episode・25 迷える雅
大学の講義が終わり帰宅して汗を流そうとシャワーを浴びる。
最近夏らしく暑くなってきて、混んでる電車に乗るのが億劫になってきた。
幸い受講する講義を自分で組む事が出来る大学生の特権で通勤、通学ラッシュ帯は避けられているけど、それでもいつもガラガラの電車に乗れるわけじゃない。
因みに今日は行きも帰りの割と混んでて、汗ばんだ体で電車に乗るのに気を使った。
とはいえ、帰宅してシャワーなんて何時もなら浴びたりしないんだけど、今日はこの後また外出する事になっている。
以前、映研【もぐり】の会長である梨田さんに誘われていた決起集会に参加する為だ。
脚本を書くという話を受けるかどうか、正直まだ迷っている。確かに興味はあるんだけど、何時もの小説なら自分の頭の中にいる登場人物を好き勝手に動かすのとは訳が違うわけで。
映画の脚本となると自分が書いた通りに実際の役者達がカメラの前で演じる事になる。
空想上の人物であれば実際に誰かが傷つくわけじゃないから、無茶な言動や行動を躊躇なく与える事が出来るけど、映画の脚本を書くという事は実際に役者達が俺の描いた通りの行動を取るという事なんだから。
(……そう考えたらちょっと怖いんだよなぁ)
そんな考えても仕方がない事をぼんやりと考えつつシャワーを浴び終えた俺は、バスタオルでうっそうと茂った髪をガシガシと拭きながら脱衣所を出た。
「……ちょっと、雅君」
廊下に出てヒンヤリした空気で火照った体を冷ましていると、不意に後ろから聞き慣れた声がした。
「おう。おかえり、夕弦」
「うん。ただいま――って」
「――て?」
「ウチには女の子がいるんだから、パンイチで家の中をウロウロすんなって言ったでしょうがーー!!」
「フギャンッ!?」
しまったと思った瞬間の事だ。
顔を真っ赤にした夕弦が、持っていた学生鞄をフルスイングで俺の横っ面に叩き込んできた。
もう一度言う。フルスイングでだ!
「……いや、誰もいないと思って」
「誰もいなかったらいいってもんじゃないでしょ!?」
いやいや! 家に1人だったら風呂上りなんて皆一緒だろ! え?違うの!?
「すまん……とにかく服着てくる」
「そうして! ってあれ? こんな時間にシャワー浴びるなんて珍しいね」
「あ、あぁ。これからサークルの飲み会なんだ」
「え!? 酒池肉林コンパ!?」
「ちっげーよ! しかも酒池肉林ってどこで覚えた!?」
まったく! お兄ちゃんの事をどんな目で見てんだ、妹よ。
後ろを向いてパンイチの俺を見ない様にしている夕弦を置いて、部屋に駆け込んだ俺はそのまま支度を整える。と言ってもこんな暑い日に着る服なんてTシャツに短パン一択だろう。
好き好んでボサボサに伸ばしてる髪だけど、この季節だけは鬱陶しくて仕方がない。
だけど、どんなに鬱陶しくても髪をあげたりしない俺ってストイックだろ? ふふん!
「それじゃ、いってくるな。晩飯は沙耶さんが作ってくれると思うから」
「わかった。気を付けてね、いってらっしゃい」
いってらっしゃい、か。
こうしてこのマンションに住むようになって、当たり前のように掛けられる挨拶の言葉。
だけど、飽きる事のない言葉なんだ。
「さて、いくか」
湿気を含んだジメッとした空気が汗を流してサッパリした体に纏わりついてくる。
今年の夏は色々と賑やかになりそうだと曇った空を見上げて、軽い足取りで駅に向かった。
◇◆
駅の構内に入ってホームの続くエスカレーターに乗っていて気付いた事がある。
スマホで時間を確認しようとした時、真っ黒な液晶画面に映った俺の顔が覆い茂った髪と眼鏡でよく見えなかったのだ。
つまり普段の俺という事だ。
今日はもしかしたらお世話になるかもしれない映研のサークルメンバーが沢山集まる決起集会なんだから、身だしなみはキチンとした方がいいかとエスカレーターと連なっている階段を見る。
エスカレーターを上がり切ってすぐさま隣の階段に足を向けて一度家に戻ろうとしたんだけど、やっぱりやめた。
――らしくないと思った。
仕事ならともかく、そうでない場に自分の嫌いな顔を晒す必要なんてないと改めたからだ。
階段に向けた足をホームに向け直して電車を待っていると、手に持っていたスマホが震えて着信を知らせる。
早めに家を出たし電車内で通話するわけにはいかないから、ホームに入ってきた電車を乗り過ごして脇にあったベンチに座りながら、通話ボタンをタップした。
「もしもし?」
『あ、月城? 今大丈夫?』
「まぁ、少しならな。どうした?」
『少しってどっか行くの? そういえば周りが騒がしいね。今、駅?』
「あぁ、ちょっと飲み会に呼ばれててな」
『はぁ!? 飲み会!? また合コン!?』
「どいつもこいつも何で俺が参加する飲み会=コンパって決めつけんだよ!」
『だってドケチの月城が普通の飲み会に参加するなんて、レア過ぎるじゃん!』
「まぁ、そこは否定しないけどな。それで何か用か?」
『否定しないんだ……いや、暇だったからアタシも飲みのお誘いだったんだよ。よく考えたら月城と飲んだ事なかったし』
言われてみれば、石嶺と酒を呑んだ事はない。
というか、普通男と2人で飲むなんて女は警戒するもんじゃないのか?知らんけど。
要するに、俺は男としてカウントする価値なしって事なんだろうな。え?なにそれ、泣きそう。
とりあえず、ここは「また今度な」と返しておけばいいだろう。
今度っていつなんだって話だけど。
「まぁ、今日の飲み会は普通の集まりじゃないから断れないんだ」
『え!? 普通じゃないって……まさか女だらけの乱れた飲み会って事!?』
「何でそうなるんだよ! 俺の事どんな目で見てんだ!?」
『え? 天然女たらしキラー?』
「ぶっ飛ばすぞ!」
俺はそう言いながらも、何となく詮索されるのが恥ずかしくて映研の名前を隠した。
今更俺が金にならない事をするかもしれないのを知られたくなかったし、その繋がりで俺が小説を書いてるなんて恥ずかしくてバレたくなかったからだ。
「まぁ、そういう訳で、とりあえず今移動中だから切るぞ。また今度な」
言うと、石嶺は渋々電話を切った。
何で俺が飲み会に行くと言うと、あんなに不機嫌になるのか理解に苦しむ。
気を取り直して、決起集会が行われるM駅前にある居酒屋【海王】という店に着いた。
その店は名前の如く海鮮料理がウリの店らしく、久しぶりに寿司が食えると楽しみにしていた店だ。
「やあ、月城君。今日はよく来てくれたね」
店の前でそう声をかけてきたのは、映研サークルの会長であり、俺をここへ誘った梨田さんだった。
「梨田さん、こんばんは。今日は誘って頂いてありがとうございます」
言うと、梨田さんと一緒にいた数人の男が俺を興味深そうに見る。
「おぉ! こいつが会長一押しの脚本家かぁ! あ、俺副会長の富山な」
「月城です。宜しくお願いします」
ガタイに自信があるんだろう。
上半身タンクトップ一枚の姿で現れたのは副会長の富山先輩で、梨田さんの肩に太い腕を回している。
「こんな所じゃなんだから、もう皆集まってくる頃だろうし中に入ろうか」
「はい」
梨田さんが店の中に案内してくれて、俺も富山さんの後に続いて店に入った。
店の一番奥の座敷を貸し切ったと言われて入ったのだが、その座敷席は結構な大部屋で、いくら何でも広すぎるんじゃないかと思った。
だけどそれは杞憂だったようで、俺達が入った後から続々と参加メンバーが姿を現して、気が付けば席はほぼ満席になったのだ。
ナメてた。
これだけの大人数で映画を撮るのか。
二番煎じと言われているサークルでこの人数だ。流石有名校といったところだろうが、高校生レベルの映研とは規模が全く違って本当に驚いた。
出席者の確認を済ませた幹事から報告を受けた会長である梨田さんが席を立ちあがる。
「えっと、まだ大山が来ていないんだけど、あいつは今回主演女優をやってもらおうと思っている女の子を迎えに行ってるんだ。だから先に集会を始めさせてもらおうと思うんだけどいいかな」
言うと、メンバー全員がそれに賛同するアクションを見せた事により、梨田さんは話を進める。
「まずは真っ先に紹介しないといけない人がいるんだけど、折角の冷えたビールがぬるくなるのは勿体ないから、先に乾杯といこうか!」
梨田さんが運ばれてきたジョッキを手に持つと、他のメンバーも一斉に立ち上がってジョッキを手に持った。
勿論、俺も慌てて立ち上がってジョッキを構える。
「それじゃ、新体制での一作目の成功を祈願して乾杯!!」
「「「かんぱ~い!!」」」
梨田さんの音頭と共に、あちらこちらでジョッキとジョッキが打ち付け合う低い音が響く。
俺も近くにいた顔も知らないメンバー達とジョッキを突き合わせてから、キンキンに冷えた生ビールを喉に流し込んだ。
最初の一口目が最高に美味い!と言いたい所だけど、今の俺にそんな余裕はない。
だってさっき梨田さんが俺の事紹介しようとしてたから、すぐに出番がくるはずだからだ。
自慢じゃないが、俺は人前に出るのが苦手だ。1人や2人ならまだしも、これだけの人間の注目を浴びるなんて拷問でしかない。
そんな事を考えてると、ふと梨田さんとバチッと目があった。
くる!梨田さんからバトンが飛んでくると覚悟した時、座敷席の襖が開き救世主が現れた!
「遅くなりましたぁ! 大山です!」
瑛太だ。瑛太がようやく到着して、いつものヘラヘラした様子で会釈しながら会長の元に向かって行く。
その際、俺と目が合った瑛太はニッと笑み浮かべた。いつもならイラッとくるところだけど、今だけはそれが勇者の笑みに見えてしまう。
その瑛太の後ろから付いて入ってきたのが、恐らく梨田さんが言っていた主演女優に抜擢したいと言っていた女の子なのだろう。
どんな子なんだとその姿を目で追った時、俺の思考の全てが一瞬で彼女の姿に釘付けになった。
このサークルは配役を決める時はオーディションで決めると、梨田さんから事前に聞いていた。
だというのに、今回のヒロイン役はオーディションを行わずに、スカウトしてきた女の子を起用すると梨田さんは皆んなの前で宣言したのだ。
そんな女の子が満を持してこの場に現れたのだから、皆の視線が集中するのは当然なんだけど、俺が彼女の姿に釘付けになったのはそういう事じゃない。
どこかで会った事がある。いや、それどころか懐かしいとさえ感じたからだ。
梨田さんに軽く挨拶を済ませた2人が近くに空いていた席に座った所で、飲みかけのジョッキを手に持った梨田さんが立ちあがった。
「わるい! さっき乾杯したとこなんだけど、全員揃ったから新メンバーもいる事だし、順に自己紹介して欲しい」
梨田さんはそう言って、まずは俺からと小さく咳き込んで全員に聞こえるように声を張った。
「K大映研サークル【もぐり】で会長をしている梨田だ。ウチはずっと名門だって言われてる【IMAGE】の二番煎じとか言われてるサークルだ。でも俺の代でその地位を逆転したいと思ってる! よろしく!」
脱二番煎じを宣言した梨田さんの声はとても力強くて、映画の制作にかける情熱みたいなものが溢れている挨拶だった。
正直カッコいいと思ったし、そこまで1つの事を真剣に取り組める事が羨ましかった。
会長の挨拶を皮切りに副会長、幹部達と順番に自己紹介が進められていく。通例なら三回生から順番に若くなっていく流れらしいんだけど、正式なサークルメンバーではない俺は一番最後から二番目で、トリは例のスカウトされた女の子らしい。
会長から始まった自己紹介も新メンバーである一回生に順番が回ってきた。
因みに2回生の瑛太が自己紹介に下ネタを混ぜて派手にスベッてた。
1回生達が緊張気味に自己紹介を済ませる度に、先輩達から温かい拍手が送られる。
俺も一応拍手してるんだけど、刻一刻と俺の番が近付いていて内心それどころじゃなかった。
そして1回生の自己紹介が終わり、とうとう招待メンバーである俺の番である。
「経済学部2回生の月城雅です。会長の梨田さんから脚本の話を頂いて、招待メンバーとしてお邪魔してます。どれだけ皆さんの力になれるか分かりませんが、やる事になれば一生懸命頑張りますので宜しくお願いします」
うん、噛まなかったし、内容的にも無難だったし、こんなもんだろ。
自己紹介を終えると他と同様に拍手が送られた。
やたらと力いっぱい手を叩く梨田さんが壊れたサルのおもちゃに見えたのが気になったけど、概ね良好な挨拶だっただろう。
「それじゃトリは我がサークル超期待の星だ」
トリを務める女の子の番になると梨田さんが張り切って、彼女を持ち上げる司会を入れた。
「葛西 有紀。よろしく」
うん、淡泊。これ以上ないって程The淡泊!
素っ気ないを通り越して、最早出来の悪い喋る人形レベルだ。
他のメンバーもあまりの淡泊さ加減に、ポカンと頭の悪い子みたいに口を開けている。
だが、この淡泊さと一切表情筋が動かない冷淡極まりない表情が、まさかと思っている……いや、いっそ人違いであってくれと願っていた事が根底から崩さってしまった。
(……間違いない。あいつは……)
「久しぶりね、雅」
「……有紀。なんで」
葛西有紀という名を聞いて座ったばかりの席から立ちあがった俺をみた有紀は、一切表情を変える事なく淡々と俺の名を口にする。
そんな俺達のやり取りで我に返った連中の視線が次々と集まってくる。
だけど、今の俺にそんなのは些細な事ではあったけど、視線の中に唯一無視できないものが混じっていた。
瑛太とはそれなりの付き合いだ。
そんな奴が今考えている事なんて手に取るようにわかる。
(テメー、俺が先に目を付けたと思ってたのに、何時からだ? 何時から知り合いだった!? 正直に吐け!とか思ってる目だ、アレは)
「あれ? 知り合いだったのか? 月城君」
「……え? あ、ああ。まぁそんなとこです」
知り合いどころじゃない。だって、あいつは俺の……。




