夢の終わり 199
シャートは目の前で棒立ちになっている魔族、エンソフィリアを見つめていた。
その足元には、動かないエンソフィリアの命を断とうとして使われた小さなナイフや本が煙と異臭を上げている液体が散らばっていた。
「刃物もダメ、ナイフもダメ。ったく、どうやったら死ぬんだ…?」
素手やナイフはもちろん、液体である毒物までもがエンソフィリアには効果を発揮しなかった。いや、そもそもとしてそれらはエンソフィリアの肌に触れる前に、見えない壁のような物によって阻まれていたのだ。
「そう言えば、オーナーが会議の時に言ってたな。ヒイロを攫った魔族には四位さんも五位さんの攻撃も通らなかったって…。なら、俺の力じゃ無理なわけだ」
シャートは持っていたナイフを放り投げ、腕を上にあげて手で目を覆った。
「いや、待てよ…?なら、どうしてあいつの攻撃は通ったんだ?」
諦めかけたシャートの脳裏にリーナの姿が思い返された。
オウジンの肌に浅くない傷を残したアムリテの魔法でもエンソフィリアには届かなかった。だが、ヨイラに力負けしてしまうリーナの攻撃はエンソフィリアの肌を傷つけ、更には流血までさせていた。
「俺達が持っていなくて、あいつが持っているものがある……?」
シャートは顎に手を当ててリーナとの相違点を探し始める。だが、その思考は正面で棒立ちしているエンソフィリアから発せられた呻き声で中断された。
「やけに早いな。もう少しかかるものだと思っていたが……。念のために隠れておくか」
シャートは思考をやめ、棒立ちしているエンソフィリアの横を通り抜ける。その奥には二階へと続く螺旋階段があり、シャートはその階段を上る。そして、エンソフィリアを見下ろせる位置で息をひそめた。
その数分後、エンソフィリアの肩がわずかに動き、ゆっくりと顔を上げて正面を向いた。
シャートからその表情は見えなかったが、夢の世界に入る前の子どもらしい雰囲気は一切感じられなかった。
大の大人でも失禁する奴がいたが…。怖すぎて気を失ってんのか?
シャートが視線を送るエンソフィリアは正面を向いてから身動き一つせず、その様子がシャートには気がかりだった。
シャートの中にこの場から離れる選択肢はなく、動かないエンソフィリア見続けるだけの状態が更に数分続いた。
次第にシャートの足は痺れはじめ、腰を下ろそうと床にお尻を着けた。
その瞬間、エンソフィリアの首がシャートのいる斜め後ろへと振り向いた。
気付かれた!?
シャートが声を出すことはなかったが、心臓が飛び跳ね、シャートは反射的にエンソフィリアから目線を外した。
大丈夫だ。落ち着け。いくら魔族と言ったって正確な位置までは分かってないはずだ。音を立てないように移動すればまだやり過ごせる。
シャートは息をひそめながら、床を這うようにして移動する。本棚と本棚の間を通り抜け、影がより濃い方へと。
元いた位置からある程度離れたところで、シャートはゆっくりと立ち上がる。移動している間にも書庫からは物音一つ聞こえず、シャートは冷静さを取り戻していた。
まずはあいつの様子を───
シャートは視線を外したエンソフィリアの姿を確認しようと、音を立てないように足を前に踏み出した。その瞬間、肩に子供の手が触れる感触が伝わった。
咄嗟に振り向こう首を回す。だが、手の持ち主を見る前に肩に強い衝撃が走り、床が抜け落ちた。シャートは書庫の二階にある本棚に背中を打ち付けた。
背中に鈍い痛みが走るが、そんなことに気付かないほどの痛みがシャートの右肩を襲う。
シャートは声にならない声を漏らしながらも立ち上がり、上を見上げた。
すると、そこには先ほどまで自分が立っていた床が抜け落ちてぽっかりと穴が空いている景色があり、その穴から無表情な顔でこちらを覗くエンソフィリアがいた。