは身につけたかった。
それに一年の治療院での手伝いをしている偽ヒーラーの男の仕草を思いだしていたら、僕の方が上手く出来る気がしてならなかった。
『分かった、ヒーラーになれよ』
『は?』
『ほれ』
唖然とする僕にナッシュは一通の封筒を手渡した。
そこには王立ヒーラー養成学校の入試書類と書いてあった。
『これは?』
『入試手続きは済ましてある。試験は半年後だ』
ナッシュは僕の質問に答えず、話を続けた。
『王都にはヒーラーの予備校があるから、そこで勉強しろ、お前は今日をもってパーティを離れるんだ』
『嫌です!!』
僕は叫んでいた。
せっかくの仲間になったみんなと離れるなんて考えられなかった。
『...お前はこんな所で終わる人間じゃない』
『ナッシュさん...』
『これが永久の別れじゃない、立派なヒーラーになったら帰って来い。
俺達は待ってるぞ、みんなの総意なんだ』
ナッシュは辛そうに呟く。
総意って事は他のみんなと話し合って決めたのか。
『...分かりました、必ずヒーラーになって帰って来ますから』
『ああ、待ってるぞ』
こうして僕はパーティを離れた。
それ以来仲間と一度も会ってない。
連絡が取れなくなってしまったのだ。
幸いにも学校には合格出来た。
4年後学校を卒業をし、ヒーラーになれたが、[龍の集い]は見つからない。
リリエッタにも頼んで探して貰ってるのに....




