episode 9 準備
「あら? おはよう雅。今朝はいつも以上に早いわね」
「あ、おはよう沙耶さん。今夜の下ごしらえしときたくてね」
このマンションが特等席に化ける花火大会当日の朝。
俺はバイトのシフトが入っていてどうしても遅れてしまう為、最初から参加できないからとテラスで皆で食べる食事の下ごしらえに精を出していた。
こういうイベントなんだからお祭り感を出そうと、今夜は出店でよくあるメニューにするつもりだ。
だからそれほど手間がかかるわけじゃないんだけど、少しでも早く食べさせたくて張り切って早起きしてるってわけだ。
「雅は仕事があるんだから無理しなくていいのよ。食事なら私が作るし、なんならデリバリーでもいいんだし」
「全然無理なんてしてないよ。それに折角なんだから祭りっぽいの食べたいじゃん」
「ふふ、だから粉物の準備してるのね。確かにお祭りといえばたこ焼きとかお好み焼きとかだもんね」
「そう! あと焼きもろこしと焼きそば、それとかき氷作ろうと思って」
「そんなに沢山? 嬉しいけど私達だけで食べきれるかしら」
「夕弦の友達も来るんでしょ? 女の子っていっても食べ盛りなんだし大丈夫でしょ。それに参加できない紫音さんの分も作っておかないと怒られそうだからね」
「……いつもごめんなさいね」
「あ、えっとごめん沙耶さん。そういうつもりで言ったんじゃ」
「分かってるわ。でもいい加減なんとかしないと駄目なのよ」
紫音さんは相変わらず俺にだけ当たりが強い。試すとか言われてたからある程度は覚悟してたんだけど、紫音さんの言動は想像の斜め上をいくものだった。
しかも親父とセットでの話だったはずなのに、何故か俺だけ集中攻撃してくるのも解せんとは思いつつも、親父に矛先が向いていない事に内心安堵してたりする。
初めは夫婦のいざこざに子供を巻き込んでしまった負い目から、強く態度に出す事ができなかったという沙耶さんだったけど、最近の行動はあまりにも目に余るものだと負い目より我慢の限界の方が上回っているという。
(気にするなって方が無理だよなぁ)
紫音さんだってあんな態度をいつまでも続けるつもりなんてないと思う。だって、そんな事をしても何時までたっても出口なんて見えないはずだから。
「まぁ俺だって何時までもこのままじゃいけないと思ってるけど、沙耶さんももう少しだけ我慢しててくれない? 多分近い内に何らかの動きがあるはずだから」
「……でも」
「俺なら大丈夫だよ。もし動きがあって俺じゃ手に負えないと判断したら頼るつもりだから、ね」
「……うーん。雅がそういうのなら」
「うん。ありがと沙耶さん」
一旦はこれでいいだろう。
俺の考えすぎでなければ、紫音さんの後ろに第三者がいるはずで、それが誰なのかハッキリするまではあまりこちらから行動するのは得策じゃない気がするんだよな。
「それより沙耶さんにお願いがあるんだけど」
「なに? なんでも言って」
「今手が離せないから、今日の朝食沙耶さんに頼んでいい?」
「! もちろんよ! まかせて!」
よほど朝食を作りたかったんだろうか、俺が朝食を作るのを頼んだら目を輝かせて腕まくりしてる。
そういえば料理を教える為に一緒にキッチンに立った事は何度もあったけど、お互いが同時に違うものを作る為にキッチンに立ったのは始めてだな。
「こんな感じなんだな」
「ん? なにが?」
「ううん。なんでもないよ」
2人で料理するなんて初めてで、前までは正直狭くなるだけだし効率が悪いって思ってた。
だけどこのキッチンが凄く広いってのもあるけど、寒々とした場所が何だか暖かく感じる。
特に前の家は食卓に背を向ける位置にキッチンがあったから、ずっと1人でいる感覚があった。
でもこの家のキッチンはアイランド式だし、視線を起こせばダイニングが目の前にあって、その奥にリビングが見渡せる。
今は沙耶さんと2人だけど、夕食を作ってる時は目の前で家族が生活しているのが見える位置にいるから孤独を感じる事はない。今なんてキッチンに沙耶さんがいるから特にそれを実感する。
(恥ずかしくて言えないけど、一緒に料理するのっていいもんなんだな)
「今朝は何作るつもりだったの?」
「あぁうん。今朝は和食にしようと思って米炊きと味噌汁は作ってあるから、沙耶さんは焼き魚とだし巻き卵作って欲しいんだ」
「焼き魚とだし巻き卵ね。まかせて!」
焼き魚はこの最新のグリルなら失敗する事はない。失敗するとしたら塩加減を間違える事くらいだろう。
夕弦の大好物のだし巻き卵については以前から沙耶さんが集中的に練習していたものだから、ここで練習成果を発揮するいい機会にもなる。
「さて、夕弦を起こす時間まであと30分。ペースあげて仕上げますか」
「ふふ、今夜は特に美味しいお酒が飲めそうね」
「はは、キンキンにビール冷やしとくよ」
☆★
「太一さん。私も何か手伝う事ない?」
朝起きて皆で朝食をとった後、お姉ちゃんと雅君はバタバタと仕事に出かけて行った。
今日は土曜日だから太一さんとお母さんはお休みで、太一さんが昔使っていたBBQコンロを引っ張り出してきて、テラスで焦げ付いた場所を入念にゴシゴシと洗っていた。
「んー? こっちは大丈夫だよ。夕弦ちゃんはこれから沙耶さんと買い出しに行くんでしょ?」
「そうなんだけど、お母さんいつも支度に時間かかるから暇なんだよね」
「あっはは! それじゃそこに引っかけてあるトングがあるだろ? そのトングの焦げをこのブラシで落としてくれる?」
「うん、わかった」
私は言われた通りにトングにこびりついた焦げをゴシゴシと取り除きにかかる。
そういえば、太一さんと2人でこんなふうに話すのって何気に始めてかもしれない。別に避けてたりとかしてたわけじゃないんだけど、基本的にお母さんとセットでいる事が多いから機会がなかっただけなんだけどね。
「夕弦ちゃん」
「なに? 太一さん」
「今の生活楽しいかい?」
「うん! めっちゃ楽しいよ」
「――そっか。それはよかった」
何で改まってそんな事を訊いてきたのかは分からない。
だけど、楽しいと答えたのは気を使ったものじゃなくて、本気でそう思っている事だ。
もしお母さんが太一さんと再婚しなかったら、私は今でもあの学校で息をひそめて死んだように生活していたんだと思うと、楽しいなんて言葉で片付けちゃいけない気がするほどだ。
「そういえば太一さんに訊いてみたい事があったんだけど、いい?」
「ん? なにかな?」
「お母さんとはどうやって知り合ったの?」
「沙耶さんから聞いてないのかい?」
「何度か訊いた事あるんだけど、何故かはぐらかされちゃうんだよね」
「そうなのかい? なんでなんだろうね」
「でしょ? 軽い気持ちで訊いた事なんだけど、あれだけ答えてくれないと気になっちゃってさ」
「はは、まぁそうだろうね。沙耶さんとは――」
「――止めて、太一さん」
やっとお母さん達の馴れ初めが聞けると思ったのに、タイミング悪くお母さんが支度を終えてテラスにやってきてしまった。
「さっき夕弦ちゃんから聞いたんだけど、俺たちの事話してないんだね。どうしてだい?」
「……だって――恥ずかしい」
うわーマジかよ、お母さん。
女はいくつになっても女でありたいとか聞いた事あるけど、目の当たりにするとクるものがあるなぁ。
「ちょっと夕弦? 今何考えてか口に出して言ってみなさい」
「え? あ、いや……別に」
そのセリフと合ってない笑みが怖すぎるよ、お母さま……。
「ごめんね、夕弦ちゃん。俺は別に隠す必要なんてないと思うんだけど、沙耶さんが嫌がる事はしたくないから勘弁してね」
「あ、はい大丈夫です。私も命が惜しいですから……」
とか言いつつ、ワンチャン雅君なら知ってるかもと諦めない私なのだった。
さあ! あと数時間すれば花火大会が始まる。
花火自体も勿論楽しみだけど、それ以上に楽しみであり不安な事がある。
心が私以外の女の子とこの家で会うんだ。
一度は断られたけど次の日の夜に電話があって、ウチに来るって言ってくれた時は嬉しかったなぁ。
しようとしてる事は余計なお世話だというのは理解してる。
でも、やっぱり一度しかない高校生活なんだから楽しい時間にして欲しいと思うんだ。
「夕弦、買い出し行くわよ」
「はーい! いま行くー!」
花火を見た後にお風呂に入って、寝る時には3人でガールズトークとかしちゃったりして、そして起きたら皆で雅君が作った朝ごはんを笑って食べるんだ! 頑張るぞー!!




