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デュアル!  作者: 速水詩穂
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3、寺岡一嘉 ストローク

テイクバック:ボールを打つ前にラケットを引く動作。

インパクト:ボールがガットに接触する瞬間。

フォロースルー:インパクト後のラケットの振り抜き。


スナップ:打球時に使う手首の力。


ボレー:バウンドを介さずに打ち返す技術。打ち返す高さによってローボレー、ハイボレーなどに区分される。

ショートバウンドを挟むハーフボレー、ノーバウンドでレシーブをするように打つドライブボレーもボレーと名がつくが、グリップ(持ち方)によってその人の中でボレーに区分されたりストロークに区分されたりする。


ポーチ:前衛による飛び出し。後衛同士のストロークのやりとりを妨げる行為。







 昔いたチームは在籍者二名だった。元々土壌として競技自体に力を入れられている訳ではなく、テニスはどこかダンスに近しい「女の競技」というイメージがあった。だからここだけでもこれだけ男がいるというのは、不思議というよりかは違和感が勝った。

 かく言う自分自身もこの競技を始めたきっかけは母親によるところが大きい。ただ、きっかけはどうであれ「この音を聞いてテニスをせずにはいられない」程ハマったものであり、自分と近しい熱量を持った集団の中で打ち込めるのは、単純に幸福だと思った。

 ストレートのラリー。ネットを挟んで向かいに立ったのは、水色のウェア。黒縁のメガネをかけた大柄の男。クセのないまっすぐな打球は、男にしては珍しく、フラット気味の真面目一辺倒。機械のような正確さで繰り返されるやりとり。

 テイクバック。インパクト。フォロースルー。

 何の変哲もない、悪くいえば面白みのないテニス。

 ただ、続く。同じようなやりとりが、微調整を加えるだけで続く。同じ高さの弾道、スピード、同じポイントでバウンドする。いつまでも同じ。いや、違う。

 悪寒が走る。あまりに自然すぎる不自然に気づいた途端、強張る肩。

 当然だが、打球はいつだってまっすぐな軌道を描く訳ではない。当たり損ない、風、プレイヤーの打ち方のクセ。様々な影響を受けた上で織り成すやりとりは、だから常時、自身の望むような形で打てる訳ではない。だから素振りは大事だけれども、一方でその場に応じてボールを処理する技術も必要になり、そのため形にこだわる人ほど試合で力を発揮できなくなるケースが多い。では、今見ているものは。あの男は、無理なく、自分の打ちやすい打点でボールを捉えて、決まった場所に返し続けている。つまり、だ。

 打つ瞬間に照準を合わせて逆算した時、打球の手元に届くまでの間の外的影響の有無。その前、打った瞬間のクセ、かけられた回転の方向、量。その前、相手の身体の向き、打ち出されると予測される方向、まで遡らなければ、そこからでなければ、ピンポイントの照準は合わせられない。

 人のやる事だ。ミスだってあるだろう。だからこそ、

 バウンドする。いつまでも同じそれは、純粋な異常だった。強張った肩。気持ちとともに、乱れる打球。自分は一度だって同じ所に返したつもりはない。同じ「ような」所に返し続けているだけだ。

 灰色のクレイコート。自らの足元の一部だけが、やけに白い。それは「ボールを縦に三つ、横に三つ並べた範囲」より、一回り小さな円。

 乱れた打球が真面目一辺倒の色をして返ってくる。そんな背景のごとく見事に溶け込んでいる異常に、クセがない訳がない。完全なる掌握。それは、打球を自由自在に操れることに他ならない。ネットにかける。一本目のラリーが終わった。


 二本目。まずは相手のペースを乱す。

 スライス。低い弾道のものを返す。通常に比べて落ちる球速。薄くバウンドするボールは打点が下がりやすく、膝をしっかり使わなければ持ち上げられない。

 ラリーは何本か続いた段階でオートに切り替わる。一定のリズムが生まれ、無意識のうちに心地よいリズムで打とうとする。相性こそあるものの、ある程度のストローク力を持つ者同士なら、一旦ハマると、このやりとりがいつまでも続くかのような感覚が生まれる。

 心地よさの追求だけなら何のことはない。けれど今は、そのリズムを崩すことに注力する。二本のスライスの後のトップスピン。グリップを変えてフラット。意図せずサービスライン上の浅いところに落ちたボールは、スピンに比べて弾まない。その前のターン、ベースラインギリギリのトップスピンを打ち込んでいる分、自然、踏み込みが必要になる。男は、

 何のことない。やわらかく膝を使ってボールをつかまえると、手首をひねって返した。その弾道はネットギリギリ。伸びる。予測着弾点は自分の足元。身体をひねってスペースを作るが、間に合わない。手元で弾いたボールはネットにかかると、再び手前に転がった。


 三本目。

 何となくでも球筋に慣れてきた感覚がある内に勝負を仕掛けてみる。先程と同じベースライン上、トップスピンでのやりとり。そこに再びフラットを交える。三歩出ると同時に相手が返してきたのは、スナップを効かせた低い弾道のもの。それを思いっきりその足元に打ち込む。変わるテンポ。突然のことに乱れた返球は、それでも芯を外しておらず、良い音がした。それを再び同じところに打ち込む。足元。サービスラインより二歩下がった所。前に出ていればボレーで戦う所だが、それにしてはネットから距離があり、最も技術が求められる立ち位置だった。しかし次の瞬間、総毛立つ。「それ」は何も特別なことじゃない。何の変哲もない、面白味もない、ただの基礎。

 悟る。この男の持ち味は、機械のような正確なストローク。そして気づいたのは、それを生み出すための、基礎の位が高いこと。どんな技術があっても、どんな派手なパフォーマンスをしたとしても、それが「その時その瞬間」発揮できなければ意味がない。

 例えば勝敗を決める一打。この男は、例えどんなボールが来ようと、打ってから基本姿勢に戻るまでの速さが変わらない。打って戻る。打って戻る。その単純な負荷は、そうでなくても横着して省くことがある。特にテンポが早くなればなる程、顕著にその差は出る。

 けれどもこの男にはそれがなかった。いつだって同じ動作を同じスピードで繰り返す。故にあるいはボールを打つ瞬間よりずっと前の段階で勝負が決まっていると言って過言ではなかった。

 圧倒的な基礎の精度。総毛立ったのは本能。近未来に訪れる身の危険を察する。それは基礎の動作からの動き出しが、ほんの一瞬だけ早まったのを、この目が捉えたがため。それが意味するのは。

 パァン!

 強打。

 トップスピンを「周り一帯の空気を巻き込んで飛んでくる打球」としたら、フラットは「空気を切り裂くように飛んでくる打球」重いものは遅い。軽いものは早い。凄まじい速さで飛んできた打球は、自陣ベースライン上にいるにも関わらず、振り出したラケットのフレームに当たり、ネットにかかった。

「打った後、きちんと基本姿勢に戻らないとこうなる」という比較動画が作れそうな明暗。ネットの手前に転がる三球。これが今の実力差だった。

 交代。ネットを挟んで向こう、男はコートから出ると、近くにいた相手と言葉を交わす。何のことないやりとり。ネットを挟んで手前、切れる息。拍動に支配された自分は、なじみがあろうとなかろうと、今誰かと話をするなんてことは、とてもできそうになかった。


 言ってしまえば自覚する自分の武器もストロークだった。早い試合展開が好きな相手。力競べをしたがる相手。そのタイプによって使い分けるが、フラットは打ち出しの角度を違えると、たやすくベースラインを割るため、球威を削いでも確実にコートに収まるトップスピンが基本の打球だった。ただ、

 形式練習。相変わらず凄まじい速度で目の前を行き交うボール。その精度はもちろん、球威もケタ違い。回転がかかっているのに早い。相反するはずの条件は、何らかの法則によって相殺されている。空気を切り裂いてはずむボール。縦回転を加えられたボールは、ガットの上半面でインパクトすると弾かれて浮いてしまう。だから正規の打点で捉えて押さえ込み、新たな回転を加えて打ち出す必要がある。「打点に入ってインパクトするまでの時間は一秒に満たない」と言われているにも関わらず、正確に当てて、自分色に染めて返すその技術たるや。

 ウソだろ、と思う。何より。

 ウソだろ、ここ本当に初級かよ、と。日本人のテニスプレイヤーとして知っているのは錦織選手位だが、プレイ人口自体、裾野が広いのかもしれない。

 黒縁のメガネ。機械のようなストローク。その、打ち出したボールを、相手前衛が捕まえた。変化。規則的だったボールの弾道が変わる。逆クロス。センターラインと逆サイドの間、サービスラインよりボール三つ分深いところに落ちたボールは、球威こそあれどコースが甘い。

 反射するレンズ。ポーチに出た前衛が開けた場所、相手のバックサイドに低い弾道の打球が抜けた。それはシングルスのサイドライン上に痕跡を残すと、そのままバウンドして、金網に当たる。レーザービームという呼び方を思い出す。それは必ずしも野球だけで使う用語ではないようだ。味方前衛が「打つなら言えよ」と笑いまじりに言う。男は片手を上げると、再び定位置に戻って行った。

 機械のように正確な打球。けれどもそれは「イレギュラーが起きたとき自己に目覚める」オリジナル。息を吹き込む。完全に自分色にして返す。元来気づかれにくい色。九つの無色と一つのあの男色。

 大柄の黒縁メガネ。淡々と自分の役割をこなす静かで確かな職人。

 男の名は寺岡一嘉。この男以上のベースラインストローカーに、自分はまだ出会ったことがない。

 


 








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