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 二杯目のハーブティーを入れ、向かい合ってテーブルにつく。


 焼きたてのパンがあまりにも熱々で、手でちぎることができず困っている彼に、エルナはにっこり笑ってフォークを手渡した。

 そして、きょとんとしている彼を尻目に、自分のパンにフォークをざくりと突き刺した。

 そのままパンを口に運び、はふはふと息をつきながら噛みちぎる。

 フリッツは驚いて目を見開いたが、次の瞬間笑い出す。


「あははは、そうか。そうやって食べればいいんだ」

「ちょっとお行儀が悪いけど、これが焼きたてパンのいちばんおいしい食べ方よ」

「よしっ」


 彼も真似して、フォークに刺した丸ごとのパンを大きくひとかじりした。

 楽しそうに短く息を吐き、口内の熱を逃す。


「うわぁ、なんて美味しいんだろう! 香ばしくて甘くて、こんなパンは食べたことないよ。ケーキなんかより、エルナのパンの方がずっといい。君はこの国いちばんのパン職人だ」

「そんなぁ、大げさよ」

「そんなことないさ。僕が保証する」


 そう言って、彼は嬉しそうにもう一口頬張った。


 焼きたてのパンは冷める間も無くそれぞれのお腹におさまり、二杯目のお茶もなくなった。

 そろそろ、昼休みを終えた町が動き出す頃だ。

 さっき焼き上がった林檎のパンを店頭に並べないと、馴染みのお客さんが来てしまう。

 発酵待ちしていたパン生地も、そろそろ成形しないといけない頃合いだ。


 エルナは空になった皿にカップを乗せて立ち上がった。


「ごめんなさい。そろそろ、お店を開けなくちゃ」

「ああ、もうそんな時間? 僕もいいかげん帰らないと。えぇと、美味しいパンとお茶と、この怪我の手当の分で、これで足りるかな?」


 無造作にポケットを探ったフリッツが、エルナの手の上に小さな硬貨を一枚落とした。


「ありがとう」


 当然、銅貨だと思って受け取ったエルナは、手の中の眩い輝きに大きく息を飲んだ。


「……って、多すぎるわ! これじゃ、お釣りも出せないじゃない」


 これまで本物を見たことがなかったが、その黄金の輝きから明らかに金貨だった。

 大きさを考えると、金貨の中でも小額なのかもしれないが、これ一枚で、エルナのパンなど何百個買えるか分からない。

 こんな大きな単位で渡されては、店中のお金をかき集めたところで、お釣りを出すこともできない。


「お釣りなんていいよ。お昼休みの邪魔をしちゃったんだから、とっておいて」


 こともなげに笑う彼に絶句する。


 たかが数個のパンの支払いに、金貨をポンと渡すなんて……。

 このひと一体、何者?


 しばらくの間、彼の綺麗な顔を呆然と見つめていたが、はっと我に返った。


「ダ……ダメよ! こんなに大きなお金、受け取れないわ」

「でも、今、お金はこれしか持っていないんだ」

「だったら、今度来たときに払ってくれればいいから」


 押し問答の末、エルナが金貨を彼の手に押し付けると、彼は困った顔で、返されたお金をじっと見つめた。


「ねぇ、この金貨一枚で、今日食べたパンは何回ぐらい食べられるの?」

「この金貨一枚は、銅貨何枚分?」

「さぁ……」


 二人して首をひねる。

 貧乏寄りの庶民のエルナは、高額すぎる金貨の価値が分からない。

 上流階級の中でも上の方に属するであろうフリッツは、少額硬貨の価値が分からないのだ。


「いいよ。気にしなくて」

「だめよ。こんなの受け取れない」

「じゃあ、十回分っていうことにしよう」

「ありえないわ。だったら五十回分。ううん、きっともっと多いわ」

「そんなに? じゃあ、その金貨で五十回分を前払いすることにするよ。この先五十回……いや、あと四十九回、君と一緒に君の美味しいパンを食べたいんだけど、だめかな?」

「でも……」


 それは、途方もない回数だ。

 けれども、お金を受け取れば、彼とまた楽しい時間を過ごすことができるだと思うと、心が揺らぐ。


「お願いだから。ね、受け取って」


 フリッツはとまどうエルナの手を取ると、両手で包み込むようにして金貨を握らせた。

 懇願するような瞳で下から顔を覗き込まれると、エルナはもう、頷くことしかできなかった。


「よかった。今日は本当に楽しかったよ。熱々の林檎のパンもとってもおいしかった。絶対、また来るからね」


 彼はもう一度エルナの手を強く握り、頬に軽く口づけると、嬉しそうな笑顔を残して工房を出て行った。


 カラン、カラン……。

 彼が店を出て行ったのだろう。軽やかな入り口の鐘の音が聞こえてきた。


 これは夢?

 一体、何が起こったの?


 エルナは、頬に残された温もりを右手で押さえ、左手で金貨を握りしめたまま、へたりと床に座り込んだ。

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