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デュアル!  作者: 速水詩穂
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0、5① 鈴汝雅→水島聖





 本体があったとして、これは本体を愛でるための一手段だと主張したところで、どうあがいても受け入れてもらえる気がしないのは、一瞬そらしてしまった目が、互いを異なる生き物であると明確に線引きしてしまったがせい。

 あえて理性的に、あくまで建設的に、互いにとって同じ距離になるよう、真ん中に置いたはずの事象は、ため息に押されてこっちに寄る。どう見ても今「それ」との距離は、明らかに自分の方が近い、と鈴汝雅は思った。


 一体どこで何を間違えたのだろう。


 さかのぼって考えてみた所で、高揚した気分に、思うがまま放ってきた言動全てが、勢いよく手を挙げるかのよう。静かにたたずむ大きな目。その深い愛情を秘める個体に覗くは深淵。もうじき十年になる「学生時代からの恋人」という関係は、いつからかひそやかに、でも確かにきしみ始めていた。

「あたしはテニスが好きなの」

「知ってます」

「あたしは、テニスをしているの」

「そうでしょうね」

 真ん中に置いたはずの事象は、依然こっちの方が圧倒的に近い。もちろん今言っていることにウソはないし、相手だってそれは認めている。けれどしつこくついて回る後ろめたさが拭いきれない。それはむしろ、拭おうとするとかえって汚れるかのようで、かつて透明だったはずの窓ガラスは、今では磨くほどに新たな汚れを残すばかり。下手すれば余計な火種さえ生み出しかねない。

「やめればいいの?」

「そんなこと言ってません」

 ぬぐえないのは不審。本体を愛でるための手段ならいくらでもある。けれど一手段、最も危険な選択肢である「それ」こそが、この女性にとっての最上だった。だからこれは純粋なわがまま。

 優先順位を考えた所で、迷わずそれに手を伸ばせる位の時間的、経済的余裕はあったし、どちらかというと甘やかしがちな恋人は、いつだって片目をつぶるようにしてこっちに有利な選択肢を差し出してくれていた。だから想定外だったのは、そんな恋人が空気で拒絶を示した事だった。

「じゃぁ何が気に食わないの?」

「気に食わないなんて言ってません。だからいいんじゃないですか? と言っているじゃありませんか」

 元々学生時代からの付き合いだけに、たったひとつの年齢差にも、敬語はしつこくついて回った。それでもここまではっきり線を引かれるのは久しぶりだった。元来話し方にこだわるタイプだが、互いの関係を決定づけるのは結局非言語の部分だと、彼女自身身をもって知る。

 事象を真ん中に押し戻した所で、すぐ様ため息に押されて戻ってくる。拭いきれない後ろめたさ。だから不審も拭えない。

 自覚は、あった。自分のわがままであることも、相手の容赦を当てにしていることも、充分、分かっていた。でもその一方で、それでも通ると思っていたし、そうでなくても何とか押し通したいと思っていることもまた、事実。

「組む相手が異性でなければいいの?」

 必要なのはきちんとした言質、及び免罪符。お互い気持ちよく分かり合うため「当然譲歩を考えている」と明示するために放った一言はハリボテ。甘さ。寄り掛かろうとする思いは、純粋な「そんなこと言ってません」待ち。

 時に背伸びをして、可能な限り全てを許容してきたその実績に、何だかんだ今度もどこか甘えられると思っていた。それほどまでにこの男の持つ器は、大きく頑丈だった。だからこそ、何の変化も見えない横顔からいつまで経っても出て来ない容赦にじれた。

「あなたが気にかかっているのはそこでしょう?」と、先に大きな前提を共有して、丸め込んでしまえば、後はどうこねくり回そうと、自分にとっての望みは手に入れたも同然。そうして早々間に取り出して見せた中核は、けれどもたやすく飲み込めるものではなかったようだ。

 女性にとっては他の異性と何かを共有した所で今更。そんな「今更」な感覚を言語化することすら面倒な位だった。だから結局、即物的な物言いをして、結果相手が無理して飲み込むというのが、近頃コミニケーションの常になっていた。そのくらい気の置けない、気を遣わない、やって当たり前、居て当たり前、自分が心地よくて当たり前の関係を築いていた。だからこの場合、

「どうなの?」

 女性視点ではあくまで「飲み込みづらい塊を飲み込めずにいる相手が悪い」のであって「その先の心地よさを追求するための一手に進めなくてじれる」という形になる。いつもの形、枠にはめるために、力ずくでぎゅうぎゅう押し込む。だからまさかだった。水島聖は表情を変えることなく、横顔のまま「そうですね」と言った。それは自分の想定していた答えと間逆のものであり、すなわち大きな前提を丸々共有できないという意思表示に違いなかった。


 想定外。大きく頑丈な器。その外側にこぼれ落ちる。

「……。……同性と組むならいいってこと?」

「そうですね」

 震えないよう、平静を保つために必要な最低限の音量で絞り出した声は、頭を押さえつけられるかの如く、すぐさま肯定される。それは明確な黒だった。

黒。猜疑。この一線は譲れない。

オセロで大事なのは四つ角。同じ一でも、角に置かれた一は全くの別物。だからこそ大局を左右するこの一手だけは、何としてでも取り返さなければならない。

「何それ、疑ってるってこと? あたしはこの競技が好きで、その上で組みたいと言っているのが、たまたま異性ってだけなのに?」

 待ったもやり直しも本来ない。けれどもまだ譲歩は可能であるとささやく。考え直して。今からでもまだ受け入れられる余剰分があったと気づくかもしれないから、と。けれどそんな願いもむなしく、事態は深刻を極める。

「テニスならできるでしょう。別に男性と組まなくても。それは十分条件であって必要条件ではない。実際あなたがその方と組むことでどれほどパフォーマンスが向上するか知れませんが、最低限その条件を欠いた所で、本体そのものを失う訳ではありません」

 男の言うことは正しい。だからなおさら丸め込まれる訳にはいかない。

「球種が違うの。力も全然違う。理想に限りなく近づけるの」

「球種と言うのは、男女間でまるっきり大別されるものなんですか? 以前、学生の時どうしても勝てない相手がいて、その子が高い弾道のトップスピンを打ってくると聞いたことがある気がするのですが……。そもそも相方の力量に左右される個人のパフォーマンス自体、どうかと思いますし」

 そうして「本当に達者でしたら相手は選ばないと思います」と結ぶ。

 ぐうの音も出ない。男の言うことはイチイチ正しい。それでも何とか自分の意思を通したくて、必死で思考を巡らす女性に、男性は代案を提示した。重い腰を上げるかのようにして、ようやく引き出されたそれは、ある意味最後の選択だった。








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