表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/54

(2)

 部屋に着くと、フォルカーはベッドに背中を預けるようにして床に座った。

 疲れ切ってしまったのか、それとも傷が痛むのか、肩で大きく息をしている。

 彼の手当てをするために、ランプに火をつけようとしたが「灯りをつけるな」と厳しく制止された。

 しかたなく、窓のカーテンを少しだけ開けて、月光を室内に取り込む。

 青白い光が、彼の姿を照らし出した。


「大丈夫? 痛くない?」


 エルナは彼の正面にかがみこみ、様子を確認する。

 身につけている衣服は上から下まで真っ黒だったから、脇腹の出血の状態は分からない。

 けれども、額から流れ落ちる血を拭おうとしたせいか、顔中が血まみれになっているし、脇腹以外にもシャツが所々切り裂かれていた。

 見えない部分にも、まだ傷があるのではないだろうか。


「早く怪我の手当てをしなきゃ。水を……」


 エルナが立ち上がろうとすると、ぐいと手を引かれた。 


「余計なことをするな。すぐに助けが、来る」

「でも……」

「黙れ」


 フリッツそっくりの彼だから、ぼろぼろの姿に胸が痛む。

 せめて手当てぐらいさせて欲しいのに、彼は有無を言わせず、強引に自分の隣に座らせた。

 そしてそのまま黙り込む。


 「すぐに助けが来る」と言っていたのに、誰かが来るような気配はない。

 深夜の、しんと静まり返った中、隣から、無理に押し殺した苦しい呼吸が聞こえる。

 彼の怪我の具合が気にかかるし、沈黙もいたたまれない。

 けれど、下手に口を聞くと睨まれそうな気がするから、エルナは膝を抱えてじっとしていた。


 どれくらいそうしていただろうか。


「あんた……いつも、甘い匂いがするんだな」


 ぽつりと呟かれた意外な言葉に、エルナは思わず隣を見た。


「甘い匂い? そう?」


 エルナは自分のシャツの袖に鼻に近づけて匂いを嗅いでみるが、よく分からない。

 けれど、心当たりはある。


「最近、毎日林檎を煮ているせいかな? 工房長に林檎のパンを焼いてもいいって言われて……」

「う……」


 彼が突然、小さく呻いた。

 そして、脇腹ではなく、額を押さえて体を丸めた。


「よせ。だ、だめだ……今、は……」

「ちょっと、大丈夫? 頭も痛む?」


 額の怪我も、思った以上に酷いのかもしれない。

 慌てて彼の震える両肩を手で支え、彼の容体を見定めようと、淡い月光を頼りに目をこらす。

 すると、彼の肩からふっと力が抜けた。

 上半身がぐらりと傾き、エルナの両手に体重がかかる。


「フォルカー。しっかりして」


 どうやら、気を失ってしまったらしい。


「フォルカー!」


 しかし、それは一瞬だった。

 彼の身体に再び力が戻り、ゆっくりと顔を上げた。

 薄暗い中でも、顔が血まみれになっていることが分かるほどの酷い状態だ。

 なのに、彼はふっと口元に笑みを浮かべた。


「エ……ルナ? ……やっと見つけた」

「え?」


 苦しい息の下でそれだけ言うと、彼は安心したような微笑を浮かべたまま、倒れこんできた。

 エルナの肩の上に、彼の首がかくりと落ち、全身の力が抜ける。

 ずしりと重い大人の男性の身体を必死に受け止めながら、エルナは呆然となった。


「……フリッツ?」


 さっきの一瞬、彼はフリッツだった。

 間違えるはずがない。

 確かにフリッツだった。


「フリッツ? ねぇ、フリッツなの?」


 しかし、完全に意識を失ってしまった彼は、何も答えない。

 ぐったりと、エルナに体をあずけたまま、全く動かなくなった。


「……一体、何が起こったの」


 この部屋に連れてきた怪我をした男は、自分でそうとは明かさなかったが、フォルカーだったはずだ。

 しかし、さっきの一瞬、彼はフリッツだった。

 こんな一瞬のうちに、しかも、自分が見ている前で、人が入れ替わることなどあるだろうか。

 そんなこと、魔術でも使わない限りありえない。


「この人は、一体……誰?」


 ようやく会えたのだ。

 彼はフリッツであると信じたかった。

 しかし、直感だけでは心もとなかった。

 どうしても確証が欲しかった。


「そうだ」


 エルナは慎重に彼の体をベッドにもたれ掛けさせると、力なく下がった左腕を取った。

 フリッツならば、左腕に手首からつながる大きな古傷があるはずだ。

 袖口を縛る細いリボンを解き、滑らかな手触りの生地を肘までまくり上げる。

 そこには、いつか見た、ぎざぎざした傷跡が走っていた。


「やっぱり……フリッツ……だ」


 震える指先で、固くごつごつと盛り上がった跡をそっとなぞる。

 いたわるように、何度か肌を往復していると、彼の手首から少し上の辺りに何かが巻かれていることに気づいた。

 触ってみた感触では、皮でできたベルトのようなものだ。


「なに、これ?」


 その皮をぐるりと指先で探ると、細長い物体が一本、肘の内側に向かって腕に固定されていた。

 その物体の手首側はむき出しの金属で、ひやりと冷たい。

 腕にかけては同じ皮で覆われている。


「まさか、これは……ナイフ?」


 引き出して確認する勇気はなかったが、湖で怪しい男に襲われた時、フォルカーがどこからともなく取り出した、極端に細いナイフと同じもののように思える。

 怖くなったエルナは、慌ててシャツの袖を元に戻した。


「どういうことなの? この人はフリッツじゃないの……?」


 フリッツが、こんな恐ろしい凶器を隠し持つような人間だとは思えない。

 やはり彼は、フォルカーなのだろうか。

 だけど、彼と同じ場所に同じ傷跡があるのだ。

 そんな偶然、あるはずがない。

 ならば、フリッツがフォルカーの振りをしているのか。

 あるいは、その逆か。


「でも……」


 彼らは同じ顔をしていても、全く違う人間だった。

 つい、さっきも——。

 誰かが誰かの振りをしてるのではない。

 目の前にいる彼は、時にフリッツで、時にフォルカー。

 あまりにも現実離れしているが、そう考えるとしっくりきた。


 そこへ、かすかな物音が聞こえた。

 エルナは一瞬びくりとなったあと、息を殺して耳をすます。

 しばらく間を置いてから、こつこつこつと、また三回。

 部屋の扉を小さく叩く音。


 誰かが、部屋の外にいる。


 彼は「助けが来る」と言っていたが、この扉の向こうにいる者が、味方とは限らない。

 彼にこれほどの怪我を負わせた敵が、彼を追って来た可能性もある。

 エルナは彼の前を離れ、足音を忍ばせて扉に向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ