episode 8 後悔
「おーい、心ー! 聞いてるかぁ?」
「え? ちゃんと聞いてるし」
「ほう、じゃあこの問題解いてみ」
「……ごめん、聞いてなかった」
「ったく、今日はどうした? さっきから上の空って感じだよな。体調でも悪いのか?」
「……あ、いや、そんな事……ない」
今日は成績うなぎ上り女、西宮心の様子がおかしい。
いや、昨日の夜明日の講義で連絡し忘れていた事を伝える為に電話した時も、声色が落ちている感じがした。
ここのところは勉強も絶好調で生まれて初めてのバイトも慣れてきて、まさに順風満帆なはずの心が昨日から様子が明らかに変なのだ。
俺はこいつの家庭教師であってカウンセラーでもなんでもないのだから気にせずに時間まで講義を続ければいいんだし、以前の俺なら絶対にそうしていたと思う。
だけど、どうしてかこいつが元気ないと俺の方まで調子が狂ってしまう。
まっすぐにそして貪欲に勉強に取り組む姿勢が以前の俺と被って見えて、どうにかして志望大学に合格させてやりたいと頑張ってきたわけだけど、当の本人がこの調子では話にならない。
「はぁ……今日はちょっと早いけど終わろうか」
「え? なんでだし」
「なんでって、お前がそんな調子じゃ時間の無駄だからだよ。何があったか知らんけど、今度の講義までに解決させとけよ」
今日はこれ以上講義するのは時間の無駄だと判断した俺は、広げていたテキストを鞄に仕舞って席を立った。
「んじゃ木曜日になって、明日はモンドールで同じシフトだったな。接客仕事なんだから頼むぞ」
「…………うん」
はぁ、ホント調子狂うなぁ!
「心、何があったんだ? 俺でよければ話くらい聞くぞ」
「え? センセが相談にのってくれるん? いつもならそんな事契約した仕事に含まれてないとか言いそうなのに」
はっはっは、まったく反論できんな。
「まあ、今日は早く切り上げたからな。予定の時間までなら聞いてやるよ」
「は? あと10分もないじゃん」
「おう、だから内容をまとめて端的に話さないと時間がなくなるぞ」
「まったく、このセンセは……はぁ」
溜息ついたら幸せが逃げるんだぞ?
「まぁあれだよ。仲のいい友達に泊まりにこいって誘われたんだけど、ちょっと理由があって断ったのが気になってて、さ」
普通ならそんな些細な事で悩む事なんてないと言うところだろうが、心はたぶん普通じゃないんだろう。これまで学校の事とか友達の事を一切聞いた事がないからというのが普通じゃないと思う理由だ。
「何で断ったんだ? 誘ってきた子とは仲いいんだろ?」
「……誘ったのがアーシだけじゃなくてさ。他にも1人いんだよね」
「ほーん。心はそいつの事嫌いなんか?」
「嫌いっていうか、まともに話した事ない子で、そんな子がいる場所にアーシが混じったらって」
「そいつヤな奴なんか?」
「ううん。友達が仲良くしてる子だから、多分いい奴なんだと思う」
恐らくだけど、これ以上この話に深入りすれば心の傷に触れる事になると直感的に理解した。
だけど、ここまで聞いたら引く気になれない俺は、そのまま話を続ける事にした。
「それじゃその友達の友達自体がどうこうってわけじゃなくて、他に理由があるって事か」
「はは、センセって変なとこだけ察しがいいよね」
「変なとこだけは余計だろ」
何か背負ってる女の子だとは思っていたけど、一介の家庭教師が踏み込むべきじゃないと目を背けてきた事に自ら踏み込もうとしているとか、俺もヤキが回ったのかもしれないな。
「あっはは! そんな変なとこだけ察しがいいセンセなら薄々気付いてたかもだけど、アーシって昔色々あって学年全体からハブられてんだよね」
「まぁなんとなくそうかなとは思ってたけど、でも友達はいるんだろ?」
「うん。その子だけはアーシの事を噂とか偏見で見たりしないで、他の子達と……ううん、他の子達以上にアーシと付き合ってくれる、周囲に流されないで自分の目でみたものを信じるみたいな優しい子なんだよ」
「そんな子が無神経に他の友達とブッキングさせようとしてるとは思えんけどな」
「はは、ホント察しがいいね。そうだよ、きっとあの子はアーシを助けようとしてくれてるんだと思う」
お節介といえばそうなんだろうけど、その子はこれまでの心を見てきてこのままじゃ駄目だと判断したんだろう。
心の話を聞く限り、そんな事に加担すればその子も同じような立場になるかもしれないリスクがあるはずなのに、だ。
「そりゃいい奴通り越して、お人好しとも言えるな」
「ホントそれ。アーシの為なんかにこれからの学校生活を駄目にするかもしれないってのに……ホント馬鹿な子だよ」
「馬鹿はお前もだけどな」
「え?」
「そこまでしてくれる子の気持ちをドブに捨てる気か? お前ってそんな奴なんか?」
「……それは」
その昔になにがあったのか知らないけど、相当な目にあって大きな傷を負ったんだろう。
だからこそ、友達がしてくれようとしてる事に感謝の気持ちはあっても、怖くて仕方がないんだろうな。
(なら、俺がしてやれる事って大したもんじゃないな)
「断った事を後悔してんだろ? なら答え出てんだから悩む必要ないよな」
「……センセ」
「さて! 何時の間にか時間も過ぎてる事だし、そろそろ帰るわ」
「…………うん。時間とらせてごめん」
「まったくだ。元気だけが取り柄の心がそんなになるんだから、何事かと思えばただのチキン話聞かされただけだもんなぁ」
「チキンって酷くない!? アーシは……アーシだって!」
「変わりたいんだろ? なら動け。動かないと絶対に何も変わらない。心の事をここまで心配してくれてる友達の事信じてやれよ」
「…………でも、アーシなんて」
「いってこい。もし駄目だったら、愚痴くらいいくらでも聞いてやるからさ」
「…………センセ……うん」
まったくセミボッチのくせによく言うわ、俺も。
でも、そんならしくない事をしてやろうと思える程度には、心は俺の少ない友人枠の一人になっているんだろうな。
さて、今晩は何作りますかねぇ。
「センセ!」
西宮邸の立派な門を潜って伸びをひとつしながら、今晩の一人飯の献立を考えていたら、不意に頭の上から呼ばれる声がした。
「んだよ。まだ何かあんのか?」
「ありがと! 多分アーシ誰かに背中押して欲しかったんだと思う」
まったくいつもは生意気なJKのくせに、こういうところは子供なんだな。まぁ礼を言われるような事をした覚えはないんだけど。
ま、学校生活が上手くいけば巡り巡ってさらなる成績アップに繋がって、最終的には俺の懐も温まるって寸法なんだから、これは心の為じゃなくて俺の為なんだよ。
「別にお前の為にしたわけじゃないから、礼なんていらん」
「センセってホント捻くれてんね」
「うっせ! 俺は間違った事は言ってない」
「ま! そういう事にしといたげる」
もういつもの心に戻ってやがる。
ホント可愛くない女だぜ、ったく。
「まぁ、なんだ。精々頑張れ」
「うん! アーシ頑張るよ! おやすみセンセ!」
言った心は腕が千切れるんじゃないかと思うほど、俺の姿が見せなくなるまで手を振っていた。




