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デュアル!  作者: 速水詩穂
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2、自己紹介

ガットの留め具:通称「振動止め」メーカーロゴのものからキャラクターものまで色々ある。


トップスピナー:トップスピンを打ってくる人。トップスピン+er


後衛:ベースラインでラリーする人。全体の8割ぐらいボールを打つ。

前衛:ネット付近に待機する人。突然飛び出してラリーを遮断する。


正クロス:お互いコートの右半面で打ち合うこと。対義語:逆クロス


スイートスポット:ガットの真ん中。






 正しく愛することは美しい。強制せず、お互い自由にのびのびとあるがまま。

 テニスは来たボールを打って返す競技だ。ただ、言葉にすればたったそれだけの動きの中には、凄まじい量の情報が絶えず行き交っている。

 ボールの回転量によってバウンドの大きさは変わるし、回転のかけ方によってバウンドの仕方も変わる。だから始めたばかりの頃は、パッと見ゆるめの打球のとんでもない負荷に衝撃を受け、空気抵抗の法則に思い至ったり、だからこそ逆に早い球速は、追いつきさえすれば返しやすいことに気づいたり、ラリー全てが驚きと発見に満ちあふれていた。

 パァン。

 気持ちの良い打球感。これが鈍るからガットの留め具はつけない派だ。肘にかかる負荷、そのためにリスクを負った方が芯を外さないよう努力する。環境、状況。一日として同じ日はない。そのために労力を割く。それは純然たるリスペクト。そうして気づく。ただひたむきに努力している間、当然かかるはずの、時間的、体力的、精神的負荷の相対比が、あからさまに歪んでいることに。

 パァン。

 苦笑い。

 相対性理論、とやら。愛だの恋だのに相違ない。

 結局本人の捉え方次第。惜しみなく注ぎ込むそれらに、何の見返りも求めない。事実、選手として食べていく訳じゃない以上、戦利品として得られるのはこの打球感ぐらいだ。それでも感じるのは「そのために今ここにいる」と思えるほどの高揚感。翌日の仕事を忘れる程の。

 コスパ最強かよ。

 もちろん一人称ではない。これはあくまで競技そのもの視点で、だ。

 見返りなどない。打球感一つのために、時間、労力、心全て揃えて来る、下僕の方から集まってくる。それは女王様以外の何ものでも無い。でも、ああ。

 パァン。

 気持ちが良い。ただその一言に尽きる。

 結局感性なんだろう。この感覚、心地よさに勝るものは、この世に存在しないように思える。はまれるものがある。その事実だけで、自分は幸福であることを思い出す。


 五月の中頃、最も過ごしやすい時期を迎えた夜。結局週の真ん中、水曜十八時半からの初級クラスに入ることにした。

 五年ブランクがたった数日で埋まるはずもなく、まずは毎日十分のジョギングから始めた。十分なんて大した距離にもならない。それだけ体力は落ちる所まで落ちていた。

 当面の目標は一時間半、同じ高さのパフォーマンスを維持できるようになること。そう思って向かったコートにいたのは、とても初級とは思えない荒くれ者の集団だった。

ベースライン上にどっしり構えた、大柄黒縁メガネの男。対照的に踊るように前に出る、短い金髪モヒカンの男。単純にストレス発散を目的としているような、荒いテニスをする男。それに加えて、安定したやり取りをする、まだ幼さの残る、見た目が瓜二つの女の子達。

 肩慣らしから始まるストレートのラリーは三球交代。ネットを挟んで片側から打ち出し、三球失敗したら交代。一度に二箇所、四人がコートに入れるため、自分含めて六人いる以上、一回休んで二回入るというもの。

 始めに向かいに入ったのはモヒカンの男。テイクバック時、完全に面が見えなくなる。イコールごりごりのトップスピナーだった。

 インパクト。ゆったり飛んでくるそれは、描く孤の頂点を経由する瞬間、わずかにぶるると震えた気がした。気味が悪い。どこまで下がればいいのか分からない。ただ、どっちにしても初手。実際目にしたものに対応するしかない。

 ボールが着弾した。


「軟式?」

「水分補給のための定型をなさない休憩」にすれ違ったモヒカン男が、タオルで顔を拭いながら聞いて来た。首を振る。男は「ふぅん」と言うと再びコートに入る。パッと見三十くらいの、よく締まった筋肉質な男だった。

 未だに痺れている肩と手首。軟式はあんただろ。と思う。

テイクバック時に面が見えなくなるそれこそ軟式持ち。来たボールをこすり上げるようにして返すそれは、少し前に見た強姦魔色をした打球。

 ゆるやかな弧を描く弾道。ゆっくり飛んでくるため、足は追いつく。ただそれは同時に、安易に逃げられないことを意味していた。

 その後「洗礼」という言葉を彷彿とさせる打ち合いの末、ゲームに向けて移動する途中、コートを囲う金網の向こう、一人の男性がスマホを目線の高さに掲げているのが見えた。細身の長髪、色の白い男だった。黒のトレンチコートにスキニー。足元の革靴。競技者ではないのだろう。おそらく撮影だろう。

 残り三十分。ゲームが始まる頃だった。

「じゃあ大人三人と……鈴汝、入れ」

 シャリ。

 ペットボトルのキャップを締めると振り返る。返事もなくふらりとコートに入ったのは、女だった。思わず二度見する。今までいなかった。遅れて来たのか、ほとんど練習なしでコートに入る。助走なしでいきなりあの三人と試合とか、これは遅刻に対する罰かもしれない。

 首の長く見えるショート。その赤みの強い髪は、見る角度によってはピンクにも見える。というか、改めて見ると、息を呑むような美人だった。横顔の鼻と口のバランスで美形は測れると言うが、わざわざ定義するまでもなく、美人は理屈抜きにただ美人。

 シャリ。

 一般女性より少しだけ濃い色をした肌。その耳元で揺れる金色のピアス。

 女性はネット際で上体を低くすると、ラケットを一度だけ回した。

 サーブは女の相方からだった。イン。球威に加え、ボディに食い込むような弾道に、相手は何とかバックで対処するが、既に返球角度が制限されている。打球がコート中央を通過しようとした次の瞬間、

 パァン。

 金色のピアスが揺れた。

「ナイッサー」

 女性はそう呟くと、顔色一つ変えることなくポジションを移動する。

 再びサーブ。後衛同士、凄まじいスピードでなされるは、ベースラインギリギリの攻防。打点がぴたりと合った渾身の正クロス。受ける側がわずかにスイートスポットを外し、ボールが浮いた。

 浮いた。

 驚くべきは、そのあまりに力の入らない動作。

 ドクン、と何かが鳴る。女性はラケットを担ぐと、息をするように振り下ろす。重力に逆らわず、遠心力を利用して、あるがまま。

 パァン!

 その、あまりに自然な一連の動作に息を呑む。

 逆らわない、というのはこんなにも美しい。

 サーブ権が移る。ふとコートの外の男が視界に入った。変わらずスマホをかざしている男が撮っているのは、この女だということに気づく。誰も何も言わない、ということは、本人も了承済みなのだろう。その後も男に混じっても遜色ないプレイをすると、終了時間と同時にさっさとコートを出た。撮影していた男が近づく。会釈一つ、女性はタオルで口元を拭うと、タップしてかざされた男のスマホの画面に顔を近づけた。


 数秒の間があった。


 その後男はスマホをしまうと、歯を見せた。特徴的な偏った笑み。その肩に女性が手を添える。

 まぶしいライトに照らされて浮かび上がる二つの影。その静かに寄り添う姿は、まるで何かをこらえているかのようで、そこに二人にしか共有できない何かがある気がした。

 これが鈴汝雅の出会いだった。









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