人間関係 前編
ねえねえ、あの噂知ってる?
知ってる知ってる、あれでしょ?
麦わら帽子の白いワンピースの女の子。
そうそう、夏でも冬でも朝でも夜中でも年中同じ格好なんでしょ?
夏はともかく冬は寒くないのかな~?
さあね~。
確かその子に出会ったらどんな欲しいものでもを一つだけくれるんだっけ?
うん、あと白いワンピースの女の子はそれと質問をしてくるんだよね。
質問?なにそれ?
私もよく知らないけどその質問は2択なんだけどそれが全くもって真逆の選択肢なんだけど、結局どっちを選んでも答えは同じなんだって。
同じなら選ぶ意味なんてないじゃん。
そう…なんだけど…、それよりもしその子が現れたらなにをお願いする?
えっと~、私はね~…。
「はぁ~…」
バイトからの帰り道田中は体の空気がなくなりそうなくらいの大きなため息をついていた。
彼は昔から人間関係を築くのが苦手、いわゆるコミュニケーション能力不足だった。
小さな頃から人と話すのが得意でなかった彼は暗い性格も相まって小中校と友達と呼べる者がいなく学校では1人だった。
そんなことをもちろん彼もよしとはしておらず誰も自分のことを知らない都会の大学に進学した。
誰も自分のことを知らないこの場所で人間関係を築こう、鍛えてコミュニケーション能力を手にいれよう!と考えていたからだ。
だけど世の中そう簡単にいくわけはなかった。
元々コミュニケーション能力が不足な人間が見ず知らずの土地で見ず知らずの人に話しかけることは至難の技、結果彼は入学から着々と積み上げられる人間関係の輪から取り残され、友達はもちろんできるわけでもなく、ゼミでも腫れ物扱いされていた。
田中の日常は大学が終わった後もまだ終わらない、値上げの波が容赦なく襲ってくる今の世の中、両親からの仕送りだけでは当然足りるわけではなく彼はアルバイトをしている。
都会の洗練をもろに浴びた彼はバイトはなるべく人と関わないような仕事をしろうと思い彼が選んだアルバイトは倉庫作業だ。
彼の中では倉庫作業は多くの人が働いているけど自分の割り当てられた仕事を黙々と淡々にこなすもの、だから人と話すことはないし話かけることはない、そう彼は思ってた。
だけど…。
「おい田中!なにちんたらしてるんだ!」
「は…はい!」
「声が小さぇよ!あとこれ終わったら報告しろって何度もいってるんだろ!?」
「す…すいません…。」
実際の倉庫作業は彼の思ったものではなかった。
人の連携によって物が流れ、運ばれていく、1人のミスが全体に広がっていく環境はある意味大学以上にコミュニケーション能力が必要になる場所だった。
そんな所だと知らず自ら飛び込んでしまった彼は自分を見つめる冷たい視線ともう構築された人間関係に馴染めない苦痛からバイト帰りには正面をむく気力すらなくふらふらと歩く生活をしていた。
「はぁ…、俺はもうダメなのかな…。こんな気持ちになるなら地元に帰って親の仕事を今からでもいいから手伝おうかな…。」
お兄さんはそれでいいの?
「えっ!?」
田中に語りかける少し幼げな女の子の声。
それに反応した田中はいつも下ばっか向けていた視線思わず正面に向けた。
「あれ?」
だけどそこには人の姿なんてない、そりゃそうだ、だってここはなるべく人に見られたくない田中が探し見つけた秘密の裏道なんだから。
ここは昼間でもビルの影に隠れて太陽の光はほとんど入らない、それに道端を狭いから知ってる人はほとんどいないし、知っててもこんな場所好んで行くやつはよっぽどの物好きだ。
そんな所に、ましてやこんな夜に女の子がいるわけがない。
そう、これはただの気のせいだ!
きっと疲れてるんだよ!
田中また視線を下をそらし歩き始めようとした。
私はここだよ!
再び田中は視線を正面に戻す。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ふふふーん♪」
今まで暗闇しかなかったこの場所に小柄で小学校高学年か入学仕立ての中学生みたいなまだ幼さが残る顔立ちの麦わら帽子を被った白いワンピースの女の子が田中の目の前に微笑みながら立っていた。
「そんなに驚かなくてもいいのに~、失礼だよ。」
女の子はまるで運動した直後のように息を切らしている田中に向かってそういった。
「はぁはぁ…、君…いつから…いたの…?」
「さぁ、いつからだろ~?ずっとここにいたとも言えるし、今来たとも言えるし。」
「はぁ~?」
田中は彼女の言ってることに、今自分が置かれている状況に能が追いつかず混乱していた。
こんな見た目と性格だから女子どころか誰かから話かけられるなんて教授に指される時かバイトで怒られるくらいしかなかったからこんな誰が見てもかわいいと思える美少女に話かけられるなんて彼の中では絶対にありえないイベントだからだ。
「で、そろそろいいかな?田中さん。」
「えっ…、なんで俺のことを…君とは初めて会うよね…。」
「はいそうですよ、私と田中さんは今日ここで初めて会いました、初対面です。はじめまして、田中さん。」
この子と話していると自分のペースが乱れていく。
だけどそれだからかこの子とは初対面なのにとても話しやすい。
いつもは言いたくても心にとどめていた本心が口から外に放出されていく。
今の田中はそんな高揚感満ち溢れていた。
「じゃあなんで俺のこと知っているのかな?」
「別にそんなのいいんじゃないですか?」
女の子はきっぱりそう言った。
「いやいや、全然よくないよ。だって見ず知らずの女の子が自分のこと知ってたら誰でもビックリするでしょ?」
「うーん、やっぱりそんなもんなのかな~?」
女の子は不思議そうに首を傾げる。
「でもさ、そんなこと別に関係よね。」
「はっ…?」
「だって別に私が田中さんの知ってたって田中さんには何も害にはならない。田中さんだって私のことを知らなくてもなんも得にはならない。そうでしょ?」
「…。」
「私の他にも田中さんが知らない人が田中さんのことを知ってるかも知れないし、逆に田中さんが知ってる人も実は田中さんのことを知らないってことなんてこの世界では普通のことだと思うんだけどな?」
田中は彼女の一見筋が通ってそうで実は通っていない持論をどこか納得できずいた。
けどこれ以上続けてもどんな屁理屈を押し通してくるかわからない、ひとまず、ひとまずは彼女の持論を肯定しようと思った。
「分かった、もう君がなんで俺のこと知ってるのかもう聞かないよ。でも一つだけ聞かせてくれない?」
「いいよ、なんでも聞いていいよ。」
田中は唾を飲み込み一息ついてからゆっくりと口を開く。
多分こちらに来てから自分から質問するのは初めてだ。
いつも聞き手だった彼はこの時初めて語り手になるのだから。
「君の名前はなにかな?いつまでも君呼ばわりじゃ嫌でしょ?」
「…名前か…?」
今まですらすらと喋っていた彼女は初めて言葉を詰まらせた。
だけどすぐにこう答えた。
「まあ名前なんてあってないようなものでけど…まあ強いて言うなら…。」
イソネかな。
自分をイソネと名乗る少女は自らの名前を言うにはまどろっこしくまるで今即興で考えてたみたいに田中に遅めの自己紹介をした。
「名前も言ったことだし、これでいいよね田中さん?」
「う…うん。」
「じゃあじゃあ事は済んだことですし本題に入りましょうかね~♪」
「本題…?」
イソネは楽しそうに暗い夜道にステップを踏みながら田中に近づいてくる。
「手、出して。」
彼の元に近づくやいなや彼女はそう言い出す。
「えっ?」
「いいから、出して。」
「う、うん…。」
ついさっきまでとは違い急に高圧的な態度になったことに動揺した田中は彼女に言われるがままに右手を差し出す。
「そうそう、これでいいいんだよ。」
イソネは両手で田中の右手首を優しく包むかのように握った。
カチッ
その瞬間彼女の手で見えなくなった彼の手首から何かがはまったような音が響く。
彼女が手をどけるとそこにはさっきまで影も形もなかった全体が銀色に染め上げられたブレスレットが彼の手首に装着されていた。
「おい、なんだよこれ!?」
田中はブレスレットを外そうとするけど、それが肌にぴったりとくっついているからか彼の指どころか爪すら入る隙間すらない。
彼はどうにかしてこれを外そうと一心不乱に考えられるいろんなことを試したけど時間だけが過ぎていき外すどころか少しも動かすことができない。
「あーあ、酷いな~、せっかく着けてあげたのに~。」
そんな彼を目の前で見ていたイソネはニタニタを笑いながら言った。
「いきなり手品みたいどっからか出てきたわけわからん物をつけられて、それも外せないとなれば必死になるのは当たり前だと思うんですけど~?」
田中は相変わらず外れないブレスレットと戦闘しながら彼女に言葉を返す。
「いくらやってもダメだよ、それは私にしか外せない。」
「はぁ~?じゃあ外してよ!」
「それもダメ。」
「な…何でだよ?」
「そのブレスレットは私が田中に貸してあげたんだから。」
「貸すって俺こんなブレスレットなんて要らないよ!」
「ううん、そんなことはないよ、田中さんはこのブレスレットを世界で一番欲しいと思ってる。
だって田中さんは…。」
この世界からいなくなりたいと思ってるでしょ?
「な…何言って…。」
田中さん、嘘は行けないよ。
イソネが田中を見上げながら彼を見つめる。
彼女の透き通る瞳の奥にブラックホールのように吸い込まれそうな鋭い眼差しに身体中を恐怖心が包み込む。
昔から人見知りで人と話すが苦手。
なのに誰も自分の知らないここに来てしまった。
そしたら結果はご覧の通り。
大学では友達はいなくて教授やゼミの仲間からは腫れ物扱い。
バイトでも他の人達から邪魔者のけ者にされてる。
今は地元に帰ろうとしようと考えてるけど帰ったら帰ったでそもそも親の反対を押しきってこっちに来たんだから会わす顔がない。
つまり田中さんはこの世界に居場所はないんだよね?
「な…なんで…。」
何で見ず知らずの女が自分のことを知っているんだよ…?
なんで俺の考えてることを知ってるんだよ…?
だけど彼女の言ってることは正しい、間違ってない。
だから田中彼女に言い返せなかった。
私はね田中さんみたいなこの世界がどうしてもどうしても嫌で嫌でたまらないそんな人の所にやってくるんだよ。
そしてそのブレスレットをあげるんだ~♪
つまりこれは私から田中さんへのプレゼント~!
イソネは陽気そうにそう言った。だけど自分のことを話してるはずなのにどこか他人事に聞こえることに田中は疑問を持つ。
けれど今はそんなこと後回し、まずは目先にある疑問からだ。
田中はそう考え今聞くべきことを脳内で整理し口を開く。
「…これをプレゼントしたところでこの世界からいなくなりたいことは変わらないと思うんだけど…。」
まあまあ田中さん慌てなさるな、話はまだ続いているのだよ。
「…。」
ほらブレスレットをよく見て?小さいけど赤と青のボタンがあるでしょ?
「えっ…?」
田中は自分につけられたブレスレットをじまじまと見詰める。
さっきは冷静じゃなくて気づかなかったけど銀色に装飾されたそれに目立つような赤と青のボタンが2つ並ぶように設置されていた。
「なんだこれ…。」
ちょっとまってーーー!?
田中が青いボタンを押そうとした瞬間イソネが今までで一番の大声を出してそれを阻止する。
田中もその声にビックリして押すのを踏みとどまる。
「何だよ、いきなり大声を出して…。」
いやいや田中さん危なかったよ、あともう少しで後戻りできなくるとこだったんだよ?
「後戻りって一体なに言って…。」
まあいいや、なにも起きなかったみたいだし早速ボタンの説明するね♪
「おいまだ話は…。」
田中の言葉なんて聞く耳なぞもたずイソネは自分勝手好き勝手に喋り始める。
じゃあまず田中さんが押そうとした青のボタン!
そのボタンを押すと
田中さんの欲しいものがどれでも1つ手に入れることができる。
「…えっ…?」
田中には彼女がなにを言ってるのか理解できなかった。
当然さっきまでの話も行動も理解できなかったがこれはそれら以上に酷い。
「おいおい、いくらなんでもそれはないよ、そんな都合のいい話が…。」
あるんだよ。
「!?」
本当にあるんだよ
そのボタンを1回押せばなんでも田中さんが欲しいものが1つだけ手に入る。
新しい洋服が欲しかったら洋服が。
働かなくてもいいくらいのお金が欲しかったら札束の塊が。
好きな人の心が欲しいなら目の前にあなたにメロメロになったその人があなたのもとに駆け寄るでしょう~♪
この青いボタンを押せばな~んでも手に入るんだよ!
だからさ♪ほら試しに押してみなよ!
さっきまでボタンを押すことを必死に止めようとしていた彼女がうって変わって今度はボタンを押すように促してくる。
まるで人格が入れ替わったような変わりように田中は混乱した。
「なんだよそれ、ボタンを押すと取り返しのつかないことになるんじゃないのか?」
ああ、それはもういいの。
イソネは素っ気ない態度でそう言いはなった。
「はぁ?どういう意味何だよ?」
だってそのボタンは欲しいもののことを強く心で思わないと何も出ない、何も起こらないんだよ。
つまり田中さんがあの時ボタンを押しても何にも起こらなかった、押しざり損だったんだよ。
好きなものを手に入る一斉一代のチャンスを棒に振りたくないでしょ?
「…。」
それにこの青いボタンを押したらもう片方のボタンが発動する。
「…そういえばこの赤いボタンはなんだ?」
そのボタンは本当に気をつけて、それを押すと…
あなたは別世界に行くから。
「別世界…。」
田中は思わずその言葉に唾を飲み込む。
そんな言葉テレビや本の中でしか聞いたことがないのにまさか現実で聞くことになるなんて思っていなかった。
だからそれを聞いた時彼の心は少しだけ滾る。
田中さん、今別世界に行きたいと思ったでしょ?
「えっ…そんなことは…。」
あるよね。
「!?」
そりゃそうだよね、田中さんはこの世界からいなくなりたい。
つまりそれは別世界に行きたいってことと一緒なんだよ。
だから田中さんは今その赤いボタンを押そうとした。
そうだよね…?
「…ああそうだよ。」
この子にはすべてを見透かされる、嘘はつけない。
そんなことをしたら今度こそ瞳の奥に吸い込まれることになると思った田中はおとなしく白状し懺悔した。
でも良かったね、さっきも行ったけどそのボタンは青いボタンを押さないと意味がないから。
それでね田中さん
イソネがさっきブレスレットを着けた時と同じように田中の右手首を両手で包み込む。
これを着けた瞬間、あなたには3つの選択肢が生まれた。
「選択肢…?」
1つ目は欲しいものを手に入れるチャンスを棒に振って今すぐこのブレスレットを私に返す選択。
2つ目は青いボタンを押して欲しいものを持って1週間以内に赤いボタンを押して別世界に行く選択。
「もし…青いボタンを押して1週間以内に赤いボタンを押さなかったら…。」
それが最後の選択肢、青いボタンを押して赤いボタンを押さなかったら1週間後そのブレスレットを返して貰うわ。
だけどその時手にいれたものを消えてなくなる。
まあ簡単にいうと今までと同じ生活に戻るだけよ。
「…。」
じゃあ田中さん最初の選択肢を選ぶ時間だよ。
私は全部話した、これからは田中さんが決めること。
ここでブレスレットを返すか。
青いボタンを押して欲しいものを手にいれて別世界に行くリスクを負うか。
さあどうする?
田中は悩んだ。
こんな嘘みたいなこと簡単に信じるわけにはいかない。
だけどそんな嘘みたいなことが何度も目の前で起きてる。
突然目の前現れたイソネ
外れないブレスレット
もし、もし彼女の言ってることが正しかったら?
青いボタンを押して欲しいものが手に入れられたら?
この嫌で嫌でたまらない世界も好きになるかもしれない。
もし別世界に行く羽目になってもそれはこの世界が嫌なことが変わらなかっただけだ。
だったら…
「分かった、押すよ。」
田中は一度深呼吸をして気持ちを整える。
そしてぶるぶると震える右手首についているブレスレットの青いボタンに同じく震える左手の人差し指をゆっくりと近づける。
そしてその時はきた。
ポチッ
「うっ!?」
ボタンを押した瞬間まるで自分に雷が落ちたみたいに痺れるような衝撃田中を襲う。
ボタンから指先を通じ一瞬にしてそれは彼の脳内に突き刺さる。
今まで感じたことのなかった感覚に思わず彼は声をあげた。
「はぁはぁ…なんだったんだ今の…ってイソネ…?」
ついさっきまで目の前にいたはずのイソネの姿がボタンに視線を向けた一瞬のうちに消えてなくなっていた。
ほんの数秒、たったそれだけで影も形もなくなるなんてあり得ない。
田中は彼女の名を呼びながら周りを見渡し探した。
だけどやはり彼女の姿はいない。
「あいつどこに…。」
どうやら無事欲しいものは手に入ったようだね。
イソネの声が聞こえる。
だけどこにいるのか、どこから聞こえるか分からない。
強いていうなら彼女が直接脳に語りかけてるといったほうがいいのか。
田中はどこにいるのか分からない彼女の言葉に耳を貸す。
どお欲しいものが手に入った気分は?
「そんなこと言われても俺は貰ってないんだけど?」
今田中の手元にあるのは大学の教科書や資料が入ってるカバンとスマホや財布などのごく少数のものだけ。
服のポケットやカバンの中をあさってもそれらしきものはない。
ううん、田中さんが気づいてないだけでもう手にいれたんだよ。
「だからそれって…!」
それじゃあ私はここでサヨウナラ、また1週間後もしこの世界に残りたくなったらまた会おうね♪
「おい、まだ話が…!」
どうかあなたが世界を好きになりますように…。
その言葉を最後にイソネの声は聞こえなくなった。
田中はしばらく周りを探したがやはり彼女の姿は見つからない。
そのまま少しの時間が過ぎ彼女を探すのを諦めた田中は家路につくことにした。
まっすぐ正面を向きながら。