Rainー2 桜の木が泣いている
本日二話目
改稿:5/3
昨夜から降り続ける雨の音。
シャーペンが紙の上を走る音。
黒板へとチョークが数式を打つ音。
そう言った僅かな音が聞こえるのは、人々の会話が無いということ。
静寂を感じされる音が満たし、黙々と展開される授業に、不意に穏やかな呼吸音が混じった。
「ちょっと! そこ、秋吉くん! 授業中は寝ない!!」
「すぅー。ふぇ……? あ、お母さん…?って、はっ! 間違え──」
「誰がお母さんですかー!!」
お調子者の頭に、教科書が振り下ろされ、静かな音に満たされていた教室にドッと笑いが巻き起こる。
隣で頬杖を付き、船を漕いでいた友人が何事かと跳びおきるのを尻目に、僕は雨粒が滑る窓の外へと目を向けた。
校門に立っていた立派な桜の木。
この学校の創立当時からある大樹は毎年この季節になると、満開に咲き誇り、新たな門出を祝った。
新入生を迎え入れ、歓迎するのもあの木の役目だ。
僕らの学年も例外なく、昨年、あの桜の木の下で集合写真を撮った。
そんな数え切れない程の出会いと別れを見守ってきた大樹の今の姿は実に惨憺たるものだった。
太く真っ直ぐ伸びていた幹は根元まで真っ二つに裂かれ、断面は黒々しく炭化してしまっている。黒く淀んだ表皮は、焼け焦げてしまった魚のように痛々しく、はげ散らかった桜の花弁が、雨で濡れたアスファルトに落ちている様からは何処か哀愁を感じた。
「加瀬君!」
昨夜の落雷が直撃したらしかった。
重傷を負った桜の木を前に泣き崩れていた用務員のおじさんや、登校してきた生徒がその光景にスマホを向けている姿が、記憶に新しい。
「加瀬くん!!」
「おい、天音」
「ん?」
と、雨に濡れ泣いているようにも見える桜の木を眺めていると肩を叩かれた。
見れば、何故か苦笑した友人が前方を指差している。
「む~~」
友人の指が差していたのは、頬を膨らませ、僕を非難染みた目で睨む女性教諭。
片手に持った黒板消しが今にもこちらへ放たれようとしていた。
周囲を確認すれば、教室中の視線が自分に向いているようだった。
……しまった…。
考え事をしていると周りが見えなくなるのは僕の悪い癖だ。
「もうッ! 加瀬君! 外を眺めるのは、寝るのよりはマシです! けど! 先生の授業はしっかり聞いて下さい!」
先ほど醜態を晒したお調子者が、傷口を抉られたのか、ガハッと血を吐いて机に突っ伏すのを視界の隅で捉えつつ、僕は席を立ちながら謝罪する。
「はい、スミマセン…」
「もっと大きな声で!」
「……すみません」
「もっと!!」
「すみません!」
半ばやけになって絞り出した声に、満足そうに頷いた女教師は、「よろしい」と言って着席を促したのち黒板へと向き直った。
たおやかに靡く、亜麻色の髪の先を目で追いつつ、自席に腰を下ろす。
と、僕が着席したのを見計らった友人が、体を傾け、小声で笑いかけてきた。
表情からおちょくる気満々だった。
「ははっ、災難だったな。天音。ん? どうした? そんな熱心にあおい先生を見つめて……もしかして、気になってんのか? いいねぇ、遂にお前にも春が来るかぁ? ん?」
「…海斗……。おまえ、さっき寝てたろ?」
「んなッ…! ね、寝てねぇしッ! 俺はただ…! てか、質問してんの俺! 何、勝手に話題をすり替えて──」
「高岡くんッ!! 授業は静かに聞いて下さいッ!」
「うぁッ! す、すんません!」
まんまと声を荒げてくれた友人を見上げてニヤリと笑ってから、彼を叱り飛ばす教師へと視線を向ける。
雨坂あおい。
昨年、大学を出たばかりだという新任教師だ。
担当する科目は数学。
一年目と言うことで、まだその仕事に荒は目立つが、授業の腕は中々。
前回の中間テスト、担当していたクラスの平均点はかなり高かった。
黒板に連ねられた図形は美しく、とても見やすい。
字体も丁寧で、チョークの色分けも完璧だった。
何事にも一生懸命で、男女分け隔てなく接していく姿勢から、生徒、教員問わずその評価は鰻上りである。
また、何処か子供っぽさを滲ませる言動に反し、その顔立ちは美しいの一言に限る。
小さな顔に精巧なパーツのみで構成された美貌は、モデルにも引けをとらない。
他にも若い女性教諭は在籍しているが、一人垢抜けてるのだ。
だというのに、彼女のメイクは、唇を彩るピンクのルージュのみだというのだから驚きだ。
体つきも見事の一言で、美女を見慣れた成人男性が唸る程完成された手足はマネキンのように細く白い。
学生時代はテニス部だったという彼女の引き締まったくびれを強調するが如く、出るとこは出ていた。
誰もが羨むわがままボディとは、ああいうのをいうのだろう。
女子生徒が憧れの目を向け、男子生徒が欲望に満ち満ちた視線を向けるこの完璧美女。
一見、近寄りがたく思えるその容姿も、彼女の明るく溌剌とした性格が功を奏したのか、見事に緩和されており彼女の周りはいつも笑顔が絶えない。
今もまた、喜怒哀楽を見事に表現しながら、僕達生徒へ授業を展開する彼女を見て、僕はあの姿こそ、普段の彼女なのだと再認識する。
同時に昨夜のアレは質の悪い夢だったのではと現実逃避染みたことを考えてしまいそうになる。
昨夜、誰もが認める美人数学教師の裏の顔を垣間見た僕は、強く強く、彼女に興味を持っていた。
あの夜の後、僕は口止め料を貰った上で解放された。
もちろん、そんなモノはいらなかった。
周りに言いふらす気など毛頭ないのだから。
友人の言葉を借りるなら、この気持ちは何故か彼女の事が気になっているといえる。
出来れば、もう一度話がしたい。
そんな淡い僕の願いは、チャイムが鳴ったと同時に近づいてきた彼女の姿を見て、今日の内に叶うことを悟った。
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