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人間関係 後編

築40年、風呂無し、トイレは共同のおんぼろ木造アパートが田中の住みかであり唯一の憩いの場所である。

昨日の出来事で精神的にも体力的にも疲弊した田中は帰宅するやいなや敷きっぱなしの布団に飛び込みそのまま夢の世界にダイブした。

それから数時間後目が覚めた田中は昨日の出来事を整理する。

訳の分からない少女に出会い、訳の分からないのことを言われ、訳の分からないまま去っていったイソネに出会った夢のような出来事を思い出す。

けれどそれは夢じゃないことを右手首についた銀色のブレスレットが教えてくれた。

結局イソネが言っていた「自分が欲しいもの」はなんだか分からなかった。

彼女曰くもう手にいれたらしいけどそんなもの手元にないし、もしかしたら家にあるかもと思って探してみたけどそれらしいものは見つからない。


「やべっ!」


朝の貴重な時間をそんなことに費やしたために1限の講義の時間が迫ってることに彼は気づかなかった。

田中は急いで着替え荷物を持ち家を出る。

外に出るとちょうどお隣の新海も出かけるのか家の鍵を閉めていた。

新海は初老の男性で田中の隣の部屋に一人で住んでいる。

同世代にもマトモに話せない田中が倍近く歳の差がある新海と話せるわけはとうとうなく、ここに引っ越しした時に軽く挨拶したくらいだった。

だけどこの日の田中は違った。

新海の姿を見るやいなや


「おはようございます!」


と元気よく挨拶をした。



「あ…ああ…、おはよう…。」


普段とは明らかに違う田中の態度に新海は驚きながら挨拶を返す。

それに驚いたのは新海だけではなく挨拶をした田中本人も自分のやったことに驚愕する。

いつもなら意識してもできない挨拶をマトモに話したことのない新海に、無意識に挨拶をしたんだから。

なんでしたのかは分からない、だけど挨拶をしたという現実はある。

田中はしばらく呆然としていたがいつもは右腕につけていたけど今は左手につけている腕時計に視線がいくとハッと我に帰る。


「そうだった、大学に遅れる!」


田中は新海に軽く会釈をすると急いで大学に向けて駆け走る。

いくら大学生活が苦痛でも勤勉で真面目な彼は講義に遅れることは最も避けたいことだ。

久しぶりに息を切らすほど全力疾走をしながら田中は大学に向かった。








「だからこういうだぞ!分かったな!」


なんとか間に合った田中は真面目に講義を受けていた。

真面目だけどいつも席は最後尾、そこなら目立たないし教授に指されることはないと田中はそう思っていた。

だけど現実は違う、教授はそういうことを見透かして最後尾を注視するのが現実だ。

だから後ろは最前列より全然目立つし目もつけられる。

本当に目立ちたくないなら真ん中より少し後ろの比較的真面目な集団に隠れるのが正解だ。

木を隠すには森の中、人を隠すには人混みの中。

それにまだ気づいてない田中は両隣に誰もいない席にいた。


「じゃあこの問題を…田中!やってみろ!」


案の定教授に田中は指名される。

その瞬間教室内はざわつく。

いつもだったらその後田中は黒板に行くわけでもなくその場でおどおどするだけで教授に怒られるのが通例だった。

教授はいつも田中を指す時間は決まっている。

だいたい講義中盤のみんなの集中力が切れる頃、その頃に田中を指名し怒ればその後は教室の空気ぁピリッとしみな真面目に講義を受ける。

つまりは田中は見せしめのために犠牲にされてるのだ。

だけどこの日は教授の目録は見事に外れた。


「はいっ!」


田中は元気よく返事をして黒板に向かう。

そしてすらすらと回答を黒板に記入する。


「教授、できました。」


「あ…ああ、正解だ…。」


教授は普段とは別人のような田中を見て驚いた。

それはここにいた生徒全員も同じだ。

いつもならここで田中は怒られ静かになる教室がざわめきに包まれる。


「お、おい!静かにしろ!田中も早く席に戻れ!」


「はい。」


田中は教室にいる全員に注目されながら席につく。

戻っても彼を見つめる視線が波のように襲いかかる。

いつもの田中ならここから逃げ出したくなるだろう。

だけど今日の彼はそんなこと微塵も思わなかった。

むしろそれで田中は自分が欲しかったもの、イソネが自分にくれたものの正体が分かった。

全てが分かった時田中から思わず笑みがこぼれた。

ずっと自分は「それ」が目に見える実体のあるものだと思ってた。

だけど「それ」は違った、目にも見えなくて、実体なんてない。

そんなもの最初からなかった、だから探しても無駄だった。

ボタンを押したときから「それ」は俺の中にあった。









「俺はこの実験方法を提案します。」



いつもは後ろで石像のように立ってるだけだったゼミの時間も今日は「それ」のおかげでこの場を支配した。

昨日までの彼とはまるで違う振る舞いに他のゼミの生徒や教授は講義と時と同じように彼に対する戸惑いの眼差しに彼に向けた。

普通ならそれを向けられると不快になるはずなのに今の彼にはそれが妙な解放感になっていた。

それは彼の1日のローテーションの中でもっとも苦痛な倉庫作業のバイトでも変わることはなかった。


「先輩、ここ終わりましたんであっちのほうお願いできませんか?

あとこの商品間違った場所にあったんで正しい所においてきますね。」


「お…おう、頼んだ…。」


普段高圧的な態度で接している先輩が今日は彼に言われるがままに作業に取り組む。それだけではない昨日までは指示されてもなかなか動かなかった田中が今日はここにいる全ての人間を支配するかのように彼の指示通りに動いている。

先輩や社員なんて関係なくこの日この場所は全て田中の思い通りに物も人も彼の掌握されていたのだった。




俺は産まれ変わった。

これでみんな俺の見る目が変わる。

これからはまともな人間として生きていける。


田中はイソネからもらった「それ」によって今までにない解放感と高揚感に道溢れていた。

これから自分の未来は明るい。

なにがあっても「それ」がある限りどんなこともできる。

その時の彼は絶対的な自信に満たされていた。




それからの田中は大学では講義やゼミで存在感を増幅し、バイトでは相変わらずリーダーでもないのみなに指示をする実質的な支配者になっていた。

そしてイソネに「それ」をもらってから5日目、別世界に行くか「それ」を返すして元の生活に戻るか決める期限まで残り2日、運命の日がやって来た。

その日いつも通り大学で次の講義を受けるために移動していた時、教室近くの廊下で見覚えのある何人かの男性が談笑しているのを発見した。

そのグループは全員田中と同じゼミに所属しており、次は田中と同じ講義を受けるから別にここにいることはなんにも不思議ではない。

そのまま田中はすり抜けて教室に向かおうとしたけどそこから聞こえた


「田中」


の声に足が止まる。


田中なんて名字この大学にもきっと沢山いる。

だから自分のことじゃない。

いくら最近目立ってるからってあいつらが俺の話なんかするはずなんてない。


田中はそう思いながらもやはり気になったのかグループの声がよく聞こえる位置に移動し忍者のように壁に張りつき耳をたてる。


「田中最近調子のってねーか?」


「ああそうだよな、なにがあったか知らんがでしゃばって正直ウザい。」


田中の耳に入ってしたのは彼に対する経緯は眼差しの目なんかではなく誹謗中傷、妬み。

まさかそれを聞いているなんて思うわけでもなく男達は影口を本人のいる前でなんも躊躇もなく話す。



「ほんと陰キャラは陰キャラのままでいいーんだよ!」


「でも前まで大仏のように固まってて喋らないからいるかいないか分からなかった奴がいきなりペラペラ喋るとさすがにちょっと引く。」


「それにしてもなんでいきなりあいつ別人のように性格変わったんだろうな?」


「さあ?クスリでもやってるんじゃね?」


「!?」


その瞬間、田中の中に怒りのという感情が産まれた。

今までだったら他人の怒りよりも自分への諦めが先に来ていたから他人が自分のことをなんと言われようが気にはとめていたけど気にしてはいなかった。

だけど今の彼には自分への絶対的自信があったからそれを侮辱しているのことが許せなかった。

けどここで殴るようなことをしたらそれこそこでの地位が地に落ちる。

田中か怒りを拳に込めるがそれをあのグループではなく目の前の壁に向けドンッと勢いよく殴った。

そしてその場から逃げるように立ち去り大学も抜け出す。

そのまま目的も決めないままひたすら走り出した。

これが彼にとって最初で最後のサボりだった。







田中が我に帰り足を止めた時、目の前には海が広がっていた。

大学を出た時は真っ青だった空の色は赤く染まっており、靴の中には砂が入り込み汗が滴り落ちていくことに彼はやっと気づいた。

「俺は何をやってたんだよ…」と田中は自分のやったことの不甲斐なさを思い出してその場にしばらくしゃがみこんだ。


ブー、ブー



としばらくしてズボンにしまってあったスマホのバイブが鳴ってることに気づく。

「なんだよこんな時に…」と思いながらもスマホをチェックする。


「えっ…。」


スマホの画面にはバイト先からの着信が約10分ごとびっしりと刻まれてあった。

それだけで大事だと分かるわけだが彼には思い当たる伏が見当たらない。

今日はバイトは休みなはずだし、べつにやましいことはひとつもやっていない。

とりあえず電話しなければいけないと思った田中は気が進まないながらもスマホの画面をタッチする。



「………お疲れ様です、田中です。すいません電話にでられなくて。」


「いいよいいよ、今大学の時間だったもんね。こっちこそ何回もかけてごめん。」


「!?」


田中は電話の向こうの相手に思わず驚く。

いつもこの電話番号にかけるとだいたいバイトリーダーがとるもんだけど今回はそのバイトリーダーより上の地位にいる人物だった。

その人はみんなから倉庫長と呼ばれていてその名の通り田中の働いている倉庫を管理している人物で普段は本社勤務でなかなかこちらに顔を出さない。

だけどその人が直々に電話をかけてくるとなるといよいよ大事な気がしてきた田中は思わず唾を飲み込んだ。


「あの、倉庫長が直々に自分になんの用ですか?」


「うんそうだね、あんまり長々と話すとアレだから手短に話すよ。

君、今日でバイトクビだから。」


それを聞いた瞬間田中から滴り落ちていた汗が一瞬にしてスーとひいた。


「えっ…えっと…どういうことですか…?」


混乱で頭が爆発しそうなのを必死に抑えて疑問を唱える。


「あれ、聞こえなかったかな?田中は今日でクビ、明日から来なくていいってこと。」


「ちょっと待ってください!納得いきません!なんでいきなりクビなんですか!俺はなんもやましいことはしてませんよ!」


田中は電話の向こうの上司に向かって怒りをぶつけた。

そんなことを知ってか知らずか電話の向こうの倉庫長は冷静に彼にこう言った。


「それはそうなんだけど他のバイトの人がね、君が邪魔で仕事に集中できないって。」


「はぁ!?」


「なにがあったか知らないけど田中くん最近先輩やリーダーを差し置いて倉庫を仕切ってるようじゃない?

それでその人達が怒っちゃってさ。

さすがに目上の人達の面子を潰すのは社会人としてどうなのって話になって、それに他のバイトの人達もちょっと前までおとなしかった田中くんがいきなり別人になったみたいで怖いって言っててさ。」


「…」


「ほらこの仕事ってチームワークで成り立ってるわけじゃん?

だからそのチームワークを乱す人はここにいちゃいけないんだよ。

だからさ、辞めてくれないかな?」


「…分かりました。」


「そっかー、分かってくれるかー!それじゃあ…。」


田中はまだ倉庫長が話しているのにも関わらず着信を切る。




なんだよそれ!なんだよそれ!

俺がいったい何をした!?

ただ今までの自分を変えたくて!変わりたくて!

そして俺は変わった!

新しい自分に産まれ変わった!

なのになんだこの結末は!?

煙たがれて嫌がられて避けられて!

これじゃあ何にも変わってないじゃんか!?

もう嫌だ!

こんなところ!

こんな場所!

こんな世界!


田中は今まで溜め込んだものを全て吐き出した。

今日、ここに来てから、今まで生きてきた人生においての吐き出したくても出せなかった膿を全部この海岸で絞り出した。


「クッ…」と田中は右手に持っていたスマホを怒りのままに砂浜に投げつけようとするが手首についていた銀のブレスレットがそ彼の視界に入ってくる。

その瞬間あの少女、イソネの言葉が脳裏に浮かぶ。






赤いボタンを押すと欲しいものを持ったまま別世界に行く。






そうだ、そうだよ。

もうこの世界に俺の居場所はない。

だけど「これ」を持っていれば別の世界に行ってもなんとかなる。

そう、なんとかなる。

俺は産まれ変わるんだ。

新しい世界で

新しい土地で

新しく出会った人達と楽しく暮らすんだ。

そうだ、行こう。

行くんだ。

新しい世界へ。




田中の目には迷いがなかった。

この世界の未練なんてものがない。

自分がいなくなっても誰も悲しむ人もいない。

そう考えると彼の心は穏やかになる。

田中は赤いボタンに手をかける。

そして静かに目を瞑り一呼吸おいてからゆっくりと赤いボタンを押した。













「ここは…。」


目を開き田中の視界に入ってきたのがさっきまでいま海と砂浜の景色とは真逆の小鳥のさえずりが聞こえ周りには木々が生えており、その真ん中に真っ直ぐと伸びている一本道の真ん中に彼は立っていた。


「ここが別世界…。」


こんな場所田舎ならありそうな景色だなと半信半疑に思いながらも少なくとも別の場所に来たのは確かだ。

田中はとりあえずどこまで続いているかわからない一本道を歩いてみる。

しばらくすると先のほうからトコトコと何かの足音が聞こえる。

それに反応した田中それに呼び寄せられるかのように足を急がせた。

だんだん大きくなっていくその音にワクワクが止まらない田中はさっきと真逆の感情で走り出した。


「あれは…。」


目を細め見つめるとこちら側に向かって馬が近づいてくる。

馬には鎧をきた人が乗っていて積み荷だろうか?大きな荷台を引いていた。

あちら側も彼に気づいたのか鎧の人物は馬に鞭を叩きスピードをあげ田中に近づく。

ある程度の距離まで近づくと鎧の人物は馬を止めその場に降りる。

田中も警戒もしないで無防備のまま鎧の人物に会話を試みる。


「あのすいません、早速であれなんですけどここはどこなんですか?」


「…。」


「えっと…すいません…ここはどこですか…?」


「…。」


「あ…あの…。」


「…。」


田中が何を話しても鎧の人物は何も反応しない。

そんな態度に彼は頭を悩ませる。


「なんでなんも言わないんだ…?これじゃあどうしようもないな。」


○▲×▽◇~


「ん?」


鎧の中から何か音が流れてくることに田中が聞き逃さなかった。


△□○~


鎧の人物は何かを言葉を話しているのは分かったのだが英語でもフランス語でもない今まで聞いたことのない音域と発音で田中は何を言っているかさっぱりわからない。


「すいません、ちょっと何を言ってるかわからないんですけど…。」


×□△□×○


「だから何を言ってるかわからないって!」


一向に進まないこの現状に田中は少しずつイラついていく。


×□△□×○!


「だから…。うん?」


馬に繋がれていた荷台から目の前にいた人間と同じ鎧をきた人達が3人降りてくる。

その人達は目の前にいる人物に近づき何かを話始めた。

もちろん田中には何を話しているか分からないがそれは2.3分くらいだろうか、あっさりと終わり3人は再び荷台に戻っていった。


「何話してたんだろ…。」と田中は思ったが言葉を通じないんじゃ何も変わらない。

残念だがここにいても時間の無駄だと考えた田中はこの場から離れようと鎧の男に背を向けた。


ズボッ


「えっ…。」


背中を貫くような衝撃が身体中を襲う。


「あっ…あ…。」


下を見ると槍のような鋭いものが腹部を貫き飛び出している。

口からも血が流れるように溢れだしそれのせいか呼吸もまともにできない。


○~▲■×!


鎧の人物は田中に何かを言い彼に刺さっていた槍を引き抜いた。

支えるものがなくなった田中立ってるだけの気力はもうなくそのまま自ら作った血の水溜まりに倒れていった。

まるで何もなかったかのように倒れている田中の隣を鎧の人物が乗った馬が走り抜けていく。

走り去る馬の足音を田中にはもう聞こえなかった。













あ~あ、せっかく欲しいものを手にしたのに残念だったね~!

もしもあの時赤いボタンを押さないで残り2日間過ごしたらこんな結末にはならなかったのかな?

でも無理だよね、結局あの人は欲しいものを手にいれたところで自分のいた世界から逃げたいってことは変わらなかった。

だから遅かれ早かれ赤いボタンを押していた。

それで最期は結局こうなるんだよ。



あの人が来た世界はサバイテリア

何千年も国同士の争いや内戦で闘いの絶えない激動の世界。

だからこの世界の人達はあまり人を信じない、信じられない悲しい場所。

そんな情勢なのにいきなり見知らぬ服装で見知らぬ言葉を話す人が突然現れて何かペラペラ喋りだしたら疑心暗鬼は当たり前、殺るか殺られるかの世界で殺ることはただひとつ…。

もし、もしも言葉が通じていたらこの結末は少しは変わっていたのかな?

まあそれは考えないようにしよう、もう終わったことなんだし!

結局言葉の壁というのははるかに高くて越えられなかったてことだよ。

たとえ「コミュニケーション能力」を手に入れたとしてもね。

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