星の青年
みのりの頬をすり抜けた弾丸は、田圃道の高台でみのりに向かって猟銃を構えていた老人の肩を貫通した。
老人が呻き声を上げて後ろに倒れるのを合図に、辺り一面を覆い尽くす形で鎌やシャベルを構えた人びとがぞろぞろと姿を現す。そのほとんどが農家の所有者なのだろう、多くは四、五十を超えた中年の男性や老女で、先導を切っていたのはその中でも一際小柄な老婆だった。
そう。ほんの数時間前、おにぎりの具について語り、握り合って、言葉を交わしたその人。
「“反逆者”だ!!あの娘たち私らを騙くらかして逃げる不届き者だよ!」
「お、おばあちゃん…!?」
「あのババアさてはこの機を窺ってやがったな」
悪態がてらみのりを背に回し、辺りを見渡す青年。ざっと見積もって20人弱程だろうか、年層を見る限り一人なら何とか逃げ延びることが出来そうだが、“お守り”真っ只中の今、立ち位置的にも町びとの襲撃を躱すのには骨が折れそうだ。
「どういうこと、だっておばあちゃん痴呆って」
「この町じゃ“反逆者”の告発は地位向上を意味する。要するにあの婆さんボケてる演技してたってこと、恐らく俺が婆さん家に居候し出したその頃から。快適なヒモ生活だと思ったんだけどね、存外こっちが利用されてたとは」
「園町から村主の許可なく無断で脱町する者は死に値する!裏切り者に制裁を!」
裏切り者に制裁を。裏切り者に制裁を。
みのりと青年を取り囲んでいた町びとは声を揃えて合唱を開始し、それぞれが手に携えた鎌や猟銃を構え彼らに今にも突撃をしかねない。
「どうして…なんで…」
こんな状況下において、普段なら和解を求めるみのりも、彼らの眼を見て硬直してしまった。下手に謝っても許されない。それは罪を認めたことになる。それだけは、解っていた。
かつて、母方の祖父母の家の庭に咲いた山茶花が隣家の敷地内に落下し、掃除が傍迷惑だと、祖父母と隣家の間で揉めた事がある。結局そのときは口達者な祖父母の勝利により事無きを得たが、みのりは知っていた。
隣家の住民が祖父母の所有する椿に対抗して花に水をやるふりをして除草剤入りの水を撒いていたこと。それをじっと見据えていたみのりを見た隣家の住民の眼が、憎悪で満ち満ちていたことを。
幼いながらにして、覚えている。そうだ、あの眼だ。怖気を感じ、人の生気すら奪う刃を、人は生きながらにして他人に、容易に振り翳す術を無自覚に知っている。社会の縮図の断片が、わかりやすくも残酷に、目の前に示されている。
、、、
「言ったろ、奴らまともじゃないって」
斜め上、自分を庇うように立つ青年の眼が優しく微笑む。哀愁を帯びた鳶色の瞳に、希望の色は見えなかった。
「ーーーあなた…
「掴まれ」
青年の手がみのりの腰に回り、後手に持った拳銃が物体を捉える。弾丸が捕らえたのは田園に水を送り込む水車だ。それまで穏やかに流れていた水は銃弾を受けたことでシャフトが脱離し、あらぬ方向から水が噴出する。輪板が外れ歯車が崩壊する間際で、青年は水車を潜り抜け、みのりを抱きかかえたまま崩壊した水車、それが生み出した濁流へと身を投じる。
みのりを抱えたまま、青年の姿はやがて川の流れに飲まれて姿を消した。
「くそ、逃したか」
「放っときな、あの流れに飲まれちゃいくらなんだって命はないよ」
「ったくこんなにしちまって、また一から作り直しだよ」
崩壊した、ほんの数秒前まで水車だったその場所を眺め、町びとたちは立ち尽くす。それぞれが携えた猟銃や鎌を仕舞い直すと、やがて何事もなかった様に彼らはまた各々の持ち場へと戻って行った。
「最悪だ。濡れて銃が死んだ」
みのりが二度目に眼を覚ましたとき、聞いた言葉はやはり青年の声だった。町びとから逃げ延びたらしい、川の畔で横になった体はじっとりと濡れ、せっかく乾いたセーラー服は嫌味なほど体にまとわりついてくる。
生きた心地がしなかった。死んだとすら思った。頬を掠める雑草を愛おしく思った。呼吸をしていることが、不思議で仕方がなかった。
「最近濡れてばっかだよ、どっかの誰かさんのお陰でな」
みのりに背を向けて胡座をかき、拳銃を叩いてみたり濡れた銃弾をもう一度弾倉に収めてみたりする青年は、みのりと同じように全身ずぶ濡れだった。きっと昨夜も同じ状況だったのだろうに、よくよく考えたら彼にお礼の一つも告げていなかった気がする。
「…ごめんなさい」
「お前のお陰でマイホームまで無くしちまった。帰る場所ももうない。また無一文だよ」
「マイホームって、居候だったくせに」
「うっせーお前がいうな」
「ありがとう」
「は?」
「体を張って、守ってくれて」
一呼吸置いて放たれた言葉に、青年は振り向く。濡れた髪をかきあげて、眼を見張る彼に微笑んで見ると、彼は仏頂面のまま舌打ちをした。
人目に付かぬようその場所で一先ず体が乾くのを待っていると、あっと言う間に遠くの方で空が紫に染まるのが見えた。青と赤の雲間で、夕焼けが山々を照らしている。「園町」は日暮れも早いのだろうか。そんな錯覚にすら陥る。
拳銃と格闘する青年を隣に畔で寝そべっていると、なんの前触れも無しに天からのお告げを受けた。いよいよ自分も気が触れたらしい、人の慣れとは怖いもので、早くも混沌に頭が順応しつつある。
要するに、こういうわけだ。私は、日本に有りながら、日本の法と秩序から逸脱した世界に放り投げられ、そこで人としてどうあるべきか、試されている。
取り留めのない、小説のような話だ。物語の主人公であるみのりが、いっそここで枯れるほど泣くことが出来たら良かったのに、もうそれすら叶わなかった。
大の字に寝転んだまま、みのりは息を吐き出す。言葉は思ったより元気よく飛び出した。
「もうすぐ」
「…」
「もうすぐ日が暮れるね」
「そうだな」
「…」
「どうしよう」
「あ?」
「このあとどうしよう」
「どうしようもこうしようもねえよ。こうなったからには責任取ってもらうからな」
人のこと散々巻き込んだんだ。貸しは倍にして返してもらわなければ割に合わない。背を向けたまま、青年はボヤいてみせる。ほぼ乾いた青年の髪が風に揺れ、きらりと輝いたのが、川の煌めきにも似ていた。
「みのり。私の名前、野原みのりって言うの。貴方は?
「…」
「生吉おにいさんでいい?」
「張っ倒すぞお前」
思い切り振り向いた青年のつり上がった目付きは明らかに怒りを露わにしているのに、どこかおかしいとらすら思える。みのりは寝転んだまままたはにかんで見せると、もう一度名前を教えて、と言葉にした。
背を向けたままの青年は、長い長い、沈黙の末。そっと独り言のように溢す。
「星野」
「………星野、あなた星野っていうの」
「さん付けろ年上だぞ」
「星野か。似合ってるね星野って」
「聞けよ。似合うってなんだよ苗字だよ」
悪態をつく星野に、みのりは笑ってみせる。屈託のない笑みを浮かべるみのりに、星野もまたため息をついてから小さく笑って見せた。
「貴方の髪の色が、ずっと星みたいだと思ってたから」