episode・9 忌まわしい存在
「どういう意味?」
「俺を煽って何がしたいんだ?」
「……は?」
間があったな――図星か。
さっき紫苑が言った事は本心なんだろう。
だけど、親父をディスった時に表情が僅かに歪んでいたのを、セミボッチの俺が見逃すはずがない。
気付いていながら、暴走してしまいそうになったのは後で猛省するとして、今は紫苑の真意を知る事が先決だ。
「他に何かあんだろ?」
「アンタ、本当に何言ってんの?」
「沙耶さんからは仕事の関係で一緒に暮らすのが遅れてるって聞いててさ。まぁ嘘じゃないんだろうけど……今まで姿を現さなかったのは、それだけじゃないんだろって訊いてんの」
うん。僅かにだけど、目が泳ぎだしたな。
やっぱり、何かある。
「アンタには関係ないでしょ!」
「おいおい、これでも紫苑の義弟なんだぜ? 寂しい事言うなよ」
「はっ! 財産目的の息子と家族になった覚えなんてないね」
「財産目的……ねぇ」
本当に財産目的を疑っているのとして、俺が紫苑の立場なら疑っている事自体を相手に隠すだろう。少なくともこんな強引なやり方で煽ったりはしない。
「まぁいいや。とりあえず、紫苑はこの再婚には反対で、あわよくばこの生活をぶっ壊したいって事なんだよな?」
「……そうよ」
「壊したい原因が俺や親父にあるんなら、こんな事しないで俺達を黙って監視してたらいいだろ」
「へえ、随分と余裕じゃん」
「そりゃそうだろ。親父は純粋に沙耶さんを大切に想って再婚した。息子の俺は親父が望んだ家族を大切にしたいって思ってるだけだからな。因みにその家族に中に紫苑も含まれてるんだぞ」
「――――」
嘘じゃない。
会っていきなり拗れるとは思ってなかったけど、俺達を見る目に憎しみを感じなかった以上、俺は紫苑を切り捨てる事はしたくない。
「はっ! ホントにバカなんだね」
缶ビールを飲み干して、もう話す事はないと沙耶が敷いた客用の布団だけの他に何もない自室に姿を消してた途端、強張った体から力が抜け落ちて俺はそのままソファーに体を預けた。
無理しているのは分かってる。
本来のキャラじゃない。他人と必要以上関わる事を避けてきたんだからな。
でも、ここは無理の為所なんだろう。
俺は自分にそう言い聞かせて、入りそびれていた風呂に入る事にした。
◇◆
「よく飛び出していくのを、我慢したね」
「……あの子が突然帰ってきたから、何かあると思ってたけど……私達の再婚に反対だったのね」
太一と沙耶がリビングでの雅と紫苑の衝突に気付かないわけがなかった。
確かに防音設備が充実しているマンションではあるが、初めから意識してさえしていれば、把握する事は出来るのだから。
「太一さんと雅君にあんな酷い事を……本当にごめんなさい」
「いや、いいよ。気にしないで、沙耶さん。初めて紫苑ちゃんに挨拶した時から、すんなりとは信じて貰えない事は分かってたからね」
「でも、だからって……あんな酷い事を言っていい理由にならないわ」
「それだけ、君の事が心配なんだよ。沙耶さんがどれだけ苦労してきたのか、一番身近で見てきたんだからね。兎に角、僕達はこれまで通りに過ごす事しか出来ない。下手に納得させようとしたら、余計に拗れるだけだと思うから」
「……でも」
「沙耶さんが僕達の事で怒ってくれるのは嬉しいけどね。でも、ここは僕のお願いを訊いて欲しいかな。多分、雅も同じ気持ちだと思うからさ」
「――太一さんがそう言うのなら……分かりました」
「ありがとう。沙耶さん」
◇◆
ムカつく。
あの目がムカついた。
あたしの本心を見抜かれているような、あの目が気に入らない。
出来過ぎた顔を武器に、大学でチャラチャラしてる奴が偉そうにあたしに説教とか――ふざけんな!
あんなガキに何が分かるってのよ。
所詮、親の拗ねかじってるだけの学生のくせに!
……いいわ。そこまで言ったんだから、覚悟する事ね。
絶対に月城に母さんを渡さない。
――母さんが帰る場所はここじゃないんだから。
◇◆
翌朝。習慣になっている時間に意識が覚醒して閉じていた瞼がゆっくりと開く。
見慣れない天井を見つめて、いつもと違う寝心地に眠っている場所が違う事を認識した。
ゆっくりと上体を起こして、布団以外何もないガランとした広い空間を見渡していると、リビングというか正確にはキッチンの方から微かに音がする。
乱れた髪を掻き上げながら、紫苑はそっと部屋のドアを開けて向こうの様子を伺うと、キッチンに誰かいる。
まだ寝惚け眼で更に覗き込むと、キッチンに雅が立っていた。
ドアを開けた瞬間にいい香りが漂ってきた事から、どうやら雅が朝食を作っているようだった。
「なにしてんの?」
「ん? あぁ、おはよう」
「挨拶なんていいから、質問に答えて」
「沙耶さんから言われた事ないのか? 朝起きたらまず挨拶でしょってさ」
家族間での挨拶は沙耶が一番大切にしている事だ。
実の娘である紫苑が無視していい事ではないと、雅は無言で訴えた。
「……おはよ」
「うん、おはよう。何してるかって、朝食を作っているように見えないか?」
「それは見たら分かるわよ。そうじゃなくて、何でアンタが朝食を作ってるのかって事!」
「大きな声出すなよ。まだ皆寝てるんだからな」
雅はそう言いながら、出汁巻き卵の最後の仕上げに取り掛かる。
コロコロと綺麗に巻かれていく卵に、紫苑は不覚にも目を奪われていた。
「う、煩いわね。そんな事より、質問に答えなさいよ」
「はぁ、極力食事は俺が作る事になってる。特に時間がない朝はな。大学生の俺が一番時間に余裕があるんだから、当然だろ」
「だからって、それは母さんがしたいって言わなかった!?」
沙耶が取り戻したい事の1つに、自分の手料理を家族に食べて貰う事なのは、勿論、雅も知っている事だ。
「それでいいのよ、紫苑」
「か、母さん」
「おはよう、沙耶さん」
「うん、おはよう。雅君」
見事な手さばきから生まれる出汁巻き卵に気を取られいて、沙耶が自室から出てきているのに気付かずに、表面的には再婚を受け入れている芝居を打っていた紫苑は露骨に動揺を見せる。
だが、沙耶はそんな様子に気付く素振りを見せずに、いつものように大切にしている挨拶を雅と交わした。
「何で弟君が朝食を作ってるのよ! 母さん再婚したら、家族に料理を振舞うんだって楽しみにしてたじゃない!」
「……おはよう。紫苑」
「母さん!?」
「朝起きたら挨拶をするなんて、幼稚園児でも知ってる事だと思うのだけれど」
「――!」
ついさっき雅にも言われた事を沙耶にも言われて、すっかり家族している2人に苛立った紫苑だったが、今は本音を悟られるわけにはいかないと、大人しく従う事にした。
「お、おはよう。母さん」
「はい、おはよう。料理については、今先生の元で修行中なのよ」
「は? 先生? 修行?」
「ええ。雅君は本当に料理が上手でね、弟子入りしたのよ。ふふっ」
「大した事ないって言ってるじゃないですか。沙耶さんなら、直ぐにこれくらい作れるようになりますよ」
雅はそう言いながら、見事な焼き加減の綺麗な出汁巻き卵を皿に盛ると、テーブルに配膳した。
テーブルには既に他のメニューが並んでおり、見事な日本の朝食と言える和食が完成した。
「うっし! それじゃ俺はそろそろ夕弦を起こすので、沙耶さんは親父を起こして貰えますか?」
「ふふっ、すっかりお兄ちゃんしてくれて嬉しいわ」
沙耶は嬉しそうに雅の指示通り、まだ眠っている太一を起こしに向かった。
コンコン!
「おーい、夕弦。朝飯出来たから、起きろよ!」
「……ん~。あと5分寝かせてよ」
「ほ~ん。そんじゃ、寝相の悪い夕弦の姿を写メ撮っていいんだな」
雅をそう脅すと、部屋の中からドタバタと音がしたかと思うと、勢いよくドアが開いて夕弦が焦った様子で姿を見せた。
「な、なんでよ! 何でそんなとこ写メ撮られないといけないの!?」
「何でって、この前約束したじゃん。いつも中々起きないから、起こされて直ぐに起きなかったら、写メ撮ってネットに晒すって」
「ネットに晒すなんて言ってなかったでしょ!?」
「写メ撮るって約束は覚えてるって事だな。ほら、飯が冷めちまうから、さっさと顔洗ってこい」
雅はそう言って手に持っていたタオルを夕弦の頭にかける。
ここまでの動きが朝のルーティンになっていて、夕弦は大人しく従って洗面所にまだ頭が起き切っていないフラフラした足取りで洗面所に向かって行く姿を、雅はクスっと笑みを零して見送る。
「――なんなの、あいつ」
すでに家族の中心といった振る舞いを見せている雅の姿を忌まわしそうに睨みつけ、紫苑はそう独り言ちた。




