6、杉田初瀬 サーブ①
デュースサイド:正クロスで打ち合うサイド。フォアサイドとも言う。
アドサイド:逆クロスで打ち合うサイド。バックサイドとも言う。
時にテニスは、競技内で起こる事象を日常にリンクさせることがある。
例えば人間関係。そこに長期的なもの、短期的なものがあるように、その場においてその人とどう関わるかはある程度意識的に変化させることができる。長期的に関わる相手に必要なのは、丁寧で波立たない、安定をベースとしたテンション。逆に一過性、その場限りの関係であるならば、その一瞬を満たすよう、精一杯背伸びしたテンション。
それは随所に力を入れるという、取り巻く社会との間である程度駆け引きするだけの余裕ができて初めて使えるようになるテクニック。そう。
テクニック。それはことテニスにおいてもよく聞く言葉。強打をいなす技術。イレギュラーバウンドに対応する技術。無理な体勢から返球する技術。けれどそれはあくまでラリーが前提のもの。コミュニケーションは常にラリーを前提として展開される。どんなに短期的な関係であっても、関係と名がつく以上、最低限そこに一言二言のやりとり、何秒、何分かのやりとりが想定される。けれど、テニスにおいて、このコミュニケーションを完全に不要とするパターンが一つだけ存在する。それが
「フィフティーン、ラブ」
サービスエースだ。
ベースライン、アドサイドで前屈する細身のシルエット。黄色のウェア。その筋張った長い四肢。男とは思えない程小さな頭。どこか中東じみた彫りの深い顔立ち。占める割合の多い目は、無口な分、見えない圧力を放つ。
相手が命を取りに来ている訳ではないと分かっている以上、今感じている思いは恐怖ではない。かといって畏怖というのもまた違う気がする。しかしその男と向き合って感じるのは、いつだって「今生きている土台の高さ」だった。安心というのは「命の危険にさらされることのないベースの上にあって初めて成り立つもの」であり、「豊か」と言い換える贅沢な生き物は「命どうこう以上に、幾重にも守られた保証の上で、さも自立した気になっている」だけに過ぎない。
身ぐるみを剥がすその眼光。
時は七月も終わり。立っているだけで汗がにじむような気温であるにも関わらず、背中がざわざわする。違う。やっぱりこれは恐怖だ。男が取りに来ているのは命ではない。命ではないけれども、
パァン!
刺しにくる。サービスエースはいたずらに体力を消費することなく、最も効率的に相手にダメージを与える。例えばそれを心を折る一手だとして、結果的に負けに繋げるというのは、この競技において殺すも同然。立派な殺人だった。
特に打ち慣れていない者同士のテニスは、相手のミスでゲームが成り立つ割合が高く、それは殺す殺さないというより、自滅の方が圧倒的に多いことを意味するが、こと自然以外の影響を受けないサーブによる得点は限りなく能動。とるべくしてとった一点。
それはただひたむきな努力のなせる業。
「大袈裟」
精悍な横顔。年齢は女と同じぐらいに見える。
口元以外動かすことなく、男はそう言った。
本人は謙遜するが、サーブが武器というのは、それだけで強大なアドバンテージだ。なぜなら完全に独立した、唯一の不可侵領域だから。全ての始まりであり、全てを終わらすことができるもの。プレッシャーに自らダブルフォルトを繰り返せば、それだけで勝手に相手の得点になる。いくらストロークが得意と言ったところで、リターンゲームだけで勝利することが不可能である以上、最終サービス問題は浮上する。
それでもサーブを苦手とする人が多い理由は、単にポイントの、ひいてはそのゲームの責任がその人一人の肩に乗るためだろう。その人の打ち出しがゲームの流れに大きく影響し、安定させることも潰すこともできる。サーブを負える人は、だからその場における責任を負える人でもある。
パァン。
寺岡さんの機械じみたストローク。透けて見える積み重ねてきた努力、定型のフォーム。小出さんのバックボレー。踏み出すタイミング、充分引きつけて弾き返す、それは力学。全てを補うはその感性。いつ見てもキレイなフォロースルー。
欠点なんてないかのように思えるその完璧な補完関係を切り裂く一手段。「それ」は強固な枠組みであるルールに則り、礼儀作法以上の強制力を持つ。
「コート内に返さなければならない」「ワンバウンドしたものを取らなければいけない」
キレイにインパクトしたボールも、球威に押されて安パイなコースに返球すれば前衛の餌食になる。ノーバンで返せば何のことない打球も、バウンド後伸びる分、振り回される幅も大きい。タイミングが肝のライジングは、ラケットを伸ばした分だけ安定を失う。
一本で終わるやりとりのたびに、味方である女はラケットを回してネット側を左右に行ったり来たり。そうして安定したサービスゲームによって生まれる精神的な余裕は、あらゆる面においてもプラスの効果を生む。安心して「狩る側」でいられること。それは懐に余裕を生み、冷静な頭をもってしてやりとりすることができる。
相手のコンディションに依ることなく、自ら掴みにいく勝利。そんな「構築された自我」こそ、今の自分が喉から手が出る程に欲しがっているものに違いなかった。
そうして「その瞬間」は突然訪れた。
「土戸、入れ」
その日寺岡さんが欠席で、ゲームをするメンバーに一人空きが出ていた。いつもならコーチが穴埋めに入る所だ。
大人組と子供組。
年齢で大別するにしても中途半端な自分は、その突如訪れた機会に全身が浮くのを感じる。もちろん子供とは言っても、ストロークを始め、安定した技術を持つ子たちだ。けれども大人組の、あの凄まじいやりとりに自分を入れてみてもいいかもしれないと評価されたこと自体に、興奮を覚えたのもまた確かだった。
高揚感プラス高揚感。
深呼吸。放っておいたら勝手に爆発してしまいかねない身体。武者震い。怖い、けどワクワクする。そんなぎこちない動きを、小出さんが茶化すように笑った。
じゃんけんの結果、ペアは小出さんとサーブ男。自分は女と組むことになる。サーブ権は向こう。完全後衛の寺岡さんがフォアサイドを担うため、いつもサーブは寺岡さんからだが、今回は小出さんがフォアサイドに入った。小出さんのラリーは未知数だったが、堪え性のない人だ。気づくとネット際で踊っているに違いない。そう。
冷静であれば気づくはずのそのことに、気づけなかったのは冷静ではなかったから。この時何よりまず、自分が今まともな精神状態ではないことに気づかなければいけなかった。




