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(2)

 半年間留守にするといっても、貧乏暮らしのエルナにはたいした荷物はない。

 お仕着せが準備されると聞いたため、衣類もさほど必要がなく、父親の古い鞄ひとつに全て収まってしまった。

 枕の下から取り出した金貨は、丁寧にハンカチに包んで鞄の底に入れた。


「これ一つだけですか?」


 工房に戻ると、ゲラルトが荷物を持とうと手を差し出してくれた。

 その手を断りつつ。


「いいえ。お店に残っているパン全部と、明日焼く予定だったパン生地と、あの瓶に入った酵母も全部持っていきます」


 エルナが指差した先には、布巾をかけられた大きなこね鉢が四つと、ぷくぷくと泡がたつ大きな瓶が十本近くあった。

 ここからは見えない店舗の中には、いつもより多く残ったパンが籠に入ったまま置かれている。


「ええっ? そんなものを持っていくんですか」

「焼き上げたパンも、さっき仕込んだパン生地も、ずっと育ててきた酵母も、パン屋にとっては命と同じくらい大切なものなんです!」


 そんなもの呼ばわりされて憤慨したエルナが睨むと、ゲラルトが「思ったより芯の強いお嬢さんだ」と、ふっと笑った。

 そして、外で控えていた二人の兵士風の男を呼ぶと、今言われた荷物を運び出すよう命じた。


 荷物が運び出されるのを横目に、エルナは紙とペンを持って来てテーブルに向かった。

 半年間休業するという案内を書いてお店に貼っておこうと思いついたのだ。

 文面は、いつもパンを買いに来てくれるお客様向けの内容にするが、フリッツにも必要最低限のことは伝わるだろう。

 彼に、余計な心配をかけなくて済む。


 だけど半年間も、待っていてくれるだろうか……。

 彼はもう来てくれないかもしれない。


 そんなことを考えてしまい、ペンが止まる。


「休業の案内ですか?」

「あ、その席は」


 ゲラルトが向かいの席に座ろうとするから、思わず反応してしまった。

 その席はフリッツの席なのだ。

 二人で楽しい時を過ごした大切な場所——。

 しかし、ただ座るという行為を拒否するのも心が狭い気もして、出かかった言葉を飲み込む。


「いえ……。なんでもありません」


 なのに、ゲラルトは引き出した椅子を丁寧に元に戻した。


「もしかして、貴女の大切な方の席ですか? だったら、私が座るわけにはいきませんね」


 見透かされたような言葉に、思わず目をみはる。

 そして、そこから溢れるものを止められなくなってしまった。


「そう……です。そこは、あの人の席。いつも二人で、わたしが焼いたパンを食べたんです。あの人は林檎のパンが好きで……。だから、毎日林檎のパンを二つ取り置いて……」


 涙と一緒に言葉まで溢れて止まらなかった。

 フリッツのことは、これまで誰にも話したことがなかったのに、どうしてこの人に話してしまうのか。

 これから、自分をこの場から連れて行こうとする、いわば敵のような人なのに……。


「行き……たくない。お城なん……かに、行きたくないです。ここで、彼を……彼を、待っていたいんです。どうして……も、行かなきゃならないんですか? どうしても?」


 両手で顔を覆って俯くと、頭にそっと手が触れた。


「そうですか、貴女は、そんなに……」


 噛みしめるような声音と、慰めのようにやさしく髪を撫でる手。

 一瞬、淡い期待を抱いたが、続く言葉はそれとは違った。


「しかし、貴女は行かなければなりません。これは貴女のためなのですよ。城に召し抱えられるなんて、名誉なことではありませんか。半年後、貴女の店は大繁盛ですよ」

「わたしは、名誉なんて……いらない!」


 彼の手を振り払って顔を上げると、彼は淡く微笑んで首を横に振った。

 彼は、自分を連れていく任務でここに来ている。

 同情はしてくれても、命令に背くことは決してない。


「悪いようにはいたしません。私はすっかり嫌われ者でしょうけど、貴女の味方です。必ず力になりますから」


 彼はそう言うと、エルナの手の下から涙の染みができた紙を抜き取り、几帳面な文字で休店案内を書きつけた。

 そして、「外から見えやすい場所に貼ってきます」と言って、工房を出て行った。

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