不思議な人々 9
リーナは日が昇り切る前から部屋で準備を整えていた。
「朝ごはん、何食べようかなー」
気持ちいいの朝に、リーナは上機嫌だ。
「まずは、ギルドでクエストを受けてから市場の方にでも行ってみようかな」
リュックを背負い、部屋を出る。宿はリーナ以外にも多くの宿泊客がいたはずだが、廊下は静まり返って
いた。
「もうみんな出たのかな?昨日は遅くまで起きてたから、遅起きになっちゃったな?」
受付の方を見ると、昨日は疲れていて意識していなかったが若い女の人が眠そうにあくびをしていた。
「おはようございます!」
リーナは受付に寄り、その人物に声を掛けた。
「あ、おはようございます。こんな時間から起きてるなんて、すごいね」
女性はたいして表情を変えずに、淡々とした口調で言った。
「あはは、昨日は遅くまで起きていたので…」
リーナは後ろに手をやり、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「あ、お嬢さん魔族?」
「……え?」
あまりの唐突な言葉に、リーナの思考は完全に止まった。
女性とリーナの会話は当たり障りのない内容で、どこを取ってもリーナが魔族と判断されるはずがない。だが、この女性はわずかな会話だけでリーナを魔族と判断した。
(どうしよう…。魔族なんてばれたら……)
リーナは停止している思考を必死に動かし、考える。
ここは、良くも悪くもギルドの横にある宿。ここで、全速力で逃げてもすぐに冒険者が捕まえに来る。だからと言って、この女性に本当の事を話してしまってもいいのか。
リーナの額に汗がにじみ、視界が揺らぐ。
「あぁ、ごめんね。そんなに動揺させるつもりはなかったんだ」
女性は初めて、わずかな笑みを浮かべ手を軽やかに振る。
「ただ、この時間に起きてるのは漁師とか配達屋、あとはあたしみたいな雇われくらいなもんでね」
「はぁ…?」
リーナの混乱と警戒が解かれないまま、女性は話を続ける。
「冒険者がこんな時間に起きてるなんて珍しいなーって思ったんだ。冒険者なんて、昼から活動を始める生き物だからね」
「それだけで、私を魔族と思ったんですか?」
「んー、お嬢さん、昏き森から出たのは初めて?」
女性は少し考えこむようにして、リーナに聞いた。
「…はい」
「そっか。なら、知らないのも無理ないかな」
「何のことですか?」
「魔界と人間界は流れる時間が違うのさ。昏き森を境にね」
女性はなおも薄い笑みを浮かべて、淡々と語る。
「一説には神様が人間と魔族を区別するために変えたとか、魔獣の気まぐれで変わるとか。ま、真実なん
てどうでもいいけど、お嬢さんがこっちで生きていくためには覚えておいた方がいいかもね」
「じゃあ、あなたはギルドに報告したりは…」
「しない、しない」
リーナはその言葉に安心し、息を吐いた。
「良かったぁ。もう、どうしようかと思いましたよ」
「あ、でも、気を付けてね。魔族のことを恨んでる人も少なくはないから」
女性は薄い笑みをやめ、リーナの目を見つめた。
「私は魔界、って言っても魔王領だけなら行ったこともあるし、良い人もいることを知ってるからだけど、ここは良くも悪くも昏き森に一番近い王国。魔族に大切な人を殺されてる人もいるから」
「はい…。私もそれを確かめたくて、こっちに来たんです」
リーナはその視線に対し、力強く見つめ返した。
「…そっか。お嬢さんじゃなかったね。頑張ってね、リーナ」
「ありがとうございます!えっと…」
「あぁ、私はベローネさ。今日はこれから、仕事だろ?早く行ってきな」
「はい!行ってきます!」
リーナはベローネに手を振り、宿から出た。
宿を出ると、リーナは空を見て驚いた。
「まだ、暗い…」
リーナの感覚では、もうお昼ごろのつもりだったのだが、空はまだ薄暗く、辺りはまだ肌寒かった。
「はぁ、本当に時間が違うんだぁ。どうして今まで気づかなかったんだろう」
魔界を出る時、ソリューシャも心配所のマクトですらこんなことを教えてくれなかった。知らなかったという可能性はあるが、どちらも人間界に長い時間いたはずだ。
「今は考えても仕方ないかな」
気持ちを切り替えギルドの方を見ると、いつも全開になっているはずの扉がしまっていた。
「あれ、もしかして…」
近寄って、扉を開けようとしても開かない。
「まだ、しまってる…」
先にクエストを受けてから朝ごはんを食べに行こうと思っていたが、そういう訳にもいかなくなった。
「なら、市場に行こっかな!」
予定を変更して、あまりゆっくりしたことのない市場へ行くことにした。
「なんで気付かなかったんだろう…」
リーナは、市場があるはずの場所に着いてからつぶやいた。
「ベローネさんもこの時間は、誰も起きてないって言ってたのに…」
肩を落とし、幕の下りた出店の間を歩く。
しばらく歩くと、路地の間から光が漏れているのに気づいた。
「なんの明かりだろう?」
興味本位で路地の間に入ると、『本』と一文字だけ書かれた店があった。
「本屋かぁ、子供のころに行ったっきりだなぁ」
特に目的はないが、リーナはその本屋に立ち寄った。
カラン、カランと来客を知らせるベルが扉に揺らされ鳴る。
「いらっしゃい。おや、ずいぶんと若いお客さんだね」
店の中は薄暗く、今入ってきた扉の前には顔にしわの入った老婆がいた。
「入っても大丈夫ですか?」
「ふふ、もう入ってるじゃないか。冷やかしでもゆっくりしていきな」
老婆は落ち着いた声で、視線を下に落とした。どうやら、本を読んでいるようだ。
リーナは身の丈の倍はあろうかという本棚と本棚の間に入った。整理されている本の背を見ると難しそうなタイトルばかりで、リーナは取るのもためらった。
「優しめのやつは…」
「簡単なのは、もっと奥にあるよ」
独り言のつもりで言ったのだが、姿の見えなくなった老婆が答えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
大きい声を出すのを躊躇い、さっきと同じような声で言う。
リーナは教えてもらった通りに本棚の間を進むと、少しタイトルで内容がわかる本が多くなってきたのに気づいた。
「魔術と魔法、魔獣の生態、失った魔力…?」
背を伸ばし、最後のタイトルがついた本をリーナは手に取った。
表紙は女性と思わしき人間が大きな木に手を触れている絵だった。その表紙をめくり目次に目を通す。
1・魔力の本質、2・魔力の発生、3・失った魔力の行方、4・魔力の未来
リーナは3番のページを開け、読んでいく。
3・《失った魔力の行方》
先の章で魔力とは、自然が本来持っているエネルギーであると考察した。では、魔法を使った際の魔力はどこへ行くのだろうか。
炎や水、様々なものに性質を変える魔法を使う者なら、誰でも魔力の流れを体内で実感できるだろう。しかし、その性質を変えた後の物質は時間差はあれど、例外なく消失している。ならば、その物質、もとい魔力はどこに行くのか。
その問いに私は、こう考察した。魔力はどこへも行っていないのではないだろうか。
少し話は変わるがこれを読んでいる君は魔力切れを起こしたことがあるだろうか。
魔法を覚えたてのころに興奮して、ずっと撃ち続けて体が動かなくなったあの現象のことだ。私は何度も魔力切れを起こし、よく父親の背中に身を任せることになった。しかし、次の日にはすこぶる元気になっており、前日よりも魔法を多く使えるようになった。ここには個人差があるようだが、私が言いたいのはそこではない。なぜ魔力切れ起こるのか・
魔法を使う際に空気中に漂っている魔力を自分の中に取り込み、それを変換して放つだけなら永遠に魔力切れは起こらないはずだ。しかし、魔力が生まれた時から持っているものであり、使えば戻らないものであるとするならば魔力切れが起きた時点で、その者は魔法を永久につかなくなるはずだ。
つまり私はこう言いたい。魔力とは生命エネルギーの一種だと。
人間は活動すればお腹が減るし、何か食べなければ動けなくなってしまう。いわゆる餓死だ。つまり、魔力切れはある意味では餓死に近い状態である。
話を戻すが、魔法を使った際の魔力はどこへも言っていない、これを詳しく話すと体内にある魔力で空気中に漂う魔力に呼びかけ、魔法を使っている。ならば、魔法として使われた魔力は、元から空気中に在ったのが移動したに過ぎない。
ならばなぜ魔力切れは起こるのか、それは体内にある魔力が充電式のエネルギーのようなものだからだろう。
つまり、魔力はどこへも行かず、魔力切れは充電切れだと言える。
「ふぅ…」
リーナは息を吐いてからそっと本を閉じた。
「充電切れ、か…」
自分の胸に手を当てリーナは目を閉じた。
ぐぅうう───
お腹が空腹の産声を上げた。リーナは本を元々あった場所に戻し、出入口の方に向かった。
「面白かったかい?」
老婆は相変わらず目線を落としたまま、リーナに聞いてきた。
「参考になりました──とは言えないですけど、すごく面白かったです」
「そうかい。なら、これを持っていきな」
リーナが近寄ると、老婆が目を開け机の上に手をかざした。
すると、その下にはきれいな栞が挟まっていた。
「いいんですか?私、何も買ってないのに」
「なに、どうせそれは売り物になんかなりやしないからね。いらなければ捨てても構わないよ」
老婆はそう言うと、再び目線を下にした。
「いえ、大事にします。ありがとうございました!」
リーナは頭を下げ、店を出た。
店を出るともうすっかり日が昇っていて、市場も賑わっていた。
「そんなに夢中になってたのかな?」
そんな小さな疑問も大きな空腹には勝てず、すぐに市場に乗り出した。
市場は見るからに新鮮な野菜や魚、お肉を取り扱っている店が大半だったが食べ歩き用の料理を置いている店も多かった
「これと、これ。あ、あとこれもください!」
おいしそうな料理を次々と頼み、リーナは満足そうに市場を食べ歩いた。
「へぇ、食べ物だけじゃないんだ」
露店の種類は食材から衣服、日用品まで多くの種類があった。そんな中で、リーナは武具を置いている店に足を止めた。
「らっしゃい!嬢ちゃん、冒険者かい?」
「はい!何かおすすめってありますか?」
「メインは何使ってるんだ?」
「今は、短剣ですね。あ、予備がないので短剣がほしいかもです」
「手持ちはいくらくらいあるんだい?」
「えっと、千五百エルくらいです」
今日の宿泊料と食費を除外すると、使える金額はそのくらいになる。
「なら、予備よりも防具だな」
「武器よりも大事なんですか?」
今使っている短剣が壊れてしまうと、戦うことができなくなってしまう。そのこと考えると予備は持っておきたいものだ。
「これは俺の考えだが、冒険者には少しでも長く生きて欲しんだ。だから、今使ってる短剣がやばくなったらすぐに逃げるって意味でも、防具の方が良いと思うな」
「優しいんですね。わかりました!防具ください!」
「あいよ!千五百エルなら、腕と胸の防具だな」
そう言うと、店主は下から皮で出来た腕と胸の防具を出した。
「おいくらですか?」
「二つで千二百エルだよ」
「そんなに安いんですか!?」
「普通は二千エルくらいだな。けど、これからクエストだろ?それにその様子じゃ薬草も買ってないみたいだしな。浮いた三百エルで、毒消し草とマナ草を買いな」
店主は八百エルも安くしてくれると言う。ハツラツ草のクエストでも二回目になれば千二百エルにしかならない。
「ありがとうございます!毒消し草とマナ草、必ず買います!」
リーナは店主に代金を渡した後、店主に教えてもらった店で買い物を済ませてからギルドに戻った。