episode・14 水も滴るいい我が息子
あれから結局断り切れずに近い内にサークルメンバーの集まりに参加して他の連中の話を聞いてから返事をしてくれと頼み込まれて、俺は渋々了承した。というか、了承させられた。
金にならない大概の事は突っぱねる俺だけど、今回の瑛太にはそれが出来ない程の勢いがあった。
余程、そのヒロイン候補の女の子が気になるんだろうけど、そんなに恋人が欲しいものかねぇ。
恋人なんて作ってしまったら、金はかかるし、バイトの時間も削らないといけないしで、今の俺には無用なものとしか考えられないんだけどなぁ。
大学に戻って講義を受け終えた俺はそんな事をぼんやりと考えながら大学を出て駅に向かって暫く歩いた所で、突然ポツポツと雨が降ってきた。雨粒を数滴頭に感じたかと思えば、降りだした雨は急激にその激しさを増していき、見る見るうちに着ている服を重くしていく。
俺は無駄な抵抗だと思いながらも、肩にかけていた鞄を頭の上に翳してひさしを作り、せめて視界だけでを確保しようと試みてみる。
まぁ、年中無休でひさしになっているはずのうっそうと茂った前髪を標準装備している俺だけど、自慢?の前髪はのれんのように草臥れていて役に立たなかったからなんだけどな。
厄介な事に俺がいる場所から駅まで雨宿りが出来そうな場所がなく、戻るにしても丁度中間点付近にいて意味を感じない。俺は覚悟を決めて駅まで走る事にした。
俺と同じように大学から駅に向かって走る学生が数人いて、同じ様に駅から大学に向かって走ってくる学生もいる。
皆傘を持っていないのは、今朝の天気予報の降水確率が10%だった為だろう。
俺もその口だから、気持ちは凄く分かるのだ。
そんなテンヤワンヤの中、駅の方から1人だけ優雅に傘をさして歩いている女の子が目に入る。
どうやら駅にいる時に振り出したみたいで、透明のコンビニ傘を買ったようだ。
どうでもいいんだけど雨が降った途端、人の足元みて傘の値段を跳ね上げるコンビニの悪しき陰謀は何とかならないものだろうか。
背に腹は代えられぬと言うが、俺は背に腹代えまくって濡れて帰る選択しか選べないからホント何とかして欲しい。
そのショボい作りなのに高級品に化けたコンビニ傘の小間が透明な為、アッシュグレーに染めた髪が見える。
大学生なんだからと思うのだが、K大ではかなり目立つカラーだと綺麗に染め上げられた髪に目がいく。
『――ごめんね、月城君』
そんな女の子に対してズブ濡れの俺がその優雅さに苛立ちを覚えながらすれ違った瞬間、忘れようとしていたあの人の言葉が頭の中で流れる。
俺は咄嗟に駆け足になっていた足を止めて、すれ違った女の子に振り向いた。
だけど、傘を差した女の子はそれに気付かず相変わらず優雅に歩いていて、やがてその背中が小さくなっていく。
(……なんで)
何であの人の言葉が浮かんだのか、俺は雨が激しく降っている中、その場に立ち尽くして女の子が完全に見えなくなるまで目が離せなかった。
彼女の姿が視界から消えてハッと我に返ると、もう濡れている箇所がない程にずぶ濡れになっている様を見て、ははっと乾いた声が漏れた。
簾の様にうっそうと茂っている前髪は、嫌いな顔を隠す役割を果たせていない。
タオルでもあれば何とかなったのかもしれないけど、俺は仕事だからという理由以外では、何時以来かぶりに前髪を両手で掻き上げて、隠していた顔を晒した。
何でそんな事をしたのか、俺にもよく解らない。
ただあの女の子とすれ違った時、どう言えばいいのかな……そうだ、視界を塞いでいる髪が邪魔だと思ったんだ。
自分から顔を隠したくてしている髪型なのに、凄く勝手な言い草だとは思うけど、邪魔だと思ったんだから仕方がい。
開けた視界の中にも、当然あの女の子の姿はすでにない。
(……なにやってんだか)
自分に呆れながら、もう急ぐ必要がない程に濡れた体を駅に向ける。
駅に到着したのはいいが、流石にこれだけ濡れた状態で電車に乗るのは気が引ける位の常識は俺にもある。どこかに入って服を乾かそうと駅の周辺を見渡していると、不意に聞き覚えのない声に呼び止められた。
「よかったら、これ使って下さい」
「え?」
見覚えのない女の子2人のうちの1人がそう言って、俺に可愛らしいハンドタオルを差し出してきた。
「……えっと」
有難い申し出ではあったけど「ありがとう」とサラッと受け取れるようなスペックは生憎と持ち合わせていない。俺が差し出されたハンドタオルの前で目を泳がせていると、もう1人の女の子がいい事思い付いたと言わんばかりに指を立てる。
「あの! これから駅前のカラオケに行きませんか? そこで服を乾かせば歌えて一石二鳥ですよ!」
なるほど。確かにカラオケボックスならこんなずぶ濡れの状態でも、あまり嫌な顔はされないかもしれないな。
1人カラオケなんてした事がなかったから、その選択は思いつかなかったな。まぁ複数でのカラオケもした事ないんだけどなって言わせんなよ、恥ずかしい。
女の子の提案を思案していると、2人が「めっちゃカッコいい!」「うん!ヤバいって!」などと盛り上がっている。
どこかにイケメンでもいるのかと、辺りをキョロキョロと見渡していると「あなたの事よ、雅君」と今度は聞き覚えのある声がして振り返れば、そこには苦笑いを浮かべる沙耶さんがいた。
「あれ? なんで?」
「すぐそこにクライアントの会社があってね。打ち合わせの帰りよ」
「そうだったんですね。お疲れ様です」
「私の事はいいの。びしょ濡れじゃない、もう。今日は外回りばかりで車で来てるから乗りなさい。風邪ひいたら大変だから送っていくわ」
「え? いや、でも……」
「なに遠慮してるの。こっちよ」
仕事中に悪いと遠慮しようとしたんだけど、沙耶さんは当たり前のように俺の手を引いて、駐車してある車の方は向かおうとする。
「あのーお姉さん? ウチらが先に声かけたんですけど?」
「あら、貴方達まだいたの」
さっきタオル貸そうとしてくれて濡れた服を乾かす為にカラオケボックスに誘ってくれた女の子達の1人が、俺を引き連れようとしていた沙耶さんの前に立ちはだかる。
いや、沙耶さんじゃないけど、まだいたんだ。予定があるんだろうからさっさと行けばよかったのにと思うのは、薄情なんだろうか。
「まだいたのって、あのねぇ! お姉さん。こういうのは早い者勝ちって暗黙のルールがあると思うんだけど!?」
最初は訊き間違いかと思ったけど、やっぱり沙耶さんの事お姉さんって言った。
俺も初めて会った時から随分若々しい人だなって思ってた。
お姉さんか。うん、大袈裟でもなんでもなくて夕弦のお姉さんはちょっと無理あるけど、紫苑さんのお姉さんなら全然通用すると思う。
「あらあら、お姉さんだなんて嬉しい事言ってくれるわねぇ」
「はぁ!?」
「あのね、お嬢さん達。雨に降られてびしょ濡れになった息子を見かけて、何もしない母親なんていると思う?」
「……は? 息子? 母親?」
おぅ、沙耶さんがすげードヤ顔してる。
「誰が母親?」
「私よ」
「誰の母親?」
「この子に決まってるじゃない」
言って沙耶さんはドヤ顔を崩す事なく、俺の腰の手を回してグッと引き寄せる。
あの、沙耶さん? 今の俺ってずぶ濡れだからそんな事したら沙耶さんまで濡れちゃいますよ?っていうか、風邪をひくかもって下りはどこへいったんでしょか?
なんて事考えてたら、2人の女の子が俺と沙耶さんと交互に指さして口をパクパクさせてる。いや、君達人に指さしたら駄目だって教わらなかった?
「えーー!? 母親ーー!? む、息子ーー!?」
ちょっとお二人さん。駅の構内でそんな大声上げたらはしたないですわよ。
「分かってくれたかしら? それじゃあね。行くわよ、雅」
「え? あ、はい」
雅……か。初めて沙耶さんに呼び捨てで名前を呼ばれたけど、なんだろ……照れ臭くはあるけど、何かじんわりと嬉しさが込み上げてくる。
「あ、あの! すみません!」
「はぁ、まだなにか?」
改めて意気揚々と車の方へ向かおうとした先に、またあの女の子達が立ち塞がり、沙耶さんがウンザリとした声をあげた。いや、ホントになんなの?
「流石にお母さんの前じゃ諦めるけど、せめて番号交換だけでも!」
「私の息子は面識のない人間に軽々しく連絡先の交換なんてしないのよ」
うん。言ってる事は間違ってないんだけど、2人を軽くあしらう沙耶さんの姿は最早マネージャーのようだ。
「もういいわね」と告げた沙耶さんはグイグイと俺の手を引いて歩き出す。
後ろから「私の事覚えておいてね!」とか「今度は絶対に遊ぼうね」とか聞こえたけど、俺は人の顔を覚えるのが苦手だし、今度は遊ぼうってまるでこれから遊びに行くところだったみたいに言わないで欲しい。
そんな事考えながら歩いていると駅の地下にある駐車場に着いた。
あれだけ騒がしかった構内だったけど、駅の地下に降りた途端嘘みたいな静寂がこの空間を支配していて、沙耶さんが履いてるヒールの音だけがコツコツと響き渡っていた。
車どころか運転免許すら持っていない俺には無用の場所なんだけど、いつもの貧乏性の習慣から駐車料金が表示されている看板を見てギョッとする。
「たっか!」
「ふふ、駅地下の駐車場だとどこもこれくらいするわよ。あ、因みに経費で落ちるから料金なんて見てないんだけどね」
言って小さく舌をペロッと出す沙耶さんはやっぱり若々しくて、そして格好良かった。
「さ、早く乗りなさい」
「……あの、沙耶さん」
「どうしたの?」
「だいぶ服も乾いてきたので、やっぱり電車で帰ります」
「何言ってんのよ、もう! いいから乗りなさい。体早く温めないと本当に風邪ひくわよ?」
「いや、だって……こんな高そうな本革のシートに座ったら濡らしてしまいますから……」
「ごちゃごちゃ言ってないで、ほら!」
流石ドイツ製の高級車だけあって真っ白な本革シートが使われていて、こんな状態で座ったりしたら台無しになってしまうのが目に見えている。
だから沙耶さんの気持ちは嬉しいんだけどやっぱり遠慮すると言ったら、運転席に座っていた沙耶さんが俺の腕を強引に車内に引き込んできた。
車内に引き込まれた俺は、咄嗟に車内の手すりを握り、センターコンソールの手を突いて踏ん張り、なんとかシートに体を浮かせた状態を作ったけど、こんな体勢そう長くは維持出来ないだろう。
「もう、往生際の悪い。そんな頑固な子にはこうよ!」
「ぐひゃっ!」
沙耶さんがニヤリと笑みを浮かべたかと思えば、コンソールに手を突いて隙だらけの脇腹に人差し指を這わせくるものだから、俺は変な声と共にガッツリと本革シートに体を預けてしまった。
「ちょ、沙耶さん!?」
「はいはい、車出すからベルト締める!」
「え? は、はい」
慌ててもう一度体を浮かせようとしたんだけど、気が付けば言われた通りにしっかりとベルトを締めてしまっていた。
「子供が親に変な気を使わないの。汚れたっていいじゃない」
「いや、でもこんな高級な車を汚すなんて……」
「いいじゃない、家族の歴史を刻んだって感じで。ずっと1人で乗ってきた車だから、こうして思い出が刻まれて嬉しいわ」
そんな風に言われてしまえば、もう何も言えない。
沙耶さんは自分の親に夕弦を引き取られてしまった。
紫苑は残ったらしいけど、生活リズムは変わらず仕事中心で、この車もいつも1人で運転していたんだろう。
そう考えれば、沙耶さんの言う事も分かる気がした。
歴史を刻む。つまり家族との思い出を刻むって事だ。
駐車場を出て家に向かって運転する沙耶さんの横顔を見れば、鼻歌なんて歌っていて本当に楽しそうだった。
そんな沙耶さんに温かいものを感じて、俺は本当に思わずこんな言葉を零していたんだ。
「沙耶さん、ありがとう。助かったよ」
真っ直ぐ前を向いたまま素直に出てきた言葉に、自分でも少し驚いた。
口に出してから気恥ずかしくなって正面のフロントガラスから見える物に意識を向けると、いつの間にか信号が赤から青に変わっていた。
「沙耶さん、信号青になって……沙耶さん?」
信号が赤から青に変わっても車を発進させない沙耶さんに慌てて声をかけたんだけど、運転手の沙耶さんは前を向かずにポカンと口を開けて俺を見ていた。
「……もう一回」
「え?」
「もう一回言って! ううん、もうさん付けの名前呼びも邪魔ね! さっきの台詞をお義母さんに変えて言って! もしくはお母さんでも可よ!」
いや、どっちも同じでしょ!えっ?字が違う?そんなん見えんし!
「いや、そんな事より信号が!」
完全に運転中だという事を忘れている沙耶さんに信号の事をもう一度伝えようとした時、とうとう後ろの車が痺れを切らしてクラクションをこっちに向けて鳴らしてきた。
「もう、なによ! 今いいとこなんだから邪魔しないでよ!」
沙耶さんはクラクションを鳴らした後ろの車に文句垂れながら、ようやく前を向いて車を走らせた。
いや、今のは完全にこっちが悪かったからね、沙耶さん。




