episode 13 大遅刻
「た、ただいま!」
夏本番の暑い気温と全速力で帰宅したのも相まって汗が噴き出していたけど、俺は汗を拭う事もせずに玄関からリビングに駆け込んだ。
「あら、おかえり雅。どうしたの? 汗だくじゃない」
リビングに飛び込めばキッチンで洗い物をしている沙耶さんが目を丸くしている。
どうしたもこうしたも原因なんて分かりきってるのにと思わないでもないが、それだけ俺のドタキャンを気にしていないものだと理解した。
「遅れても参加するって言ったのに、ごめん沙耶さん」
「いいのよ、気にしないで。元はと言えば私達がこの話をするのが遅かったからなんだしね。でも来年は家族で見てくれる?」
「う、うん、勿論! 来年は予定なんて入れないで朝から今年よりもっと凝った料理とか準備するよ」
「ふふ、楽しみにしてる」
やっぱり沙耶さんは特に気にしてる様子はないみたいで、それはそれでちょっと寂しい気がしないでもないけど、とりあえず許してもらった事に安堵しよう。
「それで夕弦は部屋にいる? あいつ怒ってなかった?」
「あの子はお友達と仲良くお風呂に入ってるわ。怒ってないと思うけど、時間は気にしてたみたい」
……だよな。遅れてもいいから早く帰ってきてって言ってたくらいなんだから、気にしないわけがないよな。
すぐにでも謝りたいけど風呂に入ってるみたいだし、そうでなくても友達と一緒なら今頭を下げたりしたら恥ずかしい思いをさせるかもしれない。
(それに友達に関わるなって釘刺されてるしな)
「だから早く汗流したいだろうけど、あの子達があがるまで待っててあげてね」
沙耶さんはそう言いながら手に持っていたスポーツタオルを手渡してくれた。
「ありがとう。それじゃ部屋で待ってるよ」
「――雅帰ったか。ちょっと付き合え」
汗の始末をする為に部屋に戻ろうとすると、テラスの方から親父に呼び止められた。
テラスの方はコンロやテーブルは片づけられていて、何時ものデッキチェアと小さなテーブルがあるだけになっていた。
「なんだよ、まだそこにいたのかよ」
「なんか勿体なくてなあ。お前もちょっと付き合え」
ひょいと投げ渡された缶ビールを受け取って「サンキュ」と隣のチェアに腰を落とした。
「んじゃ、おつかれ」
「あぁ、今日は任せっぱなしで悪かったな。おつかれ」
言って缶をを突き合わせて走ってきて乾ききった喉にキンキンに冷えたビールを流し込み、炭酸の刺激とホップの香りを堪能した。
「ぷはっ! 美味い!」
「はは、労働の後の一口目は格別に美味いよなぁ」
夏場とはいえこの高層にある場所だと幾分か風も涼しくて、火照った体を冷えたビールと共に心地いい風が冷ましてくれる。ハッキリいって至福の瞬間である。
(これでドタキャンしてなかったら、最高の気分なんだろうけどな)
何時もより苦味を感じるのは心残りがあるからだろう。その時々の気分で美味さが変わるんだから、酒ってやつは本当に不思議な飲み物だと思う。
テーブルに置いてあるピスタチオをつまみながた丁度1本を飲み干した時、部屋の中から夕弦の声が聞こえた。どうやら風呂からあがったみたいだ。
「夕弦ちゃんに謝りにいかないのか?」
「……そうしたいのは山々なんだけど、友達と一緒なのに空気濁しても悪いから、明日謝るつもりだ」
「そうか。お前は本当に夕弦ちゃんの事好きなんだなあ」
「あぁ、俺一人っ子だったから、夕弦が本当の妹みたいで可愛くて仕方がないんだよな」
「はは、まさかお前の口からそんな事を聞かされる日がくるなんてな。まぁ仲が良いのはいい事だよ、うん」
昔の俺をよく知る1人である親父からすれば、確かに俺がこんな事を言うなんてちょっとした事件かもしれない。
だけど、こんな台詞を吐いている事に違和感とか恥ずかしさをあまり感じないのは、きっと本当に今の生活が気に入っているからなんだろう。
とはいえ、親父の微笑ましそうに見てくる視線は恥ずかしいものがあって、湧き上がってくる照れ臭さを冷まそうと親父が飲んでるビールをかっぱらった。
ゴクゴクと喉を鳴らしてビールを流し込んでいると、部屋の方から夕弦の声が聞こえてきた。どうやら風呂からあがってきたようだ。
「夕弦ちゃん達、風呂からあがったみたいだな」
「ああ、夕弦1人でも賑やかなのにこれだけJKが揃うと賑やか通り越して、煩いまであるな」
「はは、若いっていいよなぁ」
まだ大学生、まだ世間的には夕弦と変わりないガキのはずなのに、夕弦達のはしゃぐ声を聞くと大きな隔たりがあるように感じる。
しかも親父の言う事に同感してしまうあたり……もしかして俺ってヤバいのか?
「部屋に戻ってると思ったらここにいたのね、雅」
「うん。親父に捕まってさ」
「捕まったってのは酷いな、息子よ」
「その呼び方やめろ。どこに人間だよ」
「ふふ、2人ともまだ飲むんでしょ? 簡単なおつまみ作ってくるわね」
「「ありがとう」」
親父と家で飲む事は度々あったけど、こうして母親である沙耶さんが気を利かせておつまみを作ってくれるなんて、まるで本当の家族……いや、それ以上の温かさを感じる。
そんな温もりを感じながら飲む酒は本当に美味くて、初めてビールを飲んだ時、何でこんな苦い液体をわざわざ金払って飲んでんだってわりと本気で思った俺だけど、たまに耳にする美酒って言葉の意味が分かった気がする。
「なぁ、雅。お前本当にこのままでいいのか?」
「ん? なにが?」
「お前の大学生活だよ。バイトばかりして全然大学生らしい事してないだろ」
「バイト三昧も大学生らしいだろ。勉強の方も順調だし充実してるよ」
俺が大学生になってから酒が入ると、親父はいつも俺にこの話をしてくる。
嫌々とか義務感とかで働いてるわけじゃなくて、俺が本当にしたくてしてる事だし、誰に迷惑をかけてるわけじゃないんだからあまり聞きたい話じゃないってのが本音だ。
だけど、親父の言い分を強く否定できないのは、きっと俺がしてる事が親父には重い事なんだと理解してるから。
「そうは言ってもだな。大学生活っていう圧倒的に自由のきく時間ってのは後にも先にもない事なんだぞ。バイトするなとは言わんがもっと違う大学生らしい過ごし方もあるだろ」
「親父の言ってる事も分かるけど、俺にはそういう生活が楽しいものに感じないんだから仕方ないじゃん」
「お前が本当にそう思ってるのならいいんだが、俺には無理してるようにしか見えないんだよ」
今の俺を見てそんな事を言い切れるのは親父を置いて他にはいないだろう。
俺がこれだけバイト漬けの生活を送っているのは、俺が過去にしてきた事へのけじめの為にしている事をよく知っているから。
だけど、本当のところは違うんだ。
俺がこれだけ働いているのは親父に感謝の気持ちを伝える為と、俺自身が前に進む為に必要と感じているからだ。
俺は俺自身の為に今の生活を選んだ
だから、親父が変な気を遣う必要なんてないんだけど、多分その事を話しても聞き入れて貰えないだろう。
「言った事なかったと思うけど、俺だってずっとこの生活を続けていくつもりはないんだ」
「そうなのか?」
「あぁ、一応目標にしてる金額を自分の中で設定しててさ。その額に達したら他の事も前向きに考えてみるつもり」
「……そうか、そうなのか。なら、俺ができるのはその日が一日でも早く訪れる事を心待ちにする事だけだな」
「そうなるな。まぁそういうわけだから、もうちょっと待っててくれ」
「わかったよ。でもな、俺だけじゃなくて沙耶さんや夕弦ちゃんも心配してる事は忘れんな」
「ん、わかった」
沙耶さんが心配してくれてるのは知ってるし、夕弦も今日の事だって怒ってるわけじゃないのも知ってる。
だから余計に今日の事は申し訳なく思ってるわけなんだけど。
☆★
「んー! 花火凄すぎたー!」
「あはは! もう美咲ってばその話何度目? お風呂でも散々言ってたじゃん」
「そうなんだけどさー。あの迫力は滅多に味わえないってば! 最初なんて何が起こったのか思考が追い付かなかったもん」
「まあ、そうだね。凄いとは聞いてたけど、私もあそこまで凄いとは思ってなかったからビックリしたよ」
「でっしょー! あの花火を毎年見れる夕弦が羨ましいよ」
圧巻の一言だった花火大会が終わってから3人でお風呂に入って、乾いた喉をジュースで潤しながら、今は夕弦の部屋でパジャマパーティーの真っ最中だ。
榎本さんはさっきの花火が相当お気に召したらしく、お風呂でも散々語っていたのに今も興奮冷めやまぬって感じで身振り手振りに振り返ってる。夕弦はやれやれって感じだったけど、榎本さんの気持ちは分かる。それだけあの時間に起こった光景は現実離れしてて、言葉で語りつくすのに時間がいくらあっても足らないといった感じなんだろう。
それにしてもまさか3人でお風呂に入るとは思わなかったし。友達の家にお泊りしたら一緒に入るのはデフォなん? お泊りなんて生まれて初めてだったから夕弦達に言われるがまま入ったけど、ハッキリいって滅茶苦茶恥ずかしかったんだけど!?
でも、途中から榎本さんに見られてる事をすっかり忘れてしまってて、今だって楽しくお喋りしてる2人と一緒に笑ってる。
客観的に見たら夕弦と榎本さんだけが楽しんでて、アーシは蚊帳の外に見えるかもしれないけど、実際はそんな事はない。
部屋に入って来客用の布団の上で2人の話に相槌を打ってるだけなんだけど、ちゃんとアーシもこの空間に参加してる。
そう思えるのは、夕弦の動きにある。
榎本さんとどんな話をしている時でも、夕弦は絶対にアーシの存在を一瞬でも意識から外さない。
目線配りに手元の動き。それは榎本さんだけじゃなくて、アーシも輪の中に居続けるさせる動きで、それらはちょっと特殊なものに感じた。
経験則から得た産物。
きっとこれが今の夕弦の中にあるスキルなんだと思う。
そう考えたら、アーシは夕弦の事をたいして知らない事に気づいた。あの子は昔の事をあまり話したがらないから踏み込まずにいたけど、何時までもアーシがこんなんじゃ信頼されるわけない、か。
「あのさ、榎本さん」
「ん? なに?」
だから変わりたいと思った。
夕弦だけでも分かってくれればいいなんて甘ったれた事言ってたら、何時まで経っても夕弦が信頼して自分の事を話してくれないから。
「今度アーシと外で遊んでくんない?」
「……へぇ、外で遊ぶってなにすんの?」
「なんでもいいし。ただその時間でアーシの事知って欲しいって思ってる」
言った……言ってしまった。
とりあえず即答で断られなくてよかった。
「知って欲しい、か。それって駅前で私が見させてもらうって言ったから」
「それもある。でもそれだけじゃない」
「ふふ、いいねぇ」
にやりと笑みを浮かべる榎本さんだけど、その笑みはアーシの目には決して悪く映るものじゃなくて、少し嬉しそうに見えたのはアーシの願望のせい?
「ち、ちょっと待った! え? なに私もここにいるのに2人だけで今度遊びに行く話とかしてんの!? 私も誘ってよ心!」
ちょっと拗ねてますみたいな顔してるけど、口元のニヤケ隠せてないし!
まぁちょっと待っててよ、夕弦。今度3人でカラオケでも行けるようにアーシ頑張るからさ!




