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(4)

 執務室の机に足を投げ出して気だるげに座るフレデリクの前に、ゲラルトがラム酒の香るお茶のカップを置いた。


「お疲れのようですね」

「あいつらが、好き勝手なことをしてくれるからな。頭は冴えているんだが、身体が重くて言うことをきかん」


 フレデリクは大きく息をつくと、辛そうに額を押さえた。


「ところで、招待状はもう送ったのか?」

「はい、数日前に使者が発ちました」

「そうか。で、あの狸親父はどうしている?」

「まだ、春の式典に合わせて、リーゼとの婚約発表をしようと考えているようです。もともと、各国から王族や貴族が集まるこの機会を狙っていましたから」


 来年の春、フリードリヒの皇位継承十年を祝う式典が予定されている。

 この十年の間、社交界にも国民の前にも全く姿を現さなかった悲劇の皇帝が、ようやく姿を見せるということで、各方面の期待は高まっていた。

 権力の地盤をさらに強固にしたいと考える摂政のカルヴィーンにとっては、この状況は面白くはないが、自分の娘との婚約を発表できるのなら、これほどの舞台はない。


「あれだけ、まだその気はないと言ったのに、執念深いな」


 フレデリクが鼻で笑う。


「ですが、私が追加した招待客の顔ぶれを見て、何か気付いたようですよ。友好関係を結ぶためなんてぬるい言い訳が、通用するはずがありませんしね」

「各国の女たちを名指しで招待したのだから、あの男が気付かない訳がない。招待される側も、同じことを思うだろうよ」


 式典の後には、何日にも渡る豪華な舞踏会が計画されていた。

 それはもともと摂政のカルヴィーン卿が計画したものだったが、式典での婚約発表をフリードリヒが拒否したとたん、舞踏会の規模縮小を主張し始めた。

 皇帝の婚約が発表されなければ、舞踏会は、この国の皇帝と、各国の姫君や有力貴族の令嬢たちとの、絶好の顔合わせの場となる。

 招待状一枚で読み取れるその意図を、受け取った側も見逃すはずはない。

 我が娘を妃候補として、必死に売り込んでくることだろう。

 そして、これを機会に皇帝が別の女性の手を取ることになれば、摂政の未来が揺らぐことになるのだ。


「ふふ……。楽しみなことだ」


 フレデリクは机の上のカップを取ると、中身を一気に飲み干した。


「おい、ゲラルト」


 不満そうな声に、ゲラルトは言葉の続きを察する。


「だめです。今、お酒を飲んだら、昨晩ほとんど眠っていないはずの貴方は、確実に落ちますよ」

「少し飲んだ方が、身体がしゃきっとするんだよ」

「だめだと言っているじゃないですか。だいたい、病弱という設定になっているのですから、酒臭い息で、この後の叙勲に出られては困ります」

「おまえの兄に勲章を渡すだけだろ? そんなくだらんもん、休めばいいんだ。俺は病弱なんだから」


 一ヶ月ほど前、山間部で大規模な土砂崩れが起こり、麓の集落が丸呑みにされた。

 住民の救助と復興作業には皇国軍があたり、その軍を指揮したのが大隊長であるゲラルトの兄、エアハルトだった。


「せっかくの勲章なのに……。授けるのが貴方だなんて、もうがっかりです」

「これで何個目の勲章だよ? この程度のことで、いちいち勲章を授けるのもどうなんだ。ったく、あんたの親父は身内に甘い」

「そんなことありません。兄上は立派な方ですから、当然です!」


 そんな押し問答をしていると、執務室の扉が叩かれた。

 叙勲の時間には早すぎるから、二人は怪訝そうに顔を見合わせる。


「ここに人が来るなんて、珍しいですね」


 そう言いながらゲラルトが執務室を出ると、扉の外に待っていた若い官僚に伝言を伝えられる。


「分かりました。今、陛下のご指示を仰ぎます」


 聞かされた思いがけない内容に、とりあえず相手にそう答えると、首を捻りながら取って返した。


「どうした?」

「宝飾工長のオーレンドルフ侯爵が、皇帝陛下にお目通り願いたいと」

「は? どうして宝飾工長が?」

「貴方にも心当たりはないですよね。どうやら極秘の用件で訪れたらしいのですが、どうします?」

「まぁいい。通せ」


 フレデリクは机の上から両足を下ろすと、簡単に髪を整え、姿勢を正した。

 執務室の前まで案内されてきた宝飾工長をゲラルトが中に通すと、さっきまでフレデリクと呼ばれていた男が、柔和な笑みを浮かべて彼を迎えた。


 ブラウヒューゲル皇国は、この国でしか採れない深い藍色の宝石『大いなるグローセスブラウ』で、有名な国だ。

 この貴重な石は、高度な技術を持つ職人の手によって繊細な金細工が施され、最高級の宝飾品として高値で取引されている。

 オーレンドルフ侯爵家は代々、職人たちを束ねる宝飾工長の任に就いていた。

 現侯爵は職人ではなく、宝飾品の売買にも携わっているせいか、腰が低く、それでいて抜け目のない商人風の男だ。

 彼は、鮮やかな青い布で覆われた細長い包みを大切そうに両手に掲げながら、執務室の中央まで進み出ると、膝をつき頭を垂れた。

 フレデリクはゆっくりと席を立ち、侯爵に近づいていく。


「オーレンドルフ侯爵、仕事はどうだ?」


 当たり障りのないよう、何の仕事かは限定せずに探りを入れてみると、侯爵は勢い良く顔を上げた。

 油で細く固められた口髭の顔が、ひどく誇らしげに見える。


「はい。先日のご依頼の品、予定よりかなり早く仕上がりまして、一刻でも早く陛下にご覧に入れたいと、馳せ参じましてございます」


 そう言いながら、手にした青い布をゆっくりと開いていく。


 包みの中から出てきたのは、同じく青い布が貼られた細長い小箱。

 箱のすべての角に豪華な金の装飾がなされており、この外箱だけでもかなりの値打ちがあると一目で分かる。

 中に納められているのは、相当に高価な品だろう。

 しかもそれは、皇帝自らが依頼したものらしい。


 皇帝然としているフレデリクも、皇帝の側近であるゲラルトも、強い胸騒ぎを覚えたが、必死に冷静を装う。


「開けてみよ」

「はっ」


 侯爵はもったいぶったようにゆっくりと留め金を上げ、箱を開いた。

 そして、中身が見えるように箱の向きを変えると、恭しく掲げ持つ。


「どうぞ、お納めくださいませ」

「……これは…………!」


 箱の中身を一目見たフレデリクとゲラルトは言葉を失くした。

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