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其の町の人びと  作者: 或田いち
さようなら、日常
2/8

初夜

 

「阿形さんも吽形さんも、いい人たちだったね」


 阿形と吽形、彼らが呼んだご近所住民の助けもあり、数日かかると見込んでいた引越しの支度は初日にしてほぼほぼ完了していた。

 あとは細かな家具家電の線を繋いだり、インテリア雑貨諸々の配置を決めていくだけだ。みのりが未だ引越しを渋っていた頃、インテリアに詳しい母から“新居は可愛らしい飾りを一緒に(かたど)ろう”と提案を受けていたこともあり、大まかな荷物整理が出来上がり、その作業を明日に控えた今みのりは風呂上がりの濡れた頭のまま、ソファに飛び乗っては上機嫌だった。


「ご近所さんも優しかったし…見て、飴玉もらったの」


 制服のポケットに入れたままにしていた飴玉を取り出し、台所に立つ母に手を広げてみせる。その包みは水色の紙にピンクの水玉模様の乗った可愛らしいデザインだった。


「そう。良かったわね」

「何味だろう。なんか可愛くてもったいないからつい食べられないんだよね」


 ソファに寝そべったまま、飴玉を天井に掲げてみせる。家全体が木造建築のため暖かみのあるのに加え、くるくると回っているシーリングファンがTVなんかで憧れた家と同じものであることに歓喜し、えへへとアホみたいな声が漏れた。


「お母さん。わたしすっごいわくわくしてる、これからどんな素敵な出来事が待ってるんだろうって」


 目を輝かせてソファから身を乗り出すと、生乾きだった髪から雫が数滴落ちた。革製のソファだからすぐ染み込みはしないものの、きっと母が見たら直ぐヒステリックな奇声をあげるに違いない。

 慌てて首に引っさげたタオルで水滴を拭うも、オープンキッチンで背を向けて立つ母が、みのりに振り向いてそれについて何を言うこともなかった。そのかわり、


「そうね、ここでなら誰にも邪魔されずに有意義に過ごせそう」


 タン、と包丁が何かを捉えてまな板に落下する。切れ味悪くなってきたかしら、とかなんとか。母の呟きにさして興味も持たず、みのりは先ほどから姿の見えない父の姿を探す。


「お父さんは?」

「今お風呂。あんたも頭乾かしてさっさと寝なさい。明日も早いわよ」

「は~い」





 


 明日のことを考えて、高鳴る鼓動をひた隠しにする様が遠足前の小学生みたいだと思った。

 瞼を閉じて目深に布団を被る。真新しいベッドは檜の香りがしてどこか落ち着かない。まだ家具を置いただけの、無機質な部屋を明日どうやって色付けていこうか、そんなことをああでもないこうでもないと思考を巡らせていたら、いつの間にか眠りについていた。


 やがて夜も更け、深夜の2:00。寝静まったみのりの部屋の扉が、キィと小さな音を立てて開かれる。

 一面闇に覆い尽くされ影も形も把握出来ない部屋に、蠢く人型の脚が踏み入ってくる。その長い足は音を立てずにそっと部屋の中に入り込み、体の全てが浸入したのを確認すると、そっと戸を閉める。


「みのり」


 大柄な人影だ。と言うのも、長駆で、細身なのであって、決して横に大きいわけでは無い。ベッドで寝息を立てるみのりに一度小さく声をかけると、長い腕が眠るみのりの横髪をそっと撫でた。


「みのり」

「……、だれ?」


 影がみのりの頬を撫でた直後、気配に気づいたみのりがそっと目を開く。寝ぼけ眼で未だ理解が追いつかない彼女を引き寄せると、影は暗闇の中みのりをぎゅうと抱きしめた。


「……お父さん…?」


 父だった。ベッドの横に腰掛け身を乗り出した父が、寝たままのみのりを覆いかぶさるようにして抱きすくめる。どうしたの、とみのりが問う前に、父はしー、と人差し指を口元に突き立てた。そして。


「……っむ…!?」


 自分の唇を、みのりに押し付けてきた。突然のことに、それまで寝ぼけ半分だった彼女も一瞬にして覚醒する。慌てて絡みついてくる父の手を跳ね除けようと腕を突っぱねてみても、大の男の力に中学生の女子が対抗しても、敵うはずはない。


「ーーーっお、お父さん!?」

「みのり…愛してる。父さんずっとこうしたかったんだ…」

「何考え…寝ぼけてるの!?」

「違うんだよ」


 やっとのことで唇から逃れたと思ったら、今度は鎖骨辺りに鋭い痛みが走った。恐怖に喉がグッと息だけを飲み込んだ。分からない。知らない。こんな父を、こんなことがある世の中を私はまだ、


「嫌だっ!」


 頭の後ろに引いた枕を引っこ抜いて、父の横面を引っ叩く。怯んだ隙にベッドから飛び降りると、みのりはそのまま階段を駆け下りた。


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