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(6)

 今まで自分とゲラルト、フリッツの三人しかいなかったはずなのに、扉付近の暗がりの中に誰かがいた。


 扉が開いた音など全く聞こえなかったのに、いつの間に?


 エルナはとっさに声が聞こえた方向に背中を向けると、フリッツをかばうように彼の上に覆いかぶさった。

 ほぼ同時に、ゲラルトがその謎の人物に声をかける。


「あぁ、ご苦労。外の様子はどうでしたか」

「敵に侵入された様子はなかったよ。でも、フォルカーが血痕を残しているだろうから、夜が明けたらもう一回、見回ってくるよ」


 ゲラルトと相手の会話から、謎の女性が敵ではないと気づく。

 そういえば、聞き覚えのある声のような気がする。

 そっと、後ろを伺うと、そこに見知った人物が屈み込んでいた。


「大変だったねぇ、エルナ。こいつがヘマをするから……」


 闇に紛れる黒いシャツと、同じ色のスボンを身につけている彼女は、宿舎の隣人でパン工房では同僚。


「マヌエラ? どうして……」


 その疑問にゲラルトが答える。


「彼女はフォルカーと同じタイプの人間なのです。城の使用人として働きながら、諜報活動をしてもらっています」

「以前、フォルカーに命を助けられてね。奴には恩があるんだよ」


 彼女は普段以上にくだけた口調でにやりと笑った。

 全身黒づくめの姿や、どこか不穏な雰囲気は、なるほど「フォルカーと同じタイプ」だ。


「貴女がこの城に来てからは、貴女の護衛にあたってもらっていたのですよ。怪我をしたフォルカーがこの部屋にいることも、彼女が私に知らせてくれました」

「わたしの、警護?」


 思いがけない言葉に思わず聞き返したが、ゲラルトは軽く首を横に振った。


「詳しい話は後にしましょう。夜が明ける前に、我が君には部屋に戻っていただかないと」

「そんな、無理です。こんなに怪我をしているのに」

「こうなってしまったのは、フォルカーの失態。彼に責任を取ってもらいましょう」

「でも、どうやって?」


 彼は今、意識を失っているのだ。

 しかも、さっきまで中身はパウルだったのに。


「うまくいくかどうか分かりませんが、やってみましょう。エルナ、ちょっと踏ん張っていてください」


 そう言うや否や、ゲラルトが身を乗り出して、エルナに抱きつくような体制で眠っている青年の右肩に手をかけた。


「だめっ! そこは怪我を……」


 エルナの制止にもかまわず、ゲラルトはあえて傷口を痛めつけるように、ぐっと力を込めた。

 そして、耳元に強い囁き声を吹き込む。


「おいっ、フォルカー! 起きろ!」


 その声とほぼ同時に、エルナにかかっていた重みがふっと消え、ゲラルトの身体が後方に吹っ飛んだ。

 壁に激しく打ち付けられた彼は、腹部を両手で押さえ、ずるずると床に崩れ落ちる。


「…………ぐっ」

「てめぇ、何しやがる!」


 ついさっきまでエルナと向かい合って眠っていたはずの彼が、いつの間にか反対方向を向いていた。

 低い声ですごんだ言葉と一緒に、彼の長い右足が床に投げ出されている。


「踏ん張るのは、ゲラルトの方だったね」


 無様な姿をさらしたゲラルトをマヌエラがせせら笑った。

 エルナには何が起こったのかまるで分からなかったが、彼は一瞬のうちに身体をねじり、ゲラルトの腹部に強い蹴りを入れたようだ。


 ついさっきまでの、舌足らずな話し方をする可愛く優しい男の子はどこにもいなかった。

 代わりにそこにいたのは、思わず身を引いてしまうような荒々しさを全身から発する少年、フォルカーだ。

 一瞬のうちに色を塗り替えたような、鮮やかな入れ替わりように、エルナは声も出なかった。


 ゲラルトが苦しそうに何度か咳き込み、その後、ようやく口を開く。


「くっ……。我が、君の……玉体に傷をつけるなど、言語道断……です、よ。フォルカー」


 フォルカーは途切れ途切れの批判にそっぽを向き、舌打ちだけの返事を返した。

 二人の間に、剣呑な空気が横たわる。

 腕を組んで成り行きを見守っているマヌエラはどこか楽しげだったが、エルナはハラハラしながら、二人の様子を交互に見ていた。


「手負いだと思って、甘くみてました……が、そこまで、元気……なら大丈夫でしょう。今すぐ、我が君の部屋に戻ってください」

「るせぇな。俺に指図するな……痛っ……」


 やはり動くと傷が痛むのだろう。

 フォルカーは左の脇腹を抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、あっという間にその場から消えてしまった。


「えっ? フォルカー?」


 エルナはきょろきょろと辺りを見回した。

 実際には部屋を横切り、扉を開けて部屋の外に出たはずだ。

 しかし、彼が一歩足を踏み出した瞬間、彼の姿は闇に同化し、気配が完全に消えてしまった。

 足音も衣擦れの音も、扉を開け閉めする音すら、全くしなかった。

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