かけたかけら
ぼくは今、土の中にいる。
埋まっていると言ったほうが、正しいかもしれない。
ずっと目を開けて、真っ暗な土を見ている。
目を開けても、瞑っても同じ、真っ暗だ。
目を開けているのだろうか?
ぼくに、目があったことさえ、疑わしい。なにせ、ずいぶん前から、まぶた一つとして動かしていないのだから。
目を瞑ったって、別にいいのだけれど。
目を瞑ったときの闇が怖い。
変わらないはずなのに。
何一つとして、変わらないはずなのに。
ぼくは、川を流れていた。
転がっていたと言ったほうが、正しいかもしれない。
それは普通のことで、特に珍しいことではない。
母は頑固に動かない岩で、父は川のせせらぎだった。
つまり、父に抱かれて、ここまで来たことになる。母は、上流で一人、遠くを眺めていることだろう。
「ねえ、父さん」
「なんだ?」
「下流に行って、それからどうするの?」 以前にこう聞いたことがある。父は黙り込むと、やがてこう言った。
「分からん」 父は続ける。 「ただ、言えることは、これが運命だってことだ。おれだってなんで流れているかは分からない。でも、上流にないものが下流で見ることができる。それでいいんじゃないのか」
「へえ」 そのときのぼくは、下流にはものすごくいいものがあるんだと思って、ワクワクしたのを覚えている。
どんどん転がっていく。最初は痛かったけれど、今はなんともない。角が取れて、丸くなってきているんだ。
魚がたくさん通りすぎる。上流に向かっているようだ。ぼくは、話しかけようとしたけれど、魚に石の言葉は通じないらしかった。
でも、石同士ではちゃんと話はできる。
「ねえねえ、下流にはどんなものがあると思う?」
「さあな。おれは海の方に興味があるな」
「海?」 初めて聞く言葉だった。
「ああ。川より広いらしい」 兄は、父を父とは呼ばず、いつも川と呼んでいた。理由は分からないけれど、なんだか変な感じがする。
「父さんより? 見た事ないなあ」
「この川より、大きい川も小さい海も見た事ないだろ」
「うん。ないねえ。兄さんは見たい? 見た事ある?」
「ないに決まってるだろ。おまえとずっと転がっていたんだから」
「あ、そうかあ」
ほとんどが、ぼくの兄弟で、下流に行くほど少なくなった。
「どうしたんだろう?」 一番近い兄がいなくなったとき、ぼくは父に聞いた。
「あいつにはあそこが居心地よかったんだろう。おまえも、いつか決めるといい。ここがいいなと思ったら、すぐに近くに居座っている石と手をつなぐんだ。すぐにだぞ。すぐに。石は一番居心地のいい場所にいるのが一番の幸せなんだ」
「ふーん。でも、ぼく、下流を見てみたいんだ。下流って言葉を聞くだけでワクワクする。きっとそこがぼくの場所だよ」
「そうか」 父はニッコリと微笑んだ。ぼくも微笑む。
ほぼ球状になったとき。ぼくはとうとう下流についた。居心地のいい場所も見つけた。
水がにごっているのは残念だけれど。居心地がいいのは確か。
「よろしく」 手をつないでくれた石が、微笑んでくれる。
「よろしく!」 ぼくは大声で叫んだ。他の石もこっちを見ている。微笑んでくれている。
やっぱり、この下流が、ぼくの場所だったんだ。
「バイバーイ! 父さん」
父は黙って去って行こうとする。
さようなら、父さん……。
そのとき、父が突然ぼくを突き飛ばした。
川から、外に放り出される。左右を見ると、さっきぼくの手をつないでくれた石も吹き飛ばされている。それだけじゃない。たくさんの石、魚たちが。
何があったのか良く分からないまま、ぼくは、地面にたたきつけられた。
全身がジーンと痛くなる。
少し欠けてしまったかも知れない。
体が、今までにないくらい泥だらけになった。でも、すぐに洗い流される。
「雨だ……」 今まで気づかなかったけれど、雨が降っていた。それも、大量に。雨粒が痛いくらいぼくに降り注ぐ。
ぼくは、川の中にいたときと同じく、転がっていった。
泥まみれになり、雨に流されることの繰り返し。
泥水と、雲が居座っている夜空の繰り返し。
それが、ずっと続いていた。
ずっと、ずっと……。
ぼくは、気絶をしていたのかもしれない。
気が付くと朝になっていた。
雨は上がって、日が射していた。
ぼくは目を細めると、あたりを見渡す。
「…………」 ひどいありさまだった。
風が強かったんだろう、木々は倒れ道路をふさいでいる。すべて、泥だらけの状態で。
ぼく自身も、泥まみれになっている。でも、今は乾きはじめていて、カピカピだ。
父だ。
ぼくは、呆然となった。
あの、やさしく笑っていた父が、暴れて……。
父がぼくを、突き飛ばした。
自分の居心地がいいとことが自分の居る所だと言った父が。
自分の居場所をやっと見つけられたぼくを。
遠くの川じゃない所へ。道路へ。泥の中へ。
突き飛ばした。
なんてひどいことを。
なんて悲しいことを。
なんて……なんで……。
それからは、あまり覚えていない。
いつの間にか、道路が復旧して、泥は掃かれた。
車がたくさん行き交ったのに、ぼくがその場にいられたのは、道路のはしの雑草のところに 挟まっていたからだ。
軽い雨も降って、ぼくの体に付いている泥が流された。
周りにあるのは、草。草の言葉は分からないから、話かけようにも、なんと言ったらいいかわからない。草同士では、ぼくの頭上で話している声が聞こえる。たくさんいるので、喧しい。
石がいないことはないけれど、細かく砕けすぎて、話にならない。現に話しかけてみたけれ ど、ぼくをにらみつけるだけで、返事は返ってこなかった。
──ひまだ。
はっきり言って、とってもひま。あの日からどれくらい経ったか知らないけれど、父への悲しみはすっかり消えて、木々が立派に育ってきているのは確か。人にけられて、何度か転がったこともあるけれど、そんなに場所は変わっていない。
ずっとこのままなのだろうか。
ぼくは上を見上げた。
真っ青な空だ。入道雲が見える。
きっと季節は夏。何度目の夏だろう。
川が、父が、恋しいかもしれないけれど、そこまで執着はしない。良く考えてみたら、下流にあこがれていた自分がバカみたいだ。あんなに汚れていたのに。居心地がいいわけがない。
逆にこっちのほうがいいかもしれない。
ずっと転がっているわけでもなく、ただ、そこにいるだけ。
うん、いいかも。
大人になったのかな、ぼくは。
少なくとも、下流にあこがれていた時の、ぼくじゃない。
子どもじゃない。
きっと父よりたくさん年を取った。
きっとこれからも年を取る。
道路を転がって、車に粉々にされない限り。




