ミキタビ始めました 1
ミキタビ始めました!
窓から空を見ると、魔界としては珍しい、雲一つない綺麗な青空が広がっていた。何かを始めるにはいい天気だ。
「よし、ちゃんと荷物は揃ってるし、そろそろ行こうかな!」
大きなリュックを背負い、城門まで向かう。螺旋状になった階段を一歩ずつ降りていく。
「昔はよく二段飛ばしで降りたりしたなー。お父さんは危ないからやめなさい!って怒ってたっけ」
小さいころを思い出して、口元が緩む。
螺旋階段を下り終え、廊下に出ると、いつも部屋の掃除をしてくれた赤と黒の混じった長髪のメイド、ゼペットが頭を下げ、待っていてくれた。
「おはようございます、リーナ様」
「おはようゼペット!」
ゼペットは下げた頭を戻し、リーナの目をしっかりと見た。
「人間領は此処とは違い、危険な所です。それでも行かれるのですか?」
ゼペットの瞳が揺れる。生まれたころからずっと一緒にいたゼペットがこんな顔を見せるのは初めてのことだった。彼女が本当に心配してくれていることが伝わった。
「うん、決めたから。自分の目で見て決めるって」
「左様ですか…」
ゼペットは一瞬顔を曇らせたが、再びしっかりとリーナの方を向いた。
「お気をつけていってらっしゃいませ」
朝の挨拶の時よりも深々とゼペットは頭を下げ、リーナを送り出す。
「ゼペットも体に気をつけてね!」
リーナはゼペットを背に歩き出す。
廊下を抜け、城門が見えてくると、その前に仲のいい人たちの顔が見えてきた。
リーナが手を上げ、声をかけようとすると、何かがリーナにぶつかり、そのままリーナは倒れてしまった。
「リーナぢゃぁぁん!」
鼻水を垂らし、飛びついてきたのはリーナが昔、森で迷子になった時に助けてもらって以来、友人のメアだった。
「メア、泣かないで。ほら、鼻水出てる…」
旅用に入れたティッシュでメアの鼻水を拭き、二人は立ち上がる。
「うぅ、ありがとう…。じゃないよ!本当に行っちゃうの?」
メアが目に涙を溜め、今にも泣きそうな声で言う。ていうか、あった時点で泣いていた。
「何も一生の別れって訳じゃないし、そんな大げさな…」
「大げさにもなるよ!リーナちゃんがいないと私…」
「大丈夫だよ、いつかはここに戻ってくるつもりだし。何回も言ってるでしょ?」
「うん…。ずっと待ってるからね!帰ってきてね!」
メアをなだめた後に近づいてきたのは、灰色の髪をしたメアと同い年の少年、ロウシだった。
「よう」
ロウシは軽く右手を上げ、挨拶した。
「元気そうだね」
「そっちこそ。まぁ、なんだ、人間領がどんな所かは知らねぇが、お前ならいけるだろ」
ロウシは軽く笑い、リーナを後押しした。
「何それ、でもありがと。あと、メアのことよろしくね?」
「おう、任せとけ」
ロウシとは小さいころから、同じ二人の師匠の元で学んだ仲だ。今更、言葉にしなくても心は通じ合っているとリーナは思えた。
リーナは二人の横を通り、城門の下まで行くと、二人の師匠が並んで待っていた。
「リーナ様、もうメアとロウシとの別れはよろしいのですか?」
メガネをかけた執事服の青年、リーナとロウシとメアの三人の座学の師匠、マクトが優しい笑みを浮かべて話しかけてきた。
「うん、二人もちゃんとわかってくれてるから」
「そうですか」
マクトは笑みと同時に下がったメガネの位置を戻すと
「ちゃんと、人間の通貨は持ちましたか?非常食は?地図は?それから、それから…」
マクトはリーナの肩を掴んで、聞いてきた。
「やめろ!」
リーナの肩を掴むために顔の位置が低くなっていた、マクトの頭に踵が勢いよく落ちてきた。
マクトはその勢いに負け、「ふぐっぅ」と変な声を上げ、沈んでいった。
「ふぅ、こいつの過保護はいつになったら治るのか…」
リーナは顔を上げると、正面に褐色の肌に短い銀髪をした女性、三人の戦いにおける師匠、ソリューシャが立っていた。
「ソリューシャ!来てくれたんだ!」
「当たり前だろ?可愛い愛弟子の旅路なんだ。師匠として見送ってやるのが務めだ」
ソリューシャはリーナに手招きをした。
リーナが近づくと、ソリューシャはリーナの頭を撫でた。
「愛弟子の旅立ちだ。これを持っていけ」
ソリューシャはリーナの頭から手を離し、腰のポーチから布に包まれた何かをリーナに渡した。
「これは…?」
リーナはそれを両手で受け取った。布に包まれた物からは多少の重みが感じられた。
「中を見てみろ」
リーナがその布を上から広げていくと、黒い鞘をした短剣が入っていて、鞘を抜くと剣身が深い緑色をしていた。
「わぁ…。きれい…」
「昔、魔王様から頂いた短剣だ。お前が使うと良い」
「ありがとう…!」
リーナは短剣を腰のベルトに掛けた。
「それじゃ、行ってくるね!」
「あぁ、自分のお前ならうまくやれるさ。頑張れよ」
リーナはソリューシャに別れの挨拶を済ませ、再び歩き出した。
「リーナ!その髪、私は好きだぞ」
ソリューシャは別れ際に、リーナの黒髪のことを言った。
魔界に住む魔族は皆、魔力を有する。そして、魔法は適合する魔力の属性魔法しか使えず、その者が有する魔力の属性は髪の色に出るのだが、リーナの髪は黒髪だ。黒髪とは、属性どころか魔力がないことを示し、魔族にとって落ちこぼれの烙印となっている。
「うん!私も好きなんだ!」
リーナは満面の笑みで返した。
「みんな、元気でねー!」
リーナが魔王城のみんなに向かって言うと、みんなが口々に大声で何かを言っていた。その声はリーナには聞こえなかったが、みんなの笑顔を見届けると人間領に向けて、歩き出した。
魔王城から出発して、しばらくすると魔王領と人間領を分ける森が見えてきた。
この森はただ人間領と魔王領を行き来するだけなら、徒歩で丸一日かければ抜けることの出来るほどだが、大型の魔獣が多く、人間は容易には近づけないので会議でここを境にすることが決定された。
リーナが森の入り口に立つと、その森の異様さにリーナは悪寒を感じた。
「やっぱり暗いなぁ…。子供のころに来て以来、なるべく近づかないようにしてたんだけど、人間領に行くは通るしかないよね…」
リーナは子供の時に一人でこの森に冒険と言って入り、迷子になったことがあった。子供三人分よりも大きい幹、首が痛くなるほど見上げても先が見えないほど育った高木。そこから生える太陽の光を閉ざす葉が、幼いリーナには自分を襲う影のように見えとても怖く感じた。そして、その影から逃げるように走ったリーナは自分が来た方向も分からなくなり、心細さと目の前を横切る大型の魔獣に怯え、高木の幹の空洞に入り、泣き出してしまった。そんな時に「何してるのぉ?」と高木の下から声をかけてくれたのが、メアだった。その後、泣きながらメアの後をついて行くと、魔王城に戻れた。
「あの時はメアに助けてもらったけど、今度はちゃんと自分で抜けないとね…!」
リーナは気を引き締め、森に入った。
森に入ると、外ではかんじることのなかった特有の冷気が肌を刺した。
「うぅ…。やっぱり怖いなぁ…」
さっさと森を抜けてしまおうと、魔族が作った看板を頼りに少し速足で歩いた。
それからいくらかすると、中間地点を示す湖が見えた。
湖の上空には高木の枝が伸びておらず、赤くなった空が見えた。
「普段なら、ゼペットが夕飯を作ってくれる時間かな?」
ゼペットは毎日、同じ時間に夕飯を作ってくれる。だから、空の色以外にもリーナは体内時計で時間を計った。
「予定では、太陽が落ちる前に着けばいいかって感じだったから、順調だね」
リーナはバッグから水筒とゼペットが作った、人間領では遠出の時に持つというお弁当を取り出した。中にはゼペットが得意とする火の魔法で作られた火珠が入っていて、中のお肉や焼き野菜はまだ暖かさを保っていた。
「んーっ!やっぱりゼペットのご飯はおいしい!」
作られてから、相当な時間が経っているのに、噛めば肉汁があふれ出すお肉と、フォークを刺すとシャッキという感覚が伝わる野菜の甘さに笑みを浮かべながらリーナは夕飯を終えた。
「今日はここで野宿するとして、正午までに人間領の街に着けばいいなぁ」
空になったお弁当を湖で洗い、太陽が落ちきる前に幼いころ隠れたような、高木の空洞で眠りについた。
眠りについたリーナは獣の鳴き声で目を覚ました。その声は魔王領ではよく見かける、中型犬の外見をした魔獣だと分かった。その魔獣の特徴は大きな目が三つあり、索敵に長けていることと、子犬のころから躾ければ懐くので魔王城でも飼われていた。
そんな魔獣が、リーナが寝ている高木の前で鳴いていた。
「仲間を呼んでる…?」
リーナはこの魔獣の鳴き声を何度も聞いていたので、簡単な声は理解できた。
───嫌な予感がする。
そう思ったリーナは急いで、空洞から出た。すると、高木の周りを中型犬魔獣が、取り囲んでいるのが見えた。
「そんな、どうして…」
リーナの額に汗がにじむ。
幼いころに迷った時も同種の魔獣には遭遇したが、その時は見向きもされなかった。なのに今は完全な敵意を向けられている。
リーナは状況を整理しようと一歩下がるが、それに合わせて魔獣の群れがリーナに近づく。どうにかし
て抜け出そうと考えたリーナは
「やる、しかないよね……」
今朝、師匠のソリューシャから貰った短剣を腰から抜き、構える。月明かりに照らされた短剣は淡い緑色の光を出していた。
「大丈夫、何も全員を相手にすることはない。一番前の子だけ、殺して全力で距離を取ったら木に登るだ
け。うん、大丈夫…!」
自分に言い聞かせ、リーナは覚悟を決めて前の魔獣に向かって走った。魔獣はまだ反応しきれてない。狙うは首元。師匠から教わった短剣術で短剣を突き刺す。
「っは!」
手に嫌な感覚が伝わる。声と共に放った短剣は狙い通り魔獣の首を突き刺した。魔獣は声にならない声を上げ、四肢を痙攣させている。
リーナは遠心力を利用し、魔獣を後方に投げ短剣を抜き取り、鞘に戻した。魔獣が大きな鳴き声を上げ、リーナに襲い掛かる。だが、リーナは身を屈めて避け、振り返ることなく走り、魔獣から逃げる。ある程度の距離を取ると、目の前にあった高木に飛びつき、窪みを右手でつかむ。
「痛った!?」
突然左足に激痛が走り、大声を上げて窪みから右手を離してしまう。そのまま落下すると、お尻は固い地面ではなく何か柔らかい物の上に落ちた。
「こいつ…!」
痛みと柔らかい物の正体は魔獣だった。リーナは腰から短剣を再び出して、下敷きになって、抜け出そうとしている魔獣の頭に突き刺した。再び手に感触が伝わるが、今痛みと周りの魔獣の視線で
「ははは…。人間領に行く前に、死んじゃうなんて…」
出血か毒か。リーナの視界が焦点を失い、地面と夜空の判別や平衡感覚がつかなくなった。
荒い呼吸はちゃんと呼吸の役割を果たしているのかも、わからない。そして、リーナはその場に倒れた。
「ふぅ……」
口からわずかな空気を出し、目を閉じた。
直後、瞼越しにでもわかるほどの明かりが、リーナを包んだ。
「…い…ぶか!?」
誰かの声が聞こえたが、その声に反応することなくリーナは気を失った。