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(6)

「あっ、エルナ! 気が付いた?」


 その声で、朦朧としていた意識が急速に戻って来た。


「どうして、ここに?」


 薔薇園の向こうの道にいたはずが、今は自室のベッドの上だ。

 ようやく見慣れてきた水平の天井が見えた。

 ベッドの足元には、同僚のマヌエラが座っていた。


「ん……、マヌエ……ラ?」


 慌てて体を起こそうとすると、彼女が両肩に手をかけ、ゆっくりとベッドに戻された。


「起きなくていいよ。あんた、干し葡萄を取りに行って倒れたんだよ。慣れない城勤めで、疲れが溜まっていたんだろうって言われたよ」

「あっ、そうだ! 酵母仕込まなきゃ」


 干し葡萄で思い出した。

 干し葡萄をもらってきたら、酵母を仕込むように言われていた。

 パン職人にとって酵母の管理は重要な仕事だ。


 早く仕込まないと、数日後のパンが焼けない!


 反射的に飛び起きようとすると、離れかけたマヌエラの手によって、また、強引にベッドに逆戻りさせられる。

 枯れ枝のように細い腕をした彼女だが、なかなか力強い。


「だぁーかーら! 工房長が今日は休んでいいって言ってたんだ。あたしは看病を口実にサボってんだから、おとなしく寝ててくれないと困るよ」


 彼女はエルナを押さえつけながら、上から顔を覗き込んできた。


「悪かったね。あたしが変な近道を教えたせいで、怖い思いをさせて」


 どうやら、簡単ないきさつは聞かされているらしい。

 しかし、あれはただの偶然が重なっただけの出来事だ。

 マヌエラだって、良かれと思って近道を教えたはずだから。


「マヌエラのせいじゃないわよ。……ねぇ、もう、起きないから、放して」


 彼女の細い指が肩に食い込んで痛いし、そばかすの数が数えられるほど顔が近すぎる。

 困った顔をしてみせると、彼女は「あ、ごめん」と解放してくれた。


「でも、でっかい近衛兵が、あんたを抱きかかえて工房に来た時はびっくりしたよ。一緒に来たランゲンバッハの三男には、正式な道を教えるようにって、こっぴどく叱られちゃったし」

「ランゲンバッハって、摂政の? もしかして、ランゲンバッハの三男っていうのは、黒髪をこの辺りで結んだ人だったりする?」


 自分の肩口を指差すと、マヌエラはうなずいた。


「ゲラルト……さんって、そんなにすごい人だったんだ……」


 エルナはこの国の事情にはまったく疎かったが、ランゲンバッハという摂政が皇帝に代わって国を治めているということぐらいは知っていた。

 摂政の息子なら、皇帝の近くに仕えていても不思議はない。

 けれど、そんな身分の彼が、平民のパン職人である自分を直接迎えに来るだろうか。


「といっても、皇帝陛下付きだからねぇ。あの公爵家の中では、いちばん下っ端だよね」

「皇帝陛下付きなのに?」

「そ。皇帝陛下付きだから」


 マヌエラがけらけらと笑った。


 ランゲンバッハ公爵家の長男は政の重責に就き、次男は皇国軍の大隊長として手腕を振るっている。

 数人いる娘たちは、国内外の実力者と政略結婚しており、末の娘は皇帝妃候補だともっぱらの噂だった。


 現在の皇帝は、約十年前に先代の皇帝が狩猟中の事故により命を落とした時に、自身も大怪我を負った。

 その影響で身体が弱く、身体中にひどい傷跡が残っているという。

 今でも、体調がすぐれない日が多く、めったに人前に姿を現さない。

 そんな皇帝に付いているゲラルトの立場は、推して知るべしだろう。


「でも、あの引きこもり陛下にばったり会うなんて、あんたも運がいいね。あたしなんか四年も城勤めしてるのに、一度も見たことないよ」

「そんな、ひどい言い方しないで!」


 フリッツとそっくりな彼が、「引きこもり」呼ばわりされているのは辛かった。

 さっき会った皇帝は、豪華な衣装を颯爽と着こなしていた。

 自分に剣を向けた近衛兵を制した声音や態度には、誰も逆らえないような威厳も感じた。


 ただ、彼の頬は少しこけているように感じたし、目の下にはうっすらとくまもできていた。

 病弱と言われればそうかもしれないが、むしろ、ひどく疲れているように見えた。

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