ようこそ園町へ
整備されていない地面を走行する度、不規則なリズムで右へ左へと揺られる車体は、電車から見る景色そのものだ。
セーラー服姿に、焦げ茶色の髪を耳の下で二つにしばった少女、野原みのりは、地球に翻弄されながらも前進する軽自動車の窓から顔を出した。
「うわあすっごい山!見てみてお父さんお母さん!所によって色が違うの!」
「みのり。そんなに身を乗り出して景色ばかり見てたら酔うわ、小学生じゃあるまいしちゃんと座って」
「好きにさせてやりなさい。よっぽど嬉しいんだろう」
ほんの数日前まで東京都内に居を構えていた父と母、そしてみのりの家族三人が正式に引越しを決めたのは、つい一ヶ月前の話だ。
新聞社に勤務するみのりの父に、都内の部署から随分と遠く離れた町の部署へと転課が言い渡され、急遽引越しを免れられない事態に陥った。
自宅付近のスーパーでパートをしていた母はともかくとして、中学二年に上がり、学校にも随分と慣れ有意義な学生生活を送っていたみのりのことを考え、一度は父のみの単身赴任も提案された。しかし、家族バラバラになるのはよくないと断腸の思いで下したみのり自身の決断は、結果として東京を離れ、知らない町にて家族三人がこぞって再スタートを切るというものだったのだ。
「あっちでの学校最終日なんて、みのりは泣くの我慢してとんでもない顔してて…一時はどうなると思ってたけど」
「結果として上機嫌なんだもの。安いものね」
「あーもーうるさいっそれ言わない約束でしょ!?」
窓から顔を出したまま車内を見ると、ハイハイ、と笑う父と、意地悪く舌を出す母の姿があった。
いかにも微笑ましい家族像。こうしていると、二つの選択に頭を捻らせ、唸り、苦しんで出した決断も間違いではなかった、と確信出来るのだから、確かに別れはあったけれど、答えは間違えではなかった、と痛感できる。
いい加減に母の注意が説教にシフトチェンジしそうになるのを見計らい、車内におとなしく座って更にでこぼこ道を行くこと20分余り。
ふと見ると道の側に「ようこそ園町へ」という木製の看板が立っていた。長々と続いた平地の終わりだろうか、あたり一面田圃と川しか見えなかったそれまでの景色と打って変わって、その看板の向こうには住宅地や、ショッピングモールのような建造物が立ち並んでいるのが見える。
「ど田舎過ぎて、一生都会めいた服装は出来ないかと思ったよ」
「市街地って言う話だったもの、ここへ来るまでがヤマだったってことね」
「山だけにね」
東京都内を走行するときカーナビに表示されていた溢れんばかりの図式や文字は、「園町」へ向かうルートでは一切表示されなかった。道無き道を行く、それを体現するように、真っ白な画面に一本引かれた線を辿る姿は、異世界の扉を開いたときのような冒険感にも見舞われるほど。
「あっ、あれなに?」
先ほどの看板を越えて間もなく、“それ”は家族全員の目にすぐ飛び込んできた。大きな石柱だ。高さ3メートルはありそうな石柱二本が道と道の脇に聳え立ち、その手前に一人の男性が突っ立っている。門の高さが一度はそう高くないと錯覚したのは、この男性の影響もある。近付けばわかるが、その男性の身長が悠に二メートルは超えていそうな体躯だったからだ。
「こんにちは」
此方が呼びかける前に、男性は車を察知するとすぐに歩み寄ってきた。ハーフなのだろうか、日本顏以外にも他国の血が混ざっているような、彫りの深い目元に高い鼻。全身黒い布をまとう姿は異国の地の民族衣装のようにも見える。
「あの、すいません。今日からここに引越してくることになっている野原と申しますが…」
「ああ。野原様ですか。お待ちしてましたよ」
「ここ車で通っても大丈夫ですか?」
「ええ。ただ、「園町」は環境保全に他町より人一倍力を入れている場所でもありまして、ほら、来るまでの道のりずっと田んぼだったでしょう。あれも一応わたしらの私有地でしてね。出来得るだけ車での走行なんかは避けて頂いてるんですよ」
「あ、そうなんですか、?しかし引越しの荷物もあるし業者もそれじゃあ入り辛いんじゃ」
「あ、そこはもう連絡しておいたので大丈夫です。今回だけね、とりあえず荷物はお預かりして我々もお手伝いさせて頂くので、車から降りて頂けますか?あ、盗んだりしませんよ、移動させるだけです」
にこやかに説明すると、男性は石柱に向かって片手を挙げる。その合図の元、全く同じ身なりをした瓜二つの男性が石柱の陰から姿を現した。
「えっ分身!?」
「ははは。お嬢さん、面白いこと言うね。双子なんですよ。可愛げないでしょう、禿げたオッサンの双子って。
申し遅れましたが僕は門地阿形、あちらは弟の吽形です。普段は園町町会会長にパシリとしてこき使われてます、町のことなら何なりと聞いてください、いつでもレクチャーしますんで」
「これは心遣いありがとうございます」
握手を求める阿形に、律儀に車を降りて手を差し伸べる父の姿を母の背中から密かに見やる。そもそも高身長であるみのりの父より遥かにデカく、ガタイの良い彼に腕をへし折られるのではないかと、そんなはずもないというのにみのりは気が気でなかった。