episode・7 ぶちゃこ
良く見えない視界に、プルプルと震える棒と茶色い物体が微かに映る。
状況が呑み込めない俺の口元まで差し掛かった、茶色い物体。
「ど、どうぞ」
震える三島の声が聞こえる。
これは、あれだ……所謂『あ～ん』っていうパカップルの必殺技だ。
何で俺があんな恥ずかしい事を……。
でも、こういう事するとコンパってのは盛り上がるのかもしれない。三島さんも頑張って盛り上げようとしてるのかも。
「あ、あ～ん」
なんて小っ恥ずかしい台詞と共に、差し出された唐揚げらしき物を口に頬張った。
あ、この唐揚げうまっ！
「ち、ちょっと！？ 三島さん！」
「どうかしましたか？」
三島に食べさせてもらうのと同時に、女性陣の１人が声を上げる。
だが、三島は涼しい口調で受け流しているように聞こえた。
この行動により、周りがよく見えない俺にでも分かるほど、ピリピリとした空気が生まれた。
――うん？これは、やったらいけない事だったのか？
三島は外部の騒音を気にする素振りも見せずに、続けて食べ物を俺の口に運んでくる。
もういいや。どうせ簡単に空気が戻らないだろうし、高い会費分は食べないと勿体ないしな。
俺も周囲の反応を気にする事を止めて、次々と口元に運ばれる食べ物を胃袋に収めていると、女性陣のキャンキャンと煩かった声が、次第に溜息に変わり、最後はそれぞれの相手と盛り上がる声に変化していった。
何だかよく分からんが、結果オーライって事でいいだろう。
やがて腹が十分に満たされた俺は、さっきから全然食べていない三島に自分の分を食べる様に促してから、若干炭酸が抜けた生ビールが入ったジョッキを飲み干した。
良く見えなかったが、周りの声に耳を傾けると、女性陣の楽しそうな笑い声が聞こえる。どうやら、大山達も盛り上がっているようでホッと安堵した。
暫くして規定時間が迫り、幹事の大山がこの場を纏めてお開きの流れになった。何とか無事に乗り越えられたと安心した途端、尿意を催して素早く幹事に参加費を支払い、トイレに行くと伝えて皆より先に部屋を出た。
通路に出た月城は、胸ポケットに仕舞っていた眼鏡をかけて、急ぎ足でトイレに向かう。
用を足してトイレを出て、店の出口に差し掛かると、店の前にまだ大山達がいた為、俺は慌てて再び眼鏡を胸ポケットに仕舞い込んだ。
「月城君も２次会行くよね！？」
「２次会？」
「うん！ 大山君が近くのＢＯＸ抑えてくれてるんだって。いこうよ！」
冗談じゃない！大山の言う条件を満たすまでの出費はしたんだ。
これ以上余計な出費は投資じゃない。
それに気にある事もあるし……。
「それより三島さんが見当たらないけど」
ボンヤリとした視界ではあるが、座敷でずっと隣にいたから誰が三島さんなのかは分かるんだ。でも、この集団の中に三島さんの姿を見かけない。
「三島ぁ？ あの子なら月城君が出てくる前に帰ったよ」
「そっか。それじゃ、俺も――」
俺はこの場を離れて三島を追いかけようとしたのだが、不意に手首を掴まれて引き寄せられる。
「あの子はもういいじゃん。月城君優しいから、浮いてる陰キャのあの子を相手してあげてたんでしょ？ なら、もう帰ったんだから月城君も楽しむべきっしょ！」
「そんなんじゃないよ。それに三島さんにこれを返さないといけないから、俺もここで帰るよ。今日はありがとう」
掴まれた手を解き、極力優しい口調でそう話して、俺は恐らく駅に向かったであろう三島を追いかけようと、大山達にも帰る事を伝えてから眼鏡をかけて駅へ向かった。
何か背後から俺の名前を呼ばれた気がしたが、気付かないふりをするのが妥当だろう。
陰キャ陰キャって陰キャが悪くて、陽キャが正しいみたいに言われるのが、正直ムカついた。
お前らが勝手に差別的に作ったカテゴリーに、あの子を分別してんじゃねえよ！
震える箸で、俺に食べ物を運んでくれたあの子の事を思うと、小走りに駆けていた足に力が入った。
◇◆
「三島さん！」
トボトボと駅に向かって歩いていると、突然後方から自分の名前を呼ばれた事に気付き、振り返るとそこには少し息を切らせた眼鏡姿の月城さんがいた。
てっきり２次会に行ったと思っていた人が目の前にいる事に、私は驚いて言葉が出てこなかった。
「あれ？ 三島さんで合ってるよね？」
返事しないから、月城さんを困らせちゃってる。は、早く何か言わないと！
「えっと、２次会に行ったんじゃないんですか？」
「え？ ２次会？ そんなのあったんだ。俺は誘われなかったよ」
そんなの嘘だよ。あの場にいた女の子は皆、月城さんと仲良くなりたがってたんだから……。
「そ、そうですか……。それで私に何か用だったんですか？」
「あぁ、これ借りっぱなしだったから」
月城はそう言って、頭のてっぺんにあるカチューシャをコンコンと指で突く。
「そんなの気にしなくていいですよ。安物ですし……」
「いやいや！ 女性物だし、俺が使うのはおかしいでしょ」
月城さんはそう言うけど、正直似合ってると思う。
それは、月城さんが鼻立ちがハッキリしているけど、どこか中性的な顔をしているからだと思う。
カッコいいと思うけど、綺麗だとも思えちゃうからだ。
「これのお礼したいんだけど、少し時間貰っていい？」
「え？ お礼なんて――」
「いいから！ いいから！」
「え？ ちょ、ちょっと」
月城さんに手を握られた。体温が一気に跳ね上がって一瞬息が出来なかった。
――ど、どういうつもり！？
私は手を引かれて、脳みそがショートするのを堪えていると、気が付けばゲームセンターにいた。
「ゲームセンター？」
「うん！ こっちだよ」
店内に入っても繋がれた手を離す事なく、私はグイグイと引っ張られる。
呼び止められた時もそうだったけど、ここに入ってからの視線が凄い。
男の子と一緒にいようがお構いなしに、月城さんに視線を向けている。
そして同時に、何であんな女がって、睨みつける視線が突き刺さってくる。
まぁ、そうだよね――。不釣り合いなのは、最初から分かってるよ。
気が付くと、さっきまで無抵抗に引っ張られていた月城さんの手を振り解いていた。
「あっ、ご、ごめん」
「い、いえ……私の方こそごめんなさい」
お互い謝り合い、気まずい空気が２人の周囲を包む。
「強引な事してごめんな。これでお礼したかったんだ」
そう言って月城さんが指さしたのは、沢山のぬいぐるみが詰まった箱が所狭しと並んでいる場所。ＵＦＯキャッチャーのコーナーだった。
「ＵＦＯキャッチャー？」
「う、うん。ここのぬいぐるみをお礼にプレゼントしようと思って……」
「……月城さん得意なんですか？」
「う～ん。どうなんだろ……何か適当にやると大体取れるんだよ」
月城さんは、遅い時間でお店とか開いてないから、ここのぬいぐるみをお礼としてプレゼントしたかったと話してくれた。
気にする事なんてないのに、「律儀ですね」と呆れる仕草を見せたけど、本当は嬉しかったんだ。
「どれでもいいんですか？」
「お、おう！ 指定したぬいぐるみ取ってあげるよ！」
「じゃあ、この変な顔した茶色いぬいぐるみの隣で、寝そべってるウサギがいいです」
「ウサギだな。うっし！ まかせといて！」
月城さんはそう言って、得意気に５００円玉を投入して台の前で構える。
ただゲームをしているだけなのに、滅茶苦茶絵になってる気がするのは何故だろう。
このＵＦＯキャッチャーは５００円で３回挑戦出来るタイプで、月城さんは何やらブツブツ言いながら、見事に２回とも失敗に終わった。
そこで「うん！」と頷き、最後の挑戦にはいる。
何が『うん！』なのか分からなかったけど、ぬいぐるみを掴みにかかったクレーンが何かを引っ掛けながら上がっていくのが見えて、私は一気にテンションが上がった……のだが。
「あ、あれ！？」
月城さんが焦った顔をしている。それは狙っていたウサギではなく、隣にあった茶色いヘンテコなぬいぐるみを引き上げていたからだ。
クレーンはそのままヘンテコなぬいぐるみを落とす事なく、取り出し口に繋がる穴に向かって行く。
普通なら「そのまま！」とか「落ちるな！」とか盛り上がる場面なのだろう。
でも、何度も言うが釣り上げた物は、茶色いヘンテコなぬいぐるみなのだ。
「あ、あ、あ――」
月城さんが言葉にならない言葉を呟くのを見て、私はどんなリアクションをとれば正解なのか悩む。
良いのか悪いのか分からなかったが、釣り上げたぬいぐるみはそのまま取り出し口に姿を現した。
月城さんは無言のまま、ぬいぐるみを取り出して、呆然と立ち尽くしている。
たかがクレーンゲームでそこまでにならなくてもと思ったけど、それだけ真剣に私が強請ったぬいぐるみを取ろうとしてくれた事が嬉しくて、さっきまであった嫌な気分が吹き飛んだ。
「くそっ！ もう一回！」
月城さんは財布を取り出して、小銭を弄りだした。
どうやらリベンジするつもりのようだ。
「私はこれでいいですよ」
台の上に乱暴に置いたヘンテコなぬいぐるみをそっと掴んで、もう一度挑戦しようとする月城の手を止めた。
「名前は不細工な茶色のぬいぐるみだから『不茶子』ですかね。私に似てて気に入りました」
自虐的な事を言って、このぬいぐるみでいいと話すと、月城さんは少し迷う様な仕草を見せてから、頭に付けている私のカチューシャに手を伸ばした。
「それは違うよ。ちょっとごめんね」
月城さんはそう言って、私の額辺りにカチューシャを軽く当てて、前髪を全部掻き上げるように持ち上げた。
「ほらっ！ 三島さんは不茶子と違って、凄く可愛いんだから」
いつも伸ばした前髪に視界を遮られていた世界が、一気に広がっていく。
広くなった視界の先には、月城さんが微笑んでそう言ってくれた。
「あ、あわわぁ！」
私は慌ててカチューシャに手を伸ばして、持ち上げられた前髪を元に戻そうと試みるが、クスクスと笑っている月城さんがそうさせてくれなかった。
「月城さん……や、やめて！は、恥ずかしい」
「どうして顔を隠す様に、前髪をこんなに伸ばしてるの？」
「ど、どうしてって、気持ち悪い……でしょ？」
「……誰かにそう言われた？」
「う、うん。高校の時に……クラスメイトの女子達に……」
あまり思い出したくない、高校の頃の話……。
「それ多分だけど、仕組まれた事だと思う」
「え？ どういう事ですか？」
「その時、三島さんの周りに人気がある男子とかいなかった？」
「う、うん。サッカー部の女子に人気があった男子がいて、よく声かけてくれてましたけど」
何故かこの人にはあの頃を話をするのは、思ったほど嫌じゃなかった。
「三島さんはきっと妬まれてただけだと思う」
「妬まれ？ え？」
「きっとクラスの女子がそのサッカー部の男と仲が良いのが気にくわなかったんじゃないかな」
月城さんは、クラスの誰かが本気でその男子の事を好きだったはずで、だから好意を向けられている私の事が邪魔だったんだと話す。
そこで露骨な虐めをやるとリスクを負う事になるから、周りの女子達を使って自分は不細工で気持ち悪い顔をしているんだと、擦り込まれたんじゃないかと言う。
こういう陰険なやり口は、最初は冗談半分で近づき、徐々に信憑性が高くなるように言い聞かせて、洗脳に近い方法だから意外とハメられた相手は気が付かない事が多いらしい。
私はその仮説を聞いて、そんな馬鹿な事があるかと思ったけど、当時の事をよく思い出してみると、言われてみれば思い当たる節がいくつかある事に気付いた。
「え？ え？ じゃ、じゃあ私……は」
「うん。三島さんは不茶子なんかじゃないって事だよ。顔をちゃんと出していれば、さっきのコンパだって一番人気で、大山なんて必死にアピールしてきたんじゃないかな」
「あ、いえ、その……私は大山さんみたいな軽い人はちょっと……」
「はは、そっか。というわけで……」
「わけで？」
「やっぱり不茶子じゃ駄目って事が分かって貰えたと思うから、可愛いウサ子に再挑戦！」
「だ、だから不茶子でいいって言ってるじゃないですかぁ！」
何とかリベンジを阻止して、私達はゲームセンターを出て駅へ向かっている。
すると、今度はさっきとは逆の視線を感じた。
な、なんか男の人の視線を強く感じる。
ゲームセンターに入るまでは、全くそんな視線感じなかったのに……。
「痛い……視線が超痛い……何であんなショボい奴がとか、聞こえてるんだけど……」
月城さんが苦笑いしながらそんな事を言うから、意識してみると確かにさっき女の人から受けていた同類の視線が、今は月城さんに向けられている。
「あの、月城さんはどうして顔を隠すようにしてるんですか？」
「え？ 俺？ 髪型とか作るの面倒臭くてさ」
「それは嘘ですよね？ 本当の理由を聞かせて下さい」
私がそう言うと、月城さんの足が止まった。
興味本位で、聞いちゃいけない事だったかもしれない。
でも、知りたい。この人の事を知りたいって思うから、引きたくない。
「嫌いだから……」
「え？」
「俺、自分の顔が大嫌いなんだよ」
